白狼 白起伝

松井暁彦

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終  黒の章

 十四

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「狂人だよ。范雎という男は」
 成りすました摎の表情からは、最大限の侮蔑が窺える。

「殿の居場所を突き止めたのですか?」

「いいや。范雎の周囲には容易に近づけない。恐ろしく警備が固い」

「では、何故そのことを?」

「協力者といっていいのかな。今はまだ旗幟きしを明らかにはしていないが、情報を寄越してくれる男がいる」

「信用できるのですか?」
 摎が首を竦める。

「さぁな。本人も色々な事情が重なって、迷っているようだ。今夜落ち合う手筈になっている」

「ならば、俺も」
 摎が凄味の利いた、眼で睨む。其れは初老の男が放つものではない。

「お前。何故、咸陽に来た?」

「義父上とも話は付けました」
 摎は長嘆息をした。

「あの馬鹿。いいか。お前は魏冄殿と白起殿の薫陶を受けた唯一の男だ。お前が死ねば、殿や魏冄殿。いいやー。亡き武王の想いまで烏有うゆうに帰すことになる」

「殿を助けるまで、義父上の元には戻りませんよ」
 真正面から向き直る。その間、一度たりとも瞬かない。すると、不意に摎が視線を薙いだ。

「ったく。強情な餓鬼だ。梃子てこでも動ない気だな」

「勿論ですよ」
 屈託なく笑い返す。

「いいか。絶対に勝手な真似はするな。小さな過ちが命取りになる。それほどに、范雎という男は油断がならない」

「胸に刻みます」

「今夜。敵方の内通者と落ち合う約束になっている。それまで少し休んでいろ」
 そう言い残すと、足早に摎は部屋から去って行った。
 
 一人残された王翦は仰臥し、言われた通りに躰を休めておこうと試みたが、凄惨な拷問を受ける白起の姿を思い浮かべてしまい、まんじりともせずに夜を迎えた。

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