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第二章・魔法少女たちの饗宴

第五話『ガーディアン③』

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 翌朝、リリィたち三人は登校時間が重なったせいもあって学院一階の下駄箱で鉢合わせる。たがいに朝の挨拶をかわして、上履きに履き替えて。
 そして教室へ向かおうとしたときに、隣のクラスの下駄箱前で立ち尽くしているパンジーが目に入った。その目はうるんでいて、唇が震えている。
「パンジーさん、おはよう!」
 マリィが笑顔で声をかけたが、こちらを振り向いたパンジーは必死に泣くのをこらえていた。怪訝そうに顔を見合わせる三人だったが、すぐにその理由が判明する。
 立ち尽くすパンジーの目の前、とある生徒のボックスだけに――。
「なっ⁉」
「ひどい‼」
「なにこれ……」
 三人が三人とも、ハッと息を呑む。パンジーの下駄箱に大きく、
『バケモノ!』
『早く学院やめろ‼』
『ビッチは死ね』
『豚人間』
 などと荒々しい筆跡で罵倒の文言が乱雑に書き込まれ、中には大量のゴミが投入されていて中にあるはずの上履きが見えないくらいだ。それによくよく見ると、小動物の死骸らしきものがむせ返るような血の臭いの入り混じった強烈な悪臭を放っていた。
 パンジーは震える手で、それらを一つずつ手に取っては床に落としていく。だが肝心の上履きは、投げ込まれた小動物の死骸で血濡れていて、とてもじゃないがもう履けそうになかった。
 無表情でそれを見つめるパンジー、おもむろに靴を脱ぐと自分のボックスにはもう入れられないので下駄箱の真上に置く。そしてリリィたち三人にペコリと小さく頭を下げると、靴下履きのまま教室へ向かうべく踵を返した。
「ちょっと待って!」
 思わずそう叫んで、リリィがパンジーの肩をつかんで止める。
「えっと、そのままだと足が汚れちゃうから……」
 そう言うが早いが、履いたばかりの自分の上履きの左を脱いで……と同時に、マリィも自分の上履きの右を脱ぎながら、
「リリィが左右とも渡しちゃったら、パンジーさん受け取ってくれないでしょ」
 ニッコリと笑い自身の右の上履きをパンジーに差し出した。
「パンジーさん、人の上履き履くの抵抗あるほう?」
 そしてリリィも、脱いだばかりの左の上履きを差し出す。
「え? え? え?」
 さきほどのまでの、死んだ魚のような目はどこへやら。すっかり狼狽えてしまったパンジーは、リリィとマリィが差し出す片方ずつの上履きを交互に見つめて軽いパニックに陥ってしまった。
「いや、あのっ⁉」
 狼狽のあまり慌てて両手で押し戻すように遠慮するパンジーだったが、リリィとマリィの差し出すそれを手に取ったのはララァだった。それをそろえて、パンジーの足元に置く。
「人の好意は受け取っておきなさいな。それに『それ』、あなたをいじめから守ってくれるかもしれない」
 ウインクをして、ララァが床に置いたそれを指差した。マリィが渡した右の上履きにはマリィの名前が、左の上履きにはリリィの名前が書かれている。
 つまりは、上履きを汚されたパンジーのためにリリィとマリィが一つずつ上履きを差し出して助けたということ。
「もしその上履きを汚すような奴がいたら、それはリリィとマリィに敵対するということだからね? まぁそんな命知らずさんはいないでしょうけど、それでもいたら私たち三人に教えてちょうだい」
 そう言ってパンジーの肩にポンと手を置いて、ふたたび遠慮する暇を与えないかのように足早に教室へ向かおうと……したララァの左からリリィが、右からマリィがララァの首に抱きついた。
「ぐえっ‼」
 踏まれたカエルのような音を出して、ララァが苦悶の表情を見せる。
「このままケンケンしていくのしんどいからさ、肩貸してよララァ」
 もうパンジーとは話が終わったとばかりに、リリィがララァにいたずらっぽい笑みを見せる。
「じゃあ私が合図するから、それで一歩目を踏み出そう!」
 マリィもリリィと同じく、パンジーを気にするそぶりも見せず悪ノリしてララァに有無を言わせない。もちろんリリィとマリィがそれぞれ一つずつ上履きがなくなってしまったことを、全然気にしていないのだとパンジーに見せつけているのである。
「いや、ちょっと待って! 重い……」
 それでもなんとか、左からリリィ右からマリィに抱きつかれたまま必死で歩みを進めるララァだ。そして遠ざかる三人の後ろ姿を見ながら、リリィとマリィの上履きを大事そうに握りしめて胸にあてて。
 静かに頭を下げて、
「ありがとう」
 そう呟いたパンジーの唇は左右の口角があがり、さきほどとは違い嬉しさで震えている。温かい涙が、あふれてくる。
(私も、あの人たちみたいになりたい……)
 パンジーは、心の底からそう思った。
 その日の昼休みも、リリィたち三人による『パンジーさんを人間に戻そう作戦』は続行される。といってもまだどう動いていいのかわからないので、とりあえずはパンジー本人からの聞き取り調査にとどまるけれども。
「はわわっ! 私はいったい……なにをやってるのでしょうか」
 パンジーは両手であらわになった胸を隠しながら、涙目で震えていた。
 昨日に引き続きここはパンジーの教室で、なんと制服を着ているのは下半身のスカートとソックスそして上履きのみ。いまのパンジーは、上半身が裸なのだ。
 そのパンジーの前の席にリリィが、後ろの席にマリィでララァが一人立っているのも昨日と同じである。だがクラスメートの一人が教室で上半身裸になっていても、誰ひとりとしてそれを気にするものはいない。
大丈夫だーいじょうぶ! ララァの結界内にいるから、誰もパンジーさんのことを気にしてない……というか気にできないんだよ?」
 まるでひとごとのように、あっけらかんとリリィが声をかける。ララァは、少し同情の視線をパンジーにくれていた。
 そしてマリィは……パンジーの後ろの席にいるのだが、少し険しい視線で彼女の白い背中を凝視していて。でもって、なんでパンジーが露出羞恥プレイをしているのかというと、それは数分前にさかのぼる。
浮遊城レリックキャッスルが?」
「はい……ちょうど手術・・を終えたばかりのころだったと思うんですけど、入院している病院の空を浮遊城が通りすぎるとき、背中がすごく熱くなったのを覚えています」
「ふーん、アレがね」
 パンジーのその言葉を受けて、リリィたち三人は窓の外を見やる。一ヶ月前にこの学院の空を通過したそれは、豆粒ほどの大きさになっているとはいえまだ遠い空に浮いているのが確認できた。
「リリィ、どういうことだろ? 前にマリィが冗談めかして言ってたけど、あの浮遊城が関係あったりするのかな?」
 ララァがそう言って首をかしげ、
「うーん……共鳴レゾナンスしている?」
 リリィもまた、あごに手をやって怪訝そうに遠くを移動中の浮遊城を見つめる。
「それでパンジーさん、その背中の熱いって現象はもう治まったの?」
「いえ、マリィさん。まだ少しヒリヒリします」
「どんな感じなのかな」
「夏の始まりとかで、腕が陽に焼けて……みたいな? 伝わりますか?」
「わかる」
(ふむ……まだ浮遊城は遠くにあるとはいえど、見えている。これになにか関係があるんだろうか?)
 無意識にやっているのだろうか、パンジーが片手で背中の肩甲骨あたりをブラウス越しにポリポリと掻いた。そんなパンジーを何気に見つめながら、
「ねぇ、ちょっとここで脱いでみせてくれる?」
 なんて言い出したのはマリィだ。
「へ? 脱ぐ?」
 さっぱりわけがわからないといった感じのパンジーだったが、
「あの? ここで、とおっしゃいました?」
 まさかとは思いつつも、おそるおそるマリィに確認。
「もちろん。あ、ララァの結界は視界の阻害認識もやってるから大丈夫」
「なにが大丈夫なんですか!」
 そして助けを求めようとリリィの方向に振り向いたのだが、
「じゃあ、ボタンを外しましょうねぇ~」
 そう言って両手を伸ばし、パンジーのブラウスを脱がしにかかるリリィ。
「ひぇっ!」
 思わずリリィの両手をはねのけようとしたパンジーの左手を後ろからマリィが、右手をララァがガシッとホールドして。そしてあれよあれよとブラまで取り上げられて、パンジーは教室で自分だけが上半身裸という謎プレイを強要されてしまったのだ。
「う、うふ、うふふ……これなんていうプレイ……」
 もう究極にテンパッてしまったパンジーの口から、自虐的な言葉がもれる。もはや異次元としか思えないその状況に、その白い両肩が恥辱で震える。
 対してリリィはニマニマと笑いながら、
「パンジーさん、結構大きいんだねぇ」
 と鼻の下を伸ばしていた。
「リリィ、脱がした目的を忘れた?」
 ララァが呆れたようにボヤくが、さっきからマリィは厳しい視線をパンジーの背中に注いだままである。
「あ、そうか。背中! マリィ、どうなってる?」
「うん、リリィ……これはビンゴかもしれない」
「え?」
「マリィ、どういうこと?」
 一人だけ立っていたのもあり、フットワークが軽いララァがマリィの横までやってきてパンジーの背中を注視する。
「なっ⁉」
 そしてハッと息を呑んで、両手で自身の口を覆ってしまうララァだ。
「ちょっとちょっと、なんなの?」
 ガタッと立ち上がり、リリィもパンジーの背中側に回った。そして同じく、
「なにこれ……」
 と絶句してしまう。パンジー自身は自分の背中が見えないので、
「え? え? え? な、なんですか⁉ わた、私の背中になにが?」
 自分の背中を見ようとなんとか努力するが、当然ながら自分の背中を鏡を使わずに見るなんてのは不可能だ。だから得体のしれない恐怖に襲われても、それは無理からぬことだったろう。
 そのパンジーの白い背中には、うっすらと魔法陣のようなアザというべきか日焼けというべきか。そんな紋様が浮かび上がっているのである。
「薄くはなってるけど、これは……魔法陣?」
 ララァが呆然とつぶやけば、
「うん。多分だけど、あの城が病院の上空を通りすぎるときはクッキリと浮かんでたんじゃないかな」
 とはマリィの考察である。
「魔法陣……というよりも、これって」
 リリィがそうつぶやきながらパンジーの白い背中に手をピタッとくっつけるものだから、
「ひゃっ‼」
 と嬌声をあげてパンジーは飛び上がってしまった。
「あぅあぅ~、もうわけわかんないよぅ」
 そしてついには、泣き出してしまう。
「あ、ごめんね! この変態リリィにはあとでよく言っておくから‼」
 ペシッとリリィの手甲を叩きながら、ララァがフォローを入れた。
いったいなぁ……まぁそれはともかくさ、これってば『アレ』じゃない?」
「やっぱ、リリィもそう思う?」
 なにかに気づいたといった感じのリリィに、ララァが同調した。そして最初に気づいたであろうマリィも、
「まぁ『アレ』でしょうね。ただそれが、パンジーさんの体質変化にどう関わってくるんだろう?」
 なんて意味深につぶやくものだから、パンジーの恐怖は絶頂ピークを突破する。
「なななな、なんですか⁉ アレって? 私の背中になにが‼」
「うん。ちょっと訊くけど、パンジーさんは誰かに呪われたことある?」
「マリィさん? 呪われ……え?」
 パンジーが思わずキョトンとしてしまうのも、無理からぬ話だ。隣のクラスの有名人三人組がいきなりやってきて、自分を上半身だけとはいえ裸にひん剥いてこれである。
「あのね、パンジーさん? あなたの背中に『呪紋』が浮かび上がってるの」
「え? 呪紋⁉」
「うん……」
 説明を引き継いだリリィが、ふたたびパンジーの背中をなでまわした。そのゾゾゾーッとする感覚で、パンジーは思わず隠していた両胸をあらわにしてピキーンとのけぞってしまう。
「だからリリィ、気軽に女の子の裸を触っちゃダメだよ」
 ララァがそう言って、リリィの手首をガシッとつかむ。そしてそれ以上パンジーの背中が蹂躙されるのを止めるのだが、
「……気軽に脱がせるのもダメだと思うんです」
 小声でそうつぶやきながら、パンジーは再び両手で両胸を覆って隠した。
「ねぇリリィ、ララァ。もし……もしもよ? 小鬼豚の体液を取り込んだことによる体質変化が、物理的なそれじゃなくて呪術の類だとしたら」
 パンジーの裸体には興味なさそうに、マリィが腕を組みながら推察する。
「あ‼」
 ハッとしてマリィの顔を見るリリィに、
「『解呪ディスペル』すれば、もしかすると?」
 ララァも慎重にではあるが、それをマリィに確認する。もしそうじゃなかった場合にパンジーの心を傷つけてしまいかねないのもあって、慎重に言い方を選んだ。
「可能性だけどね? そして鍵は、あの聖遺跡レリック……浮遊城にあるのかもしれない」
 マリィがそう言って窓外の遠く、もはや豆つぶほどの大きさにしか見えない天空を移動する城に視線を移した。そしてマリィとララァ、パンジーがそれにならう。
「よし、行ってみようか!」
 間髪を入れずリリィがそう言いだすものだから、
「どこへ? いや、わかってるけど……」
 ララァもプッと噴き出しながら、苦笑いを浮かべる。
「まぁ法律違反ではあるけどね、バレなきゃいいのよ」
 マリィはマリィで、『天才にして天災ジーニアス・ディザスター』の二つ名もダテじゃない。
「さて、そうと決まれば善は急げね。お先に失礼!」
 そう言って立ち上がったのはリリィ。そして、
黒曜石オブシディアン・ストゥーパ、アクセス‼」
 と手早く変身するが早いが、魔法の箒に乗って窓外へ飛び出していった。
「早い早い! 待ってよ、もぅ‼」
 慌ててマリィも立ち上がり、
燐灰石アパタイト・ストゥーパ、アクセス!」
 こちらも大慌てで変身して、素早くリリィのあとを追って窓外に飛び出していく。
「……はぁ」
 遠ざかっていくそんな二人を呆れたように見つめながらララァも、
黄玉トパーズ・ストゥーパ、アクセス!」
「あっ、ララァさんちょっと待っ」
 二人に遅れて、ララァも続いた……のだが。結界を張っていたのはララァだ、つまり術者がその場にいなくなったわけで――。
「キャアアーッ!」
「え、なんで裸⁉」
「おまわりさん、こいつです!」
 結界が解けて取り残されたパンジーは……教室で一人、いきなり上半身裸で窓側に立って外に向けてその裸体を露出しているのだ。スカートは履いているのが逆に仇となり、その珍奇な恰好は衆目を集めてしまう。
 幸いにして、背中の呪紋は近くでよく見ないとわからないレベルだったのは不幸中の幸いだったかもしれない。だがパニックになったクラスメートたちの視線がその白い背中に突き刺さり、教室は甲高い金切声に包まれて阿鼻叫喚の混沌カオスと化した。
「えぅっ⁉」
 パニックとなった背後をおそるおそるギギギっと振り返ったパンジーの頬が、まるでえくぼのように引きつって。上半身裸のパンジーを、珍奇の目で見つめるクラスメートたち。
「……ひっ‼」
 そして哀れパンジー、涙目で立ったまま泡を吹いて気絶してしまったのである(チーン)。
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