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Chap.7 墜落サイレントリリィ
Chap.7 Sec.7
しおりを挟む外になんて出られないと思っていた。
城館を囲んでいたあの壁の向こう側には、もう二度と踏み出せないのではと。それくらいの気持ちでいた。……しかし、
「……おい、何ぼうっとしてんだよ」
緑あふれる世界に惚けていると、とんっと肩を叩かれた。振り返ると、セトが呆れた目でこちらを見下ろしている。外の陽を受けると、中央の瞳が小さくなるせいか、セトの虹彩は明度が高くなり色味がはっきりとする。燦然と輝く金の眼はとても綺麗だった。
「………………」
「……聞いてんのか?」
「……?」
「メルウィン、あっち行ったぞ」
セトの指さす方をたどる。緑を割るようにレンガで区切られた細道の先に、ウッドデッキのスペースがあった。童話の中みたいな、白い屋根と柱だけの素朴な東屋の下で、ちょうど振り返ったメルウィン。繊細な薄い色の肌が辺りの緑に映えて、森の妖精のようだった。
セトに続いて小径を進む。足許には小ぶりな植物が左右バランスよく整列している。花が咲いている所もあれば、紫や赤みのある葉が緑の中で鮮やかに目を引く箇所もある。
東屋に着くと、メルウィンが私に向けて、
「ガゼボの下にいてもらえれば、陽射しも遮れるから、快適かなと思います」
「……ゴメンナサイ。わからない」
「ぁ……えっと……こちらで、過ごしてください。……今、用意しますから」
空から奇妙な物体(ドローン? ロボット?)が下りてきて、メルウィンに大きな籐のバスケットを差し出した。受け取ったメルウィンはそれをセトに持たせて、開く。パッチワークが賑やかな色合いを見せるブランケットを取り出し、ウッドデッキの上に広げた。
「どうぞ、こちらに」
手で示すメルウィン。座って、ということだと思う。靴を脱いで厚みのあるブランケットに座った。
メルウィンはバスケットをブランケットの上に置き、ボトルとマグカップを取り出し、「好きに飲んでくださいね。おやつもありますから」私の前に並べていく。チョコレートとクッキーの入った宝石箱みたいなケースも。立っていたセトの眼が輝いた気がする。
「俺も食っていいのか?」
「だめ」
「………………」
「……すこしなら、どうぞ」
メルウィンと話したセトは、屈んでチョコレートをひとつ摘んだ。正直言うと状況をつかめていない。もしかして私がもてなされている……?
チョコレートを頬ばるセトを見ながら、メルウィンが唇をゆるめた。
「ここなら、安全でしょ? 僕のエリア、誰も来たことないから……ぁ、アリアくんだけ、あったかな」
「確かに安全だな。ロキとか、こういうとこは無縁だしな」
「だから、セトくんも、休んでくれてよかったのに」
「疑ってついて来たわけじゃねぇよ。お前がいつも料理に使ってるって言うから、興味が湧いたんだよ」
「……そうなの? でも、セトくん、料理の盛り付けなんて見てる?」
「…………これからは、見る。なるべく」
「ううん、気にしないで。セトくんひとりのときは、あまり丁寧にしてないから」
「…………おい、それどういう……」
「ぁ、アリスさん、それは……こうやって……そそぐんですよ」
メルウィンがブランケットの上に座って、私が見ていたボトルを手に取り、マグカップに何か温かな液体をそそいだ。ふわりと立ち昇る湯気からはレモンらしき爽やかな香りがする。ハーブティーかも知れない。
「どうぞ」
「……アリガトウ」
手渡されたので、ひとくち。風味は柑橘系だが酸味はなかった。
近くなったブラウンの眼はやわらかい色をしている。飲み物をくれるところが、なんだかティアを思い出す。
「……問題なさそうだな。じゃあ、俺は戻る」
頭上から聞こえた声に顔を上げる。セトがくるりと身をひるがえした。足早に数歩進んだかと思うと、ピタリと停止してまたくるりと振り向きこちらに戻ってくる。目の前までやって来て屈みこむように片脚を折った。私の腕を取り、ブレスレットに触る。
「なんかあったら、腕に力入れてから、ブレス端末に向けて俺の名前を呼べ」
「…………?」
「〈セトに繋ぐ〉言えるか?」
「……せとに、つなぐ?」
「ん。それかこうやって……腕に力入れて少し捻る。ショートカットの設定も俺にしとくから。それで繋がる」
「………………」
「お前分かってねぇな? ちょっとやってみろ」
私のブレスレットから手を離したセトに促されて、指をパチンと鳴らすときみたいに素早く短く手首をひねる動作をさせられた。
ブレスレットの小さなライトが点く。すると、セトの手首に着けられたブレスレットのライトも光った。
「なんかあったら、こうやって連絡取れよ?」
《なんかあったら、こうやって連絡取れよ?》
ほんのわずかな、注意しなければ気にならない程度のタイムラグを伴い、セトの声に私のブレスレットから聞こえた声が重なった。通話機能だと理解した私を認めて「よし、いいな」頷くと、セトは立ち上がる。そのまま背を向けて歩いて行った。もう戻ってくることはなさそうだった。
手首のブレスレットを眺めていた私は、視線に気づいて傍らのメルウィンへと顔を向けた。丸い目がこちらを見ている。
「……ぁ、見つめてしまってすみません。セトくんが……なんだか昔みたいだなって思って」
「せと……ムカシみたい?」
「面倒見いいなって、思って」
「……メンドウミイイ?」
「ぇえっと、なんて言ったら……ぁ、優しい?」
「……ヤサシイ」
「セトくん、今日はなんだか優しいです……僕にも、ありがとな、って……盛り付けも見るって……いつもだったら、ぜったい気にしないのに……」
「……せとは、ヤサシイ?」
「そう……ですね。もともと、セトくんは優しいです。昔から、みんなの中心で……誰にでも、声をかけてくれる……そんなひと……でしたけど」
「………………」
「でも、その……感染が外の世界で拡がって……ここも、みんないなくなっちゃって。……その頃からかな? ……セトくんが変わったのって。あんまり笑わなくなって、髪もあんな色にして……サクラさんが絶対、みたいな…………ぁ、僕の話、分からない……ですよ、ね?」
「……せとが、さくら……ぜったい?」
「いいんです、なんでもないです」
メルウィンは首を振った。
「僕は、オニユリの根を収穫したいので、奥の方を見てきますね。ぁ……あちらの、個人エリアの境界線は行かないでくださいね? 赤い花が目印で……あの辺り、です」
指の先、真っ赤な花が遠くかなたに見えた。
『……彼岸花?』
「ぇえっと? ……花の名前なら、学名はリコリス・ラディアータ……スパイダーリリーのほうが分かりやすいかな? ……あれは、雑草対策や動物よけに特化させて毒性を強めてあるので、食べちゃだめです。……僕の言葉、伝わってます?」
「……あれは、たべる、だめ?」
「はい、大丈夫ですよね。アリスさんは、ここで、ゆっくりしていてください」
目の下に薄いそばかすが散っている。頬に微笑を浮かべて、メルウィンはそっと立ち上がった。ここで待っていて、と。そんなジェスチャーをしてくれた気がする。セトが歩いたのとは反対の小径を歩いて行った。
庭園のような場所で、ひとり、ぽつりと取り残される。辺りは変わらずに緑を主にして自然の色にあふれている。
ここは、城館の周囲にある壁の外側をしばらく歩いた所で、林の手前のような場所だった。東屋を囲うように丈の低い草花が植えられ、離れるにつれて高さのある植物が並ぶ。離れた場所で、ピンクや白の愛らしい花をつけた小ぶりな植物が、さわさわと風に揺られていた。太陽を浴びた青い香りがする。目が覚めてから感じることのなかった、自然のあたたかさに満ちた空気だった。
夢みたいだな、と。そんな感想が浮かぶ。こんな時間を与えてもらえるとは思っていなかった。この城館に来てから、覚悟していたほど酷い目にはまだ遭っていなかった。サクラの命令とは異なり、昨夜はロキの相手しかしていない。ハオロンはティアのおかげで相手をしなくても済んだ——それについて朝食のときに感謝を伝えると、ティアには否定されたが——らしく、セトは結局何もしてこなかった。それどころか、服を用意して、ダイニングルームまで連れて行ってくれた。セトがメルウィンを紹介してくれたおかげで、私はこうして何にも脅かされない時間を貰えているように思う。
——なんかあったら、こうやって連絡取れよ?
セトの声を思い出しながら、ブレスレットを見つめる。
優しくされている。セトにも、ティアにも、メルウィンにも。その認識は思い違いではないと思う。
——皆が優しくしてくれるのは、お前が、身体で代償を払うからだろう?
(——でも、セトはもう何もしてこない。ティアは最初から性交はしていない。メルウィンは分からないけど……)
優しさを感じるたびに思い出すサクラの言葉が、矛盾を孕みつつあった。
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