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第五部 第一章 死者の国に迎えられるまで
101話 箱庭のエインヘリヤル②
しおりを挟む「そしてその周囲を鉄の塊や黒い化け物が飛び交い、殺し合いをしている南方の国家群がいた」
鉄の塊?
黒い化け物?
予想外の言葉が次々と出てくる。だがヘルゲは嘘を言っているようには見えなかった。
“世界樹”がないなら禁書の内容も間違っているということなのか。
ではあの動脈というのは何なのか。
いや、それよりも―――
鉄の塊、黒い化け物。
まるで、
ラインの兵器と変異体のような……。
再びガタンと音がして、シグルズの体を振動が包んだ。
昇降機が目的地へと到着したようだ。
「着いたね。古いお伽話はここまでだ。また機会があれば聞かせてあげるよ」
ステファンの目が開いた。複数の目がギョロギョロと動き、ジャンプをしながらヘルゲの前を走っていった。
昇降機を降りる。
ヘルゲは前を見つめたまま声に出す。
「ようこそ、エインヘリヤルへ」
宗教国家、エインヘリヤル。
別名“死者の国”とも称されるその国の風景は、シグルズが考えていたよりもずっと美しかった。
目の前に広がる大地は緑とさまざまな彩りの花々で覆われ、風が吹けば葉と花弁が青く澄んだ空を見上げるシグルズの視界を塞ぐ。
エインヘリヤルの大地には、バナヘイムとの国境沿いにあった“黒の渓谷”のように堕ちた森につながる亀裂が複数走っており、その間には濁った石英でできた陸橋が至るところに架けられていた。
白い橋と花に囲まれた地上。
そしてその美しい大地に根差すのは3本の巨大な樹だった。
面白いことに、巨大な樹の上に人々の住居や市場、教会などが存在し、枝上で階段や道が交差している。そこでは、昼寝をしたり買い物をしたりするエインヘリヤル人の生活する姿を垣間見ることができた。
「エインヘリヤルの集落は樹の上にある。堕ちた森から吹き上げてくる風は時折動脈のエネルギーを内包していて人体を害する場合があるし、夜になれば堕ちた森から這い上がってきた変異体が闊歩して人間を食らうときもある」
ヘルゲが樹の上を指しながら説明した。強い風が、彼の神官帽を奪っていこうとする。
「まさかエインヘリヤルがこれほどまでに美しい国だとは思わなかった」
シグルズが感嘆とともに思ったことを正直に口にした。
すると、今度こそヘルゲは笑った。顔をゆがめた、皮肉めいた笑みだった。
「ふん、死者の国や悪の宗教国家と呼ばれているのは知っている。別に外の人間にどう思われようと僕は興味がない。……それに」
先ほどまで樹の上を指さしていた指を、真上に持っていく。
ヘルゲの声にはさらに皮肉めいた色が乗る。
「僕一人の力では、しょせんこの箱庭を守るのが精一杯なんだ」
シグルズは目を凝らした。
3本の巨大な樹と、おそらく首都であるスヴァルト・アールヴヘイムの中心にある大きな円錐の建物の頂上から黒く太い棒が広い空に向かって突出し、それぞれが互いに繋がっている。
棒の周囲に見える光の歪み。
よく見ないと分からないが、太い棒の間に光の薄い膜のようなものが張っていて、それがエインヘリヤルの空を覆っているようだ。
「なんだ……? 光の、膜?」
「ホログラムだよ。エインヘリヤルの青空は偽物。この花畑や豊かに実る麦畑も、空から人工的な栄養を散布して作り出している」
「そんなことが可能なのか?」
「もちろん。―――失敗作の変異体はいい養分になるからね」
ヘルゲの言葉を反芻する。
失敗作の変異体。
その意味を理解したときに、シグルズは宗教国家の片鱗を知った。
ヘルゲはシグルズの表情の変化など気にも留めない様子で、犬の名を呼ぶ。
「家に帰るよ。ステファン」
花畑を走り回っていた黒い変異体は、飼い主に名前を呼ばれると一目散に近寄ってきた。
その体がぐちゃりと音を立てて変形する。ヘルゲの前に到着するときには、小さかった犬の変異体は蝙蝠のような翼をつけた馬の変異体に変わっていた。
顔だけでなく、翼と腰についた複数の眼球が警戒するようにシグルズを見る。
「ステファン、今日は僕だけじゃなくて彼も乗せてあげてね。―――じゃあ、君のお姫様に会いにいこうか。今頃は儀式の最中で君のことなんて覚えていないと思うけど」
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