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第103章 自信喪失から自信回復にいたるまで
私のようなちっぽけな人間に、いったい何が出来るのか!
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私のようなちっぽけな人間に、いったい何が出来るのか!
そう思い、自信をなくし、葛藤とモヤモヤの毎日を過ごしていた。
娘の大学受験失敗も相まって、私はどん底の日々を過ごしていた。
そんな時(2019年2月5日早朝)
私は、池川 明先生に宛てて書いたメールを、久しぶりに読み返していた。
『真理の扉を開く時』ありのままにメール 55 と同じ内容
7/9 13:23
I先生へ
お話したい事が沢山あり、毎日メールをしてしまう失礼をお許し下さい。
『君が代』においては、私も先生に同感です。加えて私は、さざれ石という、言葉の響きが好きです。私の姉の名前は八千代です。歌詞に、姉の名前が出て来るのも、子供の頃、私が『君が代』を好きな理由の一つでした。
振り返って見ると、私の人生は不思議な事だらけでした。数年前の体験です。2005年に、私は、松山市の成人病センターの人間ドックにて、胆嚢に、1cm4mmのポリープがある事を見つけて頂きました。その後、日赤にて、CTを撮って詳しく調べてもらいました。正確な大きさは、1cm2mmで、もしも悪性だったらいけないからという理由で、私自身も、手術を決断していました。手術の前に、MRIを撮って、詳しく調べて頂く事になりました。すると、ポリープの大きさが、9mmに小さくなっていたので、半年間様子を見ましょうという話になりました。
今考えてみると不思議です。私が診察を受けた女医さんの机の上、ライトスタンドの下当たりに、フェルメールの(絵画の)絵葉書が数枚、張り付けられていました。
半年後に、地元Y市の市立総合病院で、胆嚢ポリープの大きさを調べて頂いたら、8mmでした。
その後私は、2005年に行った同じ場所に人間ドックを受けに行きました。
不思議な事に、胆嚢ポリープは消えて無くなっていました。 検査の技師の方に、見落としていたらいけないからと、丁寧にポリープを探してもらっていたのですが、結局見つからなかったのです。
その後、お医者様により診断を受けました。ご年配の、品格のあるお医者様でした。その方は、私に、こう告げました。
「めったにない事ですが…ミラクルです。」にっこり笑われて、その後の言葉を続けられました。
「世の中には、医学で説明のつかない事は、ありますよ。」
私は、胆嚢のポリープが消えて、嬉しいのは嬉しかったのですが、狐につままれたような、そんな気持ちだった事を記憶しています。「ありがとうございました。」とお礼を言って、その場所を立ち去りました。
世の中では、医学では説明のつかない事がある…実際の医療現場で、長年、患者さんを診て来られたお医者様の率直な見解だったかと思われます。I先生もまた、胎内研究を1999年よりされていると、本の中で紹介されていました。1999年は、私がMETで、『眠る女』を観た、同年です。見えない世界では、I先生に出会える事が計画されていたのではないでしょうか?何度も書きましたが、フェルメールは、娘の生まれ変わりが無力である事を予言し、それ故に手紙を書くことを、絵画にて指示しました。
〉私が、奥の鏡の真実を思い出したのは、2009年5月21日です。I先生に、(お父さん、絵を台無しにさせてしまって、ごめんなさい。)という内容のメールを送らせて頂いた日です。私が、METで『眠る女』を観たのは、1999年の5月26日でした。丁度10年の歳月が流れました。そして、丁度5月の同じ頃の季節に真実を思い出したのです。『眠る女』から10年目にあたる 5月26日に、I先生から頂いたメールにて、高橋信次さんの本の内容が記されてあり、300年前の記憶がある事を、本当に信じて頂いている事が伝わりました。『眠る女』から10年目の日です。……きっと偶然ではないと思います。
昨日、私は大洲市の古本屋さんに電話をかけて、『悪魔の花嫁』が1巻から10巻まで、ワイド版として置いてある事を確認しました。明日、買いに行きます。300年前の絵の具作りと類似した描写が必ずあるはずです。
お忙しい所、失礼致しました。
※ 転載終わり
何、何? 私の胆嚢ポリープが見つかったのは、2005年⁈
(その後、消えてなくなったけど)
胆嚢ポリープが発見された2005年って、私が世の中の秩序の乱れを指摘した年じゃん!
この事実は、私の自信回復に繋がる。
もっと頑張らなきゃ。
そう思い、自信をなくし、葛藤とモヤモヤの毎日を過ごしていた。
娘の大学受験失敗も相まって、私はどん底の日々を過ごしていた。
そんな時(2019年2月5日早朝)
私は、池川 明先生に宛てて書いたメールを、久しぶりに読み返していた。
『真理の扉を開く時』ありのままにメール 55 と同じ内容
7/9 13:23
I先生へ
お話したい事が沢山あり、毎日メールをしてしまう失礼をお許し下さい。
『君が代』においては、私も先生に同感です。加えて私は、さざれ石という、言葉の響きが好きです。私の姉の名前は八千代です。歌詞に、姉の名前が出て来るのも、子供の頃、私が『君が代』を好きな理由の一つでした。
振り返って見ると、私の人生は不思議な事だらけでした。数年前の体験です。2005年に、私は、松山市の成人病センターの人間ドックにて、胆嚢に、1cm4mmのポリープがある事を見つけて頂きました。その後、日赤にて、CTを撮って詳しく調べてもらいました。正確な大きさは、1cm2mmで、もしも悪性だったらいけないからという理由で、私自身も、手術を決断していました。手術の前に、MRIを撮って、詳しく調べて頂く事になりました。すると、ポリープの大きさが、9mmに小さくなっていたので、半年間様子を見ましょうという話になりました。
今考えてみると不思議です。私が診察を受けた女医さんの机の上、ライトスタンドの下当たりに、フェルメールの(絵画の)絵葉書が数枚、張り付けられていました。
半年後に、地元Y市の市立総合病院で、胆嚢ポリープの大きさを調べて頂いたら、8mmでした。
その後私は、2005年に行った同じ場所に人間ドックを受けに行きました。
不思議な事に、胆嚢ポリープは消えて無くなっていました。 検査の技師の方に、見落としていたらいけないからと、丁寧にポリープを探してもらっていたのですが、結局見つからなかったのです。
その後、お医者様により診断を受けました。ご年配の、品格のあるお医者様でした。その方は、私に、こう告げました。
「めったにない事ですが…ミラクルです。」にっこり笑われて、その後の言葉を続けられました。
「世の中には、医学で説明のつかない事は、ありますよ。」
私は、胆嚢のポリープが消えて、嬉しいのは嬉しかったのですが、狐につままれたような、そんな気持ちだった事を記憶しています。「ありがとうございました。」とお礼を言って、その場所を立ち去りました。
世の中では、医学では説明のつかない事がある…実際の医療現場で、長年、患者さんを診て来られたお医者様の率直な見解だったかと思われます。I先生もまた、胎内研究を1999年よりされていると、本の中で紹介されていました。1999年は、私がMETで、『眠る女』を観た、同年です。見えない世界では、I先生に出会える事が計画されていたのではないでしょうか?何度も書きましたが、フェルメールは、娘の生まれ変わりが無力である事を予言し、それ故に手紙を書くことを、絵画にて指示しました。
〉私が、奥の鏡の真実を思い出したのは、2009年5月21日です。I先生に、(お父さん、絵を台無しにさせてしまって、ごめんなさい。)という内容のメールを送らせて頂いた日です。私が、METで『眠る女』を観たのは、1999年の5月26日でした。丁度10年の歳月が流れました。そして、丁度5月の同じ頃の季節に真実を思い出したのです。『眠る女』から10年目にあたる 5月26日に、I先生から頂いたメールにて、高橋信次さんの本の内容が記されてあり、300年前の記憶がある事を、本当に信じて頂いている事が伝わりました。『眠る女』から10年目の日です。……きっと偶然ではないと思います。
昨日、私は大洲市の古本屋さんに電話をかけて、『悪魔の花嫁』が1巻から10巻まで、ワイド版として置いてある事を確認しました。明日、買いに行きます。300年前の絵の具作りと類似した描写が必ずあるはずです。
お忙しい所、失礼致しました。
※ 転載終わり
何、何? 私の胆嚢ポリープが見つかったのは、2005年⁈
(その後、消えてなくなったけど)
胆嚢ポリープが発見された2005年って、私が世の中の秩序の乱れを指摘した年じゃん!
この事実は、私の自信回復に繋がる。
もっと頑張らなきゃ。
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