上 下
18 / 99
1章、悪役は覆水を盆に返したい。

17、主人公のオメガ化を防いで逃してあげよう。そうしよう。

しおりを挟む
「それで~、雪霧シュエウーを解放せよ~と、仰るのでしたか~」
 泰然タイランが茶菓子をすすめてくれる。

 柔らかな生地きじがキツネをかたどった月餅は、普洱プーアル茶とよく合った。

「うん、そうなんだ。あと、このキツネの月餅美味しいね」
「それは、ネコチャンです」
 ふっと間伸びした声が普通になって、冷静な訂正が入った。

「そっか……わかった」
 音繰オンソウは素直に頷いた。
「こほん……、可愛いネコチャンだね」
「ウフフ、ありがとうございます~」
 
不憫ふびん系主人公の雪霧シュエウーは、たし黒道こくどう魔教の禁術でオメガになるんだ】
 みなとの声が音繰オンソウの脳裏によみがえる。
 
 同じく禁術の実験台になってアルファ化した憂炎ユーエン雪霧シュエウーと出会う。そしてその発情ヒートにあてられて理性を失い、襲うのだ。
 
 責任感が高くもともと魔教に反発する気持ちを内側に秘めていた憂炎ユーエンは、不憫ふびん雪霧シュエウーおかしたことに責任を感じ、雪霧シュエウーを守るようになる。
 
 それが、異世界小説に出てくる二人だった。

「私は泰然タイランがどんな実験をしていて、どんな術を編み出そうとしているのかを知っているよ」

 音繰オンソウは正直に切り出した。
 隣では、憂炎ユーエンがキツネをかたどった月餅を無言で味わっている。

「『疯狂ファンクァン』。これは確かに美味いが猫ではない、キツネだ」
「作った私がネコチャンというのですから、ネコチャンですよ? 憂炎ユーエン様?」
「小香主様がキツネと呼んだのだからキツネだ」
音繰オンソウ様はそのあとネコチャンだと認めてくださいました」

 味が気に入ったのだろう、憂炎ユーエンの狼耳がぴこぴことはしゃいでいる。
 音繰オンソウは微笑ましい気持ちになった。
 ――以前ならば、そんな感情が湧くことなどなかったものだが。

(今の私は憂炎ユーエンを微笑ましいと思えるのだな……)
 音繰オンソウはそんな自分を面映おもはゆく思いながら、真面目な話を進めるのだった。

「こほん、ネコチャンかキツネか論争は横に置いといて……人体を変容させる。自然の摂理に逆らう……こぼれた水を盆に返す。無から有を産む。死者蘇生、時間遡行そこう――」

 泰然タイランが叶えたいのは、そんな術だ。
 その過程で、なぜ強制オメガバース化な術が誕生するに至ったかは知らないが。
 
「私はね、泰然タイランの術に興味があるよ。協力しよう――私たちの利害は一致する」

 音繰オンソウは、ずばりと自分の手札を明かしてみせた。

「実は、私は『過去に死んだ知人とその周囲の時間』を巻き戻してやり直しさせたいと思っているんだ。泰然タイランの目指す術と、私が目指す術は近いのではないかな?」

 泰然タイランが細い目を見開き、驚いている。
 隣の憂炎ユーエンもまた、ぴくりと反応を示していた。

「『過去に死んだ知人とその周囲の時間』を巻き戻してやり直し……そんな、そのようなことが……」

「……それを前提として頼むけど、現在予定している実験素体は解放してほしいのだ」
 
 泰然タイランと敵対する必要はない。むしろ、協力すればよい。
 音繰オンソウはそう考えていた。

「というか、今研究してるオメガバースな術って何の意味がある? 死者蘇生や時間遡行に通じるの?」

 純然たる疑問をていすれば、泰然タイランとは不思議そうな顔をした。

「おめがばあす? それはなんです……?」
 そんな術は研究していない、というのだ。
「私が研究してるのは、器を作る術でしたが」

 泰然タイランは一瞬、どこか遠くを見るような目をした。

「人の体液や肉片、骨、毛髪を材料にして別の人や同じ人をつくる術。そして、魂魄こんぱくをそこに入れる……」
 のんびり口調を装うのをやめたように、泰然タイランが告げる。
 その瞳には、狂気さえ感じさせる強烈な執着があった。

「……!」
 隣の憂炎ユーエンがぶわりと毛を逆立て、警戒するような気配を見せている。

「うん。そのための過程で生まれた禁術か知らないが、妙な術を作るようだね。それを私はオメガバースと呼ぶんだ」
 音繰オンソウは困ったように首を振って、オメガバースの概念を語った。
  
 泰然タイランは興味深々で頷き、それを聞く。
 そして、「面白い術ですねそれ。やってみましょう!」などと言い出すのであった。

「軽いな……」
 憂炎ユーエンが呟く声を耳に、音繰オンソウは「あれっ?」と困惑した。

「そのような術は構想にありませんでしたが~、さっそく取り掛かってみましょう~! あ、雪霧シュエウーを解放する代わりに実験台になってくださいね~?」

 泰然タイランが何かのスイッチが入ったようにやる気に満ちあふれている。

「その術を発展させれば、器作りにも役立つかもしれませんし……男性の私が子供を産めるようになるのは夢があります」

 うっとりと呟く泰然タイランの頬が、ポッと赤く色付いた。恋人と自分との子供を夢見たのかもしれない――。

「えっ……、え?」

 音繰オンソウは思った。
 
 ――あれっ、小説の禁術って私のせいで生まれた? もしかして?

 けれど、ひとまず雪霧シュエウーの身柄は音繰オンソウに預けてくれるようだ……。

「あれっ……い、いいのか、これでっ?」
 
 音繰オンソウは解放された雪霧シュエウーと初対面しつつ、この後の自分たちが辿たどる未来を想うのだった。
 
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

男子高校生のありふれた恋の顛末

BL / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:27

零れ落ちる

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:3

オークなんかにメス墜ちさせられるわけがない!

BL / 完結 24h.ポイント:149pt お気に入り:138

不変故事ー決して物語を変えるなー

BL / 連載中 24h.ポイント:142pt お気に入り:8

これが笑いの宝石箱や~Vol.6

大衆娯楽 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:1

異世界で新生活〜スローライフ?は精霊と本当は優しいエルフと共に〜

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:3,166pt お気に入り:1,121

壁穴奴隷No.19 麻袋の男

BL / 完結 24h.ポイント:177pt お気に入り:114

灰かぶりの王子様

BL / 完結 24h.ポイント:63pt お気に入り:39

処理中です...