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第二章・魔法少女たちの饗宴

第五話『ガーディアン②』

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 一ヶ月後、パンジーが登校してきた。隣のクラスでは、誰もが彼女を遠巻きに見てヒソヒソしている。
 最初の授業前、次々と生徒たちが登校してくる時間帯だ。
小鬼豚レッサーゴブリンに姦されて、それを産むための身体になったなんてバケモノ……誰も近づきたくないよね、ははっ!)
 その表情に浮かぶのは、絶望をとおりこして虚無だ。それはまるで感情を持たない人形のようでもあり、虚ろな瞳はどこを見ているのかさえわからない。
 この時間はいつも仲良し五人組でおしゃべりしているのだが、ほかの四人はそそくさと教室を出て行った。だがそれも無理もないと、パンジーも納得はしている。
(それでも私は、学院をやめるわけにはいかないっ!)
 気を取り直して顔をあげたとき、パンジーと目が合った……というか前の席に座ってこちらを見ていたのは。
「え⁉ えっと……隣のクラスのリリィ・ベルさん、よね?」
「うん。パンジーさんだよね、話すのは初めてかな」
「あ、はい。はじめまして???」
 パンジーの前の席は、さきほど出て行った四人の中の一人の席だ。そこに隣のクラスのリリィ……誰もが知る『ベル』の称号を持つ最強の魔法少女がいるものだから、パンジーは状況が把握できなかった。
「えっと、クラス間違えてますよ?」
 そりゃパンジーとしては、そう言うしかないだろう。平民出身とはいえど王家からも一目おかれる男爵であるリリィと自分とでは、学院における立ち位置がまったく異なる。
 なのでリリィたち『ベル』持ちに話しかけることができる生徒なんて、同じクラスの人間か貴族令嬢ぐらいしかいないのだ。
 だからもちろん、リリィが自分に用事があるなんて露ほども思わないのは無理もなかった。
「あなたとちょっと、お話ししたいなって思って」
「リリィ・ベルさんが……ですか?」
「そ。私のことはリリィでいいわ、うしろにマリィもいるよ」
「へ?」
 慌ててパンジーは振り返る。
 後ろの席もまた、先ほど出て行った親友の一人の席のはずなのだ。だがそこに座ってニコニコと無言で笑みを浮かべているのは、リリィと同じく『ベル』持ちで『天才』の二つ名を持つマリィ・ベル。
「あ、こ……こんにちは?」
「こんにちは、パンジーさん。私のこともマリィって呼んで」
「は、はぁ……」
(なんで学院の有名人が私なんかに……やっぱ、小鬼豚に姦られて人外になっちゃった私が珍しいんだろうな)
 そう結論付けたパンジーだが、不思議と怒りは沸いてこない。自分が逆の立場だったら、被害に遭った子をやっぱり色眼鏡で見てしまうだろうなと思っているからだ。
(ふふ、すっかり珍獣扱いだなぁ)
 自虐的にそう思ったが、むしろこの三人にそれで興味を持ってもらえたのが内心複雑なパンジーである。
「それであの……リリィさん? 私に話とは?」
「うん、それなんだけどね。あ、ララァお願い」
「ほい」
「え⁉」
 いつの間にかリリィの隣にララァが立っていて、これでパンジーの周囲には『ベル』三人衆がそろったのだった。
「『秘密の花園セークレトゥム・ホルトゥス』!」
 ララァがそう詠唱すると、とたんに周囲から音声がやんだ。会話をしているクラスメートがあちこちにいるのだが、その声がまったく聴こえてこないのだ。
 だがパンジーが驚いたのはなによりも――。
「え? 変身してないのに魔法を⁉」
「そこに驚くかぁ……」
 リリィは苦笑いである。とはいえこの学院で未変身状態からある程度の魔法が使えるのはリリィたち三人の『ベル』持ちだけなのだから、パンジーが驚くのも無理はなかった。
「これで、私たちの会話は誰にも聴こえないから安心して?」
「これはララァさんの結界魔法、ですか?」
 ニッコリと笑って、リリィとララァがうなずいた。結界魔法は、ララァのもっとも得意とするジャンルだ。
「それで、パンジーさん」
「はっ、はひぃ‼」
「いや、なんで驚いたの……」
 パンジーのオーバーリアクションで、リリィとララァがびっくりして引き気味になる。
「まぁいいや。あのね、まずはこのたびのアクシデントはその……ご愁傷様でした?」
「あ、ありがとうございます?」
 どう切り出してよいのやらわからず、トンチンカンなことを言い出すリリィ。対してパンジーもわけがわからず、なぜかお礼を言ってしまう。
「でね、私……私たちはパンジーさんを救いたいの」
「私を、救う?」
「うん」
 そう言い放つリリィの瞳はどこまでも優しく、遠巻きにヒソヒソと陰口を漏らしながら見ているクラスメートとは全然違った。だからパンジーも、その言葉に嘘はないと確信して……涙が止まらない。
「わ、わた……私を救う、って?」
「あの! 期待させたらゴメンだけど、結果を保証というか約束はできないの。ただ」
「ただ?」
「頑張って、みたい」
「リリィさん……」
 だがパンジーは、途方に暮れた。実際にあった悲劇をなかったことにはできないし、遺伝子レベルで変質してしまった自分の身体をもとに戻す手立てはないのだ。
(私の友達になってくれるということかな?)
 でもそれでも、十分パンジーには嬉しいことだし救われる。今回の事件で友達を失ってしまったが、新しい友達もまたできたのだ。
「あの、本当に……私なんかの友達になってくれるんですか?」
 おそるおそるそう切り出したパンジーだったが、
「へ? 友達?」
「なんのこと?」
 リリィとララァが顔を見合わせて、キョトンとしている。自分の勘違いだとすぐに気づいて、パンジーはサーッと青ざめるやら赤らめるやら。
「ごっ、ごめんなさい! 勘違いしてました‼ ……そうですよね、私みたいなバケモノと友達だなんて」
 そう言ってパンジーは、シュンとうなだれてしまう。
「ったく! リリィはアホの子かな?」
 パンジーの背後で、マリィが呆れたようにつぶやいた。
「あのね、パンジーさん。私たちは魔法レベルでパンジーさんをもとに戻せないかなって、そう思ってやってきたの」
「魔法レベル、で?」
「うん。たださっきリリィが言ったように、結果は約束できない。頑張ってみるっていうことしか、いまは言えないのね」
「マリィさん……」
「もちろん、『友達』として頑張らせてもらう。私もリリィも、ララァも」
「うっく……」
 もうもとの身体に戻れないことはわかっている。それでも学院屈指の天才三人組が、なんとかしようと頑張ってくれると約束してくれた。
 しかも友達になってくれるというのだ、パンジーの目から大粒の涙がこぼれ落ちる。しばらく泣きじゃくっていたパンジーだったが、ほぼ泣き止んだところでリリィが口を開いた。
「でね、いくつか質問あるんだけど……つらかったら言わなくていい。OK?」
「は、はい。なんでしょうか!」
 パンジーとしてはワラをもすがる、というよりは新しくできた凄い友達に嫌われたくない。だからなんでも答えようと、リリィに向けて食い気味に上半身が傾く。
「あ、いや。気楽にして?」
 その圧に少したじろいでしまったが、リリィが安心させるように微笑んで見せた。
「まず一つ。ビフォーとアフターで、身体の変化はある?」
「えっと、手術前と後ってことですか?」
「……ううん、そうじゃなくて」
 卵巣摘出の手術前後なんて、絶対口にしたくないだろう。だからそれには触れまいと事前になんども三人で確認したのに、当の本人が聞かれたら言いますよという態度だったのでリリィは戸惑った。
「そっちじゃなくて、ええと? 人間だったときとそうじゃなくなっ……た、ときでもなくて」
 だがこっちはこっちで別の意味で訊きにくいので、リリィの顔から冷や汗が止まらない。
「ふふ、遠慮なくおっしゃってくださいな」
 リリィの葛藤を察したのか、パンジーはそう言って噴き出した。
「つまり人間だったときと、こうしてバケモノになってからの身体の変化の差を訊きたいんですよね?」
 パンジーが放つその言葉があまりにもド直球だったものだから、リリィも肯定がしづらい。だが否定しては話が長くなるので、そこは無言でうなずくリリィだ。
「そうですね。まず平熱が」
 そこまでパンジーが言いかけたとき、ひとり立っていたララァが手のひらでパンジーの口をふさぐ。
「(フゴ?)」
「ごめんなさい、パンジーさん。あのね、ちょっと約束してほしいことがある」
 ララァのその行動はリリィとマリィにも打ち合わせてなかったのもあって、二人とも訝し気な表情を浮かべた。
「さっき、自分のことを『バケモノ』って言ったよね?」
 まだ口を押えられているので、パンジーは無言でコクッとうなずく。
「パンジーさんはバケモノじゃない、むしろバケモノは私たちだったりする」
「……」
 突出した天才であるがゆえに、ララァたち『ベル』三人衆はそう畏怖されている。普段ならリリィとマリィから、
『誰がバケモノよ!』
 とツッコミが入るところだが、空気を読んで二人ともパンジーを無言で優しく見つめていた。
「だから、自分のことをバケモノだって言うのはやめて?」
 そう言ってほほ笑みかけるララァに、
「だね!」
 とリリィが同意する。パンジーの後ろで、マリィが無言でうなずいた。
 パンジーの口を押えているララァの手甲が、大量の涙で濡れそぼる。ふたたび涙が止まらなくなったパンジーだったが、コクコクとなんどもうなずいて見せた。
「パンジーさんて、笑うとえくぼができるんだね」
 まだパンジーの口を押えているララァの指先が触れている頬肉に、沈む感触がある。
(え……私、笑っているのか)
 パンジーは、自分のことながら驚いた。被害にあってからずっと、笑うことを忘れていたから。
 もう大丈夫と判断して、ララァがパンジーの口から手を離した。
「じゃあ続けようか、リリィ」
「ん! さっきなにか言いかけて……平熱?」
「あ、はい。平熱がだいたい三十八℃から三十九℃になりました」
「ふむふむ、猫ちゃんになっちゃったわけね。ほかには?」
 猫の平熱がだいたいそのくらいなのだが、そのリリィのさりげないボケにマリィとララァはもちろんパンジーも噴き出す。
「ええっと、生理が来なく……ってこれは避妊手術のせいですね、すいません」
「いや、謝らなくていいから。ほかには?」
 同じ女性として泣きそうな表情を一瞬浮かべたリリィだったが、そんな顔は見せちゃいけまいとすぐに表情を戻した。
「食欲が増しましたね、ご飯をおかわりすることが増えました」
「成長期だからとかじゃなくて?」
「もともと、食は細いほうなんです。だから、小鬼豚とエッチした影響の可能性が大きいかと」
「言い方!」
 パンジーの捨て身のジョークに笑っていいのかどうかがわからず、ツッコむリリィの頬が引きつる。
「あはは、すいません!」
 だが自身のそれがウケたのが可笑しいのか、そう言って謝るパンジーのほほに可愛いえくぼが浮かんだのだった。
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