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第四部 第一章 「民衆に供する国」に集うまで
73話 裏切り者はどちら
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ここから第四部のスタートになります。よろしくお願いします。
初っ端ですがミモザ視点(単話)のお話です。
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経済国家グルヴェイグから帝国へと進む馬車の中。ミモザはぼんやりと景色を眺めていた。
ブルグント子爵の家紋が刻まれた馬車の椅子は木板一枚の旅人用馬車とは異なり、座面と背面にサテンのふっくらとした布地が施されていて座り心地が良い。
とはいえ、一日の大半の行程を座り続けていれば、どんなに立派な椅子であったとしても座っていること自体に飽きる。
これなら一人で歩いて帰ったほうが楽しかっただろう。野盗程度であればミモザ一人で対処できる。
拘束状態となった今は、それが叶わぬ望みだと分かってはいるけれど。
対面の椅子で本を読んでいる赤毛の若者が帝国の意向で動いている限り、ミモザ自身に自由はない。今の自分は囚人のようなものだ。
彼は帝国軍事府の諜報部門トップの息子。逆らえば即処刑だ。自分が殺される分には問題ないが、ミモザの雇い主に悪影響が及ぶのだけは避けたかった。
「……そんなに熱心に睨まれると気が散るんだけどね」
グンター・フォン・ブルグントは苦笑を浮かべる。
ヘラヘラしているが、彼は帝国のスパイであり、先日まで経済国家グルヴェイグの内情を探っていた人物だ。心を許すことはできない。
「すいません、暇だったもので」
「君は暇があれば目で射殺せるほどの殺意を相手に向けるのかい」
グルヴェイグの4大資本家のひとつ、プラーテン家の出資した兵器工場が崩壊する直前にミモザを助けてくれたのはグンターだった。
だがそれは、「北東3国のスパイ」であったモルオルト家の内情や“変異体”についてミモザから聞き出すためだ。
そして、変異体を倒したミモザの雇い主についても聞き出そうとしている。
「あなたがシグルズ様の敵であれば何も話すことはありません。すぐにでも舌をかみ切って自死します」
ミモザの言葉に偽りはない。
シグルズを裏切ることになるくらいなら自ら死ぬことを選ぶ。
敵意満載の言葉にグンターは口の端を上げる。だがその表情は先ほどよりも真剣で、声は幾分抑えられていた。
「シグルズの敵、ね」
グンターの呟きには含みがあった。
「僕は自分自身こそ彼の味方だと思っているんだけど」
スパイがのうのうと何か言っている。
「君にとってはヴェルスング家こそシグルズの味方、ヴェルスングの敵はシグルズの敵なんだね」
何を当たり前のことを言っているのだろう。ミモザは返事をしなかった。
「君は確か15歳だそうだが」
「……それが何か」
「じゃあ、堕ちた森から森の竜が出現したことも知らないよね」
「直接は見ておりませんが、ヴェルスングの皆さまから伺っております」
ミモザが生まれたちょうど15年前のこと。
大陸の真ん中に位置する、巨大な陥没地帯「堕ちた森」。
そこから突然異形の化け物が出現し、当時のミドガルズ帝国に侵入した。
ヴェルスング家の嫡男だったジークフリード・フォン・ヴェルスングが化け物を退治するとともに行方不明になった。帝国中に大事件として伝わり、ヴェルスングが騎士家として名声を高めたことで絵本にもなった出来事である。
ミモザもヴェルスング家に仕えるようになってすぐ、メイドの先輩たちに教えてもらった。
騎士家の嫡男が行方不明になった事件を、そこに仕えるメイドが知らないはずがない。
少しだけムッとしたミモザの挙動をグンターは興味深く眺めていた。
「じゃあその事件の後、シグルズが当主になったのも知ってるわけだ」
「当然です」
「ふうん。では教えてほしい。嫡男ジークフリードはどんな人物で、どんな顔をしている男なんだ?」
「………ですから、私は嫡男様には直接お会いしたことがございません」
なぜ顔を知らないミモザにそんなことを聞くのかと思ったが、ミモザ自身がふと違和感を覚えた。
「騎士家の嫡男なんだろう? 伝記の編纂はしていないのか? ヴェルスングは騎士叙勲からの爵位授与とはいえ男爵家だ。肖像画や銅像くらいは邸内にあるはずだと思うが」
ないのだ。
ミモザがヴェルスング家で働き始めて以降、ジークフリードの顔を描いたものはひとつとして飾られていない。
「ジーク様の肖像画は、行方不明になってショックを受けたご父母様が全て取り外したと伺っております」
先代から仕えていたメイドに聞いたことをそのままグンターに伝える。
だが、今思えばそんなはずはないだろうという気もした。
そのご父母2人も亡くなっている。
歴代当主の肖像画を飾るのは貴族の家であれば当然だった。
ミモザの説明に納得していない様子のグンターだったが、次の質問に移った。
「では、シグルズが次期当主として養子に迎えられたのは何故なんだ? ヴェルスング家であれば親戚の血筋から養子を迎えることもできたはずだし、シグルズ以外に適した候補もいたと思うんだよね」
ヴィテゲもその候補の一人だった、というのは聞いたことがあった。
「それ、は」
そうだ。その理由はかつてヴィテゲ自身に聞いたのだ。
「剣技が誰よりも強かったこと、そして、ジーク様に懐いていた帝国一の名馬グラムが若様に懐いたからだと———」
「ミモザ。では聞くが、名馬グラムは何年生きているんだ?」
え?
「森の竜に追いつくほどの速さで走る名馬。だがそれは15年前の話だ。今シグルズが乗っているグラムは何歳なんだ? ———それにいくら名馬と言っても、懐かれただけで当主に選ばれるほどヴェルスング男爵家は軽い家柄じゃない。それこそ帝国一の騎士の家だ。おかしいとは思わないか?」
「それは………」
ミモザは言葉に窮した。
グンターの指摘は全てもっともなものに思えた。
「もう一度聞くけどさ、」
グンターは口の端を上げた。
目は笑っていなかった。
「ヴェルスング家は本当にシグルズの味方だと思うかい」
突然、馬車が止まった。
グンターがおや、という顔をした。会話を中断して御者の窓を覗き込む。
「どうした? 何かあったか」
「グ、グンター様……! 向かいから帝国の馬車が」
「どこかの帝国貴族かな? 子爵よりも上ならいちお挨拶しないと……」
グンターが御者と話をしている最中に、外にいる何者かによって馬車の幕が上げられた。
ミモザはその男と目が合った。
癖の強いうねった髪と、猛禽類のように鋭い金色の目。
そして、古ぼけた丸眼鏡と朝剃り忘れたとしか思えない顎髭。
旅人風のマントで全身を覆っていたが、その顔を見忘れるわけがない。
「やあ。こんにちは」
ミモザは口をパクパクさせるだけで声が出なかった。
慌ててグンターの服の裾を引っ張る。
腰の重そうなグンターが視線を戻すと、その顔がわずかな時間で青くなっていった。
ブルグント子爵の馬車とすれ違ったのは、ミドガルズ大帝国の紋が記された馬車。
いたずらっぽい笑みを浮かべて覗き込んでいるのは、ゲオルグ皇帝その人だった。
「ちょっとバナヘイムまでお使いに行く途中なんだ」
そう言って彼は人差し指を立てて口に当てた。
「誰にも言っちゃだめだぞ」
初っ端ですがミモザ視点(単話)のお話です。
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経済国家グルヴェイグから帝国へと進む馬車の中。ミモザはぼんやりと景色を眺めていた。
ブルグント子爵の家紋が刻まれた馬車の椅子は木板一枚の旅人用馬車とは異なり、座面と背面にサテンのふっくらとした布地が施されていて座り心地が良い。
とはいえ、一日の大半の行程を座り続けていれば、どんなに立派な椅子であったとしても座っていること自体に飽きる。
これなら一人で歩いて帰ったほうが楽しかっただろう。野盗程度であればミモザ一人で対処できる。
拘束状態となった今は、それが叶わぬ望みだと分かってはいるけれど。
対面の椅子で本を読んでいる赤毛の若者が帝国の意向で動いている限り、ミモザ自身に自由はない。今の自分は囚人のようなものだ。
彼は帝国軍事府の諜報部門トップの息子。逆らえば即処刑だ。自分が殺される分には問題ないが、ミモザの雇い主に悪影響が及ぶのだけは避けたかった。
「……そんなに熱心に睨まれると気が散るんだけどね」
グンター・フォン・ブルグントは苦笑を浮かべる。
ヘラヘラしているが、彼は帝国のスパイであり、先日まで経済国家グルヴェイグの内情を探っていた人物だ。心を許すことはできない。
「すいません、暇だったもので」
「君は暇があれば目で射殺せるほどの殺意を相手に向けるのかい」
グルヴェイグの4大資本家のひとつ、プラーテン家の出資した兵器工場が崩壊する直前にミモザを助けてくれたのはグンターだった。
だがそれは、「北東3国のスパイ」であったモルオルト家の内情や“変異体”についてミモザから聞き出すためだ。
そして、変異体を倒したミモザの雇い主についても聞き出そうとしている。
「あなたがシグルズ様の敵であれば何も話すことはありません。すぐにでも舌をかみ切って自死します」
ミモザの言葉に偽りはない。
シグルズを裏切ることになるくらいなら自ら死ぬことを選ぶ。
敵意満載の言葉にグンターは口の端を上げる。だがその表情は先ほどよりも真剣で、声は幾分抑えられていた。
「シグルズの敵、ね」
グンターの呟きには含みがあった。
「僕は自分自身こそ彼の味方だと思っているんだけど」
スパイがのうのうと何か言っている。
「君にとってはヴェルスング家こそシグルズの味方、ヴェルスングの敵はシグルズの敵なんだね」
何を当たり前のことを言っているのだろう。ミモザは返事をしなかった。
「君は確か15歳だそうだが」
「……それが何か」
「じゃあ、堕ちた森から森の竜が出現したことも知らないよね」
「直接は見ておりませんが、ヴェルスングの皆さまから伺っております」
ミモザが生まれたちょうど15年前のこと。
大陸の真ん中に位置する、巨大な陥没地帯「堕ちた森」。
そこから突然異形の化け物が出現し、当時のミドガルズ帝国に侵入した。
ヴェルスング家の嫡男だったジークフリード・フォン・ヴェルスングが化け物を退治するとともに行方不明になった。帝国中に大事件として伝わり、ヴェルスングが騎士家として名声を高めたことで絵本にもなった出来事である。
ミモザもヴェルスング家に仕えるようになってすぐ、メイドの先輩たちに教えてもらった。
騎士家の嫡男が行方不明になった事件を、そこに仕えるメイドが知らないはずがない。
少しだけムッとしたミモザの挙動をグンターは興味深く眺めていた。
「じゃあその事件の後、シグルズが当主になったのも知ってるわけだ」
「当然です」
「ふうん。では教えてほしい。嫡男ジークフリードはどんな人物で、どんな顔をしている男なんだ?」
「………ですから、私は嫡男様には直接お会いしたことがございません」
なぜ顔を知らないミモザにそんなことを聞くのかと思ったが、ミモザ自身がふと違和感を覚えた。
「騎士家の嫡男なんだろう? 伝記の編纂はしていないのか? ヴェルスングは騎士叙勲からの爵位授与とはいえ男爵家だ。肖像画や銅像くらいは邸内にあるはずだと思うが」
ないのだ。
ミモザがヴェルスング家で働き始めて以降、ジークフリードの顔を描いたものはひとつとして飾られていない。
「ジーク様の肖像画は、行方不明になってショックを受けたご父母様が全て取り外したと伺っております」
先代から仕えていたメイドに聞いたことをそのままグンターに伝える。
だが、今思えばそんなはずはないだろうという気もした。
そのご父母2人も亡くなっている。
歴代当主の肖像画を飾るのは貴族の家であれば当然だった。
ミモザの説明に納得していない様子のグンターだったが、次の質問に移った。
「では、シグルズが次期当主として養子に迎えられたのは何故なんだ? ヴェルスング家であれば親戚の血筋から養子を迎えることもできたはずだし、シグルズ以外に適した候補もいたと思うんだよね」
ヴィテゲもその候補の一人だった、というのは聞いたことがあった。
「それ、は」
そうだ。その理由はかつてヴィテゲ自身に聞いたのだ。
「剣技が誰よりも強かったこと、そして、ジーク様に懐いていた帝国一の名馬グラムが若様に懐いたからだと———」
「ミモザ。では聞くが、名馬グラムは何年生きているんだ?」
え?
「森の竜に追いつくほどの速さで走る名馬。だがそれは15年前の話だ。今シグルズが乗っているグラムは何歳なんだ? ———それにいくら名馬と言っても、懐かれただけで当主に選ばれるほどヴェルスング男爵家は軽い家柄じゃない。それこそ帝国一の騎士の家だ。おかしいとは思わないか?」
「それは………」
ミモザは言葉に窮した。
グンターの指摘は全てもっともなものに思えた。
「もう一度聞くけどさ、」
グンターは口の端を上げた。
目は笑っていなかった。
「ヴェルスング家は本当にシグルズの味方だと思うかい」
突然、馬車が止まった。
グンターがおや、という顔をした。会話を中断して御者の窓を覗き込む。
「どうした? 何かあったか」
「グ、グンター様……! 向かいから帝国の馬車が」
「どこかの帝国貴族かな? 子爵よりも上ならいちお挨拶しないと……」
グンターが御者と話をしている最中に、外にいる何者かによって馬車の幕が上げられた。
ミモザはその男と目が合った。
癖の強いうねった髪と、猛禽類のように鋭い金色の目。
そして、古ぼけた丸眼鏡と朝剃り忘れたとしか思えない顎髭。
旅人風のマントで全身を覆っていたが、その顔を見忘れるわけがない。
「やあ。こんにちは」
ミモザは口をパクパクさせるだけで声が出なかった。
慌ててグンターの服の裾を引っ張る。
腰の重そうなグンターが視線を戻すと、その顔がわずかな時間で青くなっていった。
ブルグント子爵の馬車とすれ違ったのは、ミドガルズ大帝国の紋が記された馬車。
いたずらっぽい笑みを浮かべて覗き込んでいるのは、ゲオルグ皇帝その人だった。
「ちょっとバナヘイムまでお使いに行く途中なんだ」
そう言って彼は人差し指を立てて口に当てた。
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