【完結済】『咲いた花、そして空の鳥へ捧ぐ物語』

譚月遊生季

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第三章 咆哮の日々

16. 演者

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 自室に戻り、ラルフは深くため息をついた。
 癇癪は上手く治まったようにも見えたが、所詮ははったりのようなものだ。

「この国を良くしたい」と、ラルフは願った。
 信ずる神のために、生を望んだ恩人達のために、そう願った。
 ……けれど、この数年、ラルフが見てきたものは汚濁に塗れている。
 だからこそ、ルイの純粋さは珍しく思えた。が、

「さすがに……なぁ……」

 もう少しはしっかりしろよ……と、小さく毒づく。こういう時、母国の言葉は便利だ。誰かに聞かれても誤魔化しが効く。
 ルイとて事情があるのだと理解はできる。が、理解したところでラルフの労力が変わるわけではない。

「……権威も、権力も偽物。それは俺だって同じだ。……偽物どうし、お似合いかもな……」

 俺の場合、血筋まで偽物だけど……と、その言葉は胸に秘め、窓辺に歩み寄る。

「……?」

 ツバメだ。一羽のツバメがじっと、ラルフを見ている。……いや、違う。

「……あ」

 ルディの語ったことを思い出す。……何度も何度も、鳥になって会いに来た友人。自分が看取ったカラスも、きっと……。

「…………。ごめんな、ルディはもう、いないんだ」

 窓を開け、そう伝える。言葉が通じるかはわからないが、せめて、伝えたかった。……もう、本当の意味で徒労になってしまうのだと。来る必要はどこにもないのだと。
 ツバメはしばしラルフを見つめていたが、やがて、小さく鳴き声を上げて飛び去った。

「…………。サン=コリーヌの鉄道事業について、何か聞いてくるか」

 俺に情報をくれる貴族なんか、たかが知れてるけど……と毒づき、ラルフは部屋を後にする。……そこで、亜麻色の髪を持つ、「兄」の顔がぽつねんと浮かんだ。



 ***



 ミゲルは酒場で、稼いだ日銭を勘定していた。
 ……給仕の娘が1人減ってから、同じ病でまた1人、2人と減った。皮肉にも、それが今のミゲルの稼ぎに繋がっている。
 ティーグレは腹がいっぱいになったのか、地べたで大の字になって眠りこけている。

「……おお。今日もいたのか。生きてて何よりだ」

 聞き覚えのある声に顔を上げる。……顔見知りの組合だが、頭数が少し足りない。

「……? おい、フランク。ピエールの野郎はどこいった? 酒場なんか嬉嬉として来るに決まってんだろ。ジョルジュもだ。……まさか、また事故か?」

 ミゲルに問われ、男は静かに頷いた。他の面々も何も語らず、沈んだ面持ちで椅子に腰掛けていく。
 ……それだけで、惨状が伝わった。

「……俺らにゃなんの資産もねぇ。貴族さまがどうなろうが、市民が強くなろうが、頭が変わるだけで俺らにとっちゃなんてこたねぇ……」

 無産階級の労働者プロレタリアートは弱々しく項垂れ、空虚な拳が膝を打つ。
 何度も、何度も、浮いた骨の鳴らす音が響く。

「……いっそ、俺らで革命を起こしちまえば……」

 ミゲルは何の言葉も返せなかった。……確かに、思想を偽って属した組織は少しばかり大きくなりつつある。
 けれど、70年ほど前……あの革命がなければ流されなかった血と、革命がなければさらに奪われた血。……それを、今、天秤にかけることができるだろうか?

「……シケた空気だねぇ。酒が不味くなるじゃないか」

 女の声が、その空間に波紋を呼んだ。

「あァ!? 女はすっこんでろ、なんも分かってねぇくせによォ!!」

 弾けるように、1人の男が立ち上がる。

「ああ、分かりゃしないね。やけっぱちになって酒カッくらってんのに、できもしない「革命」の話なんて偉そうにおっぱじめちまってさぁ」

 長い黒髪の女は男の怒号にも怯まず、応えるようすっくと立ち上がる。

「あんたらみたいな阿呆はどうせ、どんなに時代が変わったって使い捨てられて終わりさね」

 ふん、と鼻を鳴らし、女は酒場を後にする。
 ……フランクが舌打ちとともに酒瓶を手に取るが、その腕はミゲルに掴まれた。

「……やめとけ」

 低い声で制すると、彼は再び項垂れ、顔を覆った。

「使い捨てだって……? 阿呆だって……? ピエールやジョルジュもそうだったってのかよ……」

 やがて漏れ出す嗚咽。ため息を吐きつつ、ミゲルは黒髪の女を追った。……ティーグレの方をちらと見たが、呑気そうに眠りこけていたので放っておく。

「気持ちは分かるぜ」

 肩をいからせて歩いていた女が、ミゲルの声にはたと振り返った。

「アイツらは確かに阿呆で使い捨てられるしか能がねぇ。……けどよ、そんなの……わざわざ口に出すもんじゃねぇだろ」

 へぇ、と、どこか感心したように、女は一歩、ミゲルに歩み寄った。

「だけど、あたしゃ言ったことを恥じたり悔やんだりしないよ。……誰かが事実を言わなきゃ、変えられるもんも変えられないさ」

 黒曜石の中、ラピスラズリの青が散らばったような瞳だった。

「……みんな分かってて諦めてるに決まってんだろ」
「どうだか。そんなもん、変に賢いあんたが決めつけてるだけってこった」

 ずい、と女はさらに近寄り、ミゲルの頬に触れる。

「……でもねぇ、情に厚い男は嫌いじゃないよ」

 白い指がかさついた唇をなぞる。真っ赤な紅を差した口元が、ゆるりと弧を描く。

「俺も聡い女は嫌いじゃねぇ。……が、遊ばれるのはごめんだね」
「なら、本気で遊ぶのはどうだい?命を燃やして愛を贅沢に使い潰すのさ」

 踊り出すよう、軽やかに。
 詩を歌うよう、なめらかに。
 夢に誘うは、夜闇に煌めくラピスラズリ。

「情熱的な誘いだねぇ。……でも、そういうのは大好物だ」

 赤い髪が女の白い頬に被さろうとした刹那、

「コルネーユッッッ」

 娘の叫びが響いた。
 顔を真っ赤にして、金髪の娘……ソフィはつかつかと歩み寄ってくる。

「なんだい、ソフィ。お楽しみだったのに」
「嫁入り前なのに何してるのよ、もう……!」
「あたしが誰と遊ぼうが、あたしの自由。……舞台の上じゃ理想のヒロインなんだ。別にいいだろ?」
「そうじゃなくて!! そういうのはもっと好きな人と、こう……!!」
「やだね。あたしは遊ぶのが好きなんだ」

 べ、と舌を出し、女優はふいとそっぽを向く。

「喧嘩はそこらにしとけ? 俺にも実は心に決めた人がいんだ。軽い冗談だよ」
「おや、それにしてはノリが良かったけど?」
「抱くも抱かれるもお手の物だ。……そういう悲劇的な身の上でね」
「微っっっ妙にウソかホントかわかんないとこついてきたねぇ……」

 ジロジロと一通りミゲルを眺めたあと、コルネーユは再びソフィに向き直った。

「そんなこと言っても、この前の脚本はあったじゃないか。濡れ場」
「……え。……な、なんでわかったの……?」

 耳まで真っ赤になって、ソフィはもじもじと頬を手で覆った。

「そりゃあ、演じる側は何度も読み込むからねぇ。アレがコレの喩えだ……なんて、お手の物さ。あ、お兄さんも良かったら見に来てくんない? 「劇団アーネ」って言うんだけどさ」

 考えとくぜ、とテキトーに返し、ミゲルは酒場の方を見やる。
 ……凹んでいるフランクのことは、しばらくそっとしておいた方がいいだろう。

「それとも、助っ人になる?」
「お、給金は?」
「食いつき早っ」
「……あら、それは考えた方がいいかも。アルマンのお仕事のこともあるし……」

 ワイワイと話しあう3人の姿を物陰からしばし見つめ、亜麻色の髪の青年は踵を返した。

「……僕は、ジャンに戻る資格はない……」

 ブツブツと虚ろに呟きながら、「ジョゼフ」は暗がりの方へと歩いていく。耳元で囁く亡霊はもういない。
 ……頭の中でずっと、誰かの声がする。それがの声なのか、もう分からなくなってきていた。

 その日の公演は、ジャンではなく代役が舞台に立っていた。



 ***



「……すごい演技だったな。コルネーユ……だったか」
「そうだなぁ。……道具係としては、見納めになるんだろうな」

 公演後の馬車の中で、2人の青年が語り合う。

「アルマンが手に職をつけていて助かった。……おかげで、民草の声がよく聞こえる」

 隻眼の青年は馬車の窓の外、酔い潰れた労働者、地べたで眠る浮浪者、路上に立つ娼婦の姿を一つ一つ確認していく。

「……俺は、アルマン・ベルナールとして、伯爵家に仕えるけど……でもさ、劇は見に来たっていいよな?」

 どこか名残惜しそうに、アルマンは尋ねる。
 塗料の匂いが染み付きボサボサに跳ね散らかっていた髪は、今は整髪剤で整えられている。

「好きにするといい。……むしろ、素晴らしいことだ」
「……子爵っぽい話し方になってきたじゃん。昔はフランス語すらからっきしだったのに」
「……そういうアルマンは、変わらないな」

 ちりりと傷んだ片目を撫で、ラルフは馬車の外の喧騒に耳を澄ませた。……少しずつでいい。まだ、焦る必要はない。
 そう思えるほど、ラルフの暮らしは豊かになっていた。



 ***



「……ジャンが相手じゃなきゃ、やっぱり詰まらないね」

 控え室の椅子に座り、コルネーユは擦り切れの目立つ台本を手に取る。

「このヒロインは……「私」は、ソフィ。そんなもの、読めばわかるわ」

 深窓の令嬢のように、あるいは恋する乙女のように。
 世界を知らない小鳥のさえずりが、コルネーユの喉から紡がれていく。

「だからよ、ソフィ。私はソフィを演じるの。ソフィの恋を演じて、その中でジャンに抱かれるの」

 うっとりと、何度も読み返した脚本を胸に抱き、微笑む。

「私はソフィとひとつになっていくの。ソフィの物語に抱かれているの。……ああ、大好き、大好きだわ、たまらないくらい」

 表紙を撫で、キスをし、熱い息を吐く。

「……愛してるよ、ソフィ」

 その声は、確かにコルネーユのものとして響いた。

「だから……あたしは、あんたを守れる女を演じるのさ。本名リゼットでなく、芸名コルネーユで……ね」

 唇が弧を描く。何度目かのキスを、女は台本の上に落とした。
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