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第五部 第一章 死者の国に迎えられるまで

101話 箱庭のエインヘリヤル①

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 ヘルゲとシグルズは、観測所の小部屋を出て薄暗い廊下を歩いていた。

 淀んだ空気が漂い、外壁は剥がれ、黒い隙間からは見たことのない植物の蔦が生えている。

 かつて多くの人間がこの建物に存在し、何らかの目的で利用していた空間のはずだが、視覚情報からは長い年月の間放置されたことが分かる。
 この施設カンソクジョが当初何のために建てられ、何故放置されることになったのか―――シグルズには皆目見当がつかなかった。


 建物全体は暗く朽ちているが、廊下の先にある両開きのドアからはわずかに光が零れていた。


昇降機エレベーターだ。これで地上に向かう」

 昇降機。シグルズはその名前を聞いたことがある。

「これは……皇宮ドラウプニルと同じものか」
「帝国の皇宮か。あれももとはといえばニブルヘイムが作ったものだ。僕は見たことはないがきっと同じものだろう」
「皇宮をニブルヘイムが建てたというのか?」

 ドアが開く。
 中は先ほどまでいた小部屋や廊下とは異なり、光に満ちていた。
 だがそれは陽光ではない。不自然なほどに白い光が天井の丸い物体から降り注いでいる。

 ヘルゲはローブの裾を引きずりながら昇降機エレベーターと呼ばれる箱の中に入っていく。それにステファンが続いた。シグルズも戸惑いながら箱の中に入った。


「この大陸には8つの国がある。もっとも新しいのがニーベルンゲン、そしてもっとも古いのがニブルヘイムだ。というより、ニブルヘイムの者たちはこの大陸ができる前から存在している」

 突然ヘルゲが話し出した。

 だが意味が分からない。
 大陸ができる前から?


「どういうことだ。ニブルヘイム人は創造神だとでもいうのか」

 ヘルゲが神という単語に反応する。かすかに笑った気がしたが、その表情は先ほどと何も変わらなかった。

「神ね。そんなものはいないよ。あいつらはあいつらで自分たちのに必死なんだ」

 ガタン、と音がした。
 昇降機エレベーターのドアが閉まり、しばらくすると体に不思議な圧力がかかる。皇宮で体感したものと同じだった。
 おそらく箱が上昇しているのだ。


 エインヘリヤル、スルト、ニブルヘイム。

 エインヘリヤルから禁書を盗み出してきたスリュムは、その北東3国が動脈と変異体のを操る国々だと言っていた。
 だからこそゲオルグは北東の国々を仮想敵として軍事同盟を締結することを命題としたのだ。

 だがエインヘリヤルの国主であるヘルゲの口ぶりを耳にすれば、ニブルヘイムを歓迎していないことはすぐに分かった。



「……僕は、死の恐怖から人々を救うためにエインヘリヤルを作った」


 ヘルゲはどこを見るでもなく言葉を続けた。
 ステファンはヘルゲの足元に絡み、複数ある眼球を閉じている。寝ているのかもしれない。


「僕は、はるか昔にこの大陸で栄えたとある国の奴隷だった。当時は飢饉と疫病が流行り、国内は惨憺たる有り様でね。奴隷も町民も地主も関係なく、多くの人が死んだ」
「奴隷制の、国」

 不真面目ではあるが爵位を持つ貴族の当主として歴史の勉強も一通りしてきたが、表立って奴隷制を推進する国が存在したのは1000年ほど前ではなかっただろうか。

 それに、小麦の不作年などは確かにあったが、大陸全土を覆うような大飢饉や疫病が起きたことはシグルズが生まれてからは一度もなかった。

「知ってる? 大昔はね、奴隷は神に祈りを捧げることが仕事だった。つまり、奴隷と神子みこ(巫女)は同一だったんだ。僕も毎日祈りを捧げたけど、どれだけ祈っても無駄だった。それまでは貧しくてもそれなりに楽しかったんだけどね、みんな死ぬことに怯えて笑わなくなって。『次は自分が死ぬ番だ』って戦々恐々としていた」

 ヘルゲの口調は淀みがない。
 まるで何度も何度も、誰かに聞かせてきたかのように。
 
「僕は臆病でさ、自分が死ぬよりも他人が死んでいくのを見るほうが怖かった。それである日思い立った。もう祈るのは止めて世界樹へ行こうと」


 禁書にもあった“世界樹”の記述。


『誰も知らない時代、大きなトネリコの木が生えていた。世界樹という。星の内部を巡ったエネルギーは世界樹から発され、星を生きるものたちに恩恵を与える』


 シグルズたちにとっては、それこそお伽話の存在でしかない“世界樹”。
 未だにその存在は半信半疑だが、禁書の中では、動脈は世界樹の枯れた脈だとも説かれていた。

「その時代には……世界樹はあったのか」
「あったよ。800年前には、大陸の中心に大きな樹が。……といっても純粋な樹ではなかったけどね。当時の僕は“世界樹”が生き物全ての生命を司ると信じていたから、そんなすごい樹になる果実を持って帰れば、みんなが元気になると思った」

この大陸の中心は、生きる者が存在することを許されない堕ちた森ギヌ・ガ・カップだ。

「当時の森は堕ちておらず地上に存在していて、大陸の北と南も繋がっていたんだ。……けれど僕が世界樹の麓で見たのは、緑豊かな森でもなければ、楽しく暮らす動物たちでもなかった」


 銀色に濁った目が、シグルズを射貫く。


「そこには樹なんかなくて。大きな柱が1本、立っているだけ」


 柱?

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