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本編
2 レティレナのランバルト追い出し作戦(失敗)
しおりを挟む「そもそもランバルトのあの笑い方も気に入らなかったのよ。なによ、ザーク叔父様みたいに澄ましちゃって」
当初ちょっとだけ格好いいなどと思ったことはすっかり忘れて、レティレナはモス相手に愚痴を言う。
レティレナが話しかけたモスはつまらなそうに大あくびをすると、耳の裏を短い後ろ足で掻いて、ころりとひっくり返った。
春に生まれたばかりの子犬のモス。
レティレナがお手と言うと腹を見せる駄犬だけれど、呼べばすぐに後をついて回る彼女の遊び相手だ。
ランバルトの冷めたような灰色の瞳と、唇の端を上げるだけの笑い方が嫌いだ。
その格式ばったような笑みは、王都に暮らす母方の叔父ザークを思い出させるから。ザークは、若い頃の母にそっくりだというレティレナを何かと気にかけてくれる。けれど、叔父の望む王都で当たり前の令嬢像はレティレナには窮屈で、そのせいでいつも小言を口にするザークが苦手だった。つまりその笑い方も苦手。
「さあモス! 盛大に遊んであげるわっ」
レティレナは緩く括っていた髪のリボンを解くとその先を持って、モスの鼻先でひらひらと蝶のように揺らし始めた。つぶらな黒目がリボンの先を追って、狙いを定めて獲物に飛びかかる。
ランバルト追い出し作戦決行である。
まず手始めに、干してあるランバルトの洗濯物の側で愛犬と飛び跳ねて遊ぶ。力の限り、遊ぶ。犬の毛は結構飛び散る。長毛種のモスの毛は細く、取っても取っても服に張り付いて絡む。あのおっとりファリファがレティレナの外出着からモスの毛を取り除こうとして、神様に怒られるような言葉を思わず吐いていたくらいだ。
これから毎日どんな服を身につけても、ふとした瞬間に肩口から犬の毛を見つけて、げんなりすればいい。
次は偶然を装って、レティレナはランバルトの食事に香草に紛れさせて野草を入れてみた。
もちろん使うのは、自ら裏の森から採ってきた特選品のみ。
毒草の類だとさすがに怒られるので、あくまで不味い野草限定。下調べをして、料理人に毒草か最後の見分けをしてもらっている。ついでに不味さの確認のため、自ら味見済みだ。その中から選り抜きの野草を揃えてみた。もちろん不味さの部分を。
「さあ食べて! 今日もあなたのために作ってあげたのよ」
食堂の端に一人で座っているランバルトの隣に毎度陣取り、野草入りスープを匙ごと彼の口に突っ込む。最初は固辞していたランバルトだったけれど、完食まで居残りである。だって、空いた手でレティレナがその裾をつかみ続けているから。
毎回目を白黒させる顔は傑作だ。
レティレナも同じスープを飲まなければならないのは、とっても大変だったけれど。
更には、鍛錬で出掛けたところを見計らって、彼の寝床のシーツの中に毎晩カエルを忍ばせておいたり。
これはそのままベッドへ倒れ込んで眠ったらしいランバルトのせいで、シーツの間に潰れたカエルが出来上り、洗濯の使用人が泡を吹いたので早々にやめることになった。季節が冬に近づいてきて、裏の森でカエルを見つけるのが一苦労だったのもある。
上げるとキリがないが、そんな悪戯を日々ちまちまと続けていた。
塵も積もれば山となる。継続は力なり。従兄のタンジェならとっくに逃げ出す所業の数々。レティレナは密かに作戦の成功を確信してほくそ笑んだ。何せ悪戯人生の総力をつぎ込んでいるのだ。
しかし所詮は子供の考えること。残念ながらランバルトはさっぱり堪えておらず、泣いて城から出て行きはしない。相手は泣き虫な十二歳ではなく、いけすかない十七歳である。
レティレナは悔しくて地団駄を踏んだ。
「ごめんなさい、ごめんなさい。ゲイル兄様ゆるしてっ!」
「レティ、謝るのは私に対してではないだろう?」
長兄ゲイルの無情な答えに絶句し、レティレナは唇を噛みしめた。
堪えないならますます過激にと、騎士の剣に手を出してしまったのがいけなかった。
壊したわけじゃない。ちょっと厩舎の奥に隠そうとしただけ。慌てふためくランバルトの姿を見たら、すぐに戻すつもりだった。けれど興味本位で持ち出して鞘から抜いてみた剣は、装飾用とは違って重く、ギラギラとしていた。
怖くなってすぐに返しに戻ったのだ。けれどその廊下で長兄とランバルトに鉢合わせるなんて、レティレナは運が悪すぎる。
長兄は、初めて見るような剣幕で怒った。
いつもは大抵の悪戯を笑顔で許してくれるのに。レティレナが彼に叱られることなんて滅多になかった。
ゲイルは二十代でバストーヴァを背負う切れ者だけれど、独身で子供はまだない。小さな子供を躾けるなんて分野はお手上げで、弟たちが幼かった頃のように悪戯をする度に投げ飛ばすという訳にもいかず、妹にはかなり甘くなっていた。
そんなゲイルに真剣に嗜められ、レティレナはかなりショックだ。
他の三人の兄達にも溜息を吐かれる。
更に屈辱的なことにゲイルは領主として、ランバルトにレティレナを叱り罰する権利を与えてしまったのだ。
これで漸くおあいこ、ということらしい。
いつもは優しかった長兄の厳しい決定に、涙目になる。
ファリファを縋るように見ても静かに首を振られてしまい、八方ふさがり。
与えられた罰は尻叩き。
もう十歳だというのに、尻叩き。それも皆の目の前で。おねしょをした遠い冬の朝だって、こんなに屈辱的な気分にはならなかった。
謁見室で公開お仕置きという、恥ずかしい伝説を刻むなんて。
ランバルトの「これだから田舎娘は」とでも言うような蔑んだ眼差しが心底苦痛だった。
実際はいきなり少女の尻叩きという役を押し付けられ、ランバルトは戸惑い「寧ろこれは、自分への嫌がらせじゃないのか?」と懊悩していたのだが、レティレナが知るはずもない。
罰の内容を決めたのはゲイル。
けれどレティレナの中ではランバルトが敵認定だ。
「痛いふりをしてください」
ランバルトはレティレナだけに聞こえる小さな声で囁き、手加減をした。
確かに、振り下ろされる手は全然痛くはない。
けれど敵だと決めている人物に手心を加えられた事実と、刻まれた羞恥は計り知れないものだった。
さすがに直に尻を叩かれたわけではないけれど、これだって十分恥死できるくらいの見世物になっている。きっと兄達とランバルトに一生笑われ、レティレナの渾名は妖精から尻関連の何かに変わるのだ。と、子供の思考の中で目いっぱいの悲壮感に暮れる。
尻を叩かれている間は意地でも泣きたくなくて、涙目で耐えた。その夜は寝台にもぐり込み、うつ伏せで一晩中べそをかきながら眠った。
――嫌い、きらい。大っ嫌い!
ランバルトが更に嫌いになった。
……けれど。
めげずに悪戯を続けようとしたものの、この公開仕置き以来、旗色は明らかに悪くなってしまった。
解せない。
食事に悪戯しようにも、騎士たちはレティレナの手からランバルトの食事を守るみたいに、彼を輪の中に入れて食事をとるようになった。
最初の頃のように食堂でポツンとしていないから、割り込みしづらいったらない。
「ああーっと姫様、どうせなら他の新人の皿にも入れてやってはどうですか。ほら、そこのそばかすのエリクとか。あいつ野菜が足りてないので」
中堅どころの騎士が、レティレナの悪戯をやんわりと阻む。槍玉にあがった若い騎士は、「そりゃないですよー。それ野菜じゃなくて雑草じゃないですかっ」と奥の方の席から笑いながら叫ぶ。
騎士たちの固まっている席からどっと笑いが起こる。
「だめよ! これはランバルト専用なんだから」
目を三角にしてレティレナが抵抗しても、兄達の誰かが駆け付け、彼女は猫の子よろしく抱えられて食堂からつまみ出される。
最初の頃は目を瞑ってくれていた城の料理人や使用人たちも、徐々に手を貸してくれなくなった。
「姫様、自分がされて嫌なことを人にしてはいけません。ランバルト様は何もおっしゃいませんが、きちんと謝って、仲良くしないと嫌われてしまいますよ」
「あら、好かれたくなんかないもの。願ったりだわ」
ある日困り顔のファリファにそう軽口を叩くと、「ご無礼をお許しください」と言って、膝を折り、目を合わせ真剣に説かれた。
「一方的に意地悪をするなんて、いけないことだと思いませんか? それにランバルト様は領主様に仕える方。本来なら姫様は労ってさしあげなければ」
いちいち正論が刺さる。レティレナだって他の騎士には感謝しているし、他の人々に追い出しにかかるような意地悪なんてしないのだ。
けれど、ランバルトには突っかかりたくなって仕方ない。
どうしてそんな行動に出てしまうかなんて、十歳の彼女には上手く説明ができない。
「だって嫌いなんだもの」
結局口を尖らせ、子供特有の丸い頬をさらに丸くして、そっぽを向く。本当はファリファにこんな態度を取りたくなんてないのに。
レティレナの味方であるはずのファリファまでが彼女を諌める。
挙句の果てにはどこからか長兄に悪戯がばれるのだ。
そして公開お説教の流れ。
あれ以来武具には触れてないので尻叩きはないけれど、みんなの前でランバルトに「ごめんなさい」と言わなければならない。非常に悔しい。
レティレナの思惑とは裏腹に、彼女の悪戯を通じて城の者とランバルトは徐々に交流を深めている。
下の兄達さえ最近は気安くなり、よく一緒に狩りに出かけたりしているらしい。
長兄なんて「レティはとんでもないお転婆に育ってしまって。今からでも剣を習わせるべきかと家族で話しているくらいでね。君が教えてみるか?」などと、和やかに冗談を言っている始末。
領主にそんな話を振られたところで、ランバルトは愛想の入った相槌を打つしかないのだが、その姿がレティレナには冷笑しているように見えてむかむかする。
見事な反比例が出来上がっていた。
もう、ランバルトの一挙手一投足すべてが憎い。
だからレティレナは、ランバルトが嫌いなのだ。
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