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第三章 咆哮の日々

15. 籠の鳥

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「あの、ルイ様……そろそろ出てきませんか?」

 ラルフがいくらノックしようが、ルイからの返事はなかった。
 兄の死を悼んでいるのか、それとも、重責を背負いたくないのか……。 

「……失礼します」

 気の進まないまま、扉を開く。
 背丈はラルフよりも高いが、ルイの中身は幼子のままだ。
 世の仕組みからは遠ざけられ、下手な知恵を見せれば殺される立場で、まともに成長できるわけもない。
 ……今も、自分の感情の処理だけで精一杯なのだろう。

「ルイ様、おはようございます」
 
 ルイは、既に起き上がっていた。
 ぼんやりと窓の外を見つめていた碧眼が、ラルフを映す。

「……ねぇ、ラルフ。エドガーは、どんなふうに死んだの?」

 漏れだした言葉には、なんの色もなかった。
 透き通るように現実味のない青さが、灰色の視線と交錯する。

「……父様は、満足そうに死にました。もう、お疲れだったのでしょう」
「そっか。……酷いなぁ」

 それはこちらも同じ気持ちだ、と、ラルフは拳を握りしめて、

「置いて逝くなんて、許してないのに」

 どきりと、鼓動が反転したような気がした。

「僕ね、何も教えてもらえなかった。教えてもらえなかったのに、みんなそれすらバカにして、まともに接してもくれなかった」

 色の白い指が、机の上の本を指し示す。

「……それ、エドガーと買いに行ったんだ」

 なんの啓蒙も、なんの宗教も、それらの中には含まれていない。
 ただの、つくり話物語の類。

「父様が……?」

 ジョゼフを疎み、評判に怯え、見栄を張った愚かな姿を思う。

「エドガーしか、僕のためになんか笑ってくれなかったんだよ」

 ──私のことは、遠慮なく父と呼んでくれていい

 脳裏に蘇る、親子となった日の言葉。
 そこに見栄や驕りはあれど、嘲笑や侮蔑などは含まれていなかった。

「僕と接するのは楽だって、言ってた。育てる責任を負わなくていいから……って」

 どれほど稚拙なごっこ遊びだったとしても、

「僕なら、余計な私情を挟まなくて済む……って」

 どれほど愚かな自己満足であったとしても、
 確かに、ルイは救われたのだ。

「……どうせ僕は、道具なんでしょ」

 言葉が返せない。

「伯爵なんかになったって、飾りみたいに偉そうにしてたらいいだけ。僕には何も期待してない……そうでしょ」

 否定もできない。
 青く澄んだ瞳が、ふいっと逸らされた。

「好きに使えばいいよ。……君、つまんないやつだと思うけど、別に嫌いじゃないし」

 滅相もない。道具などではない……と、見え透いた嘘をつく気にはなれなかった。その方が、不誠実にも思えた。

「ルイ様、あなたに重荷を背負わせる気は毛頭ありません。……ですが、私に従えとも言いません」

 銀灰色が煌めく。

「私ができる限りのことはします。あなたに多くは求めません。……それは、あなたが背負うことではない」

 それが冷酷なことであろうとも、ラルフの腹は決まっていた。

「ごっこ遊びのつもりでよろしいとでも、お考えください」

 凍てついた瞳が映す金髪と碧眼は、お伽噺のように輝いている。
 澄んだ瞳が映す黒髪と隻眼は、痛みを背負ってそこに在る。

「……兄さんみたいな顔してる。早死しそう」
「長生きしたいわけではありませんから」
「じゃあ僕、君のこと絶対好きにならないけどいい?」
「好かれようとも思いません」
「後から寂しいとか、悔しいとか思っても、絶対好きにならないよ?」
「……あなたに好かれなくとも、仕事はできます。ルイ様こそ好きになされば良いかと」
「ラルフ嫌い」
「なら、私が死んでも泣かなくて済みますね」

 いつの間にか溢れていた涙を指で拭い、ルイはまた一言、「嫌い」と呟いた。



 *** 



「あら、おかえり

 黒髪の女の言葉に、「ジョゼフ」は眉をひそめた。
 まだふらつく足取りをどうにか隠し、姿見の前に立つ。

「僕は団長じゃないよ。代理でしかない」
「そうかねぇ。あの舞台は、あんたでなきゃれないよ。みんな分かってんのさ、ジャン」

 長い黒髪にブラシを入れ、唇に紅を差す。

「あたしはあんたの舞台以外で、主役になる気はない」

 深い紺色の瞳には、確かな決意が宿っている。
 舞台女優コルネーユ。後にパリ全土に名を轟かせる、「悲劇の女」。

「……なんと言おうと、あんたはジャンだ。あたしの唯一無二の親友さ」

 革命派、ストーリーによっては反革命派に惨殺されるジョゼフ・アンドレア。その愛人として、数多くの悲劇がまことしやかに語られている。

「……コルネーユ、衣装の補修は終わったのか?」
「それならアルマンがやってくれた。……さぁ、胸を張って舞台に上がりな。お姫様も、それを望んでる」

 衣装に袖を通して舞台に向かう「ジャン」を見送り、コルネーユも支度を続ける。

「……何がお姫様よ。もう」

 物陰に隠れた金髪からは、赤い耳が覗いていた。
 
「あんたらがお互いに想いあってる……なんてのは、見てたらわかる」

 ケラケラと笑いながら、コルネーユは髪をまとめる。

「舞台の上じゃ寝取ってる気分になるもんでね。焦れったいったらありゃしないよ」

 スッと、女優は艶やかに、それでいて儚い微笑みを宿す。

「……見ててね、ソフィ。貴女の書くヒロインは完璧よ」

 彼女の歩んだ人生は、壮絶であれど悲劇ではなかった……と、後に劇作家アルマンソフィは書き残している。

「いいえ。貴女が完璧に演じてくれるからよ、コルネーユ」

 まあ、嫉妬しないわけじゃないけど……と、小声で漏らした本音には投げキッスで返し、女優は舞台に上がる。白いドレスを見にまとい、控えめに笑う乙女を演じるために。

「……赤いドレスも着せてみたいんだけど……観客のイメージは白い服か喪服なのよね……」

 兄を殺した想い人。その想い人と恋物語を演じる友。その姿に胸がちりりと痛むが、2人の演技の前には酔いしれるほかない。
 ここは、報われない現実を忘れ、夢中になれる場所なのだから。
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