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大帝動乱

5、綺麗事しか残っていない①

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ハリージャ視点です。時系列的には4と同時期。ちょっと長めです。
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「レギナス・フォン・ヴェルスングには注意してください」

 ムギン家分家の応接間。大公家や騎士男爵家の当主が集まる作戦会議の場でフギン・ムギンは一同を見渡して告げた。

「知恵者と言われるレギナスは大家令としての腕も帝国史の中で随一です。実際、彼が行った施策によって帝国の治安は安定し、文書記録や領地見分などの内省的な仕組みも整いました」

 ハリージャの説得で“騎士潰し”に対する謀反―――すなわち“貴族潰し”に参画すると決めたフギンの行動力は見事なものだった。

 彼はまず、嫁や子どもたちに遺言状をしたためた。
「己はムニン家から離反する」と訴えた夫に対し、騎士家の血を継ぐ妻は「死ぬまであなたについて行きます」と返した。結果的に今回の“騎士潰し”を知った奥方の実家――もちろん騎士男爵家だ――はフギンに従うことになった。
 水面下では、武力を背景にムニン公爵家の当主交代劇が進んでいる。

 また、皇帝に陳情する際の帝都包囲計画を作り上げたパルチヴァール伯爵家当主のキオート、現皇帝体制下の帝国軍を支えると言われる名将、ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ大公もこの場にいた。

 フギンが説明を続ける。

「ただし、有能すぎるがゆえにヴォーダン皇帝を裏で操っているのではないかとも言われています。現に、昨今の高爵位貴族の優遇施策はかつてお聞きした陛下の考えとは異なるものです」

「それはむしろ陛下が心変わりしたのだと考えるのが自然ではありませんか。自分の周囲を優遇したいと思うのは権力を手に入れた人間としては当然の心持ちでしょう。それを大家令が止めきれずに現在の騎士弾圧に繋がっているのでは?」

 キオートが疑問を呈する。軍策の立案能力もある彼は物事を冷静に判断することができる男だ。実際、今の疑問についてはハリージャも考えを巡らせていた。
 騎士の名門であるヴェルスング家の当主だったレギナスが、騎士弾圧を容認するとは一般的には考えにくい。

「どうかな」

 ぼそりと呟いたのはエッシェンバッハ大公だ。豊富な髭を蓄えた老齢の将軍。
 普段は戦争狂と呼ばれているが、爵位の低いハリージャが突然邸宅を訪れても追い返すことなく、対等に話をしてくれた人格者でもある。

 彼は皇帝ヴォーダンによる一連の騎士弾圧には反対の立場を示しており、ヤルンヴィット家から“騎士潰し”への誘いが来ても応じなかった。
 一方で、今回の騎士たちの陳情が帝国への反乱と受け取られ、皇帝を苦しめる可能性があるのならば即座に辞退するとも明言している。

「陛下は軍事に明るいとは言えないが、騎士に圧制を敷けば帝国軍が弱体化することは分かっておろう。ヴォーダン皇帝は良くも悪くも国を乱す方ではない。言ってしまえば、そういうお方なのだ。―――だからこそレギナスの腕が存分に振るわれたわけだが」

 ヴォーダンが帝位に就いてからの20年は、停滞の20年だったと言える。

 フギン・ムニンが言ったように国の秩序は保たれた。しかしハリージャに言わせれば、それは現状維持でしかない。

 バナヘイムは国家として大きく成長し、グルヴェイグは軍需産業に手を付け経済的な立ち位置から大陸を支配しようとしている。 加えて、エインヘリヤルから逃れた巫女が建国したとされるニーベルンゲン。かつてバナヘイムの護民長官(政治家のトップ)だったワーグナーがかの国の巫女と結婚して王位に就いたこともあり、国家として急速に成長している。

 そして、ニーベルンゲンや帝国の領土を虎視眈々と狙う豪族の国、カドモス。

 20年もあれば帝国はさらに力をつけ、領土を拡大することも容易だったはずだ。


「いずれにせよ、やはり騎士たちが皇宮に上り、直接陛下のお心を伺う以外には現状を打開する方法がありませぬ」

 キオートが言い、フギン・ムニンが頷く。

「ようするにレギナスというのは、何を考えているかよく分からない奴ということだな」

 今度は一同の視線がハリージャに集まった。

「その大家令様を説得しに行ってくる」

 ハリージャは姿勢の悪い背を伸ばしながら、手を上げた。


 ◇


 ヴェルスング家の領地に着いて馬車から降りると、銀髪の青年が近づいてきた。養子のシグルズだとすぐに分かった。確かに女どもが好みそうな造形をしているが、ハリージャから見れば子どもだ。まだ修羅場を潜り抜けたことのない、子どもの顔。
 興味がないのですぐに視線を戻し、執事の案内に従ってヴェルスング邸へと足を進めた。



「はじめまして。ハリージャ殿」

 レギナスはヤルンヴィット家に来訪したときと同様の穏やかな表情でハリージャを自室に迎え入れた。
 きっちりと撫でつけられている白髪はわずかに灰色がかっている。瞳も同じ色合いだった。
 優しい笑顔を向けられてもなお彼の全身には威厳が備わっている。

 レギナスの自室は品の良い調度品が並んでいた。木目のかたちを生かしたサイドテーブルや荒い彫刻と深い色味を調和させたチェストなど、豪奢というよりは素材の「味」を引き出した家具類が目立つ。

「先日、ヤルンヴィット家で会ったな」

 紅茶を嗜みながら言われたその一言。ハリージャは全てを見透かされていると感じた。

 大家令がなぜヤルンヴィット家にいたのか、その理由を聞きたいのだろう? 

 小手先の理屈が利く相手ではないと悟る。
 部屋の中にはレギナスとハリージャの2人だけ。
 ハリージャは単刀直入に聞いた。

「なぜ、私の父と兄をたぶらかして“騎士潰し”を画策されるのですか」

 レギナスは片眉をわずかに上げた。が、それもわざとらしく見える。動揺は感じられない。

「私はヴォーダン皇帝の大家令だ。騎士たちが謀反を企てるのなら、それを防ぐのが役目」

 率直な物言いをしたのはハリージャが先だったが、その回答はどこかで誤魔化されるだろうと思っていた。だからこの答えには驚いた。
 たぶらかしたことも、騎士の謀反計画を漏らしたことも。
 この大家令は全てを認めるというのか。
 
「ならば軍を動かすなり、法で処罰するなりすればいいでしょう。なぜ、私の父と兄に謀反のことを漏らしたのです」

 まるで貴族たちが悦ぶことが分かっていたかのように。

 そうだ、レギナスはこの謀反をヤルンヴィット家に伝えることで身分主義の貴族たちが喜び勇んで騎士潰しを企てることが分かっていたのだ。
 貴族たちはレギナスの手の上で踊っているにすぎない。

 レギナスは少しだけ口元を上げて首を傾けた。その笑みはハリージャに対して「よくできた」と褒美を与える強者のそれだ。
 相手の底が見えない。空気が張り詰める。ハリージャの手には緊張から汗が滲んだ。

「大家令である私にとって、陛下の御世を長く続けることは使命でもある。ヴォーダン陛下の治世は安定しているが、ひとつだけ懸念していることがある。……君にはそれが何か分かるかね? 」

「……陛下の心変わり、でしょうか」

 権力者の慢心、もしくは新たに権力を求める者によるクーデター。たいていの国が滅びる理由はそんなところだ。

「そんなものはどうとでもなる。やっかいなのは懐古主義だ。つまりヤルンヴィット神聖国の復興を企む者たちの動きだよ」

 ヤルンヴィット神聖国?
 予想もしない答えだった。

「後退はいけない。人は前に進むことでのみ進化できる。劣化した国は滅び、新陳代謝を経て新しい国ができる。それが人の世のことわりだ。逆行するようなことはあってはならない」

 進化。新陳代謝。世の理。
 この男は何を言い出したのだ、と耳を疑う。

 俺はミドガルズ帝国の大家令と話をしていたはずだ。
 高爵位の貴族どもが国を牛耳り、あまつさえ軍事力の要である騎士を弾圧することは帝国にとって不利益にしかならないと。そういう話をしに来たはずだ。

 それが、ヤルンヴィット神聖国?
 誰も覚えていない、それこそ大昔に滅びた国の復興なんてあり得るはずがない。

 かつてあった国の復興を望んで国家転覆を計るレジスタンスの存在はバナヘイムで聞いたことがあった。
 だが、現在のミドガルズにおいてヤルンヴィットの復興などは絵空事に過ぎない。それこそ父や兄、彼らを取り巻く一部貴族が夜会などで夢見がちにしゃべっているだけだ。現実的な動きなど何もない。

「あなたはヴォーダン皇帝の大家令だ。大家令個人の意思にしては少々……視野が広すぎるように思われますが」

 困惑を隠しきれないまま、ハリージャが苦し気に声を出す。
 レギナスは愉快そうに笑った。だが笑うだけで何も言わない。ハリージャは言葉を続けた。

「この国を、この国の現体制を維持するのであれば、それこそ“騎士潰し”はあってはならない。騎士家当主のあなたならば十分にお分かりでしょう」
「面白いな。ヤルンヴィットの末裔がこの国の行く末を案じるとは」

 レギナスが反応したのは本題から逸れた部分だった。
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