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第一章 放課後
放課後(5)
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「なんで、……なんでそうなるんだよ!」
潤んだ瞳で見つめられて、僕はスマホを握りしめる。
ずっと好きだった幼馴染のどうしようもないシーンに出くわして、呆然とした。
純粋な気持ちで思い続けていた相手は、知らない間に一回り年上の高校教師に奪われていて、僕の想いはどうしようもなく裏切られた。
ただの独りよがりな思い込み。それが現実なのかもしれない。
逆転のためのカードかもしれない動画は、その彼女からの削除要請を受けた。
「――ごめんね、秋翔くん。映像作品の大切な素材だってことはわかるの。それでも――ごめんなさい。私、やっぱり、ああいう時の映像は……ちょっと困るから」
「ちがうよ、そういうことじゃない! いや、そういうことなのか? とにかく映像作品なんてどうだって良いんだ。今、僕が言っているのはそういうことじゃない!」
「……じゃあ、どういうこと、なの?」
切なそうな瞳で、縋るように、僕を見る変わらない幼馴染の瞳。
はだけていたブラウスは綺麗に整い。いつもの彼女に戻っていた。
清楚なふんわりとしたボブヘアが、両耳に掛かる。
ただ一つ違うのは、僕の方を見つめる不安そうに潤んだ双眸だけだ。
――結局、悪いのは、僕なのか? 君を今、追い詰めているのは、僕なのか?
「――どういうことでもないよ。……ごめん、どういうことでもない」
今度は僕が彼女から視線を逸した。
僕は教師には必要あれば反抗するし、それが倫理を犯した教師ならなおさらだ。
この真白誠人放送部顧問は、許しがたい。
きっと、いつか訴追する。
でも、明莉はだめだ。僕は明莉を傷つけられない。
明莉を自分の手により衆目の好奇の目に晒すなんて出来ない。
こんな動画が校長のもとに渡り、それが真白先生の訴追に繋がるとしても、その原因の一部となった彼女がお咎めなしというわけがない。
真白先生が謹慎や停職になったとして、その原因についての犯人探しが、学校内で行われず、秘密が最後まで守られるとはとても思えない。そうなればどこかから動画の話が漏れて、明莉は学校で普通の生活を送れなくなるだろう。
結局、僕はこのカードを真白先生の訴追のためには使えないのだ。
心に沸き起こる感情の濁流を、大きく息を吸って落ち着かせる。
嫉妬、苛立ち、憎悪、性欲、純愛。情動の坩堝を、力ずくで腹の奥底に沈めた。
「――わかりました。スマホの動画は消します」
「――ありがとう、秋翔くん!」
あからさまな溜め息で胸を撫で下ろす、明莉。
真白先生は無言で一つ頷いた。
「でも、僕からスマホにある動画を消す上で条件が一つあります」
僕は人差し指を立てる。
「なんだ、言ってみるといい」
上から目線の口調で真白先生が、発言を促した。
もっとも向こうが十歳は年上の高校教師なので、基本的には真白先生が上から目線で話すのは何も間違っていないのだが。今は自分の立場が上だと思うから、違和感を覚えた。
「はい。でも、その前に一つ聞いてもいいですか? 明莉と真白先生は恋人同士としてお付き合いされているんですか?」
それは確認だった。
聞きたくもないのだけれど。
もし前提が違うなら後の話が全て狂う。
「ああ、そうだ。教師としての職業の問題があるから、あまり表立って言えないんだけどな……」
「――そうなの、この年末の十二月から付き合っているの」
真白先生は照れたように人差し指で頬をかいた。
明莉は恥ずかしそうに首を引っ込める。
でも嬉しそうで、それを幼馴染の僕に聞いてほしいと言っているようだった。
聞きたくもないが。
「わかりました。じゃあ、僕からの条件は一つです。二人が恋人同士としてお付き合いされているのは黙っておきます。ただまだ明莉は高校生です。それに真白先生は教師です。間違いがあっては絶対にいけない。学校はもちろんのこと、学校の外でも、明莉が卒業するまで、一切の性交渉は自粛してください。……それと、お付き合いされるのは心の問題だから仕方ないかもしれませんが、高校卒業までは、その……清い交際にのみとどめて、本格的な男女交際というのは、やっぱり明莉が卒業してからにしてください」
僕は人差し指を立てたまま一気に、自らの主張を述べた。
要はセックスやフェラチオはするな。男女交際も実質的にはするな。
そういうことだ。
二人が約束を守るかはわからない。
それでも僕はこのカードを最大限使って、二人の間に楔を打ち込みたいのだ。
「ありがとう、秋翔! うん、わかった。私はそれで大丈夫。やっぱり、そうだよね。先生と生徒だもんね……。私もちょっと浮かれていた。先生とお付き合いするようになって、大人にでもなったつもりだったのかもしれない。秋翔が言うみたいに心を入れ替えるよ。……先生も……大丈夫?」
本当に反省したと言うように明莉は何度も頷き、真白先生の顔を覗き込んだ。
「そうだな。仕方ないな。可愛い篠宮さんの前で自分の気持ちを抑えるのは大変だけれど、二人のためだからね。わかった……頑張るよ」
そう言って真白先生も頷いた。
まぁ「抑えるのは大変だ」とかは言わなくて良いし、そもそも教師なんだから大変もクソもなくて、「抑えろよ」ってことだと思うのだけれど。
今は、そんな言葉の端を捕まえても仕方がない。
僕は二人の約束を受け入れることにした。
その約束が実際にどれだけの拘束力を持つのかは分からない。
それでも何もしないよりかはまし。僕はそのくらいに考えていた。
スマホの画面ロックを解除して、写真アプリを立ち上げる。
さっきのサムネイルを見つけると、画面を上に向けた二人の前に示した。
「――さっき撮ったのはこのファイルです」
画面を確認して、二人共が頷く。
僕はそのサムネイルを長押しした。
コマンドがポップアップして、「削除」のボタンが現れる。
「じゃあ、消しますね」
二人がもう一度頷く。
僕はその「削除」のボタンをタップした。
一瞬処理時間があって、動画はあっけなく消去された。
やがて、二人はホッとしたように、揃って溜め息を吐いた。
「――ありがとう、秋翔くん」
「すまないな。大切な映像資料も一緒に消させてしまって、悠木くん」
僕はそのもまま電源ボタンを押して、画面を落とす。
スマートフォンを制服のポケットに仕舞った。
「構いませんよ。映像資料はまた撮ればいいんです。――でも、さっき言った約束は守ってくださいよ、先生」
「ああ、僕は約束は守る方だからね。誠実さには定評があるんだよ。名は体を表す。名前も誠の人って書いて誠人だからね」
その「名は体を表す」ほど信用できないものは無いな、と思った。
しばらくして、僕らは理科実験室を後にした。
ただ、あんなことをしていた二人を理科実験室に残していく気にはなれなかったし、また先生と明莉が二人一緒に理科実験室を出ていくところを誰かに見られるのも良くないと思ったから、真白先生に先に出ていってもらった。
「仕方ないな、今日は悠木の言うことに従っておくよ。今日だけはな。じゃあ、篠宮さん、またね」
などと言いながら、性懲りもなく明莉に優男気味な手を振って、廊下へと出ていった。
それを受けて明莉も嬉しそうに、「はい!」と手を振り返していた。
気楽なものである。自分たちが危機に立っていたことを分かっているのだろうか。
唯一の証拠物件だった動画が消えて、無防備なほどに安堵しているのだろう。
「私たちは一緒に帰る? 久しぶりに」
想いを寄せる女の子からの下校のお誘い。
いつもなら尻尾を振ってついていってしまいそうだ。
でも今日は、ちょっと一人になって心を沈めたくもあったし、考え事をしたかった。
これから始まる、新しい高校生活について。
「――ああ、ありがとう。でも、ごめん。今日は先に帰って。さっきの映像資料の撮影の続きをこの理科実験室でやってから帰りたいんだ」
「あっ、そっか。そうだよね。ごめんね。私たちがいけないことをしていたから、途中で中断させちゃったんだよね、……ごめんね」
「別に明莉はそんなこと気にしなくていいよ」
頬を赤らめる明莉に、僕は優しい声で返した。
理解ある幼馴染の役割を演じながら。
そうして彼女が教室を出ていって、僕は一人になった。
一人になった理科実験室の入口で、僕はまたスマホのカメラを構える。
入ってきた瞬間のことを思い出す。この場所からみるこの角度だ。
教卓の前で、真白先生の肉棒を咥えて、涎を垂らした明莉がしゃがんでいた。
その光景を脳内に思い浮かべる。大切な幼馴染が汚された。
でもその卑猥な情景は、僕の奥底に眠っていた熱い塊を動かし始める。
スマホの中の動画は消した。
でも、――それで全てが終わったわけじゃない。
僕はあんな物理教師なんかに踏みつけにされて、泣き寝入りするような男ではない。
――覚えていろよ、真白誠人。
そして、大好きだよ、――篠宮明莉。
君が淫らな女に変わったのだとしたら、僕はそれならそれでその淫靡さの全てを、僕のものにしたいと思うだ。
僕は右手でスマホのカメラを構えたまま、これからのことに想像を広げた。
――僕の下半身が疼いた。
潤んだ瞳で見つめられて、僕はスマホを握りしめる。
ずっと好きだった幼馴染のどうしようもないシーンに出くわして、呆然とした。
純粋な気持ちで思い続けていた相手は、知らない間に一回り年上の高校教師に奪われていて、僕の想いはどうしようもなく裏切られた。
ただの独りよがりな思い込み。それが現実なのかもしれない。
逆転のためのカードかもしれない動画は、その彼女からの削除要請を受けた。
「――ごめんね、秋翔くん。映像作品の大切な素材だってことはわかるの。それでも――ごめんなさい。私、やっぱり、ああいう時の映像は……ちょっと困るから」
「ちがうよ、そういうことじゃない! いや、そういうことなのか? とにかく映像作品なんてどうだって良いんだ。今、僕が言っているのはそういうことじゃない!」
「……じゃあ、どういうこと、なの?」
切なそうな瞳で、縋るように、僕を見る変わらない幼馴染の瞳。
はだけていたブラウスは綺麗に整い。いつもの彼女に戻っていた。
清楚なふんわりとしたボブヘアが、両耳に掛かる。
ただ一つ違うのは、僕の方を見つめる不安そうに潤んだ双眸だけだ。
――結局、悪いのは、僕なのか? 君を今、追い詰めているのは、僕なのか?
「――どういうことでもないよ。……ごめん、どういうことでもない」
今度は僕が彼女から視線を逸した。
僕は教師には必要あれば反抗するし、それが倫理を犯した教師ならなおさらだ。
この真白誠人放送部顧問は、許しがたい。
きっと、いつか訴追する。
でも、明莉はだめだ。僕は明莉を傷つけられない。
明莉を自分の手により衆目の好奇の目に晒すなんて出来ない。
こんな動画が校長のもとに渡り、それが真白先生の訴追に繋がるとしても、その原因の一部となった彼女がお咎めなしというわけがない。
真白先生が謹慎や停職になったとして、その原因についての犯人探しが、学校内で行われず、秘密が最後まで守られるとはとても思えない。そうなればどこかから動画の話が漏れて、明莉は学校で普通の生活を送れなくなるだろう。
結局、僕はこのカードを真白先生の訴追のためには使えないのだ。
心に沸き起こる感情の濁流を、大きく息を吸って落ち着かせる。
嫉妬、苛立ち、憎悪、性欲、純愛。情動の坩堝を、力ずくで腹の奥底に沈めた。
「――わかりました。スマホの動画は消します」
「――ありがとう、秋翔くん!」
あからさまな溜め息で胸を撫で下ろす、明莉。
真白先生は無言で一つ頷いた。
「でも、僕からスマホにある動画を消す上で条件が一つあります」
僕は人差し指を立てる。
「なんだ、言ってみるといい」
上から目線の口調で真白先生が、発言を促した。
もっとも向こうが十歳は年上の高校教師なので、基本的には真白先生が上から目線で話すのは何も間違っていないのだが。今は自分の立場が上だと思うから、違和感を覚えた。
「はい。でも、その前に一つ聞いてもいいですか? 明莉と真白先生は恋人同士としてお付き合いされているんですか?」
それは確認だった。
聞きたくもないのだけれど。
もし前提が違うなら後の話が全て狂う。
「ああ、そうだ。教師としての職業の問題があるから、あまり表立って言えないんだけどな……」
「――そうなの、この年末の十二月から付き合っているの」
真白先生は照れたように人差し指で頬をかいた。
明莉は恥ずかしそうに首を引っ込める。
でも嬉しそうで、それを幼馴染の僕に聞いてほしいと言っているようだった。
聞きたくもないが。
「わかりました。じゃあ、僕からの条件は一つです。二人が恋人同士としてお付き合いされているのは黙っておきます。ただまだ明莉は高校生です。それに真白先生は教師です。間違いがあっては絶対にいけない。学校はもちろんのこと、学校の外でも、明莉が卒業するまで、一切の性交渉は自粛してください。……それと、お付き合いされるのは心の問題だから仕方ないかもしれませんが、高校卒業までは、その……清い交際にのみとどめて、本格的な男女交際というのは、やっぱり明莉が卒業してからにしてください」
僕は人差し指を立てたまま一気に、自らの主張を述べた。
要はセックスやフェラチオはするな。男女交際も実質的にはするな。
そういうことだ。
二人が約束を守るかはわからない。
それでも僕はこのカードを最大限使って、二人の間に楔を打ち込みたいのだ。
「ありがとう、秋翔! うん、わかった。私はそれで大丈夫。やっぱり、そうだよね。先生と生徒だもんね……。私もちょっと浮かれていた。先生とお付き合いするようになって、大人にでもなったつもりだったのかもしれない。秋翔が言うみたいに心を入れ替えるよ。……先生も……大丈夫?」
本当に反省したと言うように明莉は何度も頷き、真白先生の顔を覗き込んだ。
「そうだな。仕方ないな。可愛い篠宮さんの前で自分の気持ちを抑えるのは大変だけれど、二人のためだからね。わかった……頑張るよ」
そう言って真白先生も頷いた。
まぁ「抑えるのは大変だ」とかは言わなくて良いし、そもそも教師なんだから大変もクソもなくて、「抑えろよ」ってことだと思うのだけれど。
今は、そんな言葉の端を捕まえても仕方がない。
僕は二人の約束を受け入れることにした。
その約束が実際にどれだけの拘束力を持つのかは分からない。
それでも何もしないよりかはまし。僕はそのくらいに考えていた。
スマホの画面ロックを解除して、写真アプリを立ち上げる。
さっきのサムネイルを見つけると、画面を上に向けた二人の前に示した。
「――さっき撮ったのはこのファイルです」
画面を確認して、二人共が頷く。
僕はそのサムネイルを長押しした。
コマンドがポップアップして、「削除」のボタンが現れる。
「じゃあ、消しますね」
二人がもう一度頷く。
僕はその「削除」のボタンをタップした。
一瞬処理時間があって、動画はあっけなく消去された。
やがて、二人はホッとしたように、揃って溜め息を吐いた。
「――ありがとう、秋翔くん」
「すまないな。大切な映像資料も一緒に消させてしまって、悠木くん」
僕はそのもまま電源ボタンを押して、画面を落とす。
スマートフォンを制服のポケットに仕舞った。
「構いませんよ。映像資料はまた撮ればいいんです。――でも、さっき言った約束は守ってくださいよ、先生」
「ああ、僕は約束は守る方だからね。誠実さには定評があるんだよ。名は体を表す。名前も誠の人って書いて誠人だからね」
その「名は体を表す」ほど信用できないものは無いな、と思った。
しばらくして、僕らは理科実験室を後にした。
ただ、あんなことをしていた二人を理科実験室に残していく気にはなれなかったし、また先生と明莉が二人一緒に理科実験室を出ていくところを誰かに見られるのも良くないと思ったから、真白先生に先に出ていってもらった。
「仕方ないな、今日は悠木の言うことに従っておくよ。今日だけはな。じゃあ、篠宮さん、またね」
などと言いながら、性懲りもなく明莉に優男気味な手を振って、廊下へと出ていった。
それを受けて明莉も嬉しそうに、「はい!」と手を振り返していた。
気楽なものである。自分たちが危機に立っていたことを分かっているのだろうか。
唯一の証拠物件だった動画が消えて、無防備なほどに安堵しているのだろう。
「私たちは一緒に帰る? 久しぶりに」
想いを寄せる女の子からの下校のお誘い。
いつもなら尻尾を振ってついていってしまいそうだ。
でも今日は、ちょっと一人になって心を沈めたくもあったし、考え事をしたかった。
これから始まる、新しい高校生活について。
「――ああ、ありがとう。でも、ごめん。今日は先に帰って。さっきの映像資料の撮影の続きをこの理科実験室でやってから帰りたいんだ」
「あっ、そっか。そうだよね。ごめんね。私たちがいけないことをしていたから、途中で中断させちゃったんだよね、……ごめんね」
「別に明莉はそんなこと気にしなくていいよ」
頬を赤らめる明莉に、僕は優しい声で返した。
理解ある幼馴染の役割を演じながら。
そうして彼女が教室を出ていって、僕は一人になった。
一人になった理科実験室の入口で、僕はまたスマホのカメラを構える。
入ってきた瞬間のことを思い出す。この場所からみるこの角度だ。
教卓の前で、真白先生の肉棒を咥えて、涎を垂らした明莉がしゃがんでいた。
その光景を脳内に思い浮かべる。大切な幼馴染が汚された。
でもその卑猥な情景は、僕の奥底に眠っていた熱い塊を動かし始める。
スマホの中の動画は消した。
でも、――それで全てが終わったわけじゃない。
僕はあんな物理教師なんかに踏みつけにされて、泣き寝入りするような男ではない。
――覚えていろよ、真白誠人。
そして、大好きだよ、――篠宮明莉。
君が淫らな女に変わったのだとしたら、僕はそれならそれでその淫靡さの全てを、僕のものにしたいと思うだ。
僕は右手でスマホのカメラを構えたまま、これからのことに想像を広げた。
――僕の下半身が疼いた。
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