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4漲望編

4漲望編-2

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「な、なによぉ?」

 さすがの死神も、きょかれたように目をまたたかせた。

「これは土下寝どげね……いや、五体投地ごたいとうちといって俺の世界で最上級の礼拝、いな、謝罪の姿勢です! 申し訳ありませんでした、神様っ! 失言、いえ、暴言ご容赦ください!」
「お前、何がわたしぃを怒らせたか分かってるのねぇ?」
「もちろんです! 貴女が愛の神だなんて納得できないなどと口にして、本当に、本当に申し訳ありませんでした! ごめんなさい。もう言いません。思いもしません。貴女は最高の愛の神です! スタイルだって凹凸に欠けてなんかいません! 小柄なのでそう見えるだけで、実際は結構メリハリあると思います。も、もちろん余所の女神なんかと比較すべきではありませんが!」
「そ、そうよぉ。他のことは許せてもぉ、それだけは許せない侮辱ぶじょくだったのよぉ」

 ロゥリィは握り拳&涙目でうなった。

「はい。おっしゃる通り俺は最低の野郎です。しかし、しかし、しかし、間違いを犯すのが人間。どうぞ命だけはご勘弁を。やり直しの機会をお与えください。どんな罰も受けますから、助けてっ、神様、仏様、女神様っ!」
「ふーん」

 ロゥリィは鼻を鳴らすと、伏せる石原に悠然たる態度で歩み寄る。そして男を見下ろした。

「ちゃんと分かってる上での謝罪みたいだからぁ、勘弁してあげてもいいわよぉ」
「か、勘弁していただけるので?」
「ただしぃ、一発、ぶん殴らせなさぁい。そうしたらおあいこってことにしてあげるぅ」
「お、おあいこですか?」
「そうよぉ。言葉の暴力ってぇ、時として刃物よりも相手の心を深く傷付けるんですからねぇ」

 ねたような声を出しつつ、ロゥリィはハルバートを伏せた。
 石原もロゥリィの裁定に納得したのか、神の鉄槌を受け止めるべく、土下寝姿から身体を起こし、背筋を伸ばして正座へと変えた。

「い、いつでもどうぞ」

 すると黒い少女は右手を振り上げた。
 子供のような小さな手だ。きっと平手で来るんだろうなと思った石原は、歯を食いしばって目を閉じ、身体に力を込めた。
 しかしそれは甘かった。直後に来たのは、小さな子供の平手打ちなんかではなく、鉄拳から繰り出される暴力的な衝撃だったのだ。
 頬はひしゃげ、顎の骨あたりから何かが砕ける音がした。
 あえて擬音で表現すると、グチャ、メキョ、ガキッ、ゴキッ、ボキリ、メリメリ、ミシミシ、プチプチッといった感じだろうか。
 奥歯は数本吹っ飛び、それでも衝撃を吸収しきれず、首がねじれ、骨が悲鳴を上げる。筋肉と骨とを繋ぐ腱繊維は千切れていった。
 更に運動エネルギーを全身で受け止めた彼の身体は、力のモーメントを表現する捻れ運動を伴いつつ宙に舞った。
 石原は思った。

(あ、ヤバい。俺死ぬ。マジ死ぬかも、あ、死んだ)

 そしてそのまま飛翔、船のへりを越えて海に落ちていった。

「い、イシハラ!」

 黎は思わず舷側げんそくに駆け寄って石原の行方を確認した。すると水柱が上がった後の波間に、すうっと男の身体が浮かんできた。

「イシハラ!」

 黎の背後で、パンパンと手をはたく音がする。
 その音に、黎はびくっと怯えて振り返った。
 死神ロゥリィは、黒いフリルたっぷりの衣装を叩いて付着したちりほこりを払っていた。そして黎のことを一瞥いちべつする。
 冷たい、感情のない瞳だった。殺されると思った。確信した。逃げなければならないと分かっているのに、凍り付いたように身動みじろぎ一つ出来ないでいた。
 だが、何も起きない。
 愛の神を自称した少女は、もう関心を失ったかのごとくハルバートを抱え直すと隣の船に飛び移り、また更に向こうの船へと跳んでいったのである。

「えっ……」

 ようやく黎は気付いた。
 あの亜神は自分なんぞまったく相手にしていなかったのだ。先ほどの瞳の冷たさは、殺す必要すら感じてない路傍ろぼうの石ころを見る目であった。
 ならばなぜ、黎の部下達は殺されたのか。

「くっ……何てことだ。何てことだ……」

 彼らが殺されたのは、武器を手に挑んでいったからに他ならない。
 あの悪魔が殺しに来たのは、この世界に無用な知識をばら撒く学者や技術者であり、黎達ではなかった。石原が言うように、何もしなければ彼らが殺されることはなかったのだ。

「ぶくぶくぶく……」

 そうこうしているうちに背後から異音が聞こえてくる。
 振り返ると、石原の身体が海面下に沈んでいこうとしていた。
 黎としてもさすがに無視は出来ず、海に飛び込んで引き上げてやることにしたのである。


 黎は、ボロボロになった石原の身体を甲板に上げた。
 半分ほど海面に沈んだ船の甲板は、なだらかな斜面になっていたので、おぼれた人間を拾い上げるのには非常に具合がよく、黎一人の力でも十分だった。
 そうして傾いた甲板に石原を転がし終えると、黎は再びアジト船の船倉へと向かう。
 破壊された甲板開口部から慎重に梯子段を下りていった。

「陳上尉……」

 横たわる無数の死体の中から、敬愛する上官を見つけると揺すり起こした。
 すると陳も薄れ行く意識の中で黎に気付いたのか、最後の気力を振り絞った声を上げた。

「れ、黎か……」
「陳上尉、しっかりしてください。二人で国に帰りましょう」
「いや、すまんが、俺はここまでのようだ……」
「そんなこと言わずに。しっかりしてください。傷も浅いです」
「気休めを言うな……自分のことくらい分かっている」
「陳上尉にかれてしまったら、私はどうしたらいいんですか?」

 黎は言いながら、陳の手を自分の下腹部に当てさせた。

「……まさか。本当か?」

 黎のその部分には新たな命が宿っている。その意味を悟った陳は瞑目めいもくした。

「本当です」

 すると陳は笑いながら、黎の胸に掌を押し当てた。

「お前には任務がある。人民解放軍の軍人として……最後まで任務を……果た……すんだ」
「貴方は酷い男だ」
「言われずとも……分かってる。そういう言い方しか……出来ないんだ」
「くっ……了解しました」

 事切れた上官のむくろを、黎はその場に横たわらせた。
 そして最期の敬礼を送ると、アジト船内部に火を放つ。
 仲間の骸や活動の証拠をそのまま残して誰かの手に委ねてしまうことだけは出来なかったからである。


 アジト船が燃え上がると、前後左右の船が鎖を切り離した。それまでかろうじて浮かんでいた船は再び沈んでいった。
 黎は石原とともにアジト船が波間に没するのを最後まで見送った。そして全てが沈んでしまうと口を開いた。

「イシハラ、我々は撤収するぞ。中央もここまで被害を受けてしまったら、任務の継続は困難だと判断するはずだ。出直すしかない」

 陳は任務を続けろと言った。とはいえ冷静に考えれば、工作活動を黎一人で続けるのは無理だということは誰にだって分かる。彼女は専門教育も受けていないただの軍人なのだから。ならば陳の言い残した任務とは後始末をしてここを去ること。事の次第を上級指揮官に報告して任務は完了するだろう。

「……う、うう、おりゃもうる」

 だが石原は何かを話そうとして顔を引きつらせた。
 頬や顎が痛いのだろう。声は辛うじて出せても言葉になっていない。

「仕方ないだろう? 私一人でどうしろと言うんだ。武器もない。人手もない。ないない尽くしで達成できるような任務ではないんだぞ」

 すると石原は顎の痛みを堪えて必死に言葉をつむいだ。

「らから、おりゃも……いる」

 黎は石原が「だから、俺もいる」と言っているのだと気付いた。

「お前がいたところで焼け石に水だ。一人が二人になったって大差はないぞ」
「れ、黎……俺のしらは……まだ、あるか?」
「は? しら? もしかして舌のことを言ってるのか?」

 こうして会話できているのだから舌はあるに決まっている。黎は、何を言ってるんだこの男は、というような目で石原を見た。

「し……舌は、ある、か?」
「もちろんまだ付いてる。でなきゃ喋れるか、馬鹿」
「ならら……らいじょうぶだ。俺にはしらが……ありさえすれば……十分だ」

 石原は言い切る。

「何を馬鹿なことを……」

 黎には石原を信じることが出来なかった。それどころか、こんなボロボロな姿になってしまって今更何が出来るのかとなじりたい気持ちのほうが強かったのである。


    *    *


 日本の地方自治における行政区画は都道府県である。
 いや、「あった」と過去形で言うべきか。特地のアルヌスとその周辺を帝国から割譲かつじょうされてアルヌス州が出来た、つまり州が加わったためだ。
 選挙が行われて州知事が決まり、州庁舎も作られた。更に、日本全国の自治体から人材支援を受け、アルヌス州は地方自治体として曲がりなりにも機能し始めていた。
 今や州内には様々な機関、施設が作られている。
 道路、水道、下水道、ゴミ焼却施設。
 警察、消防署なども作られた。
 民間企業も資本を投じ、銀行や郵便局、電力やガスのインフラ設備も整備されつつある。
 しかし先住民の文化や生活スタイルを破壊しない配慮を求める条約が定められた結果、便利だからという理由であれもこれも作ることは出来なかった。
 その最たるものが、学校かもしれない。
 特地ではどんな内容をどのようにして教育するか。これまであった知識を体系化しつつ、教育制度のすり合わせ作業から進めなければならないのだ。
 一方、整備に誰も文句を言わなかったのが医療施設だ。そのためアルヌス州立病院は何よりも優先して建設された。
 この日、その州立病院の玄関前に、テレビや新聞社の取材陣が詰めかけていた。
『海賊集団アトランティア』によって中毒性薬物の依存者とされてしまった少年少女――パウビーノ達を乗せた担架がおびただしい列をなして運び込まれていたのだ。

「一体何があったのです?」
「君達のお父さん、お母さんはこのことをご存じですか⁉」
「通してください、道を塞がないでください!」

 カメラの砲列と、突きつけられるマイクに対し、少年少女達はもとより病院のスタッフも始終無言を貫き通している。当事者達は答えられる状態になく、守秘義務を課されているスタッフは答える意志がなかったからである。
 そのため記者の幾人かは患者やその家族のふりをして病院内部にまで潜り込んで、少年少女達の姿を直接カメラに収めようとした。某年二月、ニュージーランドで起きた地震の際にも、日本のマスコミは同様のことをやらかして批判を浴びたのだが、どうにも無反省であったらしい。
 だがそうした者はたちまち病院職員に見つかり、制服を着たワーウルフの警備員につまみ出されていった。
 その際に記者の発した「報道の自由を尊重しろ! 俺はこの事件の悲惨さを皆に周知するために働いてるんだぞ! 俺は国民の代表なんだからもっと敬え。もっと特別扱いしろ!」という罵倒は、周囲にいる誰からも共感を得ることなく、ただひたすら軽蔑の視線を集めることになったのである。


 特地のアルヌス州と日本は『ゲート』のみを通して繋がっている。
『門』は常時開いている訳ではなく、開閉も不定期だ。そのためこのニュース映像が日本全国に報じられるまでには、相応の時間を必要とした。

『……こうして多量の薬物摂取をいられた少年少女達五百五十四名が保護された訳ですが、アルヌス州立病院にはそのうちのわずか百四十人が収容されたに過ぎません。比較的症状の軽い子供達はティナエ島に残されており、逆に症状の重い者については『門』が開き次第、都内の大学病院に運ばれることになるそうです。しかし事件についてはまだ詳細が発表されていません。このような痛ましい事件は何故起きたのでしょうか? 多くの子供達を平然と犠牲にすることをいとわない海賊は、何故発生したのでしょうか? 多くの子供達が命を奪われなければならなかったのは、一体何故でしょうか? これらに答える責任が、日本政府にはあるはずです!』

 病院の画像を背景に、「何故」を繰り返すアナウンサーの言葉を聞いた海上自衛隊一等海佐江田島五郎えだじまごろうは、銀座のビアバーにあるカウンターに片肘を突いて呟いた。

「『坊やだからさ』……と、だったら言ってしまったりするんですかねえ?」

 事の真相を知る江田島としては、「何故」を乱発されるとつい混ぜっ返したくなってしまうのだ。
 何しろこの映像が撮られたのは五日も前だ。その証拠というか映像には、江田島や徳島とくしまの姿も映っている。
 現在の技術では、アルヌスで起きたことを即座に銀座に伝えることは出来ない。そして『門』が開いたのは昨日だった。だからこの事件の初報も昨日だったのだが、今朝、今夕、そして今夜にわたってまで引き続き報じられていた。
 この繰り返しにはさすがに他意を感じざるを得ない。
 江田島の独り言に近い言葉に応えたのは、同じく海上自衛隊二等海曹の徳島はじめだった。

「さすがにそれはないと思いますよ。伊丹いたみさんって、わりかし空気読みますから、不謹慎のそしりを受けるようなことは避けて通ります」

 徳島は江田島が名指しすることを避けた人物の名をはっきりと口にした。
 徳島と江田島は仕事上の相棒だが、二人にとって伊丹とは「彼」の一言で通じてしまう存在なのである。
 ちなみに江田島は徳島の上司だ。
 江田島が考え、命令し、責任を負う。そして徳島が実行する。
 極稀ごくまれにこの役割分担が逆になることもあるが、二人はそんな関係で特地とこちら側を行き来しつつ任務を遂行してきたのである。
 そして今回の仕事も上手くいった。
「特地に条約違反の技術や知識を移転している者達を探る」という本来の任務の手がかりを獲得した上で、薬物漬けにされた少年達を助け出すことにも成功したのだ。
 更には、アトランティアによるアヴィオン海諸国の征服も未然に防いだ。
 アトランティア軍を壊滅させたとか、完全にその意図をくじいたとかまではいかず、たかだか数ヶ月の時間を稼いだに過ぎないが、少なくともここから先のことを地元の政府の自助努力に期待できるレベルまでには持ち込めた。
 これらのことは、もちろん二人だけで成し得たことではない。
 海上自衛隊のミサイル艇『うみたか』と『はやぶさ』。特地の風帆ふうはん軍艦オデットⅡ号の艦長であるシュラ・ノ・アーチや船守ふなもりのオデット・ゼ・ネヴュラ、そして乗組員達の献身がなければ何も出来なかった。
 味方してくれたアヴィオン海海賊七頭目の一人ドラケ・ド・モヒートやその仲間達のことも忘れてはならないだろう。
 彼らの命をした協力があったからこそ、やり遂げることが出来たのだ。
 とはいっても、やはりその中心にいた江田島と徳島には仕事の成功を祝う資格がある。

「では、任務の成功を祝して乾杯しましょう」
「かんぱーい」

 二人がジョッキを鳴らした時、報道番組は別の話題に切り替わった。
 それは帝国の皇帝ピニャ・コ・ラーダが、国賓こくひんとして来日しているというものだ。
 その映像でピニャは『門』の銀座側に姿を現すと、赤絨毯の上で高垣たかがき総理大臣と握手、栄誉礼を受け、柿崎かきざき外務大臣の案内でリムジンに乗り込み迎賓館へと入っていった。
 日中は総理との会談をこなし、記者会見を行ったという。
 日も暮れた今頃は、皇居で天皇陛下主催の晩餐会に出席しているはずだ。

「ああ、分かった。だからさっきのニュースを流したんだ」

 突然、徳島が声を上げた。

「きっとそういうことでしょうね。帝国からピニャ陛下が来日されていて、今日は記者会見がありました。だからテレビ局は特地で起きた陰惨いんさんな事件の話題を続けたのです。テレビのニュースは、どのように切り取られて報じられるかも問題ですが、話題として取り上げられることそのものにも制作者の意図が含まれています。このニュース番組の制作者は、二つの出来事を続けて報じることで、帝国に対する悪印象を人々に植え付けたいんでしょう」
「そんなことをして何の意味があるんでしょうか?」
「日本と特地側世界の関係を悪くすることでしょうね。そのことに意味があると思っている人物が放送局内にいるということです」
「最近、あちら側との関係も密接になってきたはずなんですけどねえ。実際、この銀座でも、特地の人々の姿を見かけるようになったでしょう?」

 現に二人が呑んでいるこのバーでも、特地の亜人がウェイトレスとして働いている。
 ヴォーリアバニーやキャットピープルの美しい姿を見るためだけに、遠くからわざわざ客が訪れるくらいだ。
 特地に踏み入るには、予防接種などいろいろと面倒臭い手続きが必要だが、この銀座ならばそうしたことは必要ない。そのためウェイトレスに特地の亜人種ばかりを集めた外国人観光客向けの店すら出来ている。

「はい、お二人さーん。お待たせ」

 長いケモ耳を持った女性がやってきて、二人の前に追加のビールジョッキを置く。
 彼女もまた特地からこちらに来て働くようになった亜人種だ。日本がアルヌス周辺を獲得したことでたまたま日本国籍を得ることになった彼女のような人間が、こちら側の世界で少しずつ活動範囲を広げているのである。
 そうしている間に、テレビ報道は本日の昼間に行われた記者会見の映像へと変わった。

「陛下。今回の事件についてのご感想は?」

 通訳が記者の言葉を翻訳してピニャに囁く。そしてピニャが特地語で答える。
 通訳は特地側の女性だ。服装から察するにピニャが創設した騎士団の一員だろう。
 女性ばかりからなる彼女の薔薇ばら騎士団は、日本のある種の文化に興味を強く示し、『門』を挟んで双方が接触した当初から言語の習得に力を入れてきた。そのため彼女達の日本語力は極めて高い。

「多くの子供達の痛ましい姿を見て胸が痛みます。我が世界の民を救ってくださったニホンの皆さんのご厚情にあつく感謝申し上げます」

 女性記者の一人が手を挙げた。

「帝国は特地にある国々に強い影響力を有する覇権国家です。今回の出来事も帝国の版図はんと内で起こったこと。帝国内では、最高権力者として陛下の責任を問う声も上がっているようですが?」

 通訳を介してのその問いに、ピニャが答える。

「余の責任を問う声とは一体誰のものなのか、よかったら教えてくれまいか?」
「それは……取材源は秘密なので明かすことは出来ません」
「残念なことだ。実は帝国では、皇帝ともなると権力がなかなかに凄くてな、身辺にはおべっかを使う者ばかりが増えてくる。だから余としては、余の責任を追及するような気概と勇気を持ち合わせている者を重用ちょうようしたいと思っておるのだ」
「そ、そうでしたか」
「今回の出来事は……確かに我が帝国にもある程度の責任はある。それは余の力が足りずに海賊の跳梁ちょうりょうを許していることに行き着く。余はそのことに関して強く責任を感じる……」
「責任を感じておられるなら、どのようにしてそれを取るおつもりですか?」
「ふむ。我が国の力をより高めるしかあるまい。強力な軍事力をもって海賊など平らげてしまえば、此度こたびのようなことは二度と起こるまい。そのためにもニホン政府並びに国民の皆にご協力をいたい」
「それがあなたの責任の取り方なのですか? 今回、多くの子供達が犠牲となった原因に、奴隷制度があるとは考えませんか?」
「奴隷制度? 我が国の社会体制の重要な部分だな。その何が問題なのだろう?」
「今回の事件の元は確かに海賊です。しかし奴隷制度のような旧弊きゅうへいが特地での人権軽視の風潮を作っているとも言えませんか? 再発防止のためにも、是非制度の見直しを図るべきです。それをしないで責任を取ったと言えるのでしょうか?」

 ピニャはいぶかしそうに翻訳がなされるのを待った。そして全てを聞き終えると、目を見張った。

「記者殿は余の考えを問いたいのか? それとも余を説き伏せたいのか? まさかとは思うが、余をダシに同調する者を求めているのではあるまいな? 記者殿がどのような心積もりでこの場にのぞんでいるかは知らぬが、余を相手にしていてはそなたを満足させることは難しいと思う。ギロンを求めているのなら、相手を選ぶことだ。プロパガンダなら時と場所と媒体を間違っておる」

 ピニャはそれだけ言い終えると、通訳が翻訳して記者に伝えるのを待つのももどかしそうに腰を上げた。記者会見はこれで終わりという意思表示だ。

「陛下!」

 記者達は更に質問を重ねようと手を挙げる。しかしピニャは軽く背後を振り返って彼らを一瞥しただけで、すぐに会見の席を退出してしまった。


「ところで統括、報告会はどうでしたか?」

 テレビのニュースが、わんにゃんもふもふ特集を流し始めると徳島は尋ねた。
 江田島は昨日、官邸に呼ばれて今回の任務についての直接報告を求められた。
 ピニャの来日と重なったため、官邸は非常に多忙だったはずだが、総理は江田島を呼び付けた。アトランティアとはどのような集団であるかの説明や、事件がどのように起きてどうなったのかを重要視しているのだ。
 事の性質上、政府としても慎重を期したいからだろう。
 もしアトランティアが国家としての要件を備えているならば、たとえ不法行為、海賊行為であってもそれは当事国同士で行っている軍事活動ということになる。
 そうなると日本政府は非常に面倒な事態に陥る。
 日本の領土領海領空が侵犯された訳でもなければ、国民の財産生命を脅かす武力攻撃を受けた訳でもないのだから、第三国たる日本の自衛隊が武力を行使することは許されないのである。
 特地における海賊対処法は、相手が海賊であると断言できる時に限って行使できるのである。
 今回の徳島や江田島の行動が、超法規活動であったという誹りを避けるためには、「アトランティアは、国家を自称していても実際には領土を持たない。つまり国際法が定める国家ではなく、ただの武装集団で海賊なのだ」と主張できる根拠が欲しいのだ。
 江田島はアトランティアとはどんなところであったか、どのような者達の集団であったのかを知り得る限り説明する必要があった。

「報告会。言い得て妙ですね。偉い人達がずらりと並んで私の報告と説明を聞き、今後の方針について話し合うのだから――確かに報告会です」

 江田島は笑って返した。

「で、俺達はどうするんですか?」
「現任務の続行、それが結論です」

 その時である。突然、江田島の隣に立った男性が声を掛けてきた。

「ちょっと失礼します。貴方がたは海上自衛隊の人ですか?」

 それはスーツ姿の地味な印象の男だった。
 少し言葉を交わしただけでは、面相の記憶が残らない。そんな風貌になるよう、あえて髪型、服装を地味にしているのかもしれない。そう思うくらいに個性の欠落した男だった。

「あなた、誰?」

 徳島は警戒心を高めた。
 今は徳島も江田島も私服を着ている。携行品も私物だ。その姿を見ただけで海上自衛官だと分かる要素は一つもない。なのにどうしてそうだと分かったのか。

「私はこういう者です」

 男は懐から名刺を取り出すと、江田島に差し出した。

「中華人民共和国から参りました。陳羽チェン・ユウと申します」

 名刺には在日本・中華人民共和国大使館付き武官と書かれていた。つまりは、人民解放軍の大校大佐だ。

「ほう、中国大使館の武官ですか」

 江田島も名刺を取り出そうとする。しかし陳は不要だと止めた。

「貴方は江田島一等海佐ですね?」
「おや、以前にお目にかかったことがありましたか?」
「いえ、初めてです」
「では、どうして江田島さんのことを?」

 徳島は尋ねた。

「彼は有名人だからです。私のような立場の者が彼を見かけたら、こんなところであっても、ついつい声を掛けたくなってしまいます。キルギスで出し抜かれた連中は、彼のことを未だに恨んでますよ」
「キルギス?」

 徳島は尋ねた。

「昔、派遣されていたことがありましてねえ。それで、陳さんは何のご用でしょうか?」

 江田島が尋ねると陳はその隣に腰を下ろした。

「大使が愚痴を零していました。首相官邸に呼び出されて、我が国の工作員が特地で条約に違反する非合法活動をしているという抗議を受けたと。そんな報告をしたのは、貴方ですね?」

 江田島は驚いた。
 我が政府にしては随分と素早い対応だと思ったのだ。江田島が特地の状況を報告したのは昨日なのに、官邸はもう大使を呼んだらしい。
 とはいえ江田島はこう応じた。

「どうして私が報告したと思うのですか?」

 陳は江田島の言葉を無視して続けた。

「大使はこうも言ってましたよ。我が国が条約違反をするなど決してあり得ないのに、手柄欲しさにそのような嘘を報告されて迷惑だ、と」
「それはつまり、政府からの抗議を受け入れてくださるつもりはないということですね?」
「ええ。そのような捏造ねつぞうされた証拠をネタに恫喝どうかつされても、我が政府がひるむはずないではありませんか」
「政府が正式に抗議したのであれば、しっかりとした客観的証拠を提示したはずなんですがねえ。それを捏造とおっしゃいますか?」
「ええ。あんなものはいくらでも捏造できます」
「ならば、お国の工作員を生きたまま捕まえてきましょうか、と売り言葉に買い言葉で応じたいところですが、たとえそうしたとしても否定なさるんでしょうね? ……お国の政府ならば、きっとそうするでしょう」
「そんな仮定は成立しません。そのような者は特地にはいないのですから。いない者が捕らえられることなどないのです」

 陳は江田島の顔を見据えて、「ない」を強調した。

「いないのですか?」
「ええ、もちろんです」

 しばらく江田島はそれを見返していた。何かを考えているらしく、やがて眉根を寄せた。

「陳大校、貴方は我が政府が突きつけた証拠書類をご覧になりましたか?」
「もちろんです」
「どう思われましたか?」
「よく出来てはいましたが、作りものですね」
「全てをご覧になりましたか?」
「大使が持ち帰った書類なら全て見せていただいているはず……全て、だと思いますが?」

 陳は、日本政府から突きつけられた書類の全てを、大使が自分に見せたとは限らないことに思い至ったようだ。だから少しばかり自信がなくなり、言葉じりの切れが悪くなった。

「……」
「……」

 またしても二人は沈黙してしまう。張り詰めた空気だけが二人の間に立ちこめていた。

「頭の良い人同士の腹の探り合いって凄いんですね……俺にはちょっとしか分かりませんよ」

 その時、徳島が混ぜっ返すように言った。

「徳島君……ちょっと黙っていてくれませんか?」

 頭をフル回転させているのだろう。江田島には徳島の言葉が雑音に感じられたようで、わずらわしいと拒絶した。
 しかし陳のほうは逆で、徳島の言葉を救いのように受け止めた。

「徳島さん。今の我々のやりとりが、ちょっとは分かったとおっしゃいましたね。何をどのように分かったか、教えてくださいますか?」

 徳島はチラリと江田島を見る。
 江田島は仕方ないとばかりに頷いて許可を与えた。

「まず、陳さんが、向こう側にお国の工作員は『いない』と言い張っている理由です。俺と統括は向こうに行ってきました。その結果、『いる』と言っています。特地にはお国の工作員はいるんです。なのにその俺達に、つまり、第三者ではなく実際に向こうに行って見てきた相手に、『いない』と言い張っている。これってどういう意味なのかなと俺は考えました。もしかして馬鹿にしてるのかな、あるいは喧嘩でも売ってる? とも思ったんですが、そんなことのためにわざわざここまで来ないでしょう? だから必ず別の理由があると思って深読みしてみたんです」

 陳は何も言わずに頷いた。

「いろいろ考えてたら行き詰まってきたので、もしかして本当に『いない』のかもしれないと考えてみることにしました。でも、『いた』のは事実だから、つまり今は『いない』ということかと。かつて『いた』けど『いなくなった』――だから自信たっぷりに捕らえられない、なんて言い張れるんです」

 徳島はこの解釈で当たっているか確かめるように、江田島と陳の顔を見る。すると二人とも頷いた。ここまでは正しかったようだ。

「続きは?」
「すみません、お二人が沈黙してしまったので、ここから先は分かりませんでした……」

 代わりに江田島が続けた。

「陳さん、これは私の妄想と思って聞いてください。徳島君と違って、私は彼らが『いなくなった』とは考えていません。きっと貴方がたと連絡が取れなくなったのだろうと思っています」

 すると陳ではなく徳島が問い返した。

「連絡が取れなくなった……ですか?」
「はい。多分陳さんを含めて、中国本国の認識は『連絡が取れなくなった』です。ビール缶の中にビールが入っているか入ってないか……傾けても中身が出てこなければ、『空になった』と推測してもいいのですけれど、実際のところ中身を覗き込んでみるまでは分かりませんからねえ。何かが出口で栓をしていて出てこないだけかもしれませんし。なので『いなくなった』という結論は出ていないはずなのです」

 江田島はそう言うと、残り少なくなっていたビールを飲み干した。そして空のジョッキを二人に見せびらかすように逆さまにした。

「なるほど。けど、あんまり違いがないように思うんですけど?」

 しかし徳島は、両者を厳密に区別する必要性が今ひとつ理解できなかった。

「希望があるかどうかは大きな違いですよ、徳島君。何らかの事情で連絡が取れなくなっているだけなら、彼らはまだ生きているかもしれませんからね?」
「でも、陳さんは今、『いない』って言い切ってましたよね?」
「つまり、突然パタッと連絡が途切れた訳ではない。何が起こっているか、報告は入っていた。きっと中国の中央としてもそれなりに対策をとっていたはず。けれどそれも虚しく連絡が入ってこなくなってしまった。結論としては、『いなくなった』かもしれないと予測できる。けど推測に過ぎない。なんとしても結果を確かめねばならない」
「ああ、なるほど。ようやく理解しました。陳さんは特地に潜入させた工作員がどうなったのかを知りたくてここに来たんですね。調べようにもその手立てがないから、現場を見てきた俺達を挑発してあたりをつけようと思った。もし俺達が、もう何人か捕まえているとでも答えたら、かえって望むところだったんですね」

 徳島はようやく理解した。
 江田島がそういう解釈でよいかと問いかけるように陳の表情を窺う。

「……」

 しかし陳は黙ったままだった。

「直接尋ねてくれたらこちらにも答えようがあるのに」
「徳島君。無理を言っちゃいけません。中国政府の公式見解は『工作員など送り込んでいない』なんですから。彼らがどうなったか知っているか? なんて口が裂けたって問えません。出来ることは、意味深なことを言ったり我々を挑発したりして態度から感触を得る。それだけです」

 徳島は陳の顔色を見た。

「……」

 しかし陳は表情をピクリとも動かさない。ずっと黙っていた。

「陳大校。貴方のお立場は理解できます。しかしこの質問には是非答えていただきたい。我々の態度や発言から、陳さんはどのように解釈できたか――です。何しろこれは微妙で敏感な問題です。誤解があったらただでさえ面倒な両国関係は更に面倒なことになってしまいますからね」

 すると陳はジョッキの中身を口に含んだ。

「ここでしている会話は、全て仮定であることを前提としています。正直申し上げれば、貴方がたは、他愛もない酒場での話を深読みし過ぎています。実際には、我が国が特地に工作員を送り込んでいるなんてことはないし、存在しない者と連絡が途絶とぜつしたという事実もない。しかしながら、私が貴方がたから受けた印象は、その仮定の出来事に、貴方がたは直接関与していないということ。少なくともお二人は関わってない」
「どうやら伝わったようですね」

 江田島は安堵したように笑みを浮かべた。

「けど、同時に確信したこともあります。貴方がたは向こうで何が起きているかを知っているのですね? 原因も分かっている。だからこそ徳島さんは、直接尋ねてくれれば答えようがある、と口にしたのだ」

 徳島は自分の不用意な一言が大きなヒントを与えてしまったのだと理解した。

「あちゃー、頭のいい人は、ホントにささやかな一言で裏を読んでいきますね」

 すると江田島がたしなめた。

「それが出来ないようでは、国際社会の中で生き残っていけないのですよ」
「俺にはスパイなんてやっぱ無理だな~」

 徳島は嘆くように言うと、ぐいっとジョッキを空にした。
 江田島は陳の名刺を取り出すと、そこに書いてある内容をもう一度確かめてから尋ねた。

「陳羽さんは人民解放軍海軍でいらっしゃるのですね? ご結婚は?」
「もちろんしております」
「お子さんは?」
「息子が一人」
「お元気ですか?」
「とっくの昔に成人していまして、今は仕事で遠くに行っています。元気でやっているのかどうか、最近はメールの一通、葉書一枚寄越しやしません。子供なんて、成人したら大体どこの家でもそんなものらしいのですけどね」
「お仕事で遠くにですか……心配ですね」

 陳は沈痛な面持ちで頷いた。
 この男はここに現れてからずっと表情を変えず感情を隠し続けている。しかし今の表情には本当の感情が含まれていると江田島は思った。


    *    *


 陳大校は徳島らと別れると、銀座の繁華街を離れたところまで歩く。そこで路頭に停車していた黒塗りの大使館ナンバー車のドアを自ら開け、後部座席に乗り込んだ。

「大校、どうでした?」

 運転手が問いかけてくる。

「うむ。どうやら今回の件に日本政府は直接関わっていないらしい。ただ、何が起きているかは把握している。それを聞き出すことまでは出来なかったが、おそらく日本と交流のある現地の治安機関による摘発だろう」
「報告には、神とか亜神とかいった記述があったとか?」
「向こう側世界の軍か警察組織の通称か何かだろう。そう考えれば、こんな事態が起きたとしてもおかしくはない」
「しかし、未だに鉄砲も製造できないような連中相手に、我が軍の精鋭が遅れをとるはずが……」
「その考えは誤りだ。確かに科学や技術について異世界は遅れている。しかしヒトとしての成熟度や洞察力では我々となんら遜色そんしょくはない。お前は向こう側の人間をさげすむが、お前の持っている知識はそもそも誰が発見したものか? 古代人は確かに我々より遅れているが、その古代人のアルキメデスこそが様々な発見をしたのだ。貴様にアルキメデスの真似が出来るのか? アルキメデスに鉄砲を作る知識がないと蔑む資格があるのか?」
「い、いえ……無理です。資格はありません」
「その上、向こう側世界には魔法なんてものがある。一部においては我々よりも進んでいる可能性だってあるのだ。なのに、貴様のように舐めてかかるからこういう事態になってしまうのだ。馬鹿者め!」

 運転手はだんだんボルテージが上がっていく陳の言葉を聞いて、この罵倒が自分にというより、別の場所にいる誰かに向けられた言葉として感じられた。おそらく連絡が途絶えた陳の息子、陳音繰だろう。

「息子さん、心配ですね」
「いや、息子は諦めるしかないだろう。もう自立した大人だ。そして人民解放軍の軍人でもある。私は息子が軍人の道を志した時から万が一もあると覚悟はしていた」
「けれど、上からは引き続き連絡の回復に努力するようにと命令が出ていると聞きます。それはまだ希望はあるということでは?」
「上の連中が諦められないのは、向こうから送られてくる金貨や銀貨のことだろう。ところで、日本政府が我々に突きつけた証拠書類の控えはあるか?」
「え、書類ですか? ええっと、あるはずです」

 運転手は慌ててダッシュボードを探した。かばんを開いて、助手席のあたりを探る。そうして見つけ出された茶封筒が差し出された。

「はい」

 陳は書類を取り出すと、老眼鏡をかけて目を通し始めた。江田島が「本当に全部見たのか?」と念を押してきたことが気になったのだ。
 それは、もし見ていたら陳からは別の反応があると期待していたことを意味する。

「まさか――な」

 ふと、二人があそこで酒を飲んでいたこと自体が、陳を待っていた可能性もあると思い当たる。
 あの店は『フロント』のいるバーだし、『フロント』から二人があそこにいると聞かされたから陳も出向いていったのだ。

「それだけ、反応の期待が出来る資料ということか」

 書類を見てみると、そこには特地で広まりつつある魔法を用いた大砲と、小銃の製作手引き書の下書きが載っていた。
 設計図には、細かい説明書きが簡体字でなされてあった。特地に潜入した工作員は、これを特地語に翻訳して現地人に流していたのだろう。

「馬鹿者、英語か日本語で書けばいいものを……」

 今回の作戦のために集められた技術者には、潜入工作員としての教育がなされていない。おそらくはそのせいだろう。それは今回の作戦がいかに急場しのぎで行われたかを意味している。

「ん、これは?」


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