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第九章 逆流

逆流(8)

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「――秋翔くん。その動画はあの日の動画? 消してくれたんじゃなかったの?」

 明莉が目を見開く。やはり幾分かショックだったみたいだ。

 本当なら彼女のいないところで、真白先生とはやり合いたかった。
 でもこの状況まで来てしまっては仕方がない。

「……ごめん。明莉。本当は消していなかったんだ。明莉には悪いとは思ったんだけれど、もしもの時のために取っておいたんだ。あの時した約束が守られる保証も無かったから」
「嘘――。ひどいよ秋翔くん。そんな動画出されたら、私……どうしようもないじゃん」
「――ごめん」

 明莉は赤面して俯く。
 僕のスマホの画面の中で、篠宮明莉は真白先生の肉棒を頬張り懸命に頭を振っていた。
 その後頭部を真白先生が両手で押さえている。
 教卓に体重を預けて、黒縁眼鏡の男は教室の上方へと溜め息を漏らしていた。

 少し薄暗いけれど画質も高いのでちゃんと見れば、跪いているのが篠宮明莉であり、快楽に溺れているのが真白先生であることはわかる。
 二人を知っているに人間ならば少なくとも識別は可能だろう。校長先生ならば確実に。

「秋翔くん。この私の動画――どうするの? まさか――本当に校長先生に見せるの? 他の先生にも見せるの? ――ねぇ、そうなの?」
「僕だって、こんな手段は取りたくないさ。僕だって、明莉のこんな姿を他の人に見せるのは辛いよ。――でも二人が冷静になって立ち止まってくれない限りは。僕はこのカードを切らざるを得ないんだ」

 分かったか。真白先生。僕にはこのカードがあるのだ。
 ただ言葉だけでお前の弱みを握ったつもりになっていたわけではないのだ。
 僕には根拠がある。僕のカードには効力がある。僕の手元にはこの動画がある。

 ――だからもう、これ以上お前の好きにはさせない!

「――どうして? どうして秋翔くんはそこまでするの? 私のことを心配してくれるのは嬉しいよ? ……でも、そんな動画を校長先生に見せられたら、私だって……懲罰対象に……なったりするんじゃないかな?」

 泣きそうな雰囲気で眉間に皺を寄せ、明莉は薄い眉をハの字型に変形させた。
 昏い現実に囚われた表情。一年前のあの放送部での事件の時に見たその表情。
 あの時、僕が救った君の悩ましそうな表情が、今は僕の方へと向いている。

 胸が傷んだ。それと同時に――なぜだか股間が勃起した
 彼女は今、浅ましくも自らの保身を考えている。そんな彼女に淫靡さを覚えた。

「そうかもしれない。――ごめん明莉。それでも僕は明莉と真白先生のことを見過ごすことが出来ないんだ。このまま二人が禁断の道を歩めば、いつかきっと、もっと大きな問題にぶつかる。――その時では手遅れなんだよ。――僕はそんなどうしようもなくなった明莉を見たくないんだ。今なら――まだ間に合う!」
「――秋翔くん。でも……」
「大丈夫さ、明莉。もし僕がこれを見せても校長先生はきっと明莉のことは多めに見てくれる。明莉は守られるべき生徒で、真白先生は責任ある教師なんだ。――大丈夫、何かあっても僕が必ず明莉のことだけは守ってみせるさ」
「……本当?」
「……本当さ」

 僕は力強く頷いた。明莉は目を伏せた後に、迷ったように視線を左右に泳がせた。

 正直なところ明莉にそんな情状酌量が与えられるのかどうかは分からない。
 口から出任せだ。言ってみれば詭弁だ。

 でもそうしなければ彼女を説得できないならば、僕はどんな嘘も詭弁も使う。
 明莉を真白先生から取り戻す。
 その絶対的な目標の前には、他の全ての事項は優先順位において劣位に立つ。
 
「――先生、……どうしよう?」

 僕に向けられていたはずの縋るような視線は、隣の真白先生へと移された。

 上目遣いの瞳。自らの身体と精神を強い雄に捧げる雌の仕草だ。
 真白先生はそんな彼女の頭を優しく撫でた。

「心配いらないよ、篠宮さん。――ちょっとさっきから悠木くんの物言いは乱暴だよね? あれじゃあまるで脅迫だよ。大丈夫。きちんと物事が納まるべき場所へ納まるように、僕が導いてあげるから。篠宮さんは――僕の大切な愛しい少女マドモアゼルなんだから」
「……先生」

 真白先生は彼女の後ろに立つと、その背中から腰に手を回して抱きしめた。
 
「――真白先生……、僕の話を聞いていました? 明莉から離れてください」
「ああ、聞いていたよ。他人の情事を動画に撮って、それをもって幼馴染の女の子を脅迫しようという悪逆非道な振る舞い――という意味解釈でだけどね。君にはどうやら品格というものが無いみたいだね」

 気障な言い回しがいちいち腹立たしい。
 そういう言い方をされると本当に僕が悪役みたいに思えてくるから不思議だ。
 ――でも今は悪役でもいい。ここで真白先生を止めるのだから。

「ところで君は、その動画を水戸黄門の印籠か何かと勘違いしているみたいだね? 実に滑稽だよ」
「――先生は驚かないんですか? 僕がこの動画を消さずに持っていたことに」

 僕が尋ねると真白先生は、明莉を抱きしめたまま肩を竦めた。

「薄々感づいてはいたよ。僕だって物理教師だ。少なくともこの学校の教師の中じゃIT関係の知識は豊富な方だよ。そりゃストレージをクラウド同期させている可能性だって考えるさ。――それに、あれから君が僕にしてきた発言の数々、打ってきた手の質。それらを見ていると君の行動が何らかの根拠に基づいているとしか思えなかったんだよ。――頭の良い君は、何の根拠もなくただの空手形だけでリスクのある行動を取り続けたりはしない。だから何かを隠し持っているとは思っていたさ。そしてそれは――きっとあの時の動画だってね」

 ――見抜かれていた? 完璧に?

 そこまで言うと真白先生は後ろから回していた腕を少しずつ上にずらしていった。
 やがて手のひらが明莉の胸にある二つの膨らみへと到達する。
 そしてその膨らみを優しく何度か揉んだ。
 さらに後ろから明莉の首に顔を埋め、首筋へと口吻をする。

「――先生? あっ」
「真白先生! ――ふざけるなっ!」

 明莉が小さく声を出す。僕はもう力づくで止めようと、二人に歩み寄る。
 でもそれは手のひらを広げた真白先生により制止された。

 また完全に真白先生のペースだ。
 確かに動画の存在は見抜かれていたのかもしれない。
 それでも――だからといって動画のカードとしての効果がなくなるわけではない。

 これを校長先生に出せば――真白先生は終わるのだ。
 でも真白先生に焦る様子はない。彼もまた――何かカードを持っているのだろうか?

「『ふざけるな』――か。ちょっと幼馴染だからって人の恋路に踏み込んで、そして自分の正義を貫くためなら何をやっても良いと思っている。視野狭窄の高校生ごときが――偉そうじゃないか? 君は本当にいつまでも自分が絶対的優位に立っているとでも思っているのかい? あの日、理科準備室で君にあの現場を見つけられてから、僕が何もせず手をこまねいていたとでも思うのかい?」
「――どういうことですか?」

 顔を上げた真白先生はジャケットのポケットからスマートフォンを取り出す。
 そして画面を幾度かタップすると、その液晶画面を僕に向けてかざした。

「じゃあ、これが何の動画かわかるかい? ――悠木秋翔くん?」

 液晶画面には見覚えのあるリビングのソファが映っていた。
 そのソファに浅く腰掛けた男の裸の脚が投げ出されている。
 その脚の間に、跪く長髪の女性。
 彼女は太腿に両手を掛けると、男の股間に顔を埋めて、屹立した肉棒を咥えた。
 そして頭を前後させ始める。

 それはフェラチオの動画だった。

 あの日、僕が真白家で撮影した動画だった。

 肉棒を咥えてフェラチオしているのは香奈恵さん。

 気持ちよさそうに悶ているのは――僕だった。
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