白狼 白起伝

松井暁彦

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終  黒の章

 十三

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 「之はー」
 王翦は往来の激しい街道に残る、黒く濃い沁みを見遣って、身を屈めた。

「血の痕か」
 指で擦る。臭気はない。が、血痕が残っている以上、まだ日は浅い。確信はない。だが、直感はある。之は白起のものだ。

「おい。お前」
 不意に声を掛けられた。返事をする前に、露店の裏へと引き摺りこまれていく。

「何をする!?」

「黙れ」
 と浅黒い肌の男は指を立てた。

「俺だ。摎だ」

「摎殿。あっ」
 慌てて口を噤む。摎の姿を、何度か眼にしたことはあるが、何時みても別人のように姿を変えている。今は浅黒い露店の商人然とした姿に変貌していた。

「何故、此処にお前がいる?」

「何故って、決まっているでしょう。そういう摎殿こそ」
 摎は四顧すると、

「人目に付かない場所に移動しよう」
 と声を潜ませた。

「だったら、俺が使っている宿に行きましょう」
 二人は時をずらして、宿の一室に合流した。摎はまた姿を変えていた。次は如何にも冴えない初老の男の姿をしていた。

「殿が捕まった」

「えっ!?」
 声が上擦る。

「范雎の罠にかかったのだ」
 声色には落胆が窺える。言い様のない巨大な不安が胸中に渦巻く。

「じゃあ、殿は?」

「殺されてはいない。だが、日々凄惨な拷問を受けている」
 唾を呑む。
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