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第一部 番外編

豊穣祭と林檎酒 2

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 アースガルズの市域は巨大な広場を中心として、街路が放射線状に延びている。そこから街区ごとの広場や交差点に行き当たり、さらに細い路地が延びるような構造だ。

 普段、帝都の中央広場は貴族たちが利用する。職人や商人、農民といった平民階級の催しは、ひとまわり小さい街区ごとの広場で行われることが主だった。

 だが前皇帝が廃されると、比較的大きな祭事の際には中央広場が平民たちに解放されるようになった。



「柱が届いたぞー!」
「広場に掲げろ!! 踊りの準備だ」

 森から帰ってきた男たちが白樺を運び込んだ。豊穣の象徴である白樺の柱を天に向けて立たせようと四苦八苦していた。

「今年のは一段と大きいですね」

 ヴィテゲは白樺を見上げて感心している。 昨年のヴェルスング領での若木祭の柱を森から取ってきたのは彼だ。そのときの柱の長さを思い出して比較しているようだった。
 横にいるシグルズとネフィリムも柱を見上げた。


 手前の屋台ではすでに酒が振舞われ、数名の男女が肩を組んで談笑していた。


「うちの葡萄酒ワインとお宅の林檎酒シードル、比べてみるかい?」
「いいともよ! 今年の葡萄は絶品さ、負けるわけがない」

 果実酒を注いだ木製のカップをカアン!と音を立ててぶつけ合い、勢いよく飲み干す。

 それを見た周囲の人々も味自慢の果実酒を我先にと求め始めた。


 酒造農家や農村では、渇水対策のために保存の利く果実酒を作り容器に詰めて置いておく。

 酒は乾期の“飲み水”代わりでもあるのだが、祭りに際しては皆それぞれ貯蔵してある“飲み水”の中でも特に自慢の品を出して出来の良さを争う習慣がある。

 そのため、こういった祭りは普段の居酒屋では飲めないような美味い酒にありつける好機なのだ。

「俺たちも飲みに行くか。味比べをするなら最低でも2杯は飲まねばな」

 シグルズの目は子どものように輝いている。

「帝国のワイン……! 美味そうだな」

 ネフィリムも頬を紅潮こうちょうさせて腕まくりをしている。
 言動を見る限り、どうやら戦乙女ヴァルキリーは予想以上に酒好きらしい。

「2人とも、あまり飲みすぎないようにしてくださいよ」

 この場ではお目付け役でもあるヴィテゲがやんわりと忠告する。それを耳にしたかどうかは定かではないタイミングで2人は足早に屋台へと近づいて行った。



「こ、これは……!?」


「どうした」

 木のカップになみなみと注がれた酒に口を付けたネフィリムが仰天している。

「こんな果実酒は飲んだことがない……! これはなんだ」

「君が今飲んでいるのは林檎酒シードルだが」

 葡萄酒ワインほどではないが、リンゴの果汁を発酵させて作る林檎酒シードルは帝国内では広く流通している。
 居酒屋や宿屋でも葡萄酒ワイン林檎酒シードルは必ず用意されていると言っていい。


「私の知っている林檎酒シードルはもっと甘いぞ。これは酸味が強くて香りも濃い……甘味とほどよく共存している」

 シグルズは両手に酒のカップを持っていた。

 ネフィリムの疑問を受けて、右手に持つカップに口をつける。
 あっさりとしていて飲みやすい。
 一口目にしてカップに注がれた半分以上が消えてしまった。

「確かに酸味が少し強いな。サニーベリーの果汁を足しているんだろう」
「なんだと」

 普段に比べてネフィリムの言葉数が多いしリアクションも大きくなっている気がする。

「サニーベリーとは以前、森で食べたあの果実か。確か帝国ではよく採れるという……」
「そうだ。リンゴだけで作ることもあるが、風味を足すためにサニーベリーの果汁を混ぜる林檎酒シードルも多い」

 ここまで話すと、シグルズは左手のカップに口をつけた。次は葡萄酒ワインだ。

 一度に異なる酒を飲むのは品がないと言われるが、ここにはテーブルマナーに苦言をていする執事たちもいないので若い男爵は意に介さない。

「あ~~~…美味いな! 久しぶりに美味い葡萄酒ワインを飲んだ」
「快気祝いですね、若」
「そうだな。ヴィテゲも1杯くらいは飲んだらどうだ? この葡萄酒ワインはかなり美味いぞ」

 ヴェルスング家当主の護衛も兼ねているヴィテゲが酒に飲まれるわけにはいかないのだが、周囲にみなぎる祭りの熱気が当主からの申し出を断る気にさせない。

 少し困った表情で「では1杯だけいただきましょう」と杯を受け取る。


 果実酒1杯ではさすがに酔うことはない、という2人の常識をあっさり打ち破る人物はすぐ傍にいた。


 彼はすでに屋台の前で2杯目を飲んでいた。

「……ネフィル?」

「こんなに芳醇な林檎酒シードルは飲んだことがない! ニーベルンゲンでは北方の林檎酒シードルの作り方を踏襲しているせいか、もっと甘い味付けが多いんだ。それも美味しいのだがこれは後を引く味わいというか……」

「はは、また林檎酒シードルを飲んでいるのか。気に入ってくれたようで何より」

「………ネフィリム様、大丈夫ですか? あまり飲みすぎないよう」

 もともとの肌が白いせいか、すでに頬が赤くなっていたネフィリムにいちおうの忠告をしたヴィテゲだった。

「あ~~~ぅ、やっぱり美味い」

 2杯目を飲み終わるあたりで、ネフィリムは居酒屋でくだを巻くオヤジみたいな口調になっていた。




 そのとき、広場中央から威勢のいい声が上がった。

 そちらを見ると、先端に葉の飾りを付けた白樺の柱が天に向かって真っすぐ立てられたところだった。

 柱の周囲で若者たちが手をつないで輪を作り、声を掛け合いながら踊り出す。
 柱の横にいる恰幅の良い若者が角笛ツィンクを吹き、広場の者たちの声が歌に変化していく。

 シグルズの周りにいた人々も、杯を屋台の前のテーブルに置くと中央へと駆け出していった。

 輪に加わるのはもっぱら街に住む平民たちだったが、中には酒をたしなみに来た貴族やグルヴェイグから来訪したと思われる商人の姿も交じっている。


「踊ろう!シグルズ」

 酒が入って陽気になったネフィリムがシグルズの袖を掴む。

「君、だいぶ酔っているな?」

 まさかこんなに早く酔いが回るとは思っていなかったので若干不安になる。

「少し水を飲んだほうが……」

「興ざめなことを言うな! 音楽があって歌がある。こんなときに踊らないなんてつまらないじゃないか」

 赤くなった顔で眉を寄せ不快感を示される。こうなるとシグルズも強くは言えない。

「いや、まあ、そうなんだが……」
「それとも私と踊るのは嫌か!?」


 寄せられた眉の間の皺が深くなった。
 
 シグルズは「そんなわけないだろう……」と脱力気味に言ったが、酔っ払いなので答えてもあまり意味はない気もする。



「行っておやりなさい」

 ヴィテゲが笑って当主にアドバイスする。

「しかし……」

「軍師や戦乙女ヴァルキリーとしての責務から解放されているのも今だけ。彼の手を取ってあげることも必要ですよ」

 ヴィテゲはシグルズが療養している間、もっとも長くネフィリムの傍にいた人間だ。その彼なりに感ずるものがあるのだろう。

「女性相手にはあんなに手が早いあなたなのに、ずいぶんと過保護になさる」
「おい、それとこれとは……」
「ヴィテゲ、私は女ではないぞ! まだ勘違いをしているのか」

 酔っ払いがわめき出した。
 
 まったく、普段の様子とはまるで違うじゃないか。

 シグルズは苦笑いせざるを得ない。

「……ネフィル」
「ん?」

 腰を折り、片方の手のひらを真っすぐネフィリムに差し出す。

「一緒に踊っていただけるならお手を、我が主」
「………なんでいきなり堅苦しくなるんだ」
「別に堅苦しくはない。君をダンスに誘うのだからこれくらいは当然のたしなみだ、さあ」

 ネフィリムは眉間に皺を寄せたまま、頬を赤くして片手を騎士の手に添えた。

 シグルズの所作と銀の髪に気付いた平民から声が上がる。

「ねえ、あれってもしかして『白銀の騎士』様じゃない?」
「ダンスを申し込んでいるのかしら? 格好良くて絵になるわね」

 周囲からの声にびくりと反応したネフィリムは出した手を引っ込めようとした。シグルズはニヤリとして顔を上げる。

 ネフィリムの手を掴み、彼を自分の体に寄せる。

「わっ!」

「周囲の声は気にするな。俺だけを見ていろ」

 ネフィルの耳元でそう囁くと、今度は声量を上げて高らかに宣言した。


「『音楽があって歌がある。こんなときに踊らないなんてつまらない』、完全に同意だ。日頃の鬱憤うっぷんを忘れるとしようか!」


 笛の音と人々の歌に合わせて足を動かし、相手と呼吸を合わせて繋いだ手を踊らせる。単純明解で明るいリズム。気付けばネフィリムも歌を口ずさんでいた。

 ネフィリムはシグルズの先導に合わせて軽やかなステップを踏む。澄んだ声は楽しそうに跳ね、広場の合唱に吸い込まれていく。


 ここ最近はいろいろなことがありすぎた。
 そんな中での束の間の休息。美味い酒、陽気な踊りと歌。

 ヴィテゲの言う通り、ネフィリムも背負いすぎていたのだ。彼の心からの笑顔が見られてシグルズも癒される心地だった。

 



 ぽすん。



 音楽に合わせて手足を動かしていたネフィリムが、突然シグルズの胸に飛び込んできた。

「……ネフィリム?」

 また大胆に甘えに来たな、と思って笑っていたのだがネフィリムは苦しそうに一言。

「気持ち悪い」

 と言った。顔は真っ青だった。




 ◆

 ネフィリムを横抱きにしたシグルズはヴィテゲと一緒に大慌てで宿に戻った。

「うえーーー」

 シグルズに背中をさすられ、ベッドに腰を下ろすネフィリム。

「おい、飲んだ林檎酒シードルって4~5杯じゃなかったか……?」
「確か4杯だったかと」

 シグルズとヴィテゲはネフィリムの手前、できる限り声を落としたがそれでも2人の会話からは戸惑いがにじみ出ていた。

「うう……」
「大丈夫か!? 吐きそうか」
「いや……大丈夫、だ……ちょっと気持ち悪いだけ……」

 全然大丈夫ではなさそうだった。

「ネフィル……酒に弱いなら最初にそう言ってくれ」
「これくらいなら大丈夫だと思ったんだ……それに、美味しすぎる酒が悪い」

 ヴィテゲから受け取った水を飲み、ネフィルはベッドに横になった。

「この調子だと明日も影響が出そうですから、私は雑貨屋で悪酔いに効く薬を買ってこようかと思います」
「ああ、頼む」
「……………」
「ん、どうした」
「……いえ」

 ヴィテゲは何かを言いかけてから口を閉じ、そのまま薬屋へと出かけていった。




 部屋に残されたシグルズは窓を開けて夜風に当たる。
 下を見れば、未だ若木祭の賑わいが続いていた。

「はは、楽しそうだな」

 窓枠に頬杖をついて呟く。ふいに強い風が入ってきて銀の髪を揺らした。


 ぼんやりととりとめのないことを考えていると、後ろから名前を呼ばれた。


 今、この部屋にいるのはシグルズとネフィリムだけ。
 となれば名を呼んだのはただ一人。

 シグルズはネフィリムに駆け寄った。
 彼は相変わらずベッドの上で横になっていたが、ぱっちりと目を開けてシグルズを見ていた。


「どうした、具合が悪いか?」
「離れないで」
「ネフィル?」

「私の傍にいてくれ。……笑ってくれて構わない。ふいに一人でいることが怖くなるんだ」


 シグルズは微笑みながら答える。


「笑わないよ。君の願いとあらば、傍にいよう」


 シグルズは黒い髪をそっと撫で、ネフィリムの横になっているベッドの脇に腰を下ろした。





『私は……その、お前と離れなければいけないのだろうか』



 この休暇が終わったらどうするか。

 おそらくもう、自分の中で答えは出ている。


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