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第五部 第二章 戦乙女の真意を知るまで
102話 わたしは、たぶん、ずっと①
しおりを挟む死者の国の首都、スヴァルト・アールヴヘイムは厳密に言えば街ではなかった。
石のブロックでできた分厚い壁。それが中心部に向かってらせん状に渦を巻いている巨大な円錐の塔がひとつ。その周辺に、土やテント、布などで簡易的に区切られたおびただしい数の居住空間が存在している。
つまり、エインヘリヤルの首都にある建造物はこの円錐塔だけで、その周辺に散らばる国民の“家”は、ほぼ野外なのだ。
ステファンの背に乗ったシグルズは空からその光景を見た。
「エインヘリヤルの人々は屋外に住んでいるのか? 先ほどの樹の集落にあったような建物が見当たらないが」
「必要ない。空はドームが覆っているから雨も降らないしね」
「天候を操っているというのか」
「エインヘリヤルには人を害するような暑さや寒さは存在しないよ。永遠に温暖なまま、草木が枯れることもない。水は大地から自然と湧くから川も枯渇しない。グニパヘリルの周辺は渓谷がないから変異体が出現することもない」
グニパヘリルというのがあの円錐形の塔の名前らしい。
話を聞く限り、エインヘリヤルは楽園そのものだ。
「変異体のエネルギーを行き渡らせているから、快適な世界が実現できると?」
シグルズは少しだけ声を低くして問いを発したが、前に乗るヘルゲはまるで気にすることもなく「そうだよ」と答えた。
「変異体は動脈のエネルギーを内部に溜めた生き物だからね。動脈のエネルギーはすなわち星のエネルギー。それを人間や植物に注げば理想的だろう? 実際、この国で暮らすようになって原因不明の病気が治った人間も多いよ。寿命も長いしね」
無邪気に語るその理想郷の背景には、多くの骸が眠るのだ。
初めてニーベルンゲンの首都・エッダの地を踏んだときを思い出す。
多くの人間の遺体が積み上げられていた。
スリュムによって粛清されたニーベルンゲンの民。それは、人間としての尊厳を剥がされ、戦乙女の儀式によって変異させるための材料となった。
理想の箱庭を実現させる800年の歩みの間に、どれだけの人間が犠牲になったのだろう。
どれだけの人間が、変異させられたのだろう。
「生きる者を生贄にした理想郷なんて、矛盾していないか? ヘルゲ」
シグルズはできるだけ感情を抑えていたつもりだが、今度の発言は大神官の気に障ったようだった。
「綺麗事を言うね。……お前だって戦争で多くの人間を殺してきたくせに」
ステファンが翼を広げて急降下する。
近くで見たグニパヘリルは予想以上に大きな塔だった。入口前に降り立つと、見上げてもその頂上が目に入らないほどの高さだ。
「戦争や飢饉で人が死ぬのと、栄養として活用してやるのとどう違うんだい、ジークフリード。やはり僕とお前は気が合わないのかもしれないね」
「おい、俺はジークフリードでは……!」
「いいからこっちに来い。お前が見たかったものを見せてやる」
ヘルゲは明らかに機嫌が悪くなっていた。
外見よりも大人びた言葉は雑めいたものになり、その不快感を現すように乱暴に歩く。早歩きになったその後ろに、馬のかたちのままのステファンがついていった。
グニパヘリルの入口には、白く透明な石英の橋がかかっている。
それは神聖な領域に足を踏み込む境界線として相応しい宝石の橋だった。
そしてその橋の先。
シグルズの目には細部までは見えなかったが、暗くて小さな小部屋があることが伺えた。
円錐塔の分厚い壁は高い頂きまで続いていたが、どうやら最頂部は完全には閉じておらず小さな吹き抜けになっているようだった。分厚い壁をくりぬいた内廊を通り抜け、中心部に存在する祭壇には天井からのわずかな光が差し込んでいる。
吹き抜けになっている正方形の小部屋は、床も台座も全てが石英で作られている祈りの場だった。部屋の両隅には外部から水が引かれており、床には白い塗料でエインヘリヤルのマークが記されている。
だが、シグルズからは祭壇の部屋の内装に目を向ける余裕はとうに失われていた。
「………グ、ルず」
部屋の中央にある台座。
石でできているその上で、裸で男に跨っているのはまぎれもなくネフィリムだった。
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