シオンズアイズ

友崎沙咲

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第八章

最高神オーディン

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どれくらいそうしていたのかは分からない。
シオンは小さくカイルの名を呼んだ。

麻袋をずりさげてカイルの身体を丁寧に出すと、シオンは彼の全身を眺めた。

「カイル?」

夢だといいと思いながら、シオンは虚ろなカイルの瞳を見つめた。
先程の兵士の言葉が甦る。

『シリウス様からの贈り物を届けに来ただけだ。ゆっくり拝みな!裏切りの代償……ああ、『愛の代償』と言うべきかもな』

シリウスからの贈り物。
裏切りの代償。
愛の代償。

殺したんだ。シリウスが、カイルを。
自分の命に背き、私を愛した代償に。
シオンはカイルの光を失った青い眼を見つめながら、彼の言葉の数々を思い返した。

『君を守るためなら、なんだってする』
『僕が、君を守るから』
『僕が……俺が、どんなに君を好きか、君は全然分かってない』

それから指に触れ、次に唇に触れる。
幾度となく抱き締められた腕。
口付けられた唇。

あのときの温かさは、今はもうない。
シオンはカイルの死が、自分のせいだと思えてならなかった。

「ごめん、ごめんカイル。本当にごめんなさい」

カイルの死に対する懺悔の思いが涌き水のように溢れた。
もう、誰も死んで欲しくない。
シオンは天幕から飛び出して空を仰いだ。

「オーディン!」

気が付くと、呼んでいた。

「最高神オーディン!」

辺りは焦げ臭く、怒号が響き渡り、空は厚い雲に覆われていたが、シオンはオーディンを呼び続けた。

◇◇◇◇◇

……うるっせえ女だぜ。
主神オーディンは、ニヤリと笑った。

金剛石を散りばめた玉座に腰掛けると、 神槍 グングニルを肩に立て掛け、その上に逞しい腕をからませる。
それがオーディンのお決まりの姿勢である。

……今、いいところなんだ。
白金族人間と黄金族人間の戦いだぜ?
邪魔すんじゃねえ。

オーディンは、けたたましく自分の名を呼ぶ声を無視して一つ咳払いをした。

……けど、女だしなぁ。
……顔だけでも見といてやろうか。
……ん?あれは……。

オーディンは大袈裟に、長い溜め息をついた。
それからクククと肩を揺すって神酒(ネクタル)のデキャンタを煽った。

……仕方ねえ、行くか。
なんてったって『七色の瞳の乙女』がお呼びだからな。

オーディンは面倒臭そうに立ち上がると、カツンと音を鳴らしてグングニルを大理石の床に打ち付けた。

ヴァラスキャルヴの床が溶けるように波打つと、オーディンはそこから地上を目指した。

◇◇◇◇

「オーディン!」

シオンは空に向かって叫んだ。
幾度目かの時である。

「うるっせえよ!馴れ馴れしく呼ぶんじゃねぇ!」

………っ?!

シオンは眼を見張った。
急に、本当に急に、目の前に男が現れたからだ。

「誰?!」

…………。
オーディンは、自分の真正面で眼を見開き、息を飲んでこちらを凝視している女に向かって口を開いた。

「お前が呼んだんだろ。それに俺は人じゃねーんだ。叫ばなくても心の中で呼べば聞こえんだよ」

……てことは……この人がオーディン?
シオンは、オーディンを上から下まで見回した。

長い槍を水平に担いで両腕を絡ませ、そこにカラスを二羽とまらせたこの青年が、オーディンなの?

最高神などと言うものだから、シオンはギリシャ神話で言うところの『ゼウス』を想像していた。

もっと年老いていて、威厳に満ちた神の姿を。
だが目の前のオーディンは、精悍で鋭い眼差しが印象的な美しい青年である。

片方の眼は、黄金色で中央に赤色の宝石が埋め込まれた眼帯で覆われていたが、それもまた良く似合っていた。

「…………」

一方オーディンは、シオンの瞳を見つめてヒュッと口笛を吹いた。
……この瞳……久し振りだぜ。

「何か用か」

水色の髪をサラリと揺らして柔らかく微笑むと、オーディンは絡めていた両腕を解いてグングニルを右手で持ち直した。
一瞬飛び立ったカラス達が再び彼の肩に戻る。

「……お願いがあるんです」

一言一言チンタラ喋ってねぇでさっさと言え。
そう言ってやりたかったが、シオンの瞳が濃い赤色に変わり、オーディンは唇を引き結んだ。

この赤色。
悲しみの赤、愛情の赤、憎しみの赤。
どれも違う赤が混ざり合った何ともいえない深紅の瞳。

オーディンは思った。
強く求める思いが内からほとばしり、自分の使命を確信した眼だ。

それは己の為とはかけ離れたもので、寧ろ自分を犠牲にしてまで叶えたい望みである。
全く。

「願い?」

シオンは深く頷いた。


◇◇◇◇


……シオン?
……なんだ……?あの薄い青い炎の膜のようなものは。
アルゴはグッと眼を細めて、香とシオンの為に設置した小さな天幕の辺りを見つめた。

大きな青い膜に向かって、シオンが両手を胸の辺りで組んでいる。
何か話しているようだ。
嫌な予感がアルゴの胸を駆け抜けた。

ファルの軍とロー軍が、アーテス軍の第一軍と第二軍を突破し、サーガル川を渡ってアーテス帝国へと攻め入ったところで、ファルがアルゴに命じた。

「香とシオンの様子を見てきてくれ。代わりがなければそのまま折り返せ」

アルゴは頷きながら手綱をさばをくと馬の腹を蹴って、対岸へと急いだ。
そこへその、得体の知れないモヤモヤと漂う大きな青い光の塊を見つけたのである。

「ハッ!」

アルゴは一度馬を止めたが、グッと眉を寄せて短く声をかけると再び馬を走らせた。
ちきしょう!なんだ、あれは!!

「香ーっ!!シオンー!!!」

愛剣を構え、鐙に掛けた爪先に力を入れて、アルゴは前を見据えた。

◇◇◇◇

「私の身をあなたに捧げますから、私の望みを叶えてください!」

シオンは一心にオーディンを見上げて懇願した。
オーディンはピクリと片方の眉をあげると、薄ら笑いを浮かべた。

「やだね」

……え……。
言いながらオーディンが、逞しい腕にはめた黄金の腕輪ドラウプニルを反対側の手で撫でる。

「どうしてですか?!」
「ちなみに、望みってなんだよ」

シオンは必死で訴えた。

「カイルを生き返らせてほしい。それとこの世界に平和を与えてください」

……カイル……。
オーディンはわずかに眼を細めた。
彼は武力の神でもある。
とてつもなく優れた剣士であるカイルを、オーディンが知らない筈がなかった。

「カイルを生き返らせるのは無理だ」
「何故ですか?!あなたは凄い神様なんでしょ?!
……カイルは私のせいで」

オーディンは、侮蔑の笑みを浮かべた。

「アホか」

……いや、本気でコイツを愚かだと思った訳じゃない。
だが。
オーディンは首を左右に傾けてバキバキと鳴らすと、シオンを鋭い隻眼で見据えた。

「カイルが死んだのはお前のせいじゃない。それに、お前の身を捧げられたところでカイルを甦らせる事は出来ねぇな」

どうして……どうして。
シオンはオーディンの隻眼を見つめながらポロポロと涙を流して泣いた。

「……それじゃカイルがあまりにも可哀想だわ」
「フッ、自分のモノサシで測るんじゃねーよ」

シオンは少し眼を細めて首を傾げた。
自分のモノサシで測るな?
どういう事?カイルは……。

その時、オーディンが視線を上げてサーガル川を見つめた。

「おっと話はここまでだ。普通の人間に俺は見えない筈なんだが、猪みたいに突進してこようとしてるアイツには、見えてるのかも知れねーな」

シオンが振り向いてオーディンの視線の先に眼を向けると、水しぶきを身にまといながら弾丸のようにこちらに向かってくるアルゴの姿が見えた。

「シオンー!!それから離れろっ!」

切羽詰まった声でアルゴが叫んだ。

「俺は行くぜ。じゃあな!」

オーディンがグングニルで天を指そうとした時である。

「待って!」

やだ、このまま終われない!
シオンはオーディンの長い槍にしがみついた。

「こ、こら、やめろ!離れろ!」
「離れません、望みが叶うまでは!」

グングニルを両手で握りしめ、必死で離すまいと歯を食いしばってこちらを見上げる大きな瞳。

「絶対、離さない!!ちゃんと話を聞いて下さい!」

こ、いつ……。
強い意志を宿らせたシオンの瞳に、オーディンは見とれた。
……ん……ヤバいぜ。

徐々に身体の芯が熱を帯びてきて、目眩がしそうになる。
キラキラとした涙を留まらせ、様々な色に移ろう瞳は、神々の持つどの宝石よりも美しい。

……いつまでも見つめていたい。
オーディンのみならず、神々は皆知っている。
『七色の瞳の乙女』を抱きながらその輝く瞳を見つめると、自らが持つ全能力を高める事が出来るのだ。

オーディンの身体に心地よい陶酔の第一波が訪れそうになる。
彼はグッと歯を食いしばった。
……参った。

この瞳はまるで、神を狂わす毒薬(カンタレラ)だ。
オーディンは大きく溜め息をつくと至近距離からシオンを見つめてその腰に腕を回した。

「しょうがねえなあ!」
「っ!」

オーディンはニヤリと笑うと綺麗な唇をグイッと曲げた。

「何にも知らねーのに、願いなんか口にするんじゃねーよ。
着いてこい!見せてやるから」

その時である。

「魔性っ!シオンを離せっ!さもなくば!」

馬の嘶きと共にアルゴの怒声が間近で響き、オーディンは舌打ちした。
魔性だと?無礼なヤツだぜ。
シオンはアルゴを見て早口で叫んだ。

「アルゴ、彼は最高神オーディンよ。私は大丈夫だから!」
「お喋りはもう終わりだ。行くぜ!」

「きゃあああ!」
「おい、待て、シオン!!」

シオンを引き寄せようとしたアルゴの手が叶わずに空を掴んだ。
な、なに?!

アルゴは眼を見開いて息を飲んだ。
馬が興奮し、後ろ足で立ち上がり嘶く。
おい、嘘だろ?!

オーディンに腕一本で抱かれ、青白い炎のような膜に包まれて、シオンは消えてしまった。
慌てて馬を降りて天幕に飛び込み、アルゴは香を探した。

「香っ!!」

すぐさま息絶えているカイルが眼に留まる。
香はいない。

「ちきしょうっ!!」

天幕を飛び出すと、アルゴは歯軋りして空を睨んだ。

◇◇◇◇

「シオンは大丈夫と言ったんだな?」

アーテス軍を追い詰め、敵国への攻め込みが成功して数時間後、陽はどっぷりと暮れた。

敵軍も息を潜め、こちらもようやく夜営を組んで焚き火を囲んだところであった。

「ああ。確かにそう言った」

ファルの問いにこう答え、アルゴは橙色の炎をのめり込むように見つめながら、あの時の状況を思い返した。

「オーディンの姿は見たのか」

マーカスの声で、皆の動きが止まる。
アルゴは記憶を辿るように眼を細めた。

「長い槍を持ち、腕には太い黄金の腕輪をはめてた。顔は…青い膜みたいな霧がかかってて…ハッキリとは……だが隻眼だった」

香は無事なのか。
アルゴは悔しそうに枝をへし折った。
その様子を見たマーカスが、アルゴの顔を覗き込んだ。

「シオンなら、香に何かあったならお前に真っ先に言うはずだ」

アルゴがゆっくりとマーカスを見つめた。

「香は、何か考えがあってその場を離れたに違いない」

頭の良いマーカスの言葉は、アルゴの胸に渦巻く最悪の結末を、ゆるゆると溶かし始める。
香自ら。
だとしたら……シリウスか。

アルゴは大きく息を吸い込んだ。
連れ戻す、なんとしても!
その時である。

「ジュード、各隊長を労ってやれ。俺は負傷兵達を見舞ってくる」
「ファル」

マントを翻して皆に背を向けたファルに、マーカスが声を掛けた。
振り向かないファルの足が止まる。
マーカスは構わず続けた。

「シオンはどうする」

ファルは即答した。

「大丈夫だと言ったシオンの言葉を信じる。今、俺がやらなければならない事はひとつだ」

マーカスは、焚き火の炎をマントに映して悠々と立ち去るファルを見つめた。
ファルはいつもそうだ。

自分自身の個人的な話の際には、頭に血を登らせたりと人間臭い一面があるが、国レベルの事柄となるとたちまち変貌する。

軍を率いて自らが先頭にたたなくてはならないような場面では、何があっても動じない。

兵たちを思いやり、動揺や焦りを決して見せず、一番派手な羽根飾りをつけて敵陣へと真っ先に斬り込み、皆の士気を高め続けるのだ。

マーカスは遠ざかる、未来の王を見つめて苦笑した。
人を惹き付けて離さない魅力は、やはり父王ダグダの血である。

仕方がない。
こういう男だからついていこうと決めたんだ。
マーカスはファルの背に、これからも刻み続けるであろう黄金族人間の輝かしい未来を感じた。


◇◇◇◇

数時間後。

負傷兵を見舞い、伝令係に詳細を聞いてマーカスと戦法を話し合った後、ファルはひとりきりになった天幕の中でホッと息をついた。

麻袋に入れられていたカイルの遺体。
恐らく敵兵が、運んできたのだろう。
シリウスは意に添わなかったカイルを殺し、見せしめにしたに違いない。

カイルの亡骸をシオンに送り付け、彼女の心を踏みつけ、黄金族人間全員に自分の冷徹さ、非道さを知らしめたかったのかもしれない。

それでシオンは……。
当初、ファルは悩んでいた。
シオンを戦線に連れていくのは大変危険だ。

だがこのままケシアに留めておいて、再び拉致されるのはどうしても避けたい。
かといって、護衛をつけて王都リアラに戻すのも道中が危ない。

とにかくシオンを自分の傍に置いておきたかったのだ。
だが、またしても俺はシオンを離してしまった。
ファルはアルゴの言った言葉を頭の中で繰り返した。

『長い槍を持ち、腕には太い黄金の腕輪をはめてた。顔は…青い膜みたいな霧がかかってて…ハッキリとは……だが隻眼だった』

恐らくシオンは自らオーディンを呼んだのだ。
神の捧げ物となり、戦いをやめさせるために。

オーディンは、シオンの望みを叶えるのだろうか。
ファルはきつく眉を寄せると拳を握りしめた。

たとえ相手が神でも、退くわけにはいかない。
……相対せねばならないのだ。

「シオン、待っていろ。必ずお前をこの腕に取り戻す」

ファルは力強く誓った。
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