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第十三章 新世界
新世界(4)
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物理の授業が始まる前に机の下で開いた動画ファイル。
それが映し出していたのは真白先生と香奈恵さんのベッドシーンだった。
これから授業を受ける教師と、その奥さんが液晶画面でまぐわう。
真白先生が香奈恵さんの乳房を揉み、香奈恵さんがせがむように真白先生の唇を求める。
香奈恵さんの上体を後ろに倒すと、その屹立した槍を股間へとあてがった。
理科実験室で明莉が咥えていた肉棒がずぶずぶと香奈恵さんの中に侵入していく。
僕がこの二週間で何度も抱いた女性が、動画の中で別の男に抱かれている。
面と向かって「愛している」とまで言った女性が。
僕はいったい何を見ているのだろう?
授業開始時間前にどうしてこんなものを見ているのだろう?
どうして香奈恵さんは僕にわざわざこんな動画を送ってきたのだろう?
他人に抱かれる香奈恵さんの姿を見て、――それでも僕の股間は激しく勃起していた。
香奈恵さんは真白先生の奥さんだから、セックスするのは当たり前と頭は理解している。
ただどこかで香奈恵さんは僕のものになってくれているのだという淡い期待もあった。
僕へと寄りかかる彼女。だから真白先生とのセックスは拒否しているのだと。
そうではなかった。
もちろん一昨日彼女が言っていた言葉を実行に移したということなのかもしれない。
――「あの人ともエッチして、アリバイを作っておかなきゃ」という言葉。
中出しした僕の子種が着床していた時に、真白先生の子供だと思わせるアリバイづくり。
でもそうだとすれば、それを匂わすやり取りをLINEでやるべきではないだろう。
――この回線はEL-SPYで監視されているのだ。
チャイムが鳴った。前方の扉が開いて真白先生が入ってくる。
薄手のセーターの上にジャケットを羽織り、黒縁眼鏡を掛けた美形の物理教師。
いつもと同じスタイル。女子生徒に人気の若い先生がカツカツと教卓へと近づく。
理科実験室で明莉にフェラチオをさせて、生徒指導室で僕にセックスを見せつけた。
僕に盗作疑惑をなすりつけた。そして今でも香奈恵さんのことは抱き続けている。
全てはこの男のせいだ。この男が……この男が――僕の世界を歪めている。
喉元に込み上げてくるものを覚える。
胸の奥で心が軋む。
目眩がした。
――起立、礼、……着席!
日直の号令で授業開始が告げられる。
真白先生がいつものようによく通る声で授業内容の説明を開始した。
前回やった内容の復習から、本日の大まかな概要まで。
教室の中で生徒たちが教科書を開く音が聞こえる。
真白先生の授業は比較的人気だから、多くの生徒が素直に先生の話に耳を傾けている。
もちろん中には早速机に突っ伏して、話を開きさえしない生徒もいるけれど。
明莉も、森さんも、まっすぐに真白先生の方を見つめていた。
教室を見回すと他の女子たちも皆、真白先生のことを見上げている。
机の中のスマートフォンでは香奈恵さんが真白先生の上に跨り、腰を振っていった。
分からない。もう分からない。何もかもが分からなくなってきた。
「――じゃあ、ここの部分を誰か解けるか? ちょっと難しいから――悠木秋翔。ちょっと解いてみてくれ」
突然名前を呼ばれて、僕は驚いて顔を上げる。
教壇の上の物理教師――真白先生と目が合った。
彼は目を細めている。落ち着いた表情。
一見穏やかな表情の奥の瞳は、必ずしも笑っていない。
僕はスマートフォンを机の奥にしまった。
「――すみません。ちょっとボケッとしていました。――問題……ですか?」
「正直だなぁ。授業を聞いていなかったのを堂々と表明するなんて。……まぁいいや、聞いていなかったのがこの瞬間だけだったと期待するよ」
真白先生が拗ねたように冗談っぽく肩を竦めると、教室からクスクスと笑い声が生じた。
内容は電磁気学の問題。ファラデーの電磁誘導の法則を使ったただの数学問題。
だから問題は――きっと解ける。
「――わかりました」
僕は立ち上がると、教室中の視線を感じながら、一歩ずつ教壇へと向かった。
教室中の視線が僕に刺さる。突然の不安感が僕を襲い始めた。
視界に靄がかかる。動悸が激しくなる。頭が熱を持ち始める。
ようやく黒板の前に到達した僕は、白色のチョークを手に取った。
その色は誰かのキャミソールの色みたいだと思った。
「ちょっと気を抜いていたとしても、悠木くんなら解けるんじゃないかな?」
「――買い被りだと思いますけれど?」
チョークを掲げて、答案を黒板へと刻み始める。
隣に立った真白先生が語りかけてくる。
「最近は悠木くんも課外活動が忙しいみたいだけれど、だからと言ってすぐに勉学に影響が出たりしないのは、さすがだね。――秋に復帰してからは優等生そのものだ」
まるで真面目な生徒を褒めそやすように、真白先生は話す。
話しかけられると板書に集中できないのだけれど。
熱を持ってくらくらする頭をなんとか支えながら、僕は白い文字を黒板に書き連ねた。
真白先生が僕の答案を確認する。そこで先生は声を潜めた。
「――でもだからって先生の大切なものを傷つけるのは良くないよ? あまり調子に乗っていると――僕は君を本当に許せなくなるかもしれない。君は気づくべきだ……周囲を傷つけているのは――君自身なんだって」
剥き出しの言葉。僕は弾かれたように振り向いた。
隣で僕の板書を目で追っていた真白先生もこちらを向いて、――目が合った。
明莉を傷つけているのは僕で、香奈恵さんを傷つけているのも僕で、森さんを傷つけているのも僕なのか。彼女たちの幸せを願うなら、この世界から消えるべきは――僕なのか。
真白先生の瞳が真紅に染まる。
彼の瞳孔から僕に向かって漆黒が吹き出してくる。
「――真白先生……」
「悠木――くん?」
世界が暗闇に染まる。足元の感覚が失われる。
軋んだ心にひびが入って、――砕け散った。
春に味わった懐かしい感覚。
全てが闇に溶けて崩落する感覚。
――そして僕は意識を手放した。
それが映し出していたのは真白先生と香奈恵さんのベッドシーンだった。
これから授業を受ける教師と、その奥さんが液晶画面でまぐわう。
真白先生が香奈恵さんの乳房を揉み、香奈恵さんがせがむように真白先生の唇を求める。
香奈恵さんの上体を後ろに倒すと、その屹立した槍を股間へとあてがった。
理科実験室で明莉が咥えていた肉棒がずぶずぶと香奈恵さんの中に侵入していく。
僕がこの二週間で何度も抱いた女性が、動画の中で別の男に抱かれている。
面と向かって「愛している」とまで言った女性が。
僕はいったい何を見ているのだろう?
授業開始時間前にどうしてこんなものを見ているのだろう?
どうして香奈恵さんは僕にわざわざこんな動画を送ってきたのだろう?
他人に抱かれる香奈恵さんの姿を見て、――それでも僕の股間は激しく勃起していた。
香奈恵さんは真白先生の奥さんだから、セックスするのは当たり前と頭は理解している。
ただどこかで香奈恵さんは僕のものになってくれているのだという淡い期待もあった。
僕へと寄りかかる彼女。だから真白先生とのセックスは拒否しているのだと。
そうではなかった。
もちろん一昨日彼女が言っていた言葉を実行に移したということなのかもしれない。
――「あの人ともエッチして、アリバイを作っておかなきゃ」という言葉。
中出しした僕の子種が着床していた時に、真白先生の子供だと思わせるアリバイづくり。
でもそうだとすれば、それを匂わすやり取りをLINEでやるべきではないだろう。
――この回線はEL-SPYで監視されているのだ。
チャイムが鳴った。前方の扉が開いて真白先生が入ってくる。
薄手のセーターの上にジャケットを羽織り、黒縁眼鏡を掛けた美形の物理教師。
いつもと同じスタイル。女子生徒に人気の若い先生がカツカツと教卓へと近づく。
理科実験室で明莉にフェラチオをさせて、生徒指導室で僕にセックスを見せつけた。
僕に盗作疑惑をなすりつけた。そして今でも香奈恵さんのことは抱き続けている。
全てはこの男のせいだ。この男が……この男が――僕の世界を歪めている。
喉元に込み上げてくるものを覚える。
胸の奥で心が軋む。
目眩がした。
――起立、礼、……着席!
日直の号令で授業開始が告げられる。
真白先生がいつものようによく通る声で授業内容の説明を開始した。
前回やった内容の復習から、本日の大まかな概要まで。
教室の中で生徒たちが教科書を開く音が聞こえる。
真白先生の授業は比較的人気だから、多くの生徒が素直に先生の話に耳を傾けている。
もちろん中には早速机に突っ伏して、話を開きさえしない生徒もいるけれど。
明莉も、森さんも、まっすぐに真白先生の方を見つめていた。
教室を見回すと他の女子たちも皆、真白先生のことを見上げている。
机の中のスマートフォンでは香奈恵さんが真白先生の上に跨り、腰を振っていった。
分からない。もう分からない。何もかもが分からなくなってきた。
「――じゃあ、ここの部分を誰か解けるか? ちょっと難しいから――悠木秋翔。ちょっと解いてみてくれ」
突然名前を呼ばれて、僕は驚いて顔を上げる。
教壇の上の物理教師――真白先生と目が合った。
彼は目を細めている。落ち着いた表情。
一見穏やかな表情の奥の瞳は、必ずしも笑っていない。
僕はスマートフォンを机の奥にしまった。
「――すみません。ちょっとボケッとしていました。――問題……ですか?」
「正直だなぁ。授業を聞いていなかったのを堂々と表明するなんて。……まぁいいや、聞いていなかったのがこの瞬間だけだったと期待するよ」
真白先生が拗ねたように冗談っぽく肩を竦めると、教室からクスクスと笑い声が生じた。
内容は電磁気学の問題。ファラデーの電磁誘導の法則を使ったただの数学問題。
だから問題は――きっと解ける。
「――わかりました」
僕は立ち上がると、教室中の視線を感じながら、一歩ずつ教壇へと向かった。
教室中の視線が僕に刺さる。突然の不安感が僕を襲い始めた。
視界に靄がかかる。動悸が激しくなる。頭が熱を持ち始める。
ようやく黒板の前に到達した僕は、白色のチョークを手に取った。
その色は誰かのキャミソールの色みたいだと思った。
「ちょっと気を抜いていたとしても、悠木くんなら解けるんじゃないかな?」
「――買い被りだと思いますけれど?」
チョークを掲げて、答案を黒板へと刻み始める。
隣に立った真白先生が語りかけてくる。
「最近は悠木くんも課外活動が忙しいみたいだけれど、だからと言ってすぐに勉学に影響が出たりしないのは、さすがだね。――秋に復帰してからは優等生そのものだ」
まるで真面目な生徒を褒めそやすように、真白先生は話す。
話しかけられると板書に集中できないのだけれど。
熱を持ってくらくらする頭をなんとか支えながら、僕は白い文字を黒板に書き連ねた。
真白先生が僕の答案を確認する。そこで先生は声を潜めた。
「――でもだからって先生の大切なものを傷つけるのは良くないよ? あまり調子に乗っていると――僕は君を本当に許せなくなるかもしれない。君は気づくべきだ……周囲を傷つけているのは――君自身なんだって」
剥き出しの言葉。僕は弾かれたように振り向いた。
隣で僕の板書を目で追っていた真白先生もこちらを向いて、――目が合った。
明莉を傷つけているのは僕で、香奈恵さんを傷つけているのも僕で、森さんを傷つけているのも僕なのか。彼女たちの幸せを願うなら、この世界から消えるべきは――僕なのか。
真白先生の瞳が真紅に染まる。
彼の瞳孔から僕に向かって漆黒が吹き出してくる。
「――真白先生……」
「悠木――くん?」
世界が暗闇に染まる。足元の感覚が失われる。
軋んだ心にひびが入って、――砕け散った。
春に味わった懐かしい感覚。
全てが闇に溶けて崩落する感覚。
――そして僕は意識を手放した。
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