神子だろうが、なにもかも捨てて俺は逃げる。

白光猫(しろみつにゃん)

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第三十八話 ごっそりやられました。

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 それから数分後に、ドワイラクスがやけにスッキリとした表情で戻ってきた。
 外にいる人間を騙すための演技なのか、ついでに出すものを出してきたのか……真相はトイレの中だ。

 そのあとは終始老師のペースで話は進み、また会う約束をしてから二人は帰っていった。

 彼らが退室する間際、いつものようにアーチーへ向かってバイバイと手を振ったら、彼も微笑んで控えめに振り返してくれた。
 思わぬ親友とのひとときは、村の空気に触れたようで穏やかな気持ちになれたが、いまの俺はこの冷たい建物の中で、またひとりぼっちに戻っている。

 そして激しい自己嫌悪にさいなまれていた。

 先程の俺は本当にどうかしていた。
 動揺して人前で大泣きするなんて……あまりにも女々しすぎる。
 黒神子ヒラヒラスカート事件とセットで、一生黒歴史として背負っていくしかない。背骨がきしんで今にも潰れそうだ。

 ……でもまだ、アーチーが相手で良かった。

 リンダに同じ態度とられても、俺はたぶん泣いていた。
 だったら女の子の前で号泣するよりは、遥かにマシだったと言える。

 しかし、そのあとがいただけない。

 なにアーチーと抱き合ってんだ。あれは完全にアウトだろう。

 自分でいうのもなんだが、俺は相当な訳あり物件だ。
 厄介な問題が目白押しで、選びたい放題の彼には非常に勿体ない。
 だから、思わせぶりな態度はとりたくないし、あくまでも友人として彼とは接していたいのに……やらかしてしまった。

(アーチーが好青年過ぎて、なかなか強く拒めないんだよなあ)

 彼といると、若かりし日に迷い込んだような、甘酸っぱい気持ちにさせられる。
 その青臭くも一途な想いはあまりにもキラキラしていて、この手で傷つけるのが怖くなる。

 これが、エイデン王子やオスカー相手なら話は別なんだが……。

 彼らは、欲望渦巻く政治の中枢で、幼い頃から生き抜いてきた化け物だ。
 腐臭が漂う退廃した世界でも、笑顔を浮かべて平然と息を吸ってみせる。

 そんな世界に愛想を尽かして逃げ出してきたはずなのに、気づけば俺はまた此処にいて、泥沼にどっぷりと引きずり込まれている。

 双六ゲームでふりだしに戻った気分だ。
 なにから始めればいいのやら……。



 ……とりあえず、じいちゃんに手紙でも書くか。

 
 ミカエルが入れてくれたばかりのお茶を飲みながら、文章をしたためる。
 【私】だった頃は、よくこの机でこうして、一心不乱にペンを走らせていたっけ。
 そして、あまり夢中になりすぎると大概……

「少し休んだらどうですか?」

 オスカーが声をかけてきたものだった。

「……おかえり。帰ってたんだな」
「ええ。俺がいない間に何かありましたか?」
「どうせわかってるんだろ? 聞くなよ」 

 ペンを置いて振り返れば、背後から覗き込むオスカーと目が合った。
 仮面のような無表情が、彼の怒りを如実に表している。

「俺は【誰が来ても会わないように】と言いましたよねえ? カルス様」

 頭上にみるみる暗雲が!
 誰か! 誰か俺の頭に避雷針を!
 いまにもカミナリが落ちそうです! まる焦げのピンチです!

「エイデン王子とはどんな話を?」
「別に大したことは……正直にいまの気持ちを伝えただけだ。男性との結婚は無理だって」
「それで? 諦めてくれましたか?」
「……くれませんでした」
「なるほど。火に油を注いで終わったわけですか」

 ……命がいくつあっても足りなさそうなので、王子からの【地獄に堕ちろ】という伝言は黙っていよう。
 とにかくオスカーから視線をそらしたくて、俺は飲みたくもないカップに手を伸ばした。さっきまで美味しかったのに全く味がしない。
 手が……手が震える。尋問は続くよ何処までも……。

「ドワイラクスにも会われたそうで」
「うん。別に老師ならいいだろ? 久しぶりに顔が見たかったんだ」
「そうですか。村長の息子さんにも挨拶されましたか? 手を繋いで祭りを楽しんだ仲なのでしょう?」

 ゴフッ!
 お茶が思いきり気管に入った。 

「――ッ! ゲホゲホゲホッ!」
「大丈夫ですか? 絵に描いたような動揺っぷりですね」

 冷徹な声をした水色の悪魔が、俺の背中を優しくさすってくる。
 お茶と一緒に心臓も吐き出しそうなのでやめてほしい。

「……な、なん、で……ゲホゲホッ、そんな、ことまで、ゲホッ、知って……」
「あなたを監視させていたと言ったはずです。村長の家族とは特に親密だったようですね。アーチーでしたっけ? ドワイラクスを動かして乗り込んでくるとは、健気な若者じゃないですか」
「……彼はただの友人だ。頼むからあの一家を巻き込むのだけはやめてくれ。素朴で世話好きで、本当に良い人たちなんだ」
「勝手に向こうから巻き込まれに来たのでしょう? 前途ある若者に、俺からすすんで何か仕掛けるつもりはありませんよ。ドワイラクスを敵に回すのも面倒ですし、あなたのその表情をみれば、嘘をついていないことは分かります」

 おまえはどこぞのメンタリストか!

「……目のフチが少し赤いですね。泣いたのですか?」

 オスカーの親指が、俺の目元をそっとなぞってきた。
 いきなり話が切り替わって面食らう。

「……それは……いま咳き込んだから」
「俺が部屋に入ったときから赤かったですよ」

 目敏すぎるだろっ!

「目がかゆかったからこすっただけだ。ええっと……それより、今じいちゃんに手紙を書いていたんだ。それで……」
「話をそらすのがお上手ですね」
「うるさい。それで……一刻も早く届けたいんだけど……中身とか確認する?」
「必要ないです。いますぐ使いを出しましょう」
「いやその……できればアーチーに渡してほしくて……彼からじいちゃんに手紙を渡してもらった方が、俺の神殿での元気な様子も伝えられるし……、知らない人から話を聞くよりも、じいちゃんたちは安心できると思うんだ」
「……」
「……だ、駄目?」
「別に構いませんが、あの老夫婦はもうご自宅にはいませんよ?」
「……は?」
「警備の都合で例の別荘に移っていただきました。家畜も家財も一式移動するように指示しましたからご心配なく……ただ庭の石窯は、崩れる可能性があるのでそのままにしてあります。それが残念ですねえ。あなたのミートパイは絶品だったので、また庭に作りましょうか。なんだったら俺も手伝いますよ」
「……は? は?」
「屋敷の者には村長一家は出入りできるように手配しておきます。この手紙はこのまま俺が預かりましょう。職務に追われておりますので、詳細は夜に改めて。何かあれば小姓に申し伝えてください。では失礼します」
「はああああ?」

 言うだけ言って、また振り返りもせずにオスカーは出て行った。

 お……俺の帰る場所が……たったの一日で、ごっそり奴に奪われたというのか。
 家族どころか、俺の可愛いニワトリまでもが……人質ならぬ、鳥質に……。

 呑気に誰かを心配してる場合じゃねえぞ。
 夜になったらオスカーがここに来ちまう。

 ――いま一番ヤバイのは俺じゃねえか。
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