白狼 白起伝

松井暁彦

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終  黒の章

 十二

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「貸せ」
 入口に控える、看守から棍棒を受け取ると、思いっきり振りかぶって、至る所を打擲ちょうちゃくした。

「見ているか!天よ!刮目せよ!!」
 范雎の金切り声だけが、意識の遠い所で反響している。

「貴様の寵児ちょうじを見るも、無残な姿で天に送り返してやる」
 不快な音が鳴り響く。

「はぁはぁ。今日はこのくらいにしておいてやる」
 髪を蓬髪の如く、乱した范雎は、冷静沈着という偽りの仮面を被った。

「お…し…え…て…や…る」
 白起の純白の髪は、彼の血で紅に染まっている。

「ほう。まだ喋る元気があるのか」

「天…など…この世には…存在しない。俺も…かつて…天下へと…続く階を視た。だが…そんなもの…何処にも…存在しなかった…。見ろ…。今の俺の姿を…。天命を信じ…多くの者を殺戮してきた…憐れな男の姿を。今では狂った男の玩具されているではないか」
 くつくつと嗤う。

「口の減らない野郎だ」
 范雎が頭を棍棒で打つと、白起は額から血を流し、気を失った。

「おい」
 二人の拷問官を呼ぶ。

「こいつの足のけんを切っておけ。逃げられぬようにな。適当に治療して、殺さず生かしておけ。こいつは私が時を経けて、じっくりと嬲り殺していくことにする」
 黒服の拷問官は頷くと、白起を治療室へと運んだ。
 
 桎梏者しつこくしゃを失って、不気味に触れる鎖。范雎は日々、此処で行われる凄惨な拷問を想像して、胸が高鳴った。
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