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Chap.9 盤上の赤と白
Chap.9 Sec.3
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誰かの私室に入るのって、久しぶりかも。
【Tear-Alecia Frost】
流麗な字体で刻まれたプレートを眺めて、メルウィンは考えていた。昔から、研究室や大人の私室は番号だったのに、兄弟たちの私室だけネームプレートが付けられていた。ティアのネームプレートは他の兄弟と違って木製。通常はタイルの薄いプレートなのだけれど、ティアは後からここにやって来たから、自分で作ったのかな。
ドア横に飾られたそれを見つめていると、ドアがするりと開いた。
「やぁ、メル君」
ティアが片手を上げて迎えてくれた。ふわふわのシフォンケーキみたいな、白のロングカーディガン。ブラウスも白で、ボトムスがパステルカラーのライラック。ティアの眼の色よりも、ピンクに近い紫。
「どうぞ、入って」
「おじゃまします……」
背を向けたティアは、白に近いプラチナブロンドをポニーテールにしていた。ゆれると、花と柑橘に似た香りが広がる。上質なネロリのアロマオイル。アルガンオイルに混ぜて使っているのがわかった。指摘はしない。香りだけでそこまでわかるなんて、きっと気持ち悪いと思われる。
ティアの私室に入るのは初めてで、なんとなくかしこまりながら私室に踏みこんだ。ワゴンと一緒に。室内はローズとシャボンがうっすら、甘くとろけるようなワインの残り香も。それからジャスミン。ティアがよく身にまとっているフローラルノート。
部屋は白い壁にクラシカルデザインの家具が可愛くて、(ティアくんらしいな……アフタヌーンティーみたい……)独特の感想をいだいた。
昼下がりのお茶の席のようなイメージのなかで、小さな花が敷きつめられたミントグリーンのソファから、彼女が立ち上がった。髪型がティアと同じでポニーテールになっている。服装はブルーグレーの短いカーディガンに、白のワンピース。カーディガンの袖はふくらんでいて、袖口からレースがちらりと見える。昨日おとといと着ていた服とは雰囲気が違い、どちらかというと……最初に会ったときみたいだ。
「オハヨウ……めるうぃん」
「おはようございます、アリスさん」
挨拶を返すと、緊張した顔がほっとしたようにゆるんだ。まるで〈おはよう〉と言って怒られたことがあるみたいな、不思議な反応。
考えていると、挨拶を交わした彼女との間で、そわそわとしながらこちらの様子をうかがうティアの姿が。
「……えぇっと……?」
「え? アリスちゃんの格好について、ノーコメントな感じ?」
「ティアくんと、おそろいの髪型だね?」
「そっち? ……や、うん。それはまぁそうなんだけど……服はどう? 似合ってる?」
「えっと……こういうのって、口にしちゃだめなんでしょ?」
「……え? なんで?」
「外見評価を口にするのは良くないって……教わったよ?」
「……うそでしょ? ……ロキ君と同じハウスで育っておきながら、その意識の違い……謎だ……」
「ロキ君と僕は、違うから。……ロキ君は、頭がいいよ」
「そういう話じゃないと思う……」
「……?」
しょぼん、としたティア。
それを見た彼女が、こちらを向いて、「これ、……てぃあが、つくった」自分の服を指さした。
「え? ……ティアくんが?」
「はい。……てぃあが、つくって、くれた」
「既成のものかと思ってました。……すごい。これ、ティアくんがデザインしたの?」
話の途中でティアの方を向いて尋ねると、「うん。専用アプリでパターンを組み合わせただけ、だけど」ティアは謙遜ぎみに肯定した。
あらためて洋服を見る。たしかに、細部まで刺繍があって、意匠を凝らしてある……ような。ほんというと、よくわからない。
世界がこうなってから、過去に売られていたデザインをそのままマシンに読み込んで作ってみることはあったが、一からデザインしたことはない。こうなる前は、生活に必要な分は成長に合わせてオーダーメイドが届いていたし、それらも素材だけ指定してあとはAIまかせだった。メルウィンは、の話なので、ほかの兄弟たちについては知らない。
——でも、とても彼女に似合っていると、思う。
目線を上げると、彼女と目があった。
「似合っていて、とても素敵です。ティアくんみたい」
「てぃあ、みたい? ……すてき?」
「はい。ティアくんみたいで、素敵です」
意味を理解する間があってから、「ありがとう」彼女は小さく応えた。それを見たティアが肩をすくめて、
「アリスちゃんを褒めてるのに、僕まで上げてくれる、っていう……すごいね、わりと褒め慣れてる?」
「? ……ティアくんはいつも素敵だよ?」
「……うん、面と向かって言われると恥ずかしいからやめて……や、でも、ありがとう。……うれしい」
白い頬が、リンゴ色に染まった。
初めて見るその表情が、とても可愛くて。
……うっかり、
「あと、色合いがハウスみたいだね?」
「え……それはちょっと……やだ」
よけいなことを言った。衝撃を受けた顔のティアに「ぁ……ごめん」謝ると、苦笑しながら、
「言われると似てる。……初めてハウスを見たときを思い出したよ」
「僕、ハウスの外観好きだから……悪い意味じゃないんだけど……」
「うん、わかってる。僕も素敵だと思うよ」
(ハウスを素敵だと思ってるのに……“やだ”って、なんでかな……?)
苦笑いの理由は、訊けなかった。
「ごはん、食べよっか」
「うん」
「そっちのテーブルに、どうぞ。アリスちゃんも」
「……はい」
勧められた白の丸いテーブルに、オフホワイトのレースクロスが掛けられている。ティアと彼女のふたりが座ると絵になる。自分だけ、なんだか合わない。
座りづらくて、ワゴンの保温ケースからクロワッサンを出し配膳をはじめた。ロボットは連れて来なかった。気づいた彼女が、立ち上がってプレートを並べるのを手伝ってくれる。もちろん、ティアも。
ととのえて、席に着く。いただきますの声掛けを迷っていると、ふたりが手を合わせてこちらを見たので、
「……いただきます」
「「いただきます」」
こちらに感謝するように唱え返したふたりに、困惑した。
〈いただきます〉は、食物の命を頂くことに感謝して言う——そんなふうに、あのひとから教わった。でも、ふたりは、まるでメルウィンが作ったことに感謝するみたいな言い方だった。ふたりはハウスで育っていないから。訂正したいけれど、勘違いかもしれないし、言えそうにない。
「わ。クロワッサン、すごくおいしい!」
「……焼きたて、だから……」
「焼きたてってこんな美味しいんだ? 早起きしてよかった~」
喜ぶティアの笑顔に、メルウィンも微笑んだ。彼女の方も、ちらり。優しくゆるむ目許と、ほころぶ表情が……うれしい。
「……おいしい」
「よかったです」
笑顔とは、呼べないけれど。……でも、充分。
口に運んだクロワッサンは香ばしく、焼き加減は完璧。広がるバターは幸せの味。
作ってよかった、と。彼女の顔を見ながら、結果に安心した。
そんなメルウィンに、ティアが紅茶にミルクをそそぎながら、
「……ね、メル君」
「……?」
「アリスちゃんの顔見て、何か思う?」
「? ……ぇっと?」
「や、わからないなら、いいんだ」
「……ぁ、もしかして、お化粧してる?」
「……うん、そうそう。すこしね」
「ごめんね……? 僕、そういうの気づかなくて……」
「ううん、気づかないなら、いいんだよ」
「……?」
ニコリと、唇だけで笑みを返したティア。化粧のことは、見た目ではなく匂いで察したのだけれど……そんなことは言えない。
この話題はここで終わりらしく、ミルクの入ったカップに唇を重ねて、ティアは会話を切った。
沈黙のなか、意識の奥から、ふいに記憶が舞いあがった。
「ぁ……そういえば、セトくんから、伝言があるよ」
「……え?」
ティアが眉を寄せたような。なぜそんな顔をしたのだろう。薄紫色の眼が彼女の方へと流れ、彼女はその視線には気づかず、こちらを見たまま表情を硬くした。
ふたりの反応に戸惑ったが、黙っているわけにもいかず、
「あの……アリスさんに、部屋から出るなって伝えてくれ……って。出るならセトくんを呼ぶように、って」
「……言われなくても、僕ら進んで出る気はないけど……なんで口頭? 伝言ゲームなの? セト君、ついに文明の利器を放棄したかな?」
「……メッセージだと、ログが残るからって言ってたけど……残ったら、なんでだめなんだろうね?」
「………………」
「気になったんだけど、セトくん、怖い顔してたから……訊けなくて。なにかあったのかな……?」
「……セト君とは、どこで話したの?」
「ここに来る直前……その、ドアの前で。……僕が来たら、どこか行っちゃったけど……」
「……そう」
ティアが、なんでもないように応えて、瞳を伏せた。粉砂糖を振ったような繊細なまつ毛が、憂いの影を落としている。
彼女のほうは、どうすればいいのか分からないといったように首を傾けた。
「……そういえばさ、」
再び顔を上げたティアは、明るい顔をしていた。場の空気を変えるように、心もち高い声音で、
「お掃除ロボットの調子が悪いんだよね。夜間かな? 廊下とか、部分的に掃除されてないみたいで。とくに物があったわけでも、人がいたわけでもないのにさ……おかしいよね? これって、どうしたらいいのかな?」
なめらかなセリフと、急な話題。なんの話かと思考停止してしまってから、(そっか、ティアくんが清掃管理を引き継いだんだっけ……?)目を上に向けて考える。
「えっと……修理なら、ハオロンくん。でも、ソフトに問題があるなら……ロキくんだね」
「え~……ロキ君かぁ……まずはロン君に確認してみようかな」
「ミヅキくんには、確認した?」
「した。異常ないって言われたの。“僕の管理下できちんと動いているよ”って。でもね、ぜったい夜間の掃除ができてないときがあるんだよ。前日に見かけた髪の毛が、次の日もあったりするの。……おかしいでしょ? 誰か、夜に徘徊してる?」
「(髪の毛って……こまかい……)それなら、データに残ってると思うけど……」
「ミヅキ君は、“通ってません”ってさ。みんなのデータを確認しても、記録がないって……僕、AIって信じられないな~?」
「そんな、人じゃないんだから……嘘ついたりはしないよ」
思わず笑ってしまった。普通は逆なのに。外のひとたちは、人間の判断よりもAIのほうが正しい、信じられる、そう言いがちなのに。
不満そうなティアは、彼女のほうへ。
「アリスちゃんは、どう思う? AIだって嘘つくと思わない?」
「? ……えーあいは、うそを、つく?」
「AIの暴走で、ロボットが人間攻撃したりとか、世界崩壊させたりとか。そういうエピソード、よくあるよね?」
「ティアくん……それはフィクションだよ。嘘をつくのは、そういうふうにプログラムすればできるけど……どのAIも、積極的に人を傷つけることができないよう作られてるよ?」
「知ってる、国際法だってね。同じ話をセト君にしたら言われたよ……映画の見すぎだって」
「……ティアくんは、映画が好き?」
「うん? ……う~ん、まぁ……暇つぶしで見る感じだから、どうかな……? 絵画を見るほうが好きかな?」
「かっこいい趣味だね。……えっと、アリスさんは、なにか趣味はありますか?」
ミルクティーを飲みながら聞いていた彼女は、メルウィンの問いかけに反応して、カップをテーブルへと戻した。
「……しゅみ?」
「ぁ……趣味というのは……」
うまく伝えられずに、ティアへと助けを求める意味で目を向けた。ティアも考える時間があってから、
「好きなこと、かな?」
「……すきな、こと」
「僕だったら、絵を見ること。メル君だったら……」
「僕は、料理……です」
ティアの視線に応えて言葉を繋げたが、これはハウスにおける自分の役割でもある。説明としては、ややこしいような。
「てぃあは、えをみること。……めるうぃんは、りょうり」
「うん、そうそう。アリスちゃんは、好きなこと……何かある?」
「………………」
困ったような顔で、彼女は黙ってしまった。話題を振ろうと頑張ったつもりが、良くないことを訊いたかも。訊いておいてなんだけれど、趣味って尋ねられると返答しにくい話題なのでは。
マシンの料理が苦手なメルウィンにとって、料理は趣味というより生活であって、どちらかというと自分は無趣味に属する気がする。植物栽培のほうが趣味っぽいような……でも、あれも生活寄りな気が。
「……すきなこと、ない」
ぽつりとした答えが、カップの水面を揺らした。思考の先で見つけた結論に、彼女は申し訳なさそうだった。なにも、悪くはないのに。
メルウィンは尋ねたことの気まずさから、なにか言葉を返そうとしたが、——はっと、思いついたような彼女の目が、
「たべる、は……すき。めるうぃんのごはん、おいしい。すきなこと……たべる、こと?」
「うん、合ってるよ」
言葉を確認するようにティアに問いかけ、ティアから満面の笑みを受け取った彼女は、ほんのすこしだけ——わらった。
なくしていた宝物を見つけたみたいな。大したことではないのに、とても大切なことに気づいたみたいな、安堵がにじんだ微笑みで。
「わたしの、すきなこと……わたしの、しゅみ……めるうぃんのごはん、たべること」
「それは、とっても素敵な趣味だね。……僕も同じにしようかな?」
「……てぃあも、おなじ?」
「うん。僕の場合、絵画を見るよりも幸せな気持ちになれるしね?」
「しあわせ……しあわせ、わたし、わかる」
「そうだね。感情の単語は、初めの頃に教えたね」
「めるうぃんのりょうりは、しあわせ?」
「うん、合ってる」
「めるうぃんのりょうりは、しあわせ」
眼の奥が、——熱い。
目の前で交わされる言葉に、なんと言えばいいのか分からない。
料理なんてマシンでできるよ。無駄なことだよ。幸せなんて、そんな大それたものじゃないよ。そう言うべきだって思うのに……言いたくない。
もらった言葉を、僕が否定したくない。
胸がぐっと押されているみたいに苦しくて、ずっとため込まれていた何かが、あふれてしまいそう。
(……どうしよう。僕、いま……泣きそうだ……)
「……メル君、」
ほがらかな声に、呼ばれる。
「僕らの趣味のためにも……料理、よろしくねっ?」
笑顔のティアは、おどけたようにウィンクしてみせた。
メルウィンの動揺に、気づいているのか、どうか。
「……うん、……僕で、よければ」
そう返すのが、精一杯で。カップを手にし、不自然な勢いでミルクティーを喉に流し込んだ。保温力の高いカップに包まれていたそれは、温かい。
バターが幸せなら、ミルクは優しさの味。
……でも、今は——胸がいっぱいで、わからない。
あふれそうな気持ちを抑えて、温かで優しいはずのそれを、飲み干していく。
胸に刺さっていた、小さなトゲのようなものが、
——代わりがあンのに、なんでわざわざ雑用させンの?
溶けていく気がした。
口のなかで消える砂糖菓子のように、甘く、あっさりと、ざらつく余韻を——わずかに残して。
【Tear-Alecia Frost】
流麗な字体で刻まれたプレートを眺めて、メルウィンは考えていた。昔から、研究室や大人の私室は番号だったのに、兄弟たちの私室だけネームプレートが付けられていた。ティアのネームプレートは他の兄弟と違って木製。通常はタイルの薄いプレートなのだけれど、ティアは後からここにやって来たから、自分で作ったのかな。
ドア横に飾られたそれを見つめていると、ドアがするりと開いた。
「やぁ、メル君」
ティアが片手を上げて迎えてくれた。ふわふわのシフォンケーキみたいな、白のロングカーディガン。ブラウスも白で、ボトムスがパステルカラーのライラック。ティアの眼の色よりも、ピンクに近い紫。
「どうぞ、入って」
「おじゃまします……」
背を向けたティアは、白に近いプラチナブロンドをポニーテールにしていた。ゆれると、花と柑橘に似た香りが広がる。上質なネロリのアロマオイル。アルガンオイルに混ぜて使っているのがわかった。指摘はしない。香りだけでそこまでわかるなんて、きっと気持ち悪いと思われる。
ティアの私室に入るのは初めてで、なんとなくかしこまりながら私室に踏みこんだ。ワゴンと一緒に。室内はローズとシャボンがうっすら、甘くとろけるようなワインの残り香も。それからジャスミン。ティアがよく身にまとっているフローラルノート。
部屋は白い壁にクラシカルデザインの家具が可愛くて、(ティアくんらしいな……アフタヌーンティーみたい……)独特の感想をいだいた。
昼下がりのお茶の席のようなイメージのなかで、小さな花が敷きつめられたミントグリーンのソファから、彼女が立ち上がった。髪型がティアと同じでポニーテールになっている。服装はブルーグレーの短いカーディガンに、白のワンピース。カーディガンの袖はふくらんでいて、袖口からレースがちらりと見える。昨日おとといと着ていた服とは雰囲気が違い、どちらかというと……最初に会ったときみたいだ。
「オハヨウ……めるうぃん」
「おはようございます、アリスさん」
挨拶を返すと、緊張した顔がほっとしたようにゆるんだ。まるで〈おはよう〉と言って怒られたことがあるみたいな、不思議な反応。
考えていると、挨拶を交わした彼女との間で、そわそわとしながらこちらの様子をうかがうティアの姿が。
「……えぇっと……?」
「え? アリスちゃんの格好について、ノーコメントな感じ?」
「ティアくんと、おそろいの髪型だね?」
「そっち? ……や、うん。それはまぁそうなんだけど……服はどう? 似合ってる?」
「えっと……こういうのって、口にしちゃだめなんでしょ?」
「……え? なんで?」
「外見評価を口にするのは良くないって……教わったよ?」
「……うそでしょ? ……ロキ君と同じハウスで育っておきながら、その意識の違い……謎だ……」
「ロキ君と僕は、違うから。……ロキ君は、頭がいいよ」
「そういう話じゃないと思う……」
「……?」
しょぼん、としたティア。
それを見た彼女が、こちらを向いて、「これ、……てぃあが、つくった」自分の服を指さした。
「え? ……ティアくんが?」
「はい。……てぃあが、つくって、くれた」
「既成のものかと思ってました。……すごい。これ、ティアくんがデザインしたの?」
話の途中でティアの方を向いて尋ねると、「うん。専用アプリでパターンを組み合わせただけ、だけど」ティアは謙遜ぎみに肯定した。
あらためて洋服を見る。たしかに、細部まで刺繍があって、意匠を凝らしてある……ような。ほんというと、よくわからない。
世界がこうなってから、過去に売られていたデザインをそのままマシンに読み込んで作ってみることはあったが、一からデザインしたことはない。こうなる前は、生活に必要な分は成長に合わせてオーダーメイドが届いていたし、それらも素材だけ指定してあとはAIまかせだった。メルウィンは、の話なので、ほかの兄弟たちについては知らない。
——でも、とても彼女に似合っていると、思う。
目線を上げると、彼女と目があった。
「似合っていて、とても素敵です。ティアくんみたい」
「てぃあ、みたい? ……すてき?」
「はい。ティアくんみたいで、素敵です」
意味を理解する間があってから、「ありがとう」彼女は小さく応えた。それを見たティアが肩をすくめて、
「アリスちゃんを褒めてるのに、僕まで上げてくれる、っていう……すごいね、わりと褒め慣れてる?」
「? ……ティアくんはいつも素敵だよ?」
「……うん、面と向かって言われると恥ずかしいからやめて……や、でも、ありがとう。……うれしい」
白い頬が、リンゴ色に染まった。
初めて見るその表情が、とても可愛くて。
……うっかり、
「あと、色合いがハウスみたいだね?」
「え……それはちょっと……やだ」
よけいなことを言った。衝撃を受けた顔のティアに「ぁ……ごめん」謝ると、苦笑しながら、
「言われると似てる。……初めてハウスを見たときを思い出したよ」
「僕、ハウスの外観好きだから……悪い意味じゃないんだけど……」
「うん、わかってる。僕も素敵だと思うよ」
(ハウスを素敵だと思ってるのに……“やだ”って、なんでかな……?)
苦笑いの理由は、訊けなかった。
「ごはん、食べよっか」
「うん」
「そっちのテーブルに、どうぞ。アリスちゃんも」
「……はい」
勧められた白の丸いテーブルに、オフホワイトのレースクロスが掛けられている。ティアと彼女のふたりが座ると絵になる。自分だけ、なんだか合わない。
座りづらくて、ワゴンの保温ケースからクロワッサンを出し配膳をはじめた。ロボットは連れて来なかった。気づいた彼女が、立ち上がってプレートを並べるのを手伝ってくれる。もちろん、ティアも。
ととのえて、席に着く。いただきますの声掛けを迷っていると、ふたりが手を合わせてこちらを見たので、
「……いただきます」
「「いただきます」」
こちらに感謝するように唱え返したふたりに、困惑した。
〈いただきます〉は、食物の命を頂くことに感謝して言う——そんなふうに、あのひとから教わった。でも、ふたりは、まるでメルウィンが作ったことに感謝するみたいな言い方だった。ふたりはハウスで育っていないから。訂正したいけれど、勘違いかもしれないし、言えそうにない。
「わ。クロワッサン、すごくおいしい!」
「……焼きたて、だから……」
「焼きたてってこんな美味しいんだ? 早起きしてよかった~」
喜ぶティアの笑顔に、メルウィンも微笑んだ。彼女の方も、ちらり。優しくゆるむ目許と、ほころぶ表情が……うれしい。
「……おいしい」
「よかったです」
笑顔とは、呼べないけれど。……でも、充分。
口に運んだクロワッサンは香ばしく、焼き加減は完璧。広がるバターは幸せの味。
作ってよかった、と。彼女の顔を見ながら、結果に安心した。
そんなメルウィンに、ティアが紅茶にミルクをそそぎながら、
「……ね、メル君」
「……?」
「アリスちゃんの顔見て、何か思う?」
「? ……ぇっと?」
「や、わからないなら、いいんだ」
「……ぁ、もしかして、お化粧してる?」
「……うん、そうそう。すこしね」
「ごめんね……? 僕、そういうの気づかなくて……」
「ううん、気づかないなら、いいんだよ」
「……?」
ニコリと、唇だけで笑みを返したティア。化粧のことは、見た目ではなく匂いで察したのだけれど……そんなことは言えない。
この話題はここで終わりらしく、ミルクの入ったカップに唇を重ねて、ティアは会話を切った。
沈黙のなか、意識の奥から、ふいに記憶が舞いあがった。
「ぁ……そういえば、セトくんから、伝言があるよ」
「……え?」
ティアが眉を寄せたような。なぜそんな顔をしたのだろう。薄紫色の眼が彼女の方へと流れ、彼女はその視線には気づかず、こちらを見たまま表情を硬くした。
ふたりの反応に戸惑ったが、黙っているわけにもいかず、
「あの……アリスさんに、部屋から出るなって伝えてくれ……って。出るならセトくんを呼ぶように、って」
「……言われなくても、僕ら進んで出る気はないけど……なんで口頭? 伝言ゲームなの? セト君、ついに文明の利器を放棄したかな?」
「……メッセージだと、ログが残るからって言ってたけど……残ったら、なんでだめなんだろうね?」
「………………」
「気になったんだけど、セトくん、怖い顔してたから……訊けなくて。なにかあったのかな……?」
「……セト君とは、どこで話したの?」
「ここに来る直前……その、ドアの前で。……僕が来たら、どこか行っちゃったけど……」
「……そう」
ティアが、なんでもないように応えて、瞳を伏せた。粉砂糖を振ったような繊細なまつ毛が、憂いの影を落としている。
彼女のほうは、どうすればいいのか分からないといったように首を傾けた。
「……そういえばさ、」
再び顔を上げたティアは、明るい顔をしていた。場の空気を変えるように、心もち高い声音で、
「お掃除ロボットの調子が悪いんだよね。夜間かな? 廊下とか、部分的に掃除されてないみたいで。とくに物があったわけでも、人がいたわけでもないのにさ……おかしいよね? これって、どうしたらいいのかな?」
なめらかなセリフと、急な話題。なんの話かと思考停止してしまってから、(そっか、ティアくんが清掃管理を引き継いだんだっけ……?)目を上に向けて考える。
「えっと……修理なら、ハオロンくん。でも、ソフトに問題があるなら……ロキくんだね」
「え~……ロキ君かぁ……まずはロン君に確認してみようかな」
「ミヅキくんには、確認した?」
「した。異常ないって言われたの。“僕の管理下できちんと動いているよ”って。でもね、ぜったい夜間の掃除ができてないときがあるんだよ。前日に見かけた髪の毛が、次の日もあったりするの。……おかしいでしょ? 誰か、夜に徘徊してる?」
「(髪の毛って……こまかい……)それなら、データに残ってると思うけど……」
「ミヅキ君は、“通ってません”ってさ。みんなのデータを確認しても、記録がないって……僕、AIって信じられないな~?」
「そんな、人じゃないんだから……嘘ついたりはしないよ」
思わず笑ってしまった。普通は逆なのに。外のひとたちは、人間の判断よりもAIのほうが正しい、信じられる、そう言いがちなのに。
不満そうなティアは、彼女のほうへ。
「アリスちゃんは、どう思う? AIだって嘘つくと思わない?」
「? ……えーあいは、うそを、つく?」
「AIの暴走で、ロボットが人間攻撃したりとか、世界崩壊させたりとか。そういうエピソード、よくあるよね?」
「ティアくん……それはフィクションだよ。嘘をつくのは、そういうふうにプログラムすればできるけど……どのAIも、積極的に人を傷つけることができないよう作られてるよ?」
「知ってる、国際法だってね。同じ話をセト君にしたら言われたよ……映画の見すぎだって」
「……ティアくんは、映画が好き?」
「うん? ……う~ん、まぁ……暇つぶしで見る感じだから、どうかな……? 絵画を見るほうが好きかな?」
「かっこいい趣味だね。……えっと、アリスさんは、なにか趣味はありますか?」
ミルクティーを飲みながら聞いていた彼女は、メルウィンの問いかけに反応して、カップをテーブルへと戻した。
「……しゅみ?」
「ぁ……趣味というのは……」
うまく伝えられずに、ティアへと助けを求める意味で目を向けた。ティアも考える時間があってから、
「好きなこと、かな?」
「……すきな、こと」
「僕だったら、絵を見ること。メル君だったら……」
「僕は、料理……です」
ティアの視線に応えて言葉を繋げたが、これはハウスにおける自分の役割でもある。説明としては、ややこしいような。
「てぃあは、えをみること。……めるうぃんは、りょうり」
「うん、そうそう。アリスちゃんは、好きなこと……何かある?」
「………………」
困ったような顔で、彼女は黙ってしまった。話題を振ろうと頑張ったつもりが、良くないことを訊いたかも。訊いておいてなんだけれど、趣味って尋ねられると返答しにくい話題なのでは。
マシンの料理が苦手なメルウィンにとって、料理は趣味というより生活であって、どちらかというと自分は無趣味に属する気がする。植物栽培のほうが趣味っぽいような……でも、あれも生活寄りな気が。
「……すきなこと、ない」
ぽつりとした答えが、カップの水面を揺らした。思考の先で見つけた結論に、彼女は申し訳なさそうだった。なにも、悪くはないのに。
メルウィンは尋ねたことの気まずさから、なにか言葉を返そうとしたが、——はっと、思いついたような彼女の目が、
「たべる、は……すき。めるうぃんのごはん、おいしい。すきなこと……たべる、こと?」
「うん、合ってるよ」
言葉を確認するようにティアに問いかけ、ティアから満面の笑みを受け取った彼女は、ほんのすこしだけ——わらった。
なくしていた宝物を見つけたみたいな。大したことではないのに、とても大切なことに気づいたみたいな、安堵がにじんだ微笑みで。
「わたしの、すきなこと……わたしの、しゅみ……めるうぃんのごはん、たべること」
「それは、とっても素敵な趣味だね。……僕も同じにしようかな?」
「……てぃあも、おなじ?」
「うん。僕の場合、絵画を見るよりも幸せな気持ちになれるしね?」
「しあわせ……しあわせ、わたし、わかる」
「そうだね。感情の単語は、初めの頃に教えたね」
「めるうぃんのりょうりは、しあわせ?」
「うん、合ってる」
「めるうぃんのりょうりは、しあわせ」
眼の奥が、——熱い。
目の前で交わされる言葉に、なんと言えばいいのか分からない。
料理なんてマシンでできるよ。無駄なことだよ。幸せなんて、そんな大それたものじゃないよ。そう言うべきだって思うのに……言いたくない。
もらった言葉を、僕が否定したくない。
胸がぐっと押されているみたいに苦しくて、ずっとため込まれていた何かが、あふれてしまいそう。
(……どうしよう。僕、いま……泣きそうだ……)
「……メル君、」
ほがらかな声に、呼ばれる。
「僕らの趣味のためにも……料理、よろしくねっ?」
笑顔のティアは、おどけたようにウィンクしてみせた。
メルウィンの動揺に、気づいているのか、どうか。
「……うん、……僕で、よければ」
そう返すのが、精一杯で。カップを手にし、不自然な勢いでミルクティーを喉に流し込んだ。保温力の高いカップに包まれていたそれは、温かい。
バターが幸せなら、ミルクは優しさの味。
……でも、今は——胸がいっぱいで、わからない。
あふれそうな気持ちを抑えて、温かで優しいはずのそれを、飲み干していく。
胸に刺さっていた、小さなトゲのようなものが、
——代わりがあンのに、なんでわざわざ雑用させンの?
溶けていく気がした。
口のなかで消える砂糖菓子のように、甘く、あっさりと、ざらつく余韻を——わずかに残して。
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