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第四部 第一章 「民衆に供する国」に集うまで

75話 皇帝と宰相と巨体と①

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 ミドガルズ大帝国の紋を刻んだ馬車は乗り捨てたという。まあそれはそうだろう。帝国の要人が乗っていることを宣伝するようなものだ。

 代わりにゲオルグは白と茶の混じった馬に乗り同行してきた。落ち着いた瞳の馬だった。
 グラムはなぜかその馬に対して威嚇いかくを繰り返すのだが、それに動じることもなかった。

「外の空気は久しぶりだ。美味いな」

 のんびりと馬を歩かせゲオルグはしみじみと述べる。
 まるで囚人の発言だと思った。
 シグルズとネフィリムはなんとも言えない表情で皇帝を見やった。

「あの……陛下」
「“ゲイン”」
「は?」
「こんな外で陛下なんて呼ぶ奴があるか。自ら素性をバラシてどうする。俺のことはバナヘイムに着いてからもゲインと呼ぶように」
「ゲイン……様?」
「ゲイン殿、あたりがいいな。俺の人生最後の外遊なわけだし、存分に堪能させてもらうぞ」


 このオヤジは何しに来たんだ?

 一抹の不安を抱いたシグルズが胡散臭そうにゲオルグを見つめると、その顔の横をとんでもない勢いでナイフがかすめていった。
 シグルズがナイフの飛んできた方向を見る。木々に紛れて人の姿はない。殺気を感じさせなかった。相当の手練れの動きだ。


、控えろ」

 ゲオルグが一言。森の中からガサリと音がして気配が完全に消えた。

「今のが近衛特兵ロイヤル・ガードですか」
「ああ。ヘイムダルは感情的になりやすい。次に同じことをしたら首を切るから安心していい」

 飄々と笑っているが時折彼特有の残酷さが姿を見せる。


「ゲイン殿。なぜあなたがここまでご足労を? ――我々にはということですか」

 ネフィリムの声は固かった。
 彼はゲオルグの姿を見た瞬間から警戒を隠していない。シグルズ以上にその意味を重く受け止めている。

「はははは」

 ゲオルグはネフィリムに笑顔を見せる。目は笑っていないが、相手への配慮をわずかに感じる表情だった。

「こわ……」
「そんなに怖がらないでくれ。相変わらず、あなたは勘が鋭い」

 といって、前を向いた。

「でも、その理由は間違っている。まあ……いずれ話すさ」



 ◇



 夕刻になり、宿を探す必要が出てきた。
 ネフィリムとの二人旅であれば大して悩む必要もないが、最大限に御身を警戒しなければいけない人がいるのでシグルズは地図とにらめっこをする。

「こっちの宿のほうが高価だが、襲撃されたとき逃げやすそうだな……」

 ブツブツ言っているシグルズの後ろからゲオルグが近づいてきた。

「今夜の宿は決まっている」
「え! そうなんですか」
「ああ。宿泊費も気にしないでいい。落ち合う相手と折半だからな」


 落ち合う相手と折半だからな。

 ……落ち合う相手と折半だからな?


 待て待て。
 さらに同行者が増えるというのか!?


 そこはグルヴェイグの領土内最北端の宿で、規模も大きく賑わっていた。
 屋外にもテーブルと椅子が並び、吊るされるランプの灯りの下、商人や旅人、巡教者が賑やかに食事を楽しんでいる。

 これだけの大きな宿泊施設ならばお忍びで高貴な人間も泊まることがあるのだろうな。
 建物を見上げながらシグルズがぼんやりしていると、ゲオルグに肩を叩かれた。

「俺たちも座ろう。さすがに腹が減った」

 お忍びの皇帝が手慣れた様子で先導する。

 くたびれた旅のマントを羽織っているせいで、そしてもともと皇帝には見えない風体ふうていのせいで、見事にくたびれた旅人にしか見えないのはさすがというべきなのか。
 むしろシグルズやネフィリムのほうが高貴な雰囲気を纏っている。

「ここは確か……黒麦酒ビールと子羊の丸焼きが美味かったはずだ」
「なんでゲイン殿がそんなことを知っているんですか」

 さまざまな異常事態に疲労気味のシグルズが若干恨みがましく聞くと、相手は丸眼鏡の奥の目をパチリとさせた。

「留学時にこの宿に泊まったからだよ。もう10年ほど前になるか」


 そのままおどけた様子で首を後ろにぐいーんと曲げて、皇帝は笑った。

「なあ、トール?」

「―――ああ」

「えっ!?」

 シグルズは思わず椅子から立ち上がった。隣に座るネフィリムは口を開けたままだ。

 ゲオルグの背後にはいつの間にか不機嫌そうな顔をした緑色の髪の青年が立っていた。律儀にベストを身に着け、黒い上着は片手に持っている。


 これもまたここにいるはずのない人物。
 ニーベルンゲンの宰相でありネフィリムの兄、トールだ。

 隣には紹介するまでもなく巨体が添えてある。トールの護衛であり心優しき巨体ベヌウである。


 帝国皇帝。
 宰相。
 戦乙女ヴァルキリー


 本来こんなところにいるべきではない人間が勢ぞろいしている。
 シグルズは頭を抱えた。


「あんたら……子どもじゃないんだから自分の立場分かってますよね!?」

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