ニケの宿

水無月

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第十三話・非風のボス

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「そういや紅葉街はどうだったのよ? 君らの感想が聞きたいな~」

 弟は困ったように兄貴を見上げる。
 ラブコはしれっと言う。

「なんつーか化け物の巣窟だった」
「おは?」

 口を開けて固まる大兄貴の横をすたすたと通り過ぎる。
 紫髪は早足で桜の背中に追いつく。

「へ。なにが? 紅葉街だよ? 別の街の話してる? ねえ。平和のぬるま湯に浸かったような印象しかないけど。 そんなにあの神使がやべぇの?」

 末弟は何か思いだしたのか、すっかり顔色が悪くなっている。この子は自信がないだけで弱いわけではないというのに……
 ラブは荷物を担ぎなおし、いい位置に調整する。

「いや神使以前の問題で。神使にたどり着く前に化け物二匹にかち合ったんで一時撤退したんよ。何でか知らないけど、その化け物同士が喧嘩し始めたから、撤退出来たって感じかな?」
「……」

 大兄貴は少し考える。ラブちゃんはいい加減を擬人化させたような子だが、報告で嘘はつかない。そういう教育をしたからね……。

(化け物? 竜と神使がいるのは聞いているけど? 何かが紛れ込んだか? 紅葉街はヒトの出入りが激しい街だ。無くはないが……んあ~分からん。やはり自分が直接行くべきだったか)

 不満そうに親指の爪を噛む大兄貴に、三つ編みはおずおずと声をかける。

「大兄貴……? もう一度、行ってきましょうか? その、紅葉街へ」

 軽く手を振る。

「んー? ああ、いい、いい。久しぶりに合流したんだし、『今』は真面目に『非風』をやらないとな?」
「はい」
「うーっす」
「……」

 スミは使い物にならなくなった耳に鞭を打ち、なんとか彼らの会話を拾おうとしていた。道も覚えていなくては、逃げるに逃げられない。
 気絶したふりは得意だが生きた心地がしない。なんせ蛇が二匹に加え、この紫髪はなんだ? あの狼の兄ちゃん以上の脅威。こいつこそ化け物がヒトの形をして、ヒトの街に紛れ込んでいるようにしか思えない。

「……」

 うっすらでも良い、目を開けたいがどうにも見られている気がする。あのセクハラされていた三つ編みだろうか。こちらを見ている気配がする。

(目は使えないか、クソ)

 担がれているせいで、頭に血が上ってくる。
 ぼーっとしてきたのか、考えが纏まらない。
 残念ながらスミに出来るのは耳を働かせることだけだった。



 牢に入れられた。
 地下の倉庫を檻に改造したような。窓すらない薄暗い牢屋には、敷物と用を足すだけの桶がひとつあるだけだ。
 踏みつけられた背中と胸が痛むが、冷え冷えとした石の床には、たとえ敷物があろうと横たわる気にはならない。
 壁にもたれるように座っている。床の冷たさが尻に伝わり、身体が震える。敷物を折りたたんで厚みを出そうとしたが、床にへばりついているようで動かなかった。

「……誰もいない、のか?」

 耳が自分以外の物音を捉えない。狭い牢だし、隠れているってことはなさそうだ。

(右耳が気持ち悪い)

 右耳の先を摘まんで顔の前まで垂らす。鼓膜は破れていないが水が入ったような違和感がある。元の状態に戻るのに数日はかかりそうだ。

「はあ……」

 耳から指を放す。
 優勝は出来ないし誘拐されるし。踏んだり蹴ったりだ。
 思い出すのは別れたばかりのランランの姿。花子に向き合って作業している時間が一番輝いていた。たまに邪魔は入ったが。邪魔……

 ハッと顔を上げる。

(そうだ! ニケ……は、もう帰ったか)

 索敵に強いニケと反則気味に強い鬼がいたんだ。帰さずに側に置いておけばよかったか。

(いやでもそれは……。あの時は誰かといたいなんて思わなかった。そんな気分じゃなかったし)

 後悔が押し寄せ、気持ちが沈む。それでも一般人よりはスミは冷静だった。

「おい。ボスのお出ましだぞ」
「立ってお迎えしろ! ……いてて」

 二人の牢番――スミを追いかけていた者たち――が痛そうにたんこぶを摩る。
 睨むようにちらっと目を向けると、見覚えのない人物と紫髪が歩いてくるのが見えた。

「なにしている。立てと言っただろう。無礼だぞ」

 牢番が怒鳴ってきたが、身体が痛くて立てない。仕方ないので無視して紫髪を見据える。この中で最も警戒すべき者だ。
 だが腹の立つことに、紫髪はスミを見るなり親しげに手を振ってきた。

「あらぁ。なぁにン? みすぼらしい子ねぇ。サファイアなんて大層なあだ名がついているんだから、どんなものかと思えば……」

 癇に障る高い声。紫髪の前を歩いていた人物がじろじろと牢の中のスミを観察してくる。市場の果物を眺める様な遠慮のない視線。
 男だ。顔は化粧で彩られ、唇は紅でばっちり決まっている。癖のある髪を短く刈り上げ、スーツとかいう洋服を着こなしている。耳を飾るのは三日月型の紅珊瑚。靴はやたら踵の高い……確かヒールとか言ったか? おシャレなことに耳飾りと同じ色だ。
 その者は頬に手のひらを添えると、はあと息を吐く。

「なんだかがっかりね」

 紫髪は励ますように背をそっと叩く。

「いやいや。ボス。サファイアは眼球が本体ですよ。それ以外はオマケですって」

 スミは目を剥いた。驚きで。

 ――お前がボスじゃないのかよっ。

 紅ヒールの男と紫髪を高速で見比べる。強者は強者を見抜くと言うが、衣兎族は弱過ぎて逆に相手の力量差がなんとなくわかる。目の前の牢番除いた二人。紫髪が虎なら紅ヒールは狐くらいだ。虎が狐に従うか?

 指輪のように全指にムカデの入れ墨を入れた『非風』のボスは、目を丸くしているスミから目を逸らしハンカチで鼻を塞ぐ。

「だって小汚いじゃなアい。……身体だって細くていかにも貧弱そうだし。いやよ? ワタシ、あんなの抱きたくないわ」

 少女のようにぷいっと反らした頬を膨らませる。一気に白けたスミが半眼になる。
 紫髪はお嬢様をなだめる護衛のように、「まあまあ」とわずかに屈んで目線を合わせる。

「じゃあ、俺がそのサファイアの子を洗ってきますよ。そして競売にかける……。そうしましょう。ボスが無理に抱いて色々確かめる必要ないですよ? そういうのは下っ端の俺に、お任せください」

 胸に手を当て優しそうに微笑む紫髪に、ボスは頬を染める。

「やだもう……。あんたってば、有能なんだからンっ。スキ!」

 紫髪の胸に飛びこむボス。スミは桶の中に吐いた。
 「お前失礼すぎるだろ!」と牢番がうるさいが、それなら視界テロをやめさせろ。なんで野郎同士の熱烈ハグを見せられなきゃならないんだ。全身痛いのに。

「じゃあ、お任せしちゃおうかしらン? 頑張ってね。ヴァンリちゅわんっ」

 ちゅっと紫髪の入れ墨の上にキスを落として、ボスは上機嫌に去って行く。ヒップをくねくねと揺らしながら。
 戸が閉まるまで見送っていた男が振り返る。

「よっ。さっきは乱暴にして悪かったな」

 言葉に反して、罪悪感の欠片もなく牢の近くでしゃがむ。牢番が「近づきすぎると危険ですよ」と注意を促すも聞いちゃいない。
 今なら手を伸ばすだけで紫髪の眼球くらい潰せるだろうが、それで牢の出入り口が開くわけではない。会話に付き合うしかなさそうだ。

「……今の生物はなんだよ?」
「生物って。俺ら『非風』のボス。アーデルカマー様だよ。名前くらい聞いたことあるだろ?」
「知らない。知名度ならまだ『ジャバウォック』の方が上だし」

 ライバルの名を出され、牢番が憤慨する。

「なんだとぉ!」
「この兎、生意気な。思い知らせてやりましょうよ。ヴァンリ様」

 紫髪の男――ヴァンリは冷めた小豆色の瞳を牢番に向ける。

「なに気安く俺に命令してるの? 尻の穴拡張させちゃうよ?」
「申し訳ありません」
「なにとぞ、お許しを」

 二人は額をぶつける勢いで土下座した。

「もう、下がってていいよ」

 牢番二人は一礼すると、競うように離れていく。

「自己紹介しよう。俺はヴァーリーヘブン。君のお名前教えてほしいなー?」

 しゃがんだまま片目を閉じて笑う紫髪。
 ヴァーリーヘブン。異国の言葉で「賑やかな楽園」という意味だ。同じタイトルの古い書物がある。子どもでも読みやすいよう、挿絵付きで簡略化され売られているのをよく見かける。故郷でスミも子どもの頃読んだことがあった。内容はうろ覚えだが。

(偽名か……)

 堂々と偽名を名乗るとは。

「…………スミ」

 悩んだが名乗ることにした。名乗らないと変なあだ名をつけて呼ばれると思ったのだ。それはなんか嫌だ。
 目をぱちくりさせるヴァンリ。

「す、スミ? 変わった名前だな。衣兎の男子は最後に『ロン』がつくんだろ? え? 違ったっけ?」

 違わない。
 「アイス」は衣兎族の人気上位の名前で、「ロン」は「~郎」や「~衛門」と同じ意味だ。「ミ」は名字なので、スミの家族はみんな、名前に「ミ」が入っている。
 ヴァンリはぽんと手を打つ。

「ああ。もしかしてあだ名? なーんだびっくりした。あだ名を名乗るなんて可愛いじゃん? よしよし。可愛がってあげような」
「結構だ。……来るな!」
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