木苺ガールズロッククラブ

まゆり

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Third Dose by繭

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 結局のところ、繭のことなどどうでもいいのだと思う。
 ママにとっては目の前にあるものがすべてだ。繭が視界の中にいれば邪魔で、いなければ不安になる。一番いいのは、ママから見えるところに繭がいなくて、いないということが不自然でないこと。これですべて説明がつく。
 耳が千切れそうなくらいに寒い朝だった。夜のうちに帰ろうと思ってはいたけど、キイチゴ城へ戻って佐川の写真の加工をしながらりり子とサキとおしゃべりをして、かなり遅い時間になってから食事に出かけた。渋谷をうろうろするのはまずいので、池袋まで行った。サキがどうしてもカラオケしたいと言うので、西口の歓楽街にあるカラオケに行った。そのあと、サキはタクシーで家に帰った。りり子は誰かと会う約束があるというので、りり子を残して、繭はひとりで渋谷に戻り、始発の時間まで時間をつぶした。暇なときにはハムスターのユキと遊んでやる。ユキはいつも繭のポケットの中にいる白いジャンガリアンハムスターで、繭以外の人には見えない。
 ユキはチョコレートが大好きなので、繭はどこに行くにもチョコレートを持ち歩いている。ただ、ユキにあげるのは、一日ひとかけらと決めている。ハムスターにとってチョコレートは毒物で、たくさんやりすぎると中毒死してしまうのだ。
 いくらなんでも、十八歳にもなって、見えないハムスターを飼っているなんて、人には言えない。なので、見えない、のではなく架空のハムスターということにしてある。もちろん厳密に言うと、繭にも見えない。ただ、そこにいることがわかるというだけだ。掌に載せて頭を撫でてやり、チョコレートをあげると、ユキは両手で大事そうに抱えてほっぺたを膨らましてもぐもぐと食べる。それからスマホでユキの飼育日記を更新した。
 ママは夜勤だったので、家には帰らなくてもよかったのだけど、ママが帰ってきたときに繭がいないと、面倒くさいことになる。夜勤の間に自宅の電話にチェックを入れてくることはないのに、恐ろしく矛盾している。ママには、想像力というものが不足しているのだ。
 繭がいなければ、すべてが上手くいくというのが、繭が小さいころからのママの口癖だった。実際に繭は何度か、この世からいなくなりかけた。団地の階段から落ちたり、熱湯をかぶったり、ママのマニキュアの除光液を飲み込んだり、絶え間なく事故を起こす子供だった。体も弱く、風邪を引くと必ずと言っていいほど気管支炎から肺炎になった。
 ひとりっ子で病気がちの繭のためにママがハムスターをプレゼントしてくれたのは、繭がまだ保育園に通っているころだった。
 その日は、電車に乗って、アレルギー専門の個人医院に行って、腕の内側にたくさんのパッチを貼り付けられた。皮膚の二箇所が赤く大きく腫れた。ひとつはハウスダストで、もうひとつはなんだったのかよくわからなかった。家でも学校でもペットは飼っていませんね、と医師に聞かれた。そんなふうに聞かれると、何か飼ってみたくなる。それからママと医師は、繭にはわからない専門用語でしばらく会話を続けていた。
 帰りに駅ビルの中にあるファーストフードでお昼を食べてから、上の階にあるペットショップに行って、ハムスターを買ってもらった。
 白くて小さなそのハムスターには、マユミという名前をつけた。ひまわりの種をやると小さな歯でかりかりとかじり、夜、繭が眠っている間に涼しげな金属音を立てて車輪を回した。うるさいとは思わなかった。特にママが夜勤でいないときは、夜中に目覚めてもマユミが起きて活動していると思うと、安心してまた眠ることができた。
 そのころから、頻繁に喘息の発作を起こすようになった。咳が止まらなくなったと思ったら、どんどん息が苦しくなって、何度となく救急車に乗せられた。
 ケージから出したマユミと遊んでいるときに、何かの拍子にマユミが繭の指を噛んだ。買ってきたひまわりの種をガラス瓶に移すときにうっかり床にこぼしてしまったので、手でかき集めた。そのときのひまわりの種のにおいが手についていたのだろう。かまれてすぐに、ひどい発作で息が苦しくなって、病院に運ばれた。入院しているあいだに、ママがやってきて、発作の原因はハムスターだったので、マユミは処分したと告げられた。ママが仕事で家を空けていて、淋しいだろうと思って買ってあげたのに、こんなことになってごめんなさいね、とママは病室で涙を流した。退院して家に帰ると、マユミのケージはなくなっていた。その日から繭はポケットの中でハムスターを飼っている。マユミは小学校六年生のときまで飼っていたけれど、チョコレートの食べすぎで、死んでしまったので、別の白いハムスターを飼い始めた。それがユキだ。ユキを飼うようになってから、ブログにユキの飼育日記を書き始めた。本物のマユミがいなくなると、喘息の発作は、それほど頻繁に起こさなくなったけれど、完治したわけではなかった。 
 ママの気を引くために、わざと危険に擦り寄っているのかも知れないと、自分のことを疑い始めたのは、いつのことだったのだろう。繭が何かの事故にあったり、怪我をしたりするたびに、繭ちゃんが無事で本当によかった。世界で一番大切なのは、繭ちゃんだもの、と言われるのが嬉しくて、その、甘いご褒美を得るために一瞬の判断を誤るのではないかと考え始めた。いくらママが優しくしてくれるからといって、ひとりで繭を育てているママの負担になってはいけないと、繭は危険から遠ざかるためのあらゆる努力をした。
 繭は私生児だった。父親は医者らしいということしか聞かされていない。高校生になってから、こっそりと戸籍謄本を取り寄せてみたけれど、ママに離婚暦はなく、繭の父親についての記載もなかった。
 とにかく病気にならないために、気をつけることをノートに書いて実行した。あの事件が起こる少し前のことだ。風邪を引かないために、折りたたみ傘と雨合羽は必ずランドセルの中に常備しておいた。給食で嫌いなものが出ても、残さず食べた。体を丈夫にするためには、食べ残しをしてはいけないと先生にいわれたからだ。埃を吸い込まないためのマスク、急に寒くなったときのためのカーディガンや、汗をかいてしまったときのタオルと着替えなど、毎日余計な荷物を持ち歩いていた。今でもりり子にもサキにも笑われるくらいによけいなものばかりトートバッグに詰め込んで持ち歩いている。
 怪我や事故に関しては、注意深くなること以外にできることはなかった。体育の授業はほとんど休んでいたし、学校の帰りに寄り道をしたり、車道からはみ出して歩くこともなかった。せっせと貯めたお小遣いで、厄災から身を守るパワーストーンを買ったりもした。
 それでも、体はいっこうに丈夫にならず、家の中では相変わらず、何かに躓いたり転んだりしてばかりだった。ママは、いつも疲れていて、家の中は足の踏み場もないほど散らかっていた。そのくせ、妙に節約に凝るところがあって、洗剤やシャンプーなどは、詰め替え用のバッグに入っているものを買ってきては、まめに飲料のボトルなどに入れて、しかも、冷蔵庫や調味料の棚に置いてあったりするものだから、気をつけないと、おかしなものを口に入れてしまいそうになった。
 
 昼間にキイチゴ城で眠ってしまったので、夜がすっかり明ける前に家に着いたのに、眠くはなかった。朝帰りがばれないように、パジャマに着替えてベッドに入り、イヤホンを耳に突っ込む。流れてきたのはローリングストーンズの「ミス・ユー」だった。初めて聞いたときには、どういう意味の言葉なのかわからなかった。あなたを失う。それがなぜ、「会えなくて淋しい」という意味になるのか。もちろん、英語の慣用句なんて、理解するよりもそういうことだと思って慣れるべきものだということはわかっている。この言葉に限って、そういうふうに「慣れ」ことがどうしてもできなかった。当たり前の感情に当たり前の歌詞と当たり前の旋律をつけた、誰かに会いたいというラブソングなんて、世の中には掃いて捨てるほどある。
 失くすことと、いや、亡き者にすることと愛することは、ママにとってはまったく同じことを意味している。それに気がついて家を出る決心をした。小学校六年生のころのことだ。
 喘息のひどい発作で、ママが勤務する病院に入院していた。気管支拡張剤は嫌いだった。心臓がどきどきして眠れなくなる。そのときは薬の副作用がひどかったような気がした。食欲もほとんどなかった。ママは優しく、珍しく個室に入れられた。頻繁に繭の病室に現れては、繭の好きなケーキや、体によいという漢方のお茶などの差し入れをしてくれた。ママがしきりにすすめるお茶は、まずくて飲みづらかったけれど、喘息に効くというので我慢して飲んだ。ある日の夜中に、喉が渇いたので、ベッドから起き上がろうとした。どうしても体が動かない。無理に動こうとすると心臓が激しく脈打って激しい頭痛を感じた。おかしいと思ってナースコールのボタンを押した。そのあとのことは覚えていない。繭は救急病院に転院していた。ママに会いたかったけれど、ママは来なかった。医師と、児童福祉士の西田さんという、年配の女性が現れて、母親の行動について詳しく聞かれた。ママに、殴られたり、ひどいことを言われることはないか、とか、そういうことだ。繭が病気がちで、しかも父親がいなくて、繭なんかいなければいいと言われることはあったけど、そんなことは当たり前のことなのだと思って、西田さんには話さなかった。片づけが下手で、いつも疲れていて繭に八つ当たりをしても、怪我をしたり、喘息で入院しているときには優しく面倒を見てくれるママのことを他人に悪く言うことなんてできなかった。そうでなくても、同じ団地の人や、繭の同級生の親などには陰口を言われていることは知っていた。母子家庭だから、というのがその理由だった。あまり、ママのことを他人に悪く言うと、母子家庭だからという理由でまたママが悪者にされるのは耐えられなかった。ハムスターのユキのことは話さなかった。繭にしか見えないハムスターをポケットの中で飼っているなどと言ったら、もっと本格的な精神鑑定をさせられそうな気がしたからだ。
 そのときの西田さんが医師に向かって小声で言った不可解な言葉がいつまでも繭の記憶の中に残った。「ミュンヒハウゼン症候群」というものだ。その可能性もあるといっただけだったけれど、喘息持ちの上に、よくわからない名前の病気まで発見されたのかと思って、つくづく病気がちな自分を呪いたくなった。そのときはその不可解な言葉の意味を西田さんに聞くことをためらった。もしかしたら、繭に聞かれたくなくて、小声で言ったのかもしれないと思ったからだ。
 数日後に思い切って西田さんにその言葉の意味を聞いてみると、西田さんはひどく驚いていた。
「向こうの病院に問い合わせて、お母さんとも話をしたの。夜勤が続いていて、薬の量を間違えただけだったことがわかったわ。だから安心して」
 転院して以来、動悸や頭痛も治っていたし、西田さんに安心してと言われたので、その不可解な言葉のことをそれ以上聞くのはやめた。それにしてもママはどうして面会に来ないのだろう。
「お母さんはどうしてるの?」
「まだ、いろいろな調査が残っているけど、病院側も事情を考慮して、処分はしないことになると思うの。ねえ、繭ちゃんは、これからもお母さんと暮らしたい?」
 意図がつかめない質問だった。どう答えていいのか、わからなくて、戸惑っていると西田さんは、
「あら、ごめんなさいね。繰り返しになるけど、お母さんに暴力を振るわれたり、病気のときに放って置かれたり、ごはんを作ってくれなかったり、服を洗濯してくれなかったり、家の中に入れてもらえなかったり、そういうことはないのね」
 繭は黙ってうなずいた。
 それから一週間ほどで繭は退院し、自宅に戻った。ママとふたりの生活にはなんら変わることろはなかった。西田さんには、何か心配なことや気になることがあったらなんでも相談してね、と言われていたけれど、西田さんはあまりにお母さんらしい堂に入った人だったので、子供らしく素直にはいと返事をしながら、多分相談しないだろうなあと漠然と思っていた。
 ある日、学校から帰ってひとりで家にいるときに、ママに電話がかかってきた。いつもするように、苗字だけ言って応答した。繭の声は大人びていたので、よくママと間違えられたが、電話の相手は、ママだということを確認せずに一方的に話を始めた。お嬢さまの生命保険のこと、が用件だった。お嬢さま、つまり繭の健康状態について何かを確認したい、というような内容のことを早口で告げられた。生命保険のことを、ママから聞いたことは一度もなかった。いまさら、人違いだということを告げるのがはばかられるほど話が進んでしまっていたので、どうにか用件を把握した。繭の病状について医師の診断書を提出するように、ということのようだった。
 電話を切ってから、急に西田さんが医師に向かって小声でつぶやいたミュンヒハウゼン症候群という恐ろしげな病名のようなものが頭に浮かんだ。ママは繭に気を使って隠しているけれど、本当は恐ろしく不可解な病気にかかっているのではないかと疑問を抱き始めた。
 あまりに気になったので、町の図書館で調べてみた。いろいろな病気が載っている医学辞典のようなものを見ても、見当たらない。カウンターにいた司書に聞いてやっとのことで、載っている資料を探し当てた。資料には、ミュンヒハウゼン公爵という、次々に仮病を使って、人の同情を引くという嘘つき公爵の話が紹介されていた。嘘つき病。西田さんには繭が母親の気を引くために、仮病を使っているというふうに思われていたのだ。それなのになぜ、保険の外交の人は、繭の病気について詳しく聞きたがるのかわけがわからない。
 家に帰ってから、ママが通帳や印鑑などを保管している洋服ダンスの中の引き出しを開けて、保険の証書を探した。繭の名前で掛けられた保険の受取人はママだった。他に身寄りがいないのだから当たり前だ。死亡給付金にのみ、保険は掛けられていた。一緒に入っていたパンフレットを読むと、病院にかかったりしたときに費用をまかなうための保険金が出るようなものもある。ママはいつも繭の入院や怪我で出て行くお金のことばかり気にしているのに、なぜそういう保険に入らないのだろう。
 それからしばらくの間は、より一層、体調を崩さないように気をつけながらも、西田さんという人に、嘘つき扱いされたことをずっと気に病んでいた。もしかして、ミュンヒハウゼン症候群、ではなくて他の名前と間違えたのではないかと思って、相変わらず図書館に行って、分厚い家庭医学辞典をめくったりもした。インターネットで調べたら、何かわかるかもしれないと思い、図書館に置かれたパソコンで検索をしてみると、代理ミュンヒハウゼン症候群という言葉が出てきた。西田さんが言っていた病名には、「代理」がついていたような気がしてきた。検索で出てきたページに飛んでみた。
 代理ミュンヒハウゼン症候群とは、誰かを病気に仕立て上げる、つまり、仮病癖を自分でなく代わりの誰かに負いかぶせる病的な状態のことをいうようだった。そのページには、母親が小さな子供を故意に事故に遭わせたり、病気に仕立て上げたりして、可哀想な、あるいは育児熱心な母親を無意識のうちに演出する事例がいくつか書かれていた。
 やはり、西田さんには嘘つきの仮病少女と思われていたのだ。第一、ママが繭にわざと怪我をさせたり、病気を悪化させたり、そんなことをするわけがない。西田さんはあのとき、代理ミュンヒハウゼン症候群、ではなくミュンヒハウゼン症候群、といったのだ。そう思いたかった。無理矢理自分にそう言い聞かせて、パソコンの閲覧席を立った。こめかみのあたりが鋭く痛んだ。
 それから、どうやって家にたどり着いたかのかは、上手く思い出せない。家に帰ってから、もう一度タンスの引き出しのなかの生命保険の証書を見た。西田さんの家に電話をかけたら、若い男の人が電話に出た。大学生の息子がいると言っていた。夏の朝の日陰のようなさわやかで、屈託のない声で、「母は出かけています」と言われたので、繭は「そうですか」と一言だけ言って、名前も告げずに電話を切った。
 板チョコを買ってきて、小さく割ってマユミに食べさせた。マユミは大喜びでチョコをかじるので、板チョコを半分ほど夢中になって食べ、興奮して部屋の中を走り回り、突然動かなくなった。翌日になると、繭のポケットの中にはマユミにそっくりの新しいハムスターがいたので、ユキという名前をつけた。ユキはハムスターのえさやひまわりの種を食べないので、毎日チョコレートをひとかけらずつ与えることにした。
 それから、二週間ほど注意深く計画を立てて、家出をした。
 コンクリートの階段を上がる乾いた音がした。引きずるような癖のある足音はママのものだ。ごりごりと鍵を開ける音がして、シリンダー錠が回転する。
 無計画に家出をしても、補導されるだけだと思っていたので、しばらく図書館に通って、インターネットで情報を収集した。集団自殺の仲間を探すサイトで知り合った純花という高校生に、都内のウィークリーマンションで同じ歳の女の子たちとアルバイトをしながら、共同生活をしないかと誘われた。自殺をしたいのか、ママに復讐したいのか、逃げ出したいのか繭にはよくわからなかった。それでも自殺サイトにはなぜか強く心を惹かれた。どんなひどいことがあると、他人は自殺したくなるのだろうという興味があった。繭自身の立ち位置を確認。おそらくそんな理由だったのだと思う。それに、自殺サイトには、自称ドクターと呼ばれる、薬物に詳しかったり、必ず死ねる薬物を売ってくれる人が常駐していることがわかったので、しばらく薬物に関する知識を収集するために、自殺志願者の振りをして、ドクターの相談室に通った。そんなときに、繭に興味を持って、自殺の相談に乗ってくれたのが純花だった。純花は、自殺志願者ではなく、自殺を思いとどまらせる役をしているようだった。純花に会うまでは、サイトの運営者と関係があるのか、それとも個人的な趣味なのかはわからなかった。
「たしかにね、表立って小学生を雇える仕事なんてないけど、人が足りないの。電話でお客さんと話をするだけの、サクラっていうのかな」 
 その話を百パーセント信用したわけではなかったが、純花の連絡先を教えてもらって、電話をかけてみたらちゃんと純花本人らしい女の子が出てきた。そんなに遠くに行くわけでもなかったし、とにかく家から出たかったので、純花に会いに行くくらいの軽い気持ちで、話に乗った。そのときに知り合ったのがりり子と、サキだ。
 ドアが閉まる音。続いて洗面所から水音が聞こえてきた。ママが化粧を落としている。フローリングの床がきしむ音、それからママの部屋のふすまが小気味良い音を立てて閉まる。
 繭はベッドから起き上がると、音を立てないように、勉強机の一番下の引き出しを開けた。積み上げられている使用済みのノートや学校で配布されたプリントを綴じたファイルの下には、毒薬や自殺の方法について書かれた何冊もの本と、数本の遮光壜、最近買ったトイレ用洗剤と入浴剤、アルミシートに包装された錠剤の入ったジップロックが現れる。
 ママからは逃れられなかった。
 たとえそれが、仕組まれた虐待だとわかっていても、そのあとに無秩序に注がれるママの愛情は、なにものにも替えがたい。ママとの関係を断ち切るよりも、ママとまったく同じ方法を使って、かわいそうなママを愛することにした。薬物や毒物に関する本を何冊も読み、中学でも高校でも科学部に入って、実験を繰り返した。劇物など科学部の実験に使うことを説明すれば、それほど面倒な手続きもなく買えることがわかった。
 繭は酢酸タリウムの壜を手に取り、台所に入る。コーヒーメーカーのポットの底に小さじ一杯ほどの酢酸タリウムを入れ、コーヒーを落とす。酢酸タリウムは、殺鼠剤などに使われる無味無臭の粉末で、重金属の中では最も強い毒性があるものだ。
 冷蔵庫から卵をふたつ出して、ガラスのボウルに割り入れ、そこにも小さじ半分ほどの酢酸タリウムを混ぜ込む。塩コショウと、少量の牛乳を加えて箸でかき混ぜ、フライパンを熱した。十分熱くなったところにバターをひとかけら落として溶かし、卵を注いで手早くかき混ぜる。ほどよく半熟になったところで火を止めて、余熱でこれ以上堅くならないように、皿に移して、ラップをかけておいた。コーヒーとスクランブルエッグのいい匂いを嗅ぎながら、レタスを千切り、きゅうりを刻んでサラダを作った。
 部屋に戻って、酢酸タリウムの壜を机の引き出しにしまうと、繭は台所に戻り、インスタントコーヒーとトーストの朝食を済ませた。
 繭が台所にいる間に、純花からのメールが届いていた。純花からのメールは、だいたい朝早く着信する。通勤電車の中から送信しているのだろう。六年前に始めてあったとき、純花は高校二年生だった。どこで何をしているかは、繭がいくら聞いても答えない。今二十三歳であれば、おそらくどこかで働いているのだろうということぐらいは予測できる。
 メールには、最近フリマサイトにはまっていて寝不足で朝がつらい、というようなことが書いてあった。
 十七歳の純花は、繭にとっては憧れの大人だった。親に頼らずに自由に生きていて、不良なのに、どこかに育ちのよさそうな礼儀正しいところがあって、初めて会ったときから純花みたいになりたいと思っていた。実際にそのときの純花の歳になってみると、ちっとも大人でも自由でもなかったけれど、十二歳のときからの純花への憧れはいまだに変わっていない。
 女親ひとりに育てられたせいなのか、純花と出合ったことがその後の繭の人生を決定してしまったのか、それとももともとそういう嗜好をもって生まれてきたのか、理由はわからないけれど、繭はどうしても異性に興味を持つことができない。誰かたったひとりでいいから繭のことをちゃんとわかってくれる人が欲しかった。たいていの場合それは女の子で、なんとか仲のよい友達になると、突然好きな男の子の話ばかりをし始めるので、ついていけなくなって、そのうちに繭がまた長期で学校を休んだりしているうちに疎遠になった。りり子とサキは少し違っていて、恋人でも友達でもなく、繭にとっては家族のようなものだった。
 高校に入ってから、同じ科学部の先輩に告白されて、つき合ってみたこともあった。すごく頭がよくて、医学部を目指していた。趣味も似通っていたし、繭が知らないようなことを何でも教えてくれて、個人的に会うようになった。そのころも、繭のことをわかってくれるたったひとりの人を探してはいたけれど、同級生の女子たちのように、彼氏というものをつくるのにはあまり興味がなかった。でも、相手が男なら、好きな男の子の話を延々と聞かされることもないだろうと思って、先輩とは仲良くしていた。結局つき合うことになって、さっそくという感じでキスをされて、それからしばらくして、顧問の教師も実験助手も来ない木曜日の科学準備室でセックスをすることになった。人体模型とか、骨格標本のあるところで、そんなことをするのはひどく滑稽で素晴らしく、終わったときにはなにかしらすっきりしたような気分になってその先輩に感謝した。男に興味がなくても、好きな人がいなくてもセックスはできる。今思えば当たり前のことだけど、それまでは未知のものに対する引け目のようなものがあった。先輩とのセックスに夢中になってしまったら、と恐ろしく思う気持ちもあった。でも、実際にしてみて、やはり自分がたいして変わらなかったことに安堵した。先輩とは三ヵ月ほどでどちらからともなく別れた。
 それから、りり子とサキにつき合って「援助」も何回かやってみた。やはり、たいして感じたりしなかったし、何とも思わなかった。
 組織に解放される前に純花から渡された名簿を使って、「援助」ではなく恐喝をすることを思いついたのは繭だった。「援助」はあまりに効率が悪いような気がしたからだ。かといって、同性になら興味がもてるかというと、そういうわけでもなかった。りり子もサキも、大好きだし、可愛いなと思うし、しょっちゅう抱きしめ合ったりキスもするけど、そういう気にはならない。どうしてももう一度会いたくて、焦がれているのは純花だ。それと、もうひとりはママだ。
 純花にメールの返信をした。どこにいるの、今どうしているの、会いたい。言いたいことはそれだけなのに、どうでもいいような昨日の出来事を書き連ねる。繭は変な子だと思われないように、何度か書き直して、注意深く読み直して、送信した。ママの寝室のふすまが開く音がした。心臓が激しく脈を打つ。カップにコーヒーを注ぐ音が、鼓動とシンクロすると、繭はベッドに入って耳を塞いだ。死ねばいい。いや、致死量は超えていないはずだ。じわじわと弱って、やがてママはいなくなる。永久に。
 繭はベッドから跳ね起き、台所に飛び込む。
「ママ、おはよう」
「繭ちゃん、起きてたの? 朝ごはん作っておいてくれてありがとう」
 疲れた顔に無理矢理作ったような笑顔を浮かべてママは、マグカップを口元に運ぶ。繭は静脈の浮き上がったママの手から、マグカップをひったくり、勢いよく流しに空ける。
「昨日の夜ね、そのカップの中をゴキブリが走ってた。ゴキブリは殺したけど、カップ洗っとくの忘れた」
 マグカップを洗剤で洗い、コーヒーメーカーのポットの中身も流しに捨てる。
「コーヒー煮詰まるとおいしくないでしょ。新しいの淹れるね」
「あら、それでよかったのに」
 ガス台の脇に置いておいた、スクランブルエッグのラップをはがして、流しの角の生ゴミ入れに捨てた。
「卵も、少し古かったの。黄身が盛り上がってなかった」
 ママがいなくなることと、ママがいないと淋しいと思うことと、ママを愛したいという気持ちはいつもセットになっていて、いつかふたりとも、混乱したゲームに巻き込まれるように、命を落とすのだ。
 新しいコーヒーをフィルターにセットして、ポットに満たした水を注ぐ。
「卵、買ってくるね」
 思ったほど、不自然な言い方にはならなかった。
 ママの顔を見ずに、家を出た。ポケットの中のユキが軋むような声を出す。お腹をすかせているのだろうか。またチョコレートを買ってこなければ。あまりチョコレートをやりすぎると、マユミみたいに死んでしまうのに、かわいそうなユキ。
 ユキをポケットから出して、掌に載せてやる。ポケットに入っていた紙片が昨日の雨に濡れたアスファルトの上に落下する。昨日の夜、ママが置いていった書置きだ。拾い上げると、黒のボールペンで書かれた文字は始発で帰ってきたときの空の色みたいに紫に変化している。「今日は遅くなります。由紀子」という文字を見て、くしゃくしゃに丸めて、放り投げた。
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