シオンズアイズ

友崎沙咲

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第七章

愛の代償

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翌朝。

マーカスの部屋で眠り込んでしまったシオンは、目が覚めて焦った。

「な、な、なんでっ!?」

何故かマーカスの部屋にファルがいて、気難しい表情でこちらを覗き込んでいたのだ。
慌てて部屋中を見回すも、マーカスの姿はない。

……いつ帰るのかしら、マーカスは……。
寝台に寝そべる自分の顔を、不満げな表情で見つめているファルの存在が気まずい。

「……香と寝ると聞いたが。
……なぜマーカスの部屋で寝てるんだ」

実をいうとファルはマーカスから説明されていたが、焦ったシオンを見ているうちに困らせたくなった。
整ったファルの顔が間近に迫り、シオンはドキドキと胸が鳴ったが、昨夜のマーカスの言葉が甦り、口を引き結んだ。


『アイツはお前を大切にしたいんだ。
神に捧げようなどという気は毛頭ない。お前が男と肌を合わせた事がないのは周知の事実だし、好きな女の初めてが野営の天幕の中だというのも良くないとアイツは思ってるんだ。この戦いに決着をつけ、きちんとお前と向き合いたいんだろう。だが、アイツはそんな事を上手く語れるタイプじゃない。ハッキリ言って言葉足らずだ。察してやれ』


マーカスの言葉は、シオンの心を柔らかくすくいあげた。
そんなマーカスに背中を擦られていると、シオンは次第に落ち着き安心したのだった。

……で、寝ちゃったんだけど。
いや、そんなこと言うと誤解を招く気がするし……どうしよう。

「理由を説明しろ」

……!
偉そうな口調に、シオンは思わずムッとした。
なによ、いつもいつも上から目線で。
そりゃ、あなたはかっこいいし王子さまだけど。

「ファルなんか、嫌い」
「っ……?!」

シオンは起き上がると、ツンと横を向いた。
……幼いと笑われてもいい。
だけど今だけ、ほんのひとときだけ、ファルを困らせたい。

「おい、俺を見ろ」
「…………」
「…………」

二人は違うのだ。
何も言わなくても分かって欲しいと思う男。
自分への愛を、態度と言葉に表して欲しいと願う女。
暫しの膠着状態の後、ファルの溜め息が聞こえた。

「シオン」

柔らかく、優しい声。
ああ。ほんとに私はダメな女だ。

こんなにも優しい声で名を呼んでくれるだけで、本当は分かるのに。
彼の愛が、分かるのに。

「シオン」

ファルが再びシオンの名を呼んだ。
逞しい腕がシオンの身体にまわる。

「この戦いに決着が着くまで待っていてくれないか」
「……うん……」

ファルが身を起こし、大きな両手でシオンの顔を優しく包んだ。
黄金の瞳が優しくて、シオンは夢中でファルを見つめた。

「ファル」
「ん?」

シオンはファルに身を寄せて囁くように言った。

「死なないでね。絶対死なないでね」

ファルは、シオンに口付けてからフッと笑った。

「生きて戻ると約束する」


◇◇◇◇

数日後、ファル達はガイザ帝国を抜けてロー帝国へと入った。
到着するや否やマーカスは、アーテス帝国とロー帝国の国境付近の地図を見ながら、ファルに戦法の変更を提案した。

「さっきチラリと見たが、ロー帝国の長槍隊は数が多い。急遽、うちの軽装歩兵との混成部隊を作りたい。それと弓矢専門の軽騎兵もいたな。それと共にロー軍の騎兵隊の数を確認したい。
各隊長を集め、最高司令官は俺に決めろ」

ファルは、頷きながらマーカスの話を聞いていたが、最後は天を仰いで吹き出した。

「最高司令官は俺に決めろ、か!」

マーカスは、我に返って決まり悪そうに咳払いをした。
マーカスは夢中なのだ。
戦術を考えるのはなにより面白く、オモチャを目の前にした子供のように顔が輝く。

ゲラゲラと笑うファルを黙らせようとマーカスは口を開く。

「敵軍は約十万。ダクダ軍と我が軍は友軍を含め約八万。戦法の間違いは許されない」

アーテス帝国に残した兵、いわゆる残留兵は約一万五千である。
自国の出陣兵とニア帝国、ロー帝国の軍を合わせても、敵軍との差は約二万である。

その上アーテス帝国の兵士は弛みない訓練を積み、日々その武力は向上しているに違いない。
戦法の間違いは許されない。

「まず、隊を一軍、二軍、三軍に分ける。
騎兵隊を右翼、左翼の先頭に配置させる。数はロー帝国の騎兵隊を見てから決める。
アーテス軍の動き方次第では、一軍から三軍共、片翼ずつ進撃させる戦法を取りたい」

ファルは、マーカスを見つめて白い歯を見せた。

「お前ほど有能な戦術家はこの世にいない。
分かった、ロー帝国の軍隊長には俺が話す」

マーカスの榛色の瞳がキラリと光った。

「シリウスは必ず、国境沿いのサーガル川両岸を突破させまいと、火矢を撃ち込んでくるぞ。まずそこを死ぬ気で突破する」

ファルがしっかりと頷いた。

「兵達に休息を与える。それから各隊長を招集して最終的な戦法会議を行う」

戦いの時は刻一刻と迫っていた。

◇◇◇◇

「なに!ジロジロ見ないでよ!」

香はイライラしてアルゴを睨んだ。
もうかれこれ十分以上アルゴは香のそばを離れず、かといって言葉も発しないまま、彼女を見つめていたのだ。

「不気味!」

そんな香を、アルゴはたまらず背後から抱き締めた。

「……っ!……アルゴ、殺されたいの?」

アルゴは190センチを越える長身で、体重も百キロを越えている。
こんなにも強く抱き締められると、どうにも出来ない。

「アルゴ、苦しい……」
「お前は、シリウスと戦うのか?それでいいのか?」

僅かに香が息を飲む。

「私は『守護する者』として、シオンを守るだけ。
それに愛し合ってたのは前世であって、現世じゃない。
……ただ……会いたいの。今のあの人に。それで」

香は言葉を飲み込んだ。
ただ、確かめたい。
あの日、突然の死が二人を別ち、離れ離れになって以来会っていなかった。


『君、名前は?俺は剣清(けんせい)』
『静麗(ジンリー)、愛してる』
『静麗、俺の傍に一生いろよ』


今頃遅いのに。
アルゴの声がかすれた。

「俺はお前に惚れた。香、俺じゃダメか?」
「……なんで今言うのよ」

その問いに、アルゴは静かに答えた。

「戦線はいつだって絶望的だから。死ぬ前に言っとかなきゃ後悔する」

香はアルゴの温かい身体を心地よく思いながら、言葉を返した。

「……この戦いを生き抜いたら、考えてあげてもいいわ」
「ほんとか?!」

アルゴは香を離して正面から見つめると、ニヤッと笑った。

「なんとしても戦い抜き、生きて帰るぜ」

香はアルゴの大きくて逞しい身体を見て苦笑した。
凄く男っぽいのに、可愛くて憎めない。
香は小さく息をつくと、アルゴの胸に頬を寄せた。

「うん、あなたの武運を祈ってる、心から」



◇◇◇◇


決戦の日が来た。
ロー帝国とアーテス帝国の国境に流れるサーガル川にリーリアス帝国とロー帝国の軍が集結した。

「皆、これより攻撃を開始する!各部隊長の指示を必ず守れ!我ら黄金族人間の物に手を出してただですむと思うなと、白金族人間に思い知らせてやるぞ」

ファルの力強い声が兵達の士気を高め、地響きがするほどの雄叫びが空気をも震わせた。
各隊長の笛が鳴り響き、怒号が辺りを支配する。

ジュードの報告によると、明け方、ダグダ軍がニア軍を率いて西側から攻撃を開始したらしい。
決戦の火蓋は、切って落とされたのだ。

「いよいよね」

天幕の中で待機しているシオンに、香が声をかけた。

「うん……」

香は確信していた。
シリウスは、きっとこちら側にいる。
何故ならシオンの存在があるからだ。

「……シリウスに会いたいの?」

予想していなかったシオンの言葉に、香は身を震わせて立ち竦んだ。

「何故、それを……」

シオンはその問いに答えず、眉を寄せた。

「前世で恋人だったんでしょ?」

……マーカスだ。
おそらくアルゴから聞き出し、シオンの良心につけこんで、せめて戦いが終わるまでは黄金族人間の元に留まらせようと考えたのだ。

香は、マーカスの冷静な眼差しと形のよい彫刻のような唇を思い浮かべた。
あの悪党。

「香、どうする?会いたいんでしょ?」

香は頷いた。
正直、会いたかった。
前世で深く愛し合っていたから。

けれどこの衝動を止めがたいのは、剣清(けんせい)が白金族人間の王として君臨する、非道なシリウスとなっていたからだ。
そして輪をかけたのは、異世界へ飛ばされた先での再会である。

二人の縁(えにし)の強さを物語っているようで、どうしても香は会って言葉を交わしたいという衝動を抑えられなかったのだ。

シリウスとして生まれ変わる前……剣清は情け深く優しい男であった。
それが、手のひらを返したような真逆の人間に生まれ変わるなんて。

信じられない、確かめたい。
途端に、香の胸に針で刺したような痛みが生まれる。
シオンに対して、ファルへの恋心と自分への友情を逆手に取ったマーカスの狡猾さに、一筋の感謝を感じたからだ。

「香、大丈夫?」

……けれど。
私は守護する者だ。

『七色の瞳の乙女』を守るために存在するのだ。

香はアイーダに異世界へといざなわれた時に、長くシオンから離れていなければならなかったことを悔やんでいた。
もう傍を離れてシオンを危険にさらすことは出来ない。

「会ってきなよ。香なら会いに行けるでしょ?」

香は『守護する者』だ。
魔性にも立ち向かうし、武術にも長けている。
必死で戦いながら『七色の瞳の乙女』を守ってきた彼女は、いわば戦士だ。

「行ってきなよ、香。私なら大丈夫だから」

初めて見る、香の戸惑いに揺れる瞳。
シオンは柔らかく笑った。
何もかも犠牲にしてきた香。

私は前世を覚えていないけど、香には記憶がある。
もしかしたら、シリウスの前世と香が別れなきゃならなかったのは、私のせいかも知れない。

香は何も言わない、いつも。
現にシリウスが前世で恋人だったことも教えてはくれなかった。

『シリウスは前世で香と恋人同士だったそうだ。
お前を助けにいった時、それに気づいたらしい。
アイツは泣いていたそうだ。アルゴがまだ愛してるのかと問うと、こう言ったらしい。
……分からない。でも、彼を見た瞬間、涙が溢れたと。
香の心の中では、シリウスの前世との事に決着がついてないんだろう。魔性に無理矢理連れてこられた先で、好きだった男の生まれ変わりと巡り会ったんだ。このままにしておくのは酷なんじゃないのか?』

マーカスの言葉を思い返しながら、シオンは香を真っ直ぐ見つめた。

「香。私はもう守られなくても平気だから。親友の香が、香らしく生きてくれるのが一番大切。
私ね、シリウスに捕らえられている間に多分少し変わったんだと思うの。どう変わったのかは上手く説明できないけど。
もう私に『守護する者』は必要ないわ」

シオンがそう言ったその時である。
突然シオンの身体から放たれた七色の光線が天幕内を明るく照らし、香を包み込んだ。

「ああああっ!!」

身体を貫かれるような鋭く激しい痛みが香を襲い、彼女は弓形になり悲鳴をあげた。
な、なに!?
シオンは目を見開いた。

「香っ?!香っ?!」

香は地に膝をついて大きく息を吸い込むと、震える両手を見つめた。
切れた!
経験はないけれど、香には理解できた。
身体がそう言っているのだ。
『守護する者としての役目が終わった』と。

一方、シオンもまた理解した。
第六感がそう告げた。
『守護する者を、自由にした』と。

シオンは自分の身体から放たれる光に怯えながらも、香の元に駆け寄りひざまづいてその手を取った。

「行って、香!香の人生だもの、後悔して欲しくない」

香は泣き笑いの表情でシオンを見つめた。

「……うん」

それからギュッとシオンを抱き締める。

「ありがとう……私、行くね。前世から引きずってた思いに決着をつけてくる」
「無事を祈ってる」

互いの顔をこんなに見つめ合ったことはない。
やがて香は立ち上がった。

「行くわ!」
「……うん!」

シオンの身体から放たれていた光は徐々に勢いを失い、次第に薄く消えていった。
身を翻して天幕から飛び出した香の背中を見つめながら、シオンは思った。

今度は私の番だ。
私に出来ることをしなきゃ。

相変わらず辺りには怒号が響き渡り、川の中が掻き回されるような音や、何かが落下するような音が繰り返し耳に届く。

焦げ臭い空気に兵士の叫び声。
みんな、無事だろうか。
いや、皆が無事なわけがない。

たとえ、ファルやアルゴ、マーカスやジュードが無事でも、名も無き戦士が地に膝をつき、その命を散らしているのだ。
黄金族人間も、白金族人間も。
香の言葉が胸を突く。

『殺し合いなんてやめて、なんて言うんじゃないわよ?
……突然平和な国からやってきて、この世界の事をなんにも知らないクセに、無責任に自分の理想を押し付けるものじゃないわ』

香の言ったことは正しい。
無責任な言葉だけを吐くのは、無礼だ。
なら。
ファル。ファル。
目を閉じると、ファルの精悍な姿が脳裏に浮かぶ。
愛してる。愛してる。

よく考えると、彼は帝国の王子で、庶民の私とは身分違いの恋だよね。
短い時間だったけど、幸せだった。
シオンはクッと顔をあげた。
その時である。

勢いよく天幕の入り口が跳ね上がり、鎧姿の兵がひとり、入り口からこちらを覗き込んだ。

戦いが激しさを増していたため、かなり騒がしく、入口の方向を見ていなかったら気付かなかっただろう。
味方の鎧に身を包んだ兵が口を開いた。

「七色の瞳の乙女か?!」

嫌な予感しかしなかった。
何故……聞くの?
ファルの軍の鎧を着ていて、何故そう聞くの……!?

その理由はひとつしかない。
シオンは息をのみながらジリジリと後ずさった。
その様子を見て、兵士は片方の口角を引き上げてニヤリと笑った。

「……骨が折れるぜ……ここまで来るのによぉ。まあ、この鎧のお陰でなんとか辿り着いたがな」

兵士は続けた。

「……何も獲って食おうなんて思っちゃいねーぜ。シリウス様からの贈り物を届けに来ただけだ」

言うなり、担いでいた麻袋をドサッと投げ、兵士はシオンを意味ありげに見つめると、その瞳を苛虐的に光らせた。

「ゆっくり拝みな!裏切りの代償……ああ、『愛の代償』と言うべきかもな。あばよ!」

兵士は身を翻し、戦いの混乱に乗じて姿を消した。 
シオンは早鐘のような鼓動に目眩を覚えた。

『裏切りの代償』
『愛の代償』

地に転がる人型の麻袋を見て、全身が震えた。
涙が止めどなく頬を伝う。
シオンはゆっくりと跪いた。

嗚咽を漏らしながら麻袋に右手を伸ばす。
ガタガタと震える指先で麻袋の紐を掴み、ゆっくりとその片方を引いた。

固い結び目は外れず、シオンは歯を食い縛ったが、激烈な恐怖と不安に歯の根が合わず、ガチガチと耳元で音が鳴る。

……見ないわけにはいかない……!
シオンは全身の力を奮い起たせて麻袋を開いた。

「……っ!!」

月の光を思わせる銀色の髪。
海のような青い瞳。

「きゃあああー!!!」

やだ、やだ、やだ、やだ!!!

「きゃあああー!!!」

なんで、どうして、どうして!!!
それは、変わり果てたカイルであった。
どうして、どうしてこんな……!!
シオンはカイルの上に突っ伏すと、その顔を両手で包んだ。

「カイル、カイル!!」

カイルが返事をすることはなかった。
冷たい美貌は生気を失い、凍り漬けの人形のようである。
顔に傷は一切なかった。

「カイルー!!」

シオンはこれ以上は不可能だという程に泣き、そして叫んだ。

戦いは相変わらず激しく、誰の耳にもシオンの悲嘆にくれる叫びは届かなかった。
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