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第六章 偽装恋愛

偽装恋愛(4)

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「――僕が……どう答えるか?」

 アクロバティックな展開によって、銃口を突きつけられた僕は言葉を失った。

「そうだろう? 篠宮さんは彼女なりに悩んだ。放送を通して誠心誠意、彼女の気持ちを正直に――言葉にして告げたんだ。放送部を辞めた――君と違って、投げ出さずに、この部で放送を守り続けた彼女がね」

 ――今、僕が放送部を辞めた話は関係ない。

「――彼女は責任を果たしている。彼女はリスナーの質問に真摯に答えた。……確かに多少の誤解を生む発言はあったかもしれない。でもそこで起きる反応――皆の解釈の全てに彼女が責任を負うというのは……違うんじゃないかな?」

 誰も全ての責任を負えだなんて言っていない。
 僕が問題にしているのは、――あの発言が作為的だった、ということだ。
 そしてそもそも、あの文章を作ったのは――いや、作らせたのはきっと真白先生だ。

 何かの意図があって、――そうしたのだ。

「――秋翔くん、ごめんね。なんだか迷惑をかけて」
「……明莉は悪くないよ。――確かに真白先生の言うとおり、これは僕の問題なのかもしれない」

 これはきっと、僕と真白先生の問題なのだ。

 確かに真白先生の言う通り、もはや明莉の責任を追求してどうこうなる問題ではない。
 それにもう言葉は放たれたのだ。――この学校全体に。

 それならば真白先生の言うとおり、過ぎたことをとやかく言っても仕方ない。
 納得はいかないけれど、前向きに対応を考えるしかないのだ。

 僕がこの状況に対してどう反応するのか?
 ――そういうことだ。

「そうだね、悠木くん。君だって受動的なだけの存在ではないだろう? 君が皆からそういう類の質問を受けた時、君は君自身の自由意志に従って回答する権利があるんだよ。――能動的にね」

 僕の自尊心に、黒縁眼鏡の教師が土足で踏み込んでくる。
 その男の配偶者を僕が既に抱いていようが、種付けしていようが、そんなこと、今は関係なかった。

「――そうだよ、秋翔くん。幼馴染だからって気にしないで。『誤解だろ?』でも『明莉はただの幼馴染で付き合っていないし、好きでもない』でも『あれは僕以外の人間のことだ』でも何でもいいから。――あ……でも、出来れば真白先生のことは言わないでいて欲しいかな。……お願い」

 明莉はお願いするみたいに両手を合わせて、申し訳なさそうに眉を寄せた。
 僕の奥底で熱塊が苛立ち、どうしようもなく拍動を始める。

 ――明莉が僕のことを好きなのが誤解?
 ――明莉はただの幼馴染?
 ――僕が明莉のことを好きじゃない?
 ――明莉は僕以外の人間が好きだ?

 どうしてそんな言葉を、僕が口にしなければならないのか?
 そんな言霊を、どうして僕が生み出さなければならないのか?

 それらは肯定されるべき言葉ではない。
 全てこの世界線の先で否定されるべき言葉だ。
 僕が――否定する言葉だ。

 篠宮明莉を自分自身のものにするために。
 それらを肯定して僕の未来に一体何が残ると言うのか?

「――それは……できないよ」
「えっ……。どうして? 秋翔くん」
「――どうしてもさ」

 僕の想いはまだ明莉に伝えていない。
 だから、その理由を今ここで伝えることはできない。

 彼女に向かって溢れそうな熱情を胸の奥に押し込めて、僕は口を閉ざした。

「う~ん、それは困りましたね。……昼休みが終わって教室に戻ったら二人はそういった質問に囲まれてしまうんですよね? それなら戻る前に方針だけでも決めて共有しておいた方がいい」

 真白先生は組んだ腕の上で手を顎にあててそれらしく悩むような仕草見せる。
 黒縁眼鏡の奥の目は閉じて思い悩んでいる。――少なくとも見た目は。

 そんな放送部顧問の様子が、僕にはこの上なく嘘くさく見えた。
 ただ僕もそんな彼の言葉に良い回答をすることも、牽制をすることもできなかった。

 真白先生の言うことは、――ただその範囲においては間違っていなかったから。
 何らかの対策は、ここで決めておくべきだ。

 中央の机の向こうで明莉はただ申し訳なさそうに、僕のことを見ていた。

 彼女に策は無いのだろう。それは構わない。
 明莉の策が無いのならば、僕が考えれば良い。明莉のことは僕が守るのだ。
 ――僕は彼女を守る幼馴染であり、生涯沿い遂げるパートナーなのだから。

 しかし状況を動かす提案は、僕以外の口から提起された。
 ことさら「今思いついた」とでも言うように、真白先生が手をポンッと打つ。

「――そうだ。いっそのこと。皆の誤解を全て肯定してみてはどうだろうか?」
「――は? 全て肯定って……そんなこと」

 僕は一瞬、この先生が何を言っているのかが分からなかった。
 前で明莉もどういうことかと目を見開いている。

「――だから生徒たちに向けては篠宮さんが悠木くんのことを好きで、全校生徒の前の告白で、二人が付き合い出したことにするんですよ」

 言葉を失った。斜め上の発想。

「――先生、私……そんなつもりは」

 不安そうに、縋るように、明莉が先に口を開いた。
 彼女の目が少し不安に潤んで、真白先生へと向かう。

「嫌だなぁ、篠宮さん。そんな目をしないで下さい。――僕だって篠宮さんと別れるつもりなんてないですよ」

 物理教師はいけしゃあしゃあと倫理違反を口にする。
 ホッとした顔の明莉。
 ――それが無性に僕を苛立たせた。

「――でもどうやら悠木くんも疑惑を否定したくはないみたいだ。……どうしてだかは知らないですが」

 そう言って真白先生は嫌らしい目つきで僕を見る。
 ――全てはお見通しだと言わんばかりに。

「――僕はまだ何も言っていませんよ」
「でも篠宮さんと『付き合っている』という風評に、特に悪い気はしないんでしょう?」

 僕は押し黙る。――否定はできない。
 でもこの状況で肯定すべきかどうかも――分からなかった。

「秋翔くんと私は幼馴染だもんね。一番仲のいい男友達だし、――大丈夫なのかな?」

 何が大丈夫なのかは、全然分からなかった。
 でも殊更に「幼馴染」を強調されたのには、なんだか抵抗を覚えた。
 多分、大丈夫では、――ない。

「そうだね。君たち二人は幼馴染だから気心も知れている。だから表向き付き合ったことにしても、これまで通りやっていけるんじゃないかな? ――そして実際には僕と篠宮さんはこれまで通りの関係を続ける。……良い案だとは思わないかい――悠木くん?」

 まるで物理の難問に対するエレガントな解法を示すみたいに、――真白先生は恐ろしく利己的な着地点を示した。

 ――偽装恋愛。

 この状況を利用して、明莉と真白先生の禁断の恋を隠すために、僕と明莉が付き合っているという共通理解を全校的に構築する。――真白先生の狙いは、そういったところだろう。

「――でも、それは、……さすがに秋翔くんに悪いかなって思うし。秋翔くんにも他に好きな人がいるかもだし……ねえ?」
「――いないよ、そんなの」
「……え? この前は好きな女の子が居るって言ってなかったっけ?」
「どうだったかな。――忘れた」

 あったとしても、その時言っていたのは明莉本人のことだったのだと思う。

「――以前、あんなところを見られてしまったこともあるし、悠木くんをこれ以上巻き込むのも気が引けるんですけどね。でも、もし君さえ大丈夫なら、そういう風にしてくれないかな? もしそうやって篠宮さんと悠木くんが付き合っていることにしてくれたら、篠宮さんが僕なんかと付き合っていることが表沙汰になるリスクも減るだろうし。――それによって篠宮さんが不利な立場に立つ可能性も……減ると思うんです」

 論理的に語っているように見せかけて、表面上は明莉のことを思いやっているように見せかけて、実のところは真白先生の利益を最大限確保するだけの理屈だった。

「――でも先生は、私が秋翔くんと付き合っているって周囲が言って……不安じゃないんですか?」

 自分は不安だと言わんばかりに、明莉は真白先生に問いかける。
 真白先生は明莉に数歩近づくと、その左頬に右手のひらを添えた。

「――馬鹿だなぁ。不安じゃないわけがないだろう? でも僕は信じているからね。君のことを。そして真実の愛が、僕らの間にあることを」
「――先生……」

 トロンとした目つきの明莉。それは忌々しい情景。

 こんなものが真実であるものか。
 こんなものが現実であるものか。

 もしこれが現実ならば、それは虚構によって塗り替えられるべきだ。

 遊園地に行った二日前――日曜日。
 虚構で世界を上書きしようとした「恋人ごっこ」は不発に終わった。
 本当にそれを為すならば真白先生も一度に巻き込まなければならない。
 ――そう思った。

 何の因果か、僕の前にはまた、虚構への招待状が提示されたのだ。
 たとえそれが嘘であっても、僕はこの学校の中では、篠宮明莉の恋人になれる。

 それならば嘘からでも始めればよい。
 ――嘘から出た真実を掴み取るために。

「――どうかな? 悠木くん?」

 これをチャンスだと考えよう。
 虚構により現実の中のまやかしを打ち砕く。

 ――そして最後には僕が篠宮明莉を手に入れるのだ。

「――いいですよ」

 僕はそう言って、目の前の――偽装恋愛に手を伸ばした。
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