離宮の愛人

眠りん

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一章

九話

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(殺せ……なかった……。何も成し遂げられず、俺も罪人として捕らえられるのか)

 絶望だ。すぐさま取り押さえられるだろう。そうなればもう逃げる事すらかなわない。
 手を掴まれている状態で逃げる選択肢は無きに等しい。来るであろう衝撃に備えて顔を背けるようにして目を瞑った。

 だが──いつまで経っても、警備兵からの攻撃が来ない。不思議に思い、顔を上げるとそこには──。

「遅かったな、フリード。危うく殺されるところだった」

「……そう、みたいですね」

 公爵はフリードが来た事に驚いていない様子だ。先程、ルベルトを待ち合わせ相手だと間違えていた事といい、フリードと密談の予定だったのは確実だ。
 ルベルトは驚愕のあまり声を発する事が出来ない。

(フリードさん! 公爵と約束していたのはフリードさんだったのか。
 そうとも知らずに、俺は……)

 何故フリードが公爵に意見しても罰を受ける事もクビになる事もなかったのか。
 フリードは公爵にとって特別な人物だからだと今更ながらに気付く。

「あなたが急に我が屋敷の下男になりたいと言い出した時は、何か企んでいるのかと怪しんだ事もありましたが。
 ルベルトがこのような真似をすると予見していたのですね? それとも陛下が?」

(陛下? ヘイリア皇帝? どうして?)

 なんにせよ、恩人だった彼は今では敵となってしまった。このまま死刑は免れない。
 未遂とはいえ、狙ったのは皇族の血を引く公爵だ。
 ルベルトは全てを諦めた。復讐も、未来も、命も全て。

(それにしても、どうしてフリードさんは俺を押さえ付けないんだろう?)

 ルベルトを罪人だと認識しているのならば、とっくに地面に倒され、腕を後ろで捻りながら押さえ付けているだろう。
 何発か殴られる事も覚悟していた、だがフリードはルベルトが持っていた包丁を奪うだけで、握っていた手を離してしまった。

「フ……フリードさん?」

「何をしているんです? 早く、その者を捕らえて下さい。その為にここに来たのでしょう?」

 公爵は切羽詰まったような顔でフリードに命じている。口調は丁寧だが、早く自分を守れ! と急かしている。
 フリードにその思いが通じているかどうかは不明だ。彼は首を傾げて、何も分からないと言いたげに苦笑しているからだ。

「いいえ。俺はあなたに呼ばれたから来たに過ぎません。何の話があったのでしょう?」

「そうではない! いや、今その話は後回しにして下さい。クビにしたようと思っておりましたが、私を守ってくださるならクビには致しません。
 下男ではなく護衛騎士……そうだ、帝国軍第一隊への入隊を推薦致します。
 名誉ある職なのはお分かりですよね? 良い話でしょう?」

 必死な説得だ。公爵も気付いたのだろう、フリードが公爵を守る為にいるのではないと。
 そうであれば、ルベルトを捕縛し、公爵を安心させる言葉を並べている筈だ。
 捕まる覚悟をしていたルベルトから見ても、フリードの立ち位置は公爵側ではない事が分かる。

 少なくとも、ルベルトの敵ではなさそうだ。
 
「はぁ。でも俺は剣の扱いは得意ではないので、第一隊に入れられても役に立ちませんよ?
 だって俺はただの使用人であり、ターバイン君の助手ですから」

「なんだと!? 私の言う事が聞けぬというか!!」

 公爵は先程までの下手に出た態度とは違い、怒号した。

「警備兵! 来てくれ! 早く!」

 そして、先程以上の大声で叫ぶ……が、警備兵が駆け寄ってくる様子は一切ない。

「警備兵達なら寝ているぞ。俺が全員気絶させておいた。
 警備にあたらせるなら、帝国軍の者を起用すべきだったな」

 呆れたように公爵を見下すフリード。口調も変わり、公爵への敬意は一切なくなった。
 公爵の顔からはみるみる怒りが消え、怯えたものに変わっていく。
 何が起こっているのか、ルベルトには分からない。

「肉便器の分際で……。クソ、皇帝か? あの若造のせいでこうなったのか……?」

 ブツブツと呟く公爵を尻目に、フリードはルベルトに笑いかけた。
 綺麗だが感情のない冷たい笑顔だ。ルベルトはこれが一番苦手だった。
 だがいつもの笑顔と違う。まるで怒っているのを我慢しているような……そんな不自然さがある。

「なぁターバイン君。今日、君に何も教えなかったのは、こんな風に邪魔されると困るからだよ。
 お陰で今、計画が全部台無しにされて迷惑している。
 ここからは俺の仕事だ。大人しくしていてくれ」

 ルベルトが何も言えずに固まっていると、フリードは公爵に包丁を向けた。包丁より鋭い視線が公爵を射抜く。
 公爵は帝国軍総括という立場にもかかわらず、フリードに恐怖している。

「公爵。俺がここに……この公爵家に来た理由を教えてやる。
 あなた、謀反を企てているだろ? 俺はそれを阻止する為に来た」

 フリードの一言は、青ざめた顔の公爵の顔を更に青くさせた。血の気が引くというのはこの事か。

「何故それを!?」

「サーシュ侯爵夫人に自分の妻を殺させた事によってザハード国王を怒らせ、戦争を引き起こそうとしたんだろ。
 こっちは大変だったさ。ザハードは帝国をも凌ぐ軍事力のある国だ。
 宣戦布告される前に、陛下がザハード国王と会談して事なきを得たが……」

「それじゃあ、皇帝陛下はうちの潔白を知ってたって事ですか!?
 じゃあ何故、何もしてくださらなかったのですか!?」

 ルベルトは黙ってはいられなかった。ではあの裁判はなんだったのか?
 それなら何故皇帝が助けてくれなかったのか。
 父親は先帝の代から皇室を支えてきた。いなくなれば困るのは皇帝の筈だ。

「君も学院で習っただろう? ヘイリアは法治国家だが、皇族は司法に関わるべからずという原則がある。
 政治は陛下や大臣が、司法は司法局が担っている。裁判に勝つかどうかは弁護士の力に掛かっているんだ」

 皇帝の政務と司法が異なる事は学院で習った事だったが、その身に起きなければ忘れてしまいそうな前提だ。

(皇帝の権力で何もかも許されるわけじゃない。当たり前の事だ)

「確かに、学院で習いました」

「殺人事件については目撃者多数、証拠も揃っていたからどうにも出来なかった。
 侯爵の姦通は……完全な無罪だというのに。公爵が妨害したお陰で苦汁を飲まされたよ」

「父が無罪だと分かっていて有罪になったなんて……。妨害?
 まさか! 両親についていたゴードン弁護士はお前が付けたのか!?」

「はっ、何の事か分からんね。外国の弁護士だったそうだが、私には関係がない」

 それなら、母はともかく何故父まで有罪となってしまったのか。
 こうなると父は無罪にもかかわらず公爵側の嘘の証言で有罪になってしまったのは明白だ。
 弁護士も証人を呼んでいたそうだが、来なかった為、公爵が呼んだ証人の言葉が全て受け入れられてしまったのだ。

(あの弁護士がきちんと証人を連れてきてさえいれば……!)

 裁判が終わってから、弁護士への恨み言が頭を掠めた事もなかった。
 罪を犯した両親の為に、誰も引き受けたがらなかった仕事を、よく引き受けてくれたと感謝していたくらいだ。
 こうなってみると、何故もっと上手く弁護してくれなかったのかと怒りが込み上げてくる。

「あ、あの弁護士め……」

「落ち着け、ターバイン君。
 その弁護士が裁判前に司法局にこの事件がおかしい事を伝えたお陰で侯爵夫人の処刑だけは免れたんだ。
 だが、俺がここに潜入した甲斐あって、今はこっちもある程度状況証拠と証人を揃えたし、侯爵の名誉回復と侯爵夫人の減刑に向けて動いているよ」

「良かった……」

 フツフツと湧き上がっていた怒りが徐々に収まっていく。
 両親の名誉を挽回する希望が見えてきた。

「クソ……あと少しだったのに」

 ボソリと呟く公爵。フリードの顔付きが変わる。軽蔑するような目だ。一気に空気の温度が下がったような気がした。

「帝国にとって神聖な裁判を穢しただけに留まらず、あなたは侯爵の姦通罪を偽証させたメイド三人殺しているよな。そこまでする必要があったか?」

「えっ!?」

 驚きの反応を見せたのは、ルベルトだ。最近メイドが三人解雇されている。
 まさか…と、冷や汗が浮かんだ。

「君は彼女達が自分に優しくしたからクビにされたって思ってたみたいだけど。
 実際は口封じに殺されたんだよ」

 それならば、何故ルベルトに優しかったのか分かった気がした。
 最初から罪などないと知っていたのだ。
 他の使用人達も同じだ。ルベルトに優しかったのは、不遇な立場になったルベルトに同情したのかもしれない。

「何故そこまで知ってる!?」

 公爵が声を上げた。
 全てを知っているフリードに恐れを抱きながらも、信じられないという表情を浮かべている。
 それはルベルトも同じだ。どこで情報を得たのか? 公爵も知らない何かが裏で動いている。
 巨大な何かが……。
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