離宮の愛人

眠りん

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一章

八話

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 外が明るくなって、イグナートのベッドで再び目が覚めた。彼はまだ眠っていたので、こっそりと部屋を出て廊下を歩く。
 見回りをしている警備兵や、屋敷の扉の前に立っている警備兵に驚かれたが「イグナート様のご用で」と言うと納得してもらえた。

 屋根裏部屋に戻ったが、すぐに始業の時間だ。いつも通り朝礼をした後、食事の配膳をフリードと二人で行う。
 ルベルトが食後のコーヒーを持って行った時の事だ。

「今日の夜、書斎でやる事がある。用があっても入って来ないように」

 と、公爵がイグナートに言った。

(今日がチャンスか?)

 書斎に一人になれば守る者は誰もいない。だが、一度屋敷を出てしまえば、入口を警備している私兵に何の用で来たのかと訊ねられる。
 理由がなければ中に入れてもらえない。だからといって仕事が終わった後に屋敷に残り続けていると、次は屋敷内を見回りしている警備兵に使用人棟へ戻るよう言われるだろう。

(イグに呼ばれれば別だけど、毎晩必ず呼ぶわけじゃないし。
 呼ばれなかった場合、夜中まで屋敷のどこかに隠れるか……警備兵に見付かったら殺してしまうか)

 公爵を暗殺する。そう決めた時から、計画を遂行する為に手段は選ばないと決意した。
 例えそれが罪もない人の命を奪う事だとしても。

(公爵の警備兵なら俺にとっては敵同然だし。こんな屋敷早く出ていきたい。
 警備兵を理由にしてたら、いつまで経っても逃げられない)

「おい」

「はっはい!」

 計画を立てようと考えを巡らせているとイグナートに呼ばれた。深夜のような甘えた子供はもういない。
 だが、いつもより蔑みの目がない穏やかな顔を見せている。

「食事が終わったら俺の部屋に来い」

「はい」

 ルベルトは食堂から出てフリードにその事を告げる。

「朝っぱらから元気な事だ」

 と、フリードは呆れた顔をしていた。

「そういう用事じゃないんじゃないかと」

「酷い事されたら言えよ」

 頼もしい先輩(先輩と言っていいものか、後輩と言っていいものか)がいるお陰で安心してイグナートの部屋へと向かえた。
 だが、実はルベルトも少しだけフリードと同じ事を考えていた。
 昨晩あんなにしたのに、朝から性欲を発散させようとは、なんて絶倫なのだと……。
 だが、部屋に入ると予想外の内容だった。

「お前専用の服、用意したから今日からこれを着ろ。勘違いすんなよ、寒くなってから今の服で風邪ひかれても迷惑なだけだからな」

 と、イグナートが持っていた紙袋をルベルトに投げつけた。
 中を見てみると、服は二種類だ。夏用と冬用が二枚ずつ入っているらしい。

「恐れ入ります。ありがたく使わせていただきます」

「ふん。用はそれだけだ。出ていけ」

 ルベルトは一礼をして部屋を出て使用人棟の屋根裏部屋へと戻り、早速もらった夏用の服を着た。
 良い肌触りの服だ。侯爵令息だった頃着ていた服と変わらない生地だと分かる。他の使用人の服より上質だ。
 デザイン性のある黒いシャツはルベルトに似合っている。それでいて動きやすい。

(イグ、昨日からどうしたんだ?)

 いきなりの変わりように驚くが……。

(もっと早くこうして欲しかった、かも)

 今日、復讐を果たせばここにはいられない。犯罪者として追われる身になる覚悟は出来ている。
 逃げたら国境を越えて遠くの国へ逃げるつもりだ。

 新しい服を着て仕事に戻ると、フリードが先に進めていた。テキパキと仕事をこなす彼だったが、ルベルトの姿を見た瞬間動きが止まった。
 驚いたのだろうが、すぐに柔らかい表情に変わる。

 いつも見るような冷たい作り物のような笑顔ではない自然な微笑だ。きっとそれがフリードの作っていない笑顔なのだろう。
 ルベルトの頬が少し赤くなる。綺麗な顔に見惚れてしまった。

(わっ。笑うと凄い美人さんだ)

「……似合ってるじゃん」

「イグナート様が服を下さったんです」

「どういう風の吹き回しだろうな。ま、優しくしてくれるんなら素直に甘えておこう」

「はい」

「それで? 昨日言ってた話ってなんだ? 仕事前に少し話しても支障はないだろう。
 場所を変えよう」

 と、フリードと共に使用人棟へ向かった。フリードの部屋に入る。他の使用人達と変わらない、ベッドと机、クローゼットがあるだけの簡素な部屋だ。
 ルベルトはベッドに座り、フリードは椅子に座った。

「フリードさんは、公爵夫人の事件をどこまで知ってるんですか?」

「知ってどうする?」

「もし公表されている内容が間違っているなら、正さなければならないでしょう?」

「何を知った?」 

「何も。……ただルブロスティン公爵が怪しいと思ってます」

 いきなり核心はつかない。フリードの事は信用しているが、どうしても慎重になる。

「なるほど?」

 だが今ので気付かれてしまったようだ。ルベルトが全てを知ってしまったと。
 ポーカーフェイスは得意だと思っていたが、隠しきれない悪意がフリードに伝わったようだ。

「教えて下さい!」

「……」

 フリードは答えない。ルベルトの目をジッと見て何かを考えているようだ。

「フリードさん!」

「今にも復讐がしたいって顔してんな。私情を挟むとロクな事にならない。
 今のターバイン君には何も教えてやれない。熱を冷ませ。話はそれからだ」

 いくら恩人のフリードの言う事であれど、それは受け入れ難い事だ。
 もう真実はどうでも良かった。今分かっている事は公爵が加害者であり、両親と自分が被害者だという事。

(すみませんフリードさん)

 フリードへの裏切りを決意した。ルベルトの中では拙いながらも復讐の計画を立てており、準備も進めてしまっている。後は夜を待つだけだ。
 今日、書斎で公爵を殺したら逃げるつもりだ。


 長く感じた一日が終わった。こういう時に限ってイグナートに呼ばれなかった為、終業してから暗くなるまで風呂場に隠れていた。

 屋敷内は明かり一つない真っ暗闇だ。毎日の掃除で歩き慣れた廊下を進み、一番奥にある書斎へと向かう。
 不思議だった。見回りをしている筈の警備兵が誰一人いない。もし気付かれて、万が一計画に支障が出るなら殺す事も辞さない覚悟だったのだが……。

 書斎の扉のドアノブを回すと、ゆっくりと開いた。鍵はかかっていない。

(警戒心がないのか?)

 鍵がかかっていると思い、執事室から盗んでおいたマスターキーは無意味だった。
 明るい書斎へと入るとすぐにドアを閉める。

 公爵は机に向かって座り、ペンを走らせていたが、扉の音に振り向いた。

「ようやく来たか。待ちくたびれた……、なっ!? お前がどうしてここにいる?」

 誰かと待ち合わせをしていたようだ。これから人が来るなら早く済ませてしまわなければ。

「あなたを殺しに来ました」

「ふん、母親と同じく殺して解決か? 野蛮だな」

 公爵は恐怖など一切ない侮蔑のこもった目をルベルトに向けた。

「俺の質問に答えてくださったら殺しません。きちんと罰を受けます」

 もちろん嘘だ。そう言えば公爵が真実を話してくれるだろうと期待しての発言だ。

「公爵である私を殺そうと目論んだのだ、処刑以外の罰などありはしない」

「別にいいです。ただ、公爵夫人の殺人事件から父を平民へと落とす一連の流れをあなたが企てたとして、どうして母が公爵夫人を殺したのか、そこだけが分からなくて」

「そんな事か。サーシュ侯爵家に私の部下を忍ばせたのだよ。君が学院に入ってからの事だから知らないだろう?
 毎日、侯爵夫人の食事に麻薬を入れさせた。段々頭がおかしくなり、正常な判断が出来なくなっていったそうだよ。
 そんな彼女に、私がサーシュ侯爵が私の妻と不倫をしていると教えたのさ。無論、侯爵は不倫などしていないがな」

「お父様とお母様になんて事を……!」

 ルベルトは怒りに目が吊り上がった。今にも殺しそうな程の、憎悪に満ちた心をどうにか鎮めて続きを聞く。

「私の妻を殺せば全て丸くいくと侯爵夫人に言った。殺しても私が守ると約束してな。
 彼女はもうまともじゃなかったんだ。私が指示したと言えば次は息子が死ぬぞと脅したら、口を噤んでくれたよ。
 私としては処刑されれば良かったんだがね」

「お前っ、許さない! 許さないぞ!!」

 ルベルトは持っている包丁を公爵に向けた。

「バカめ。ここをどこだと思っている!? 誇り高きルブロスティン公爵家であるぞ。
 おい! 誰か! 助けてくれ!」

 公爵はニヤリと薄気味の悪い笑みを浮かべ、大声で叫んだ。
 ルベルトの額から汗が流れる。

(今殺さなければ、復讐出来ずに俺が兵士にやられる!)

 ルベルトは走った。公爵の胸を狙い、包丁の先を前へ向けて。
 相手は帝国軍全軍を束ねる総大将だ。簡単に殺せる相手ではない事は承知の上だ。

 だが、総大将とはいえ公爵はもう四十を越えた年齢だ。他の業務に追われ、日常的に剣を振るっていない。
 剣さえ持たなければ驚異ではない──と思っての凶行だったが、公爵は軽い身のこなしで避け、ルベルトを足払いをして転ばせてきた。

(絶対殺してやる!)

 剣術はそこまで得意でないルベルトだが、学院内であれば上位五位以内には入る実力はある。
 運動神経が悪いわけではないのだ。

 すぐに立ち上がり、気迫と勢いで公爵の懐に入った。
 ルベルトは包丁を高く掲げ、公爵の胸に向かって振り下ろした。

 だがその時。無情にも書斎の扉は開かれ、すぐにルベルトの手首が誰かに掴まれた。
 公爵の心臓まであとわずか三センチだった。
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