シオンズアイズ

友崎沙咲

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第八章

さよなら、カイル

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「ついてこい」

急に視界が明るくなり、シオンはオーディンを見上げた。
気づけば固い床にしっかりと足がついていたが、何の衝撃もなかった。

オーディンはシオンの腰に回していた腕を解くと、大股で歩き出した。

「あの、ここは何処ですか?」

慌てて見回すと、ここが豪華で壮麗な建築物であることが見てとれた。
オーディンは振り返らずに答えた。

「俺の館、グラズヘイムだ」

長く幅の広い煌めくような廊下は、廊下と言うよりは大広間といった感じである。

蝋燭やランプなどといった類いの物は見当たらないのに、何故かキラキラと柔らかな光が程よくて幻想的である。

やがてオーディンは、廊下の突き当たりで足を止めた。
黄金の糸で編み上げた、膝下まである長靴がキラリと光を反射する。

その途端、目の前の大きな両開きの扉がゆっくりと開き出した。

「この奥はヴァルハラという、戦死者の広間だ」

低い声でそう言うと、オーディンはゆっくりと振り返りシオンの瞳を見つめた。
氷よりも冷たい空気がそこから流れ出て、シオンの足元を冷やす。

「戦死者の広間……?」

オーディンは続けた。

「カイルを生き返らせてほしいと言ったな」

シオンは無言で頷いた。

「カイルを生き返らせる事は出来ねえが……特別に会わせてやってもいいぜ」

……どういう事なんだろう。
何故、死んでしまったカイルに会えるんだろう。

「言ったろ?ここは戦死者の広間だ。カイルは戦死者じゃないが、特別に俺が迎え入れた」

戦死者がいる広間だけど、カイルは特別……。

「薄々勘付いてるだろうが、カイルはシリウスに処刑された」

シオンは大きく息を飲んだ。
心臓を撃ち抜かれたような痛みに襲われて、思わずよろける。
オーディンの両肩に留まった二羽のカラスが、何か囁くように彼の耳元で鳴いた。

「けど、お前のせいじゃねーよ。カイルは死にたかったんだ」

「……何故?なぜカイルは死にたかったの?」

オーディンは唇を引き結んでシオンを見つめた。

「人の心は複雑だ。ひとつの想いだけが独立している訳じゃない。様々な想いが絡まりながら胸に渦巻き、本人の思考となる。俺がカイルの胸の内を忠実にお前に伝えることなんか出来ねんだよ。ただ確実に言える事は」

オーディンは一旦そこで言葉を切ると、ゆっくりとした柔らかい声で続けた。

「カイルは、後悔してない」

カイルは後悔してない……?

「殺されたのに?!分からない、分からない」

シオンは声を震わせてオーディンを見上げた。

「なら、会えよ」

カイル…………。
シオンは震える両手を握りしめながら、大きな扉の奥へと視線を向けた。

「この中に……カイルは居るんですか?」

オーディンは頷いた。

「ああ。仲間とな」

……仲間……?
シオンは、ケシアの都でカイルと過ごした日々を思い返した。
部下こそいたものの、カイルに仲間とか友人といった類いの人間はいなかった。
仕事以外で人と交わらず、いつも独りだった。

「仲間……」

シオンが呟くように言うと、オーディンは扉の隙間を少しだけ振り返って見た。

「カイルはヴァルキューレに言ったそうだ。『今が一番幸せだ』とな」

……今が一番幸せ……。
シオンの脳裏に浮かぶカイルは物憂げで、いつも寂しげだった。
時折視線に気づいて彼を見ると、青い瞳を切な気に揺らしていて……。

シオンは思った。
見たい。幸せそうなカイルを見たい。
シオンはゆっくりとオーディンに近づくと、扉の前に立った。

「少しだけ……彼を見てもいいですか?」

オーディンは無言で頷いた。
重厚で荘厳な扉がゆっくりと止まり、シオンはその隙間から中を覗いた。

『戦死者の広間』などと聞いたから、暗くてジメジメとした空間なのかと思いきや、そこは柔らかくて優しい光に満ち溢れていて、とても美しかった。

中には沢山の人がいたが、誰も広間を覗くシオンに気付かない。
大きくて長いテーブルには様々な鎧姿の青年が席についていて、食事の最中であった。

そんな兵士達に食事の世話をしているのは戦士のようないでたちの女性で、シオンは僅かに驚いた。

「あの乙女達がヴァルキューレだ。戦死者を此処へ連れてきたり、食事の世話をする」

……ヴァルキューレ……。
その時、大勢の青年の中に見知った髪色を見つけ、シオンはドキッとした。

夜空に光る月のような銀の髪。
それは正しくカイルであった。

カイルは隣の青年に何か言うと、大きく口を開けて笑い、肘でコツンと彼をつついた。
すると今度は反対側の青年がカイルの首に腕を回して引き寄せ、その耳に何かを囁く。

彼が言い終わるや否や、カイルは天井を仰いで弾けるように笑った。
ひとしきり笑うとグラスを手に取り、それをグイッと美味しそうに飲み干した。
その顔は今までに見たこともない程、幸せに満ち溢れていた。

「声をかけないのか?」

オーディンの問いにシオンは頷いた。

「今わかりました。自分の物差しで人の心を測るなと言ったあなたの言葉の意味が」

シオンは続けた。

「カイルが幸せなら、それでいいです」

さよなら、カイル。
あなたと私は、あまりいい出会いじゃなかったかも知れない。
でも、今は本当に思うの。
カイルに会えて良かった。

察したように、扉が閉まり始めた。
シオンはカイルを見つめ続けた。
この扉が閉じてしまうまで、見ていよう。
幸せそうなカイルを、この眼に焼き付けておきたい。

その時である。

何かが眼の端でキラリと光ったように思い、カイルは顔をあげた。
胸が浮くような、懐かしい香りを嗅ぐような、心地よい感覚。
その輝きを知りたくて、カイルは意識を集中させた。

あ……あれは……。
カイルがシオンを見つけた。
海のような青い瞳が真っ直ぐにシオンを捉える。
視線が絡み、シオンの心臓がドクンと跳ねた。

カイル……!
シオンは夢中でカイルを見つめた。
扉はゆっくりと隙間を縮める。
カイル、カイル。

その時、フワリとカイルが笑った。
紛れもなくシオンだけに向けたその微笑みは、確かに幸せだと告げていた。

さよなら、シオン。
さよなら、カイル。
扉は閉ざされた。
シオンは大きく息をついた。
胸が熱かった。
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