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第一部 番外編

豊穣祭と林檎酒 1

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本編のように真面目な感じではなく、ほのぼのわちゃわちゃした感じを目指しました!
(本編を早く読みたい方は飛ばしても大丈夫です)
「豊穣祭と林檎酒」は3パートに分けて投稿します。最後のパートはSUKEBEです。

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 黄緑の風月(5月)になろうとしている。

 ファフニルとの戦いで傷を負い、カドモスの毒を受けたシグルズはアースガルズに滞在していた。

 意識が戻るまで3日、日常生活に不自由がなくなるまで2週間、騎士としての責務を果たせる体になるまでには1カ月を要した。

 ミドガルズ大帝国の皇帝ゲオルグの計らいで、アースガルズのもっとも大きな宿のもっとも値が張る豪奢ごうしゃな部屋を回復のその日まで利用させてもらえることになっている。

 当初は皇宮ドラウプニルの療養部屋にいたのだが、「ここは息が詰まる」と渋い顔をした騎士が宿に移る旨を申し出たのがきっかけだった。



 ◆


「そんなに皇宮が嫌か、シグルズ」

 療養部屋のベッドに足を組んで腰を下ろしているのは、ここにいるはずのない ―――いてはいけない―― 皇帝その人だった。ニヤニヤと楽しそうに話しかけてくるのに対してシグルズは渋面を作り、

「ええ。偉い人が公務の合間に俺をおもちゃにしますし、」

 と言ってからゲオルグの後ろで不気味なオーラを放っている大家令だいかれいフギン・ムニンに目を移してから、

「……それを追ってくる次に偉い人に毎回説教されるのもいい迷惑ですしね」

 と被害を訴えた。



 シグルズが毒矢に倒れてからというもの、ヴェルスング男爵家からは祖父レギナスと執事筆頭のディートリヒが顔面蒼白で駆けこんで来て、その様子に「英雄が死んだ」と勘違いした一部の衛兵から皇宮中に悲しい噂が広まった。(噂は翌日に収束した)

 さらにシグルズの友人であり伝令官(諜報ちょうほう・伝令など情報戦略を司る部署のトップ)ブルグント子爵の息子であるグンター・フォン・ブルグントは涙を浮かべて部屋に飛び込み医師を驚かせたが、シグルズの容態が安定していることを把握するやいなや普段のおしゃべり男としての復活を果たした。

 ニーベルンゲンの戦乙女ヴァルキリーであるネフィリムのことに言及すると、興奮を隠さずに友人の手を力強く握り、

「これは運命だろう! シグルズ、君もついに運命と出会ったんだ!!」

 と恋愛小説を読んで感極まる御婦人のように顔を真っ赤にして叫んだ。グンターは若干夢見がちな傾向がある。


 極めつけはエッシェンバッハである。

 2メートルの巨漢であり豪勢なヒゲを生やしたヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ大公。ニーベルンゲンとの戦の際に帝国軍総司令官を務めた彼はいささか変わり者とされている。

 大公でありながら大きな領地や邸宅を求めずに「戦のときにすぐ駆け付けられる」という理由で帝都内にこじんまりとした ――と言っても、平民から見たらとんでもない大豪邸ではあるが―― 居を構えている。

「二年戦争以来だな、ヴェルスング! 毒矢くらいで死ぬんじゃないぞ」
「もう死期は脱したので問題ありません」
「わはは、これからまた戦争があるからな! お前にも従軍してもらわんと困る!!」

 この圧力が3日に1回の頻度で来る。体調が悪化するのではないかと本気で考えた。



 そして、ネフィリムとヴィテゲは毎日シグルズの元へ見舞いに来た。

 ネフィリムは帝国軍顧問参謀の任を受諾し、皇宮に部屋を借りている。

 ヴィテゲはレギナスの指示により、シグルズの体調が回復するまでは護衛も兼ねて若当主の傍にいることとなった経緯がある。


「シグルズ、何か不足しているものはないか? 言ってくれれば調達するぞ」

 ネフィリムは献身けんしん的に騎士の世話を買って出た。シグルズを死ぬかもしれない状況に追い込んだのは自分だという責任を感じているように見えた。

「ネフィル、君はもう顧問参謀の身だ。俺の世話をするよりも優先すべきことがあるはずだ」

 実際、ネフィリムがやるべきことは膨大にあった。

 臨時とはいえ顧問参謀の部屋として設けられた皇宮の一室には、行政府の大交官(外交のトップ)や軍事府の高官たちが列をなし、話を聞きに来たりアドバイスを求めたりしてきているという。

 その合間をぬって帝国軍の戦略を立てねばならないわけで、ネフィリムの目元の濃い影が睡眠不足の状態を明確に示していた。

「そうですよネフィル様。若もだいぶ回復してきていますから、あなたの手をわずらわせるわけには……」

「いいんだ。シグルズ、ヴィテゲ。私がやりたくてやっていることだ」

 ネフィリムははにかんで二人を見る。
 おそらくそれは彼の本音だ。

 知る人のいない皇宮でいきなり参謀の仕事に囲まれた彼にとって、安心して話せるシグルズのところに来るのは心の休息にもなっているはずだ。


 シグルズは考えていた。

 ネフィリムが帝国の顧問参謀に任ぜられたのは喜ばしく、必然でもあった。今後ニーベルンゲンを取り戻すための足がかりとしても必要なことだ。

 同時に、今のネフィリムには休息が必要な気がしている。

 自分のせいで騎士を死ぬかもしれない目に合わせたこと。もともとは敵国であったこの国で戦争の準備をする責務を課されたこと。


 それに……、


『この話を受けたら、私はお前と離れなければいけないのだろうか』


 問われたときは答えに戸惑ってしまったが、あの日以降、騎士の誓約を立てた自分が主と離れることは本当にいいのだろうかとシグルズ自身も悩み考えるようになった。

 ネフィリムが参謀として戦争に従軍するときは自分も戦乙女ヴァルキリーの騎士として、また帝国の騎士として立つことになるのでそれでいいと思っていた。

 だが、ネフィリムは今の状況に不安を抱いている。シグルズの傷がえ、シグルズ自身がヴェルスング邸に戻ってしまうことをうれいている。
 


「傷はふさがったと医師から聞いている。軽い酒くらいはたしなんでも大丈夫なんだろう?」

 大きな目、ふたつの黒曜石がシグルズを見つめる。
 ネフィリムの口から「酒」という単語が出たことに意外めいたものを感じた。

「酒か……。確かにここ最近飲んでないな」
「あまり強いものはいかんだろうが、軽いものならば差し入れできるそうだ。私自身、帝国にはどんな酒があるのか気になっていた」
「ネフィルは酒が好きなのか?」
「すぐ酔ってしまうから多くは飲めないが、果実酒は好きだ」


 そうだったのか。


 思えば、お互いどんなものが好きで、どんな生活を送ってきたのかを十分に語らう余裕もなかった。ネフィリムが酒をたしなむことすら知らなかった。


 なんとなく、今のままではいけないなとシグルズは思った。




「……ヴィテゲ、そろそろ若木祭わかぎさいの時期じゃないか?」

 話をする二人を見守っていたヴィテゲは突然別の話題を振られて驚く。

「……若木祭ですか? ……そういえば確かにそうかもしれません」
「若木祭?」

 ネフィリムが首を傾げる。

「帝国での祭りのひとつだ。美味い酒が飲めるぞ。………よし、決めた。皇宮での療養生活は今日で終いにする。帝都の宿に移るぞ」

「え?」
「え?」

 2人は話の展開についていけない。シグルズはニヤリとした。

「ここは騒々しくて療養には不都合ということだ。ああ、ネフィルに看病を頼みたいから君も少しの間、宿に移動してもらう」


 半ばシグルズのわがままであったその申し出を、ゲオルグは二つ返事で了承した。

 建前上、英雄の願いを簡単に断るわけにもいかなかっただろうし、何より“食えない皇帝”はその心情を正確に理解していたようだった。丸眼鏡の奥の鋭い目が光る。

「束の間の休暇ルーエということか。――まあ、かまわんよ」

 また戦いが始まるからな、という一言が続くかと思ったが皇帝の口からは出なかった。
 彼なりの優しさはこういう見えない形を取ることが多いのだとシグルズは最近気付き始めている。


 ということで、ゲオルグは先述の通り帝都の宿を確保してくれたのだった。



 ◆



 祭りの当日、帝都アースガルズの街路は多くの人でごった返していた。
 宿屋の最上階にある部屋の窓から見下ろすネフィリムは、あんぐりと口をあけている。

「これほどに多くの人が一同に会するとは……! 帝都の祭りは華やかだな」
「この日は帝国全土で祝われる風習があるんだ」

 シグルズは緑を主とした貴族の軽装をまとい、腰には長剣を携えている。傷がほぼ回復したため、処置のしやすい貫頭衣かんとういの生活とは別れを告げていた。

 ネフィリムの隣に立って説明する。

「アースガルズ周辺やヴェルスング領地では“若木祭わかぎさい”と言って、白樺の木を1本、森からってきて柱にする。それを街や集落の広場に立てて豊穣の季節を願いながら男女が踊り明かすのが習わしだ。北部のほうでは小ぶりの木を森から取ってきて火をくらしい」

「お2人とも」

 窓から喧騒けんそうを眺める二人の背にヴィテゲが声をかけた。

「そろそろ外に出たほうがいいですよ。宿の前もいずれ人混みで埋まって出られなくなってしまいます」

 シグルズは「そうだな」と苦笑いで応じると、横にいたネフィリムの手を取った。
 取られた側は突然のことに若干驚いている。

「ではわが主、ともに祭りを楽しむとしようか。もちろん、美味い果実酒が我々の目的であることを忘れてはならない」



 片手を掲げそれらしく宣言するシグルズを見て、ネフィリムは楽しそうに笑った。


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