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第四話 化かし狸

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「お邪魔します!」

 銀狐が住む屋敷の玄関先。
 ニコニコと笑う貫八を二度見し、割れ茶碗の付喪神つくもがみあわてたように尻もちをついた。
 かまいたちの吉野は既に、銀狐によって追い払われている。

「どっ、どなたですかな!?」
「ただの古い知り合いや。そないに気にせんでええ」

 大袈裟おおげさな反応には鬱陶うっとうしそうに眉をひそめ、銀狐は割れ茶碗の横をすり抜けて屋敷の奥へと向かう。

「何と! ご友人とな!? ならばもっと早く言ってくだされば……」
輪島わじま。えろうよう気がつきはるなぁ。うちは『気にせんでええ』って言うたんに」

 にこりと毒のある笑顔で放たれた皮肉に、割れ茶碗こと「輪島」は、転びそうになりながら大きな頭を下げた。

「……! も、申し訳ないッ!!」
「うちのことより、自分が転ばんよう気ぃつけや。……行くで」

 輪島にそう言い捨て、銀狐は早足で先に進んでいく。

「心配しなくていいですよ」

 慌てふためく輪島に向け、貫八はほがらかな笑みを向けた。

「おれと銀狐さん、本っ当にふるい仲なので!」
「は、はぁ……」

 晴れやかな表情で銀狐について行く貫八を、輪島は呆然と見送るしかなかった。




 ***




「銀狐さん、銀狐さん! 何か言ってくださいよ~」

 貫八の再三の懇願こんがんには一切耳を傾けず、銀狐は肩をいからせて屋敷の奥へと進んでいく。

 ふすまを何度も開け、指先で幾度か印を結んだ先。
 ほとんど誰も招いたことのない私室に辿り着いたところで、銀狐はようやく口を開いた。

「……で、何の用や」

 頭上の狐耳がピンと立ち、警戒を示している。

「やったぁ! ようやく反応してくれましたね!」

 銀狐の様子とは裏腹に、貫八はぱぁっと明るい笑みを浮かべ、心の底から嬉しそうに語り始める。

「鉄の橋、架かりましたよ! これで、もういつでも四国に帰れます!」

 嬉しそうな貫八に対し、銀狐は面倒くさそうに大きなため息をついた。

 かつて、妖狐の一族は四国から追放された。
 きっかけになった古狐は、銀狐の遠い親戚に当たる。

 かの古狐は、古代中国で名を馳せた仙狐せんこの血筋とされていた。彼女の血縁であり、生まれながらに強力な霊力を宿した狐……その中の一匹が、銀狐だった。
 彼らは陰陽寮おんようのつかさ管轄下かんかつかで飼育され、陰陽師おんみょうじ達に使役しえきされるべく日夜修練にはげんでいた。四国での修行も、その一環だった。

 銀狐たちはいわば、貴族の牛車をひく牛や、都の役人がる馬のようなもの。ある程度の「格」を必要とする上で、人間に仇なす存在であってはならない。

 だから、人間を騙した古狐には厳しい処断が言い渡された。
「現地の者に迷惑をかけるなら、修行の地として使わせられない」との判断を下されたとも言える。

「……あんなぁ。うちらが本気にしとったわけないやろ。あれは『二度と帰って来たらあかん』って意味や」
「まあ……そうですよね。そう言うとは思ってました」

 貫八は寂しげに笑い、小さく肩をすくめる。
 京から送られてきた狐たちと、元々四国に住んでいた狸たちとは折り合いがつかず、毎日のように揉め事を起こしていた。

 例えば、ある狐は「狸さんが宴会芸で陰嚢きんたまを見せつけてきはって。ほんま楽しそうに生きてはるわ。しょうもな」とぼやき、ある狸は「狐が『ゆっくりしてってや』って言うけん居座ったら陰口叩かれたぞな。みやこらしい嫌味じゃ」といきどおった。

 価値観の相違そうい、と言ってしまえばそれまでだ。

「……帰りたいって、思うわけないですよね」
「帰りたいも何も、伊予は単なる修行場や。うちは元々京の生まれで京の育ちやさかい、彼処あこ故郷ふるさとや思うたことは一度もあらへん」

 貫八とて、理解していた。
 銀狐にとって、四国は決して良い思い出のある地ではない。

「話はしまいや。泊まって行きたいんなら部屋はいくらでもあるさかい、好きにしぃ」

 くるりと貫八に背を向け、銀狐は壁にかけられた和時計をちらと見る。
 その視線を、貫八は見逃さなかった。

「……そろそろ、変化へんげを解きたい頃合ですか?」
「……何の話や」
「やっぱり、変わってないんですね」

 口角を吊り上げ、貫八は先程までとは別人のようにいびつな笑顔を浮かべる。
 どろりと執着のうず巻く瞳が、赤く輝いた。

「おんし、変化に『癖』があるじゃろう。その『癖』が制御できんから、すぐ狐の姿に戻りたがるんぞな」
「……変化へんげ下手のあんたに言われたないわ」
「お互い様ぞなもし。、ようつるんどった」

 貫八は目を細め、過去を追想する。
 吉野や輪島は想像だにしていないだろうが、銀狐も貫八も、千年前は落ちこぼれだった。
 能力のつたなさゆえに一族からさげすまれた二匹。仲良くなるには、それだけで充分すぎた。
 傷を舐め合うように、支え合うように、二匹は人一倍……いいや、狸一倍、狐一倍修練に励み……

 やがて、清らかだった関係はいつしか執着と渇望かつぼうにごり、もつれていった。

「わしが何とかするけん、任したらええ」

 するりと、銀狐の腰に無骨な手が伸びる。銀狐は額に青筋を立てて払い除ける素振りを見せるが、貫八はしつこく追いすがった。



「ほら、わしがおったら何も起こらん」

 低い声で、貫八は銀狐の狐耳をねぶるように囁く。
 銀狐はびくっと身体を震わせつつも、呆れたようにぽつりと呟いた。

「……しらこい白々しいなぁ。あんたやろ。千年前、うちの身体にまじないをかけたんは……」
「今頃言うても遅いわい」

 喉の奥で笑い、貫八は銀狐の身体を畳の上へと押し倒す。
 その身体を押し退けようとして、銀狐ははたと気付いた。

 自らの腕や脚に絡みつく、どす黒い瘴気しょうきかたまりに──

「……なんや、この霊力……! 今まで隠しとったんか!」
「いやぁ、嬉しいですねぇ。銀狐さんでも気付かないなんて」

 貫八はにこりと、一瞬だけ人の良さそうな笑みを浮かべ……
 すぐに、赤い瞳を爛々らんらんと輝かせた。

「化けるのは下手でも、化かすのは得意ぞな」

 赤黒い舌が、ぺろりと舌なめずりをする。

「もう逃がさん……」

 地を這うような声が、銀狐の背筋をぞくりと撫でた。

「二度と、逃がさんわい」

 浅黒い手のひらが、銀狐の白い頬をじっとりと愛おしむ。

「わしは待った……。千年も待ったぞな……!」
「ん……っ」

 くらい衝動に突き動かされるまま、貫八は銀狐の唇をむさぼった。
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