🌟真理の扉

鏡子 (きょうこ)

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第 132章 宇宙の風に乗る。(Part1)

工房で絵を仕上げているのだから、真贋論争も何もない。

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昨年(2018年)08.10に書いた文章


※  画像省略


糸車の聖母について…

『ランズダウンの聖母』のほうは、長年、真贋論争となり、問題の決着がなかなか付いていないらしい。

ランズダウンの聖母より、劣っていると見られていた、『バクルーの聖母』は、


2003年、盗難にあったかと思ったら、

2007年に無事保護され帰って来て、

2009年にスコット・ランドナショナルミュージアムで公開、

そして2016年に江戸東京美術館で展示される運びとなった。



背景は、後世の画家によって加筆された。

“聖母子と前面の岩は、レオナルドの筆致が確認出来る”とし、“門外不出のレオナルドの傑作”と解説されていた。


レオナルド通の人は、知っていると思うが、バクルーの聖母より、
ランズダウンの聖母のほうが、もう一つグレードが高く見られている。

バクルーの聖母が、門外不出の傑作ならば、長年真贋論争になっていた、ランズダウンの聖母は、その上をいく大傑作だ。


工房で絵を仕上げているのだから、真贋論争も何もない。

「この部分は、弟子が担当。」

「この部分は、弟子の描写をレオナルドが手直ししたから、ぐっと良くなった。」


そういう解釈で良いとは思わないのか?


何故、レオナルドの描写であるか否かを争わなければならないのか?


私は、その価値観が理解出来ない。






2019.08.11  追記


結局、レオナルドの真作か否かに拘るのは、マーケティングの為なんだよね。

レオナルドの真作として展示するか?
そうでないか?は、

マーケティングの効果も利益も、雲泥の差。

だから、上の人たちは、レオナルドの筆致に拘る。

工房で絵を仕上げていたのだから、真贋論争すら必要ない。


〈注文を受けた作品(特に宗教画)は、
工房のみんなで、絵を仕上た。〉


そういう解釈で良いはずなのに…


上の人たちは、目くじらを立て、“最新のテクノロジーを使い”、レオナルドの根拠を発見しようとしている。
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