蒼の箱庭

葎月壱人

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第三章

消した記憶【2】

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わんわん泣く真白にどう接していいか分からず右往左往する綾瀬の後ろから、ひょっこり顔を覗かせた姫椿は、悪戯っぽい笑みを携えて自分が来た事によって少なからず安堵した顔を見せた綾瀬を冷やかした。

「あらあら?珍しくすっ飛んで行ったと思ったら、女の子泣かせてる?」
「…………違う」
「違うの?あれ?ほっぺ真っ赤だよ?」

ぶっきらぼうに答える綾瀬の頬を人差し指で軽く突くと、耳まで真っ赤にして顔を背けられてしまった。
普段、人形みたいに無関心無反応だった人の珍しい姿を微笑ましく思いながら今だに泣き続けている真白の傍へ行き、そっと背中を撫でる。

「大丈夫?ごめんね?あの人、怖いよね」

非難がましい綾瀬の視線を感じつつ、姫椿は真白にハンカチを差し出した。

「でも、優しい人だから嫌いにならないであげてね?って、何があったか知らないんだけど……落ち着いてからでいいから教えてくれるかな?うん、今はいいよ、大丈夫、大丈夫」

ハンカチを受け取る余裕すらなく延々と泣き続ける真白が落ち着くまで姫椿は隣に腰掛け、震える肩をそっと抱きしめた。
徐々に声を押し殺そうと躍起になるむせび泣く泣き方から啜り泣く泣き方へと変わっていく過程の中で、少しでも気が紛れればと始めた姫椿の口ずさむ歌だけが静かに時を流す。
どのくらいそうして居ただろうか?誰も時間を気にした風もなく、ゆっくりと続く優しい空間にそろそろ眠気が襲ってき始めた時だった。

「……ありがとう」

お礼を告げながら姫椿から離れ、姫椿と綾瀬に向き合う形を取りながら真白は頭を下げた。
気恥ずかしいのか視線が合う事はないものの泣き腫らした表情は、憑き物が落ちた様にスッキリとして見える。
姫椿は、どういたしましてと答える代わりに真白の頭を撫でて微笑んだ。

「私は、姫椿。彼は綾瀬。貴女は?」
「真白です」
「真白、よろしくね!!」

強引に真白の両手を取り握手する姫椿の勢いに押されていると此方を睨む綾瀬の視線に気がついた。
叩かれヒリヒリする頬の痛みは命を粗末にした事に対する咎めであり、綾瀬の頬を赤く腫らしているビンタの跡を見ながらぐっと口を噤む。
殴った事は謝らない。あれは私の気持ちの現れであり、あの時は確かに死を意識していたから。
……でも今は、もう自分の命じゃない。この人達に預けた物だと思った途端、飛び降りる前とは少し違った気持ちの軽さが生まれていた。

「どうぞ、使ってください。もう預けた命を自ら捨てる事はしません」
「ん?!?何!?ど、どういう事っ!?」

困惑した声を上げながら、首が限界を迎えるまで捻り背後に立っていた綾瀬を見る。

「所有物」
「はぁ?やめなさいよ物扱い!!言い方!!」
「……っ、家族」

綾瀬が少し考えた後、訂正した単語に今度は真白が目を丸くした。

「えぇ!?」
「なるほどね?つまり一人娘が爆誕したと」
「いや、え!?えぇ!?」

それもどうかと考え直して欲しくて綾瀬を見ると、本人も自分で言ってて恥ずかしかったのか顔を背けられた。
冷やかしなのか本気なのか真意を測りきれずに改めて二人を観察する。
黒い軍服に身を包んだ奇抜な赤髪とピンク色の男女二人は明らかに学園の人間ではない筈なのに、姫椿だけ既視感があった。

「あっ。もしかして学園長ですか?」

新しく着任した学園長を思い出して、きちんとした姿勢に座り直す真白を慌てて制止しながら姫椿は笑った。

「違うよぉー。でも私と同じ顔がこの学園にいるでしょ?実はそれ私の双子の姉なの。そっか。本当に居るのね、此処に」

穏やかな表情の中に少しだけ悲しみが隠されている空気を感じる物言いに、真白は綾瀬を見た。
すると綾瀬の方は訝しむ様に険しい表情のまま学園がある方向を睨み据えていて、とても声を掛けられる雰囲気ではなかったが唐突に綾瀬が切り出した話題に今度は姫椿があからさまに嫌そうな顔をし始めた。

「俺も行く」
「……またその話?平行線のまま一体何日無駄にしてると思ってるの?いい加減にして。綾瀬は待機、これ決定」
「嫌だ。俺も行く」
「もーーー!!」

何やら揉め始めた二人に挟まれ、おどおどしていると綾瀬に頭を鷲掴みにされた。

「真白は俺の味方」
「え!?」
「ちょっ!!ズルい!駄目よ、真白!!耳を貸しちゃ駄目!!」
「えぇぇぇ……」

味方といいながら人質をとる様に背後から腕を回され、軽く首を絞められそうになる真白を救い出そうと手を伸ばす姫椿から、綾瀬は真白を抱き抱えると何度も遠ざける様に距離を取り逃げ出した。
暫く続いた追いかけっこに観念した姫椿の声が響く。

「わかった。わかりました!単独潜入速攻決着組織最速任務遂行作戦は諦めます。長期任務へとプラン変更。真白を含めた学園内全員の記憶に、私と綾瀬の存在を植え付けて生徒として学園へ忍び込む……で、どうよ!?」
「そんだけ大きな事やってのける力があるのか?」
「あるわ」

そう言いながら姫椿は懐から1枚のタロットカードを取り出し、空へ投げた。

「正位置の愚者、発動」

姫椿の声掛けに答えるように、カードが眩い光を宿した後に強烈な光を放った。
あまりの眩しさに真白が目を閉じると姫椿に耳打ちされる。

「真白。光が消えるまでに、なりたかった自分を想像してて」

なりたかった……自分?
そうだな、明るくて何事にも前向きで友達もいる“普通”の時を過ごす自分がいい。

すると突然、身体の内側からポカポカした暖かさが全身に駆け巡る。
春風に顔を撫でられた時に似た風が一気に吹き抜け、名残惜しく追いかける様にそっと目を開けた。

「……っ何だ、これ!!」

目に見える変化に困惑したその声は幼さを含み、腰まで伸ばしていた赤い長髪は短髪へと変わり、七色のピンでヘアバンドの様に前髪を満遍なく止めた綾瀬の容姿に姫椿はケタケタ笑い出した。
笑っている姫椿も綺麗な大人女子から真白と同年代のおさげ頭の女の子に変幻している。

「可愛いよ、王李」
「…………王李だぁ?」
「馬鹿ね、潜入捜査する時の偽名よ、偽名!ちなみに私の初恋の人の名前だから大切にしてね。私は姫ちゃんって名乗ろうかなー」
「……………はっ!!?」
「それより見て!?私の、このナイスバディ!!ぷにぷに!ぽよぽよ!」
「何、下らないことに力を使い果たしてんだよ」
「せっかく若返るんだから色々カスタマイズ必要でしょ!!暫くお世話になる身体なんだから!!」

目の前で繰り広げられる壮絶な掛け合いに、なかなか口を挟むことが出来ず途方に暮れていた真白に姫椿は向き直った。

「真白!改めて、よろしくね!ほらほら王李も!円陣組むよー!えいえいおーー!」

半ば強引に王李の手を掴んだ姫椿に促されるまま真白も手を取った時にカチリと何かが閉じる音がした。
姫椿を中心にしてそれぞれ握った手から先程の光が王李と真白の体内に走り、胸の中心に発動中のタロットカードが輝いているのを密かに確認した姫椿は、満足そうに微笑んだ。

二人に内緒で、あの時から姫椿は自分の器を超える魔力を自分の命を削る事で幾らか補いつつ使い続けている。
真白の未来を少しでも明るい物にする為に。
感情の起伏を失った綾瀬がもう一度、気持ちを取り戻せる様に。
それが姫椿の切なる願いでもあった。

“そっか、そうだったんだね”

自分の記憶から離れていく意識の中で、真白はゆっくりと目を閉じた。
魔法を理解した今だからこそ分かる姫椿の優しさに包まれた幸せな日常。

私達はこの学園で生まれ育った仲間。
この後すぐに転校してきた白馬とも意気投合して、本当に楽しい……理想としていた学園生活を送る事が出来た。夢も持てた。
でもそれは、都合よく過去を忘れた上に築いていた偽りの日々。偽りの自分。
そして思い出した弱い自分。

全てを思い出した真白の中に込み上げてくる、この感情が何なのか……すぐに言葉にする事はできなかった。
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