長命種の愛は重ため

うづき

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4-1.催眠

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 フィラスの家で、ユーリへのお祝いを考えている内に、時刻は刻々と過ぎ、夜になった。
 そろそろ帰らなければならない、という頃合いである。

「じゃあ、そろそろ帰ろうかな」
「どうして? 泊まって行けば良いのに」

 フィラスはなんでもないことのように提案をしてくる。その様子を見ると、本当に犬や猫のように思われているのだろうな、とエステルはなんとなく苦笑を零してしまう。
 フィラスから見たら、確かにエステルは子どもか幼児くらいの年にしか見えないだろうが、エステルからしたらフィラスは妙齢の美人な男性である。二人で一夜を過ごした、となると、やはり外聞が悪い。

「ううん。帰るよ」
「――駄目だよ。もう夜も遅いんだから。僕から、エステルのご両親に連絡をしておくから、泊まると良い」
「いや、でも、その……。だ、駄目だよ。変な噂が……」
「変な噂?」
「一緒に居た、とか、そういう……」

 もごもごとエステルが言葉を口にすると、フィラスは微笑んだ。柔らかな微笑みは、花が咲く間際を思わせる。

「僕は気にしないよ。それに、エステルがもっと、うんと小さい頃は泊まっていったでしょう」

 言いながら、フィラスは両手で小さな丸を作った。……人間で言うところの、赤ん坊かそれくらいのサイズ感を示す。そんな小さくなかった、と言う文句が喉の奥から出かかって、エステルはゆっくりと息を吐き出した。実際、フィラスにはそう見えていたのかもしれない。ならもう、訂正するのも野暮というものだろう。

「……確かに、幼い頃は泊まっていたけれど……でも」
「なら、同じだよ。幼い頃に泊まるのも、今泊まるのも。だって既に一度以上は夜を過ごしているんだから」
「言い方!」
「変かな。じゃあ、枕を一緒にして、寝ている?」
「絶対わかってて言ってるでしょ……!」

 誤解を多分に招きそうな言葉を駆使している。エステルが目を眇めると、フィラスは笑った。
 ころころと弾むような笑い声を上げて、エステルを見つめる。

「とにかく、もう君と僕の関係性は知れ渡っているのだから、急に気にしなくても良いんだよ。気にするなら、もっと昔から気にしていないと」
「それは……」

 確かに、そうかもしれないが。なんとなく、フィラスと話していると、いつもエステルの思う所と違う部分に会話が着陸することがある。今もそうだ。結局の所、エステルはフィラスに強く出られない。惚れた弱み、兼、幼い頃に落ちる所を助けてくれた恩義があるからだ。

「……ねえ、エステル。夜も遅い。今から家へ帰る方が、危ないよ。泊まって。今日は食料もあるんだから」

 美しい瞳でじっと見つめられると、エステルは否定の言葉を吐き出すことが出来なくなる。口ごもると、それを肯定と捉えたのか、フィラスが目を細めた。

「――今日はエステルの好きなものを作ろうか」

 軽やかな口調でそんなことを言われると、エステルの中で燻っていた感情が、水に濡れたように力を無くす。エステルは首を振ると、「……お母さん達に、手紙、書いてからね」と囁いた。
 フィラスが笑う。エステルは結局、フィラスには敵わない。


 フィラスと共に食事を作り、食べ終える。程なくして、二人で椅子に座り、ユーリへのお祝いを考える会を再開する。ユーリのことをよく知っているエステルに、魔法なら何でも出来るし知っているフィラスが加わると、やりたいことがどんどんと膨らんでいく。いくつかの案を出し合った後、エステルはそっと息を零した。
 ユーリが喜んでくれる所が、目に浮かぶようである。当日が楽しみになってきた。

「でも、ユーリが居なくなると寂しくなっちゃうなあ」
「隣町なんだろう? なら、すぐだよ」
「それはフィラスにとって、でしょう。普通の人間は馬車に乗りついで数時間もかかる所は遠いって思うんだよ」
「そっか。そうだ、それなら、僕が連れて行ってあげようか。魔法で空中を行けば、すぐにつく」
「……それはフィラスの負担が大きいから、駄目」

 エステルは首を振る。冗談で言ったのでは無い、ということがわかるから、すぐに否定をした。フィラスは瞬いて、「エステルは僕を頼らないね」と静かに続けた。

「自慢じゃないけれど、僕は魔法が出来るから。ずっと昔は色々な人に頼られたものだけれど……」

 フィラスがこうやって過去のことを話すのは珍しい。基本的にフィラスは他の人達と話す時、聞き役に徹しているように見える。エステルと話す時は、むしろ沢山話したいことがあるのだ、と言わんばかりに話し役に回ることが多いのだが。
 それであっても、フィラスの過去というのは、あまり語られることがなかった。エステルはフィラスを見つめる。

「確かに、フィラスは何でも出来るから。魔法、そんなに出来たら、貴族が喜んで召し抱えようとしそう」
「ああ、うん、そうだね。何度か勅使が来たことはあったな。全部、断ったけれど」

 フィラスは何でも無いことのように言う。勅使――というのは、多分、この国の王からの命令を授かってやってくる伝令兵のことを言うのだろう。それを断った、とは。

「だ、大丈夫だったの?」
「大丈夫だよ。彼らだって、僕の機嫌を損ねて敵に回られることが一番厄介だっただろうからね。こっちにも与しないけれど、あっちにも与しない、ということさえわかったら安心だったんじゃないかな」
「……フィラスって本当に大魔法使いだったんだね」
「ふふ。そうだよ。大魔法使いだよ」

 フィラスは笑う。ころころと子どものように表情を変える、目の前の『神に愛されし隣人』が、とてつもない年長者で、かつ、魔法の技巧にも優れている、ということを、エステルは時々忘れそうになる。

「何か願いがあるなら、叶えてあげようか」
「うーん。今はユーリの結婚式を終えることしか頭になくて……」
「エステルは欲がないなあ。お金が欲しい、とか、金銀財宝が欲しい、とか、無いの?」
「無いよ。というか、あったとして、出してくれるの?」
「エステルのお願いなら、頑張るよ」

 フィラスの言葉にエステルは笑う。頑張らなくて良いよ、と笑いながら手を伸ばし、その髪に触れた。指先で撫でるように櫛梳くと、フィラスが嬉しそうに喉だけで笑う。

「ああ、でも、そうだな、一つだけお願いがあるかも」
「何?」
「私が居なくなった後のことなんだけど……」

 居なくなった後。フィラスが、言葉の輪郭を辿るように口にする。エステルは頷いた。

「居なくなった後も、時々で良いから、村に出てきてね」
「……どうして?」
「どうして、って。うーん。なんていうか、ほら、私は結局先に死んじゃうでしょう。それに、それ以前に、どこかへ嫁にも行くだろうし……、そうなった後に、フィラスがこの家に一人きりで過ごしているのは、少しだけ寂しいなって思ったの」

 フィラスは答えない。ただ感情をすっとこそぎ落としたような顔で、エステルを見つめる。

「フィラスは良い人だから。だから、色んな人に囲まれて、幸せで居て欲しいなあって。なんて、その、一人で居るのが不幸せってわけではないんだけど」
「……エステルって、時々、酷いことを言うよね」

 フィラスが僅かに息を詰まらせて、静かに言葉を口にする。酷いこと――を、言った、だろうか。わからない。ただ、居なくなった後も、村の人達と交流を続けて欲しい、と思って、口にしたのは、少し偽善のように感じられたかもしれない。
 本当なら言葉を翻すべきだろう。さっきのは無し、と言えば良い。だが、エステルは首を振った。実際、先ほど口にした言葉は、エステルの中で――とても、とてつもなく、大事なことなのだ。

 フィラスと視線が合う。エステルを見つめたまま、フィラスが手を伸ばしてきた。指先がそっとエステルの頬に触れ、そのままゆっくりと喉におちて、肩の輪郭を撫でる。少しだけくすぐったくて――それ以上に、甘さの滲む行動だった。
 フィラス、と名前を呼ぶと、フィラスは相好を崩してエステルを見つめる。柔らかな微笑みは、見るだけで人の心を容易く掴んでいく。

「居なくなった後のことを話すなんて。駄目だよ。――それに、エステルは僕が良いって言ったじゃないか」
「も、もう、それはだから、昔の話で」
「昔の話、かあ。でも、約束はしたのだから。破る前提で話をしたら、駄目だよ」

 フィラスの指先がとん、とエステルの鎖骨のあたりを擽るように動く。ふ、と息を零しながら肩をすぼませると同時に、軽く指を弾く音が聞こえた。
 ぱちん、と鳴ったそれが、反響するように脳内を支配していく。酩酊したような感覚を覚えて、エステルは僅かに息を詰まらせた。
 頭に薄もやがかかったような感覚だ。――あまり、覚えのない――けれど、どうしてだろう、この感覚を以前から知っているような気がする。
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