その花の名前は

青波鳩子

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【夜会にて ②】

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「デルフィーナ嬢、昨日は僕の目の前でことが起きたのに、助けることができずに申し訳ありませんでした。
他家の生徒を通じてあなたの被害について一連のことがこちらに知らされており、証拠を集めている最中の出来事でした。
関係者の中に現宰相の子息と騎士団団長の子息がいたため慎重に動いていた結果、後手に回ってしまいました。でも今夜はデルフィーナ嬢のドレスに被害が無くて、それだけは良かった」

「……今夜は、私を助けてくださり、ありがとうございました……」

エクトルにそう言葉を返すのがやっとだった。

他の生徒を通じて王家に話が上がっていたのか……。
ジュリアが真冬にバケツの水を掛けられたというのも、バッグの中身を池に捨てられたというのも、すべて被害者と加害者が逆だったのだとしたら、ジュリアの罪はまだまだ出てくるだろう。
どこまでエクトルが把握できているのだろうか、もしも僕たちが元に戻ったら僕もただでは済まされない。
その時に向けて、僕も覚悟を決めなければならない。

「僕は着替えてきますが、お一人にならないよう気をつけてください。あちらなら騎士もおりますので安心です」

エクトルはデルフィーナ姿の僕を、飲み物を手渡している給仕のいるあたりに案内した。
僕は足も心も疲れてしまい、壁際のカウチに腰を下ろして休むことにした。
給仕からフルーツの入ったソーダをもらって飲むと、少し落ち着きを取り戻した。
エクトルが着替えて戻ってきたら、もう自分は部屋に戻ると言うつもりだ。

少し離れたところに、クレメンティ公爵家の者たちが集まっている。
グエルティーノの婚約者のドナーティ侯爵家の家族もいた。
チラチラとこちらを見ているが、デルフィーナだってクレメンティ家の者だろうに向こうから声を掛けてくる者はいない。

その時、母上がゆったりとその輪に近づき足を止めた。

「皆さん楽しんでいらっしゃる? ……まあ、そこのご令嬢……ええとドナーティ侯爵家のご令嬢ね。
一歩前に出てくれるかしら」

急に王妃から声を掛けられたグエルティーノの婚約者が、頬を上気させて前へ出る。
母上はパッと扇を開いて口元を隠した。

「皆さま、場所を移してゆったりとお話をしませんこと?」

母上はそう言うと側近に一言二言呟き、その場に居たクレメンティ公爵家とドナーティ侯爵家の者たちは別室へと案内されていく。

夜会ホールには、参加者たちが思い思いに休めるよう、小さな個室がいくつも開放されている。
そうした個室で女性に疚しいことをする不届き者が出ないように、すべてのドアは開け放たれて入口に給仕をする者が立っている。シルバーの盆を持った者たちは単なる給仕にしか見えないが、中身は騎士だ。
母上がクレメンティの者たちを案内したのは、王族用の広い個室だった。
僕も母上に促されてその部屋に入る。
この部屋については、当然のように扉は閉められた。


すぐにシャンパングラスが配られる。
それはデルフィーナである僕の手にも届けられ、繊細な気泡がパチパチと華やかな音を立て、フルーツやカナッペが運ばれてきた。
それは部屋に入ってすぐのことで、母上の手配の見事さが際立つ。

グエルティーノと婚約者も豪華な設えの王族専用の部屋を見回しながら、シャンパンを口にしている。
だが、そんな穏やかな雰囲気も母上の言葉で凍り付いた。

「ねえクレメンティ公爵、これはいったいどういうことなのかしら。この令嬢の首にあるのはクレメンティ公爵家の血を引く者に代々譲り渡すとされる『蒼龍の瞳』ではなくて?
これはエルシ―リアがデルフィーナ嬢に譲ったと思っていたけれど。何故この赤の他人の令嬢の首にあるのかしら? そのせいで首飾りの輝きが消えているわ」

グエルティーノの婚約者の首には、見事なサファイアの首飾りがあった。

「……王妃殿下、これはクレメンティを継ぐグエルティーノの婚約者であるこちらの侯爵令嬢に渡されたものです……」

「後妻の連れ子であるその者に、クレメンティの血など一滴たりとも流れていないでしょう? 
そもそも公爵、あなたはデルフィーナが二番目に産む子がクレメンティを継ぐまでの中継ぎに過ぎないというのに、何を戯けたことを言っているのかしら。
ねえご令嬢、ここでその首飾りを外してデルフィーナ嬢に返してごらんなさい。
輝きが消えていると私が言った意味が分かるわ」

扇を向けられたグエルティーノの婚約者が真っ青な顔になり、不安げにグエルティーノを見上げる。
昨日、王宮ですれ違ったデルフィーナ姿の僕を、見下した時のふてぶてしさがすっかり消えていた。

「お言葉ですが、王妃殿下といえども我がクレメンティ家のことに口を挟まれるのはさすがに……」

「黙りなさい。おまえが『我がクレメンティ家』と口にするのを聞くだけで吐き気がするわ。
さあ、その首飾りを今すぐ外して」

呆気に取られている公爵の隣のグエルティーノが、婚約者から首飾りを外して、震える手で母上に渡した。
母上はそれを僕の首につける。首のあたりに熱を感じた。

「……嘘だ……首飾りが……光を放っている……」

グエルティーノが茫然としながら呟いた。

「ほら御覧なさい。正しい持ち主、クレメンティの血を継ぐ者の首に収まってこそ、この首飾りのサファイアは輝くのよ。デルフィーナ嬢の母エルシ―リアの首元で輝いていたのを昨日のように思い出せるわ」

クレメンティ公爵は拳を握るようにして憤怒を隠せないでいる。
だが母上はそれに動じることもない。

「ドナーティ侯爵、あなたには何の怨みもないけれど、妻の行動にはもう少し気を回すべきだと思うのよ。クレメンティ公爵は、義理の息子の婚約者を通じて、ドナーティ侯爵夫人の首に『蒼龍の瞳』を掛けるのが夢だったのよ? クレメンティ公爵はエルシ―リアの夫になるよりそこのドナーティ夫人を娶りたかった。
今も二人がこそこそ世の中の目を掠めるように会っていることを侯爵はご存じではない?」

「ど、どうしてそれをっ……!」

そう叫んだドナーティ侯爵夫人は、ぐらりと倒れそうになった。
咄嗟に腕を伸ばして抱きとめたのは、ドナーティ侯爵ではなくクレメンティ公爵だった。
公爵はハッとしてドナーティ侯爵夫人を離したが、ドナーティ侯爵は怒りのせいか言葉を失っている。
クレメンティ公爵の後妻も、怒りを支えになんとか立っているように見えた。

「クレメンティ公爵も酷いわよね、後妻と結婚したのはちょうどいい年齢の連れ子がいる女性なら誰でも良かったと言わんばかりだもの。ドナーティ侯爵夫人の娘と結婚させることだけが目的だったのだから。
ところで、クレメンティ公爵、そろそろエルシ―リアの墓に参りたいのだけど、あなたはクレメンティの血を継ぐエルシ―リアをどこに埋葬したのかしら?」

「……そ、それは……」

「クレメンティ公爵家の墓地をくまなく探させたけれど、エルシ―リアの墓が見つからないのよ」

「お養父様、いったいどういうことなのですか? 亡くなった前妻の墓なら普通にクレメンティの墓地にあるはずでしょう? 何故言い澱むのです?」

グエルティーノは、困惑しながらクレメンティ公爵に言う。

「……エルシ―リアは……クレメンティの墓地には……埋葬していない……」

「クレメンティ公爵、そのことも含めて明日登城してもらいます。そこの跡継ぎとやらも一緒に来るのよ? 
クレメンティ家預かりの国宝について訊きたいことがあるけれど、既に調査は終了しているから逃げも隠れもできないわ。もちろん、ドナーティ侯爵夫妻もいらして」

クレメンティ家預かりの国宝について?
いったいどういうことだろうと思っていると、いきなりグエルティーノに腕を乱暴に掴まれた。

「おい、おまえだろう! おまえがクレメンティを追い出されたことを逆恨みして、こんなことを!」

僕は力いっぱいグエルティーノの腕を振り払った。
デルフィーナならこの愚かな義弟に何と返すだろう。
デルフィーナなら……。

「王妃殿下に言い返せないからと、私に向けることこそ逆恨みではなくて?」

グエルティーノは驚いたように目を見開いて、そして膝から崩れ落ちた。
母上は満足そうに緩めた口元を扇で隠したまま、

「明日、王宮で改めてお話しましょう」

そう告げて部屋を出て行き、母上の後に僕も続いた。


クレメンティ公爵家に対し、知らないことばかりだった。
母上は、僕がそれを問うていたら答えてくれたのだろうか。
先ほどの母上はいつもの母上のようではなかった気がした。

どうしてクレメンティ公爵家のデルフィーナが僕の婚約者になったのか、分かった気がした。
クレメンティの婿となった公爵は、クレメンティの血を途絶えさせようとしていた。
正しい血を継ぐ妻を亡き者にして、後はその娘であるデルフィーナも同じようにすればお家乗っ取りの完成だ。
母上はそれを阻止すべく、デルフィーナの母が亡くなってすぐに王宮に入れて守ろうとした。
本来クレメンティを継ぐべきデルフィーナを僕の婚約者にしたのは、母上が直接守るためだった。
その役目は当然僕にもあったのに、僕は……。

少なくともこれまでの僕がすべて間違っていたことは、このたった二日で嫌というほど解った。
クレメンティ家に代々伝わる『蒼龍の瞳』という名の首飾りにそっと触れる。
ああ、もしかしたら母上は、これをデルフィーナのためにクレメンティ公爵から取り返したかったのかもしれない。
母上がエルシ―リアと呼ぶデルフィーナの母との話を、聞いてみたいと思った。

結局エクトルは戻ってこなかったが、僕はもう部屋に帰ることにした。
明日はいよいよデルフィーナが目覚めるのだ。
僕が起きた時には、デルフィーナも僕も自分の姿を取り戻している。
だから眠る前にやるべきことがあった。
僕は目覚めたデルフィーナに、手紙を残しておこうと決めたのだった。



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