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第二環「目覚めの紫雲英は手に取るな」
2-6 モルフォの羽化 中
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まだ薄暗い広場に人はおらず、恒例の朝の井戸列もまだない。広場の中央にはシンボルである噴水がある。噴水の周囲には花壇が置かれ、魔力操作された噴水が自動で花壇に水の霧を吹きかける。初めて町を訪れた際に噴水を見つけたときは感動したものだ。庭園によくあった光景なのだ、懐かしくないわけがない。
あれからの天候は緩やかに穏やかであった。急激な変化があるわけでもなく、体が慣れるのと同時に暖かみを感じられる春だ。空は澄み渡り、山脈から降り注ぐ風は大地を浄化するようであり、土壌の改善も進んでいた。最も、セシュール・フェルド両国のプロフェッショナルによる尽力が大きいのは誰もが判っていた。
この町はもう十分復興できるだろう。主人が何より喜ぶ、何よりの土産話だ。それだけを伝えるためだった。
焦茶髪からは僅かに癖毛が遊び、男の風体を結論付ける役目を果たす。グリットは誰もいない広場で、幻影を見つめるかのように噴水を見つめていた。少年がここで立ち止まっていたときに声をかけていれば、少年が暴行を受けることも、痛く怖い思いをする事もなかった。
いきなり知らない男が話しかけ、普通は困惑して戸惑うだろうが、周囲には見知った町民や復興事業者もいたのだ。不審がられるわけでもない。どちらかといえば、少年の方が目立っていた。世話好きなセシュールの民、放っておけないフェルドの獣人たちしかいないのだ。皆が少年に注目し、どうやって声をかけて支援すべきかを算段していた事だろう。ここはそういう連中しかいない。
それでも、グリットは少年に声をかけることが出来なかった。少年が銀時計を持つ少年であるということは、すぐにわかったのだ。大旦那も女将も、だからこそ声をかけられなかったのだ。少年は主人の少年時代によく似ている。違うのは瞳の色と、髪の色だけだ。主人が欲しいと懇願していた色を持つ少年を、主人はどう思うだろうか。
少年の髪色は大旦那の言う通り、シュタイン将軍と同じであろう。だがあの髪は、魔力によって変色させられている。それが判るのは、グリット自身がその魔法をかけているからだ。主人は魔法をかける際、苦虫を噛み潰したような笑みを浮かべていた。だからこそ、周囲は彼に気づくことはないだろう。
少年の瞳は魔法ではない。そもそも、王族の印ともいえる深淵のサファイアブルーは、魔法で出すことは不可能だ。それが出来るのであれば、シュタイン家のヘーゼルの瞳問題も解決しただろう。それでもここはセシュールだ。恐らく、長年属国扱いを受けてきたフェルドの獣人たちとて気付かないだろう。それがルゼリア国の常識であるからだ。
グリットはまだ噴水を眺めたまま、黄金に輝く水の吹き出し口を眺めていた。かつて、友人に言われた言葉を思い出した。
「後悔というものは、感傷に浸るためにある。反省して改善がしたいのであれば、記憶を遡って冷静分析をすべき。そして、それよりも優先すべき事案は…………」
町の家々から人々が町へ繰り出し始めた。桶やツボを持つ男女が、井戸列を形成していく。列に並ぶという事がわかっていながら、彼らは特に急いだりしない。そこで偶然前後に並ぶ彼らとおしゃべりをしながら、番を待つのだ。セシュールの穏かな意識は、フェルドの獣人たちと相まって穏かな町を作る。主人は、ここまでの状況を詠んでいたとでもいうのだろうか。
「優先すべきなのは、目の前にある出来ることからやるということ。そして、出来ることなら楽しくやる。でなければ損、か……」
友人の教えは、気が付けば現れた別の友人が口にし、いつかの母がそれを伝えようとし、父親がそれを口にした。わかっていても、それが出来るかどうかは心の問題なのだ。
グリットは噴水や列の並びから離れ、食堂のある宿屋へ戻るのだった。
あれからの天候は緩やかに穏やかであった。急激な変化があるわけでもなく、体が慣れるのと同時に暖かみを感じられる春だ。空は澄み渡り、山脈から降り注ぐ風は大地を浄化するようであり、土壌の改善も進んでいた。最も、セシュール・フェルド両国のプロフェッショナルによる尽力が大きいのは誰もが判っていた。
この町はもう十分復興できるだろう。主人が何より喜ぶ、何よりの土産話だ。それだけを伝えるためだった。
焦茶髪からは僅かに癖毛が遊び、男の風体を結論付ける役目を果たす。グリットは誰もいない広場で、幻影を見つめるかのように噴水を見つめていた。少年がここで立ち止まっていたときに声をかけていれば、少年が暴行を受けることも、痛く怖い思いをする事もなかった。
いきなり知らない男が話しかけ、普通は困惑して戸惑うだろうが、周囲には見知った町民や復興事業者もいたのだ。不審がられるわけでもない。どちらかといえば、少年の方が目立っていた。世話好きなセシュールの民、放っておけないフェルドの獣人たちしかいないのだ。皆が少年に注目し、どうやって声をかけて支援すべきかを算段していた事だろう。ここはそういう連中しかいない。
それでも、グリットは少年に声をかけることが出来なかった。少年が銀時計を持つ少年であるということは、すぐにわかったのだ。大旦那も女将も、だからこそ声をかけられなかったのだ。少年は主人の少年時代によく似ている。違うのは瞳の色と、髪の色だけだ。主人が欲しいと懇願していた色を持つ少年を、主人はどう思うだろうか。
少年の髪色は大旦那の言う通り、シュタイン将軍と同じであろう。だがあの髪は、魔力によって変色させられている。それが判るのは、グリット自身がその魔法をかけているからだ。主人は魔法をかける際、苦虫を噛み潰したような笑みを浮かべていた。だからこそ、周囲は彼に気づくことはないだろう。
少年の瞳は魔法ではない。そもそも、王族の印ともいえる深淵のサファイアブルーは、魔法で出すことは不可能だ。それが出来るのであれば、シュタイン家のヘーゼルの瞳問題も解決しただろう。それでもここはセシュールだ。恐らく、長年属国扱いを受けてきたフェルドの獣人たちとて気付かないだろう。それがルゼリア国の常識であるからだ。
グリットはまだ噴水を眺めたまま、黄金に輝く水の吹き出し口を眺めていた。かつて、友人に言われた言葉を思い出した。
「後悔というものは、感傷に浸るためにある。反省して改善がしたいのであれば、記憶を遡って冷静分析をすべき。そして、それよりも優先すべき事案は…………」
町の家々から人々が町へ繰り出し始めた。桶やツボを持つ男女が、井戸列を形成していく。列に並ぶという事がわかっていながら、彼らは特に急いだりしない。そこで偶然前後に並ぶ彼らとおしゃべりをしながら、番を待つのだ。セシュールの穏かな意識は、フェルドの獣人たちと相まって穏かな町を作る。主人は、ここまでの状況を詠んでいたとでもいうのだろうか。
「優先すべきなのは、目の前にある出来ることからやるということ。そして、出来ることなら楽しくやる。でなければ損、か……」
友人の教えは、気が付けば現れた別の友人が口にし、いつかの母がそれを伝えようとし、父親がそれを口にした。わかっていても、それが出来るかどうかは心の問題なのだ。
グリットは噴水や列の並びから離れ、食堂のある宿屋へ戻るのだった。
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