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1章、悪役は覆水を盆に返したい。

16、泰然は死んだ恋人を復活させたいマッドサイエンティストだ。

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 ふくろうの鳴き声がホロホロと聞こえている。
 好雨時節を知る尚山に、昨夜は猫毛雨ねこんけあめがさあさあと降っていた。
 
 笛の音のような啼声なきごえを置いて枝を抜ける強風は雨上がりの世界を祝うようで、雨過天青うかてんせいの空を軽やかに駆けあがって雲と戯れ流れていく。
 
 
不憫ふびん系主人公の雪霧シュエウーは、たし黒道こくどう魔教の禁術でオメガになるんだ】
「まずは、主人公からだね」
 
 音繰オンソウは、みなとと共に異世界小説の内容を確かめ合いながら方針を定めて行動に移し始めようとしていた。

 空気は少し湿っていた。
 蘭麝らんじゃめいたかおりがふわふわと辺りに漂い始めると、目的地はもうすぐだ。

 体調を大分回復させた音繰オンソウは、みなとの魂が入った鈴をぷらぷらと引っげ、魔教の中でも妖しい禁術や薬の研究開発に熱心な泰然タイランという魔人の活動拠点を今から訪れるところだ。

 小説では、雪霧シュエウーに禁術をほどこすのは泰然タイランである。
 
 『疯狂ファンクァン』――変人とか変態とか魔人たちに呼ばれる泰然タイランは、異世界風にいえば『マッドサイエンティスト』だろうか。
 
 開いてるのだか閉じてるのだかよくわからない細い目でいつもヘラヘラと笑っているつかみどころのない男――音繰オンソウにとっての泰然タイランはそんな魔人だった。
 彼の持つ何かが以前の音繰オンソウの心に何故か共鳴するようで、音繰オンソウは彼を気に入っていたように思う。
 
 今思えば、それはきっと寂しさとか虚しさとか、あるいは無力感といった感情なのだ。
 
 彼は、音繰オンソウの知り合いだ。友人というほど親しくはないが、悪感情は互いに抱いていない仲である。
 
 ゆえに――音繰オンソウがもふもふの黒尻尾をご機嫌に揺らして想うのは、『相手は知り合いなので、自分が介入することで、主人公は簡単に不憫な運命から助けられる』ということだった。
 
 
 ――から、から。ころり。
 
 途中、坂道をからからと虚しい音を立てて銀色のなべが転がっていく。
「おや。鍋。なぜ鍋……あれは、ただの鍋ではなさそうだが」 
 鍋はふたをパカパカさせていていかにも怪しかったが、殺気や敵意が感じられなかったので、音繰オンソウはスルーしておいた。

 今は鍋より不憫ふびん系主人公が大事だ。
 異世界小説のオープニング前の雪霧シュエウーを助ければ、ざまぁ回避の未来に一歩前進できるのだ。


「この先だよ、みなと」 
 泰然タイランの活動拠点は、山の地下だ。
 
 山の裏手側にある『更夜魔神こうやましん』という数百年前に没した魔人を神格化するようにまつほこらの近くに、ただひとつの入り口がある。
 
 『更夜魔神こうやましん』は泰然タイランの恋人であったと噂されていた。
 かつての音繰オンソウにはどうでもよいうわさであったが、今は事情が違う。
 異世界小説の知識によると噂は真実で、泰然タイランという魔人の最終目標は恋人を蘇らせることなのだから。

 
 りん、りん、りんと鈴が鳴る。みなとだ。
【小説の中で主人公たちに『ざまぁ』される泰然タイランは、滅びる間際にこのほこらに逃げてきて、恋人の棺を燃やされて泣きながら死ぬんだ。可哀そうだったな……】
 
 入り口から縦深く落ちて潜って、日の光遠き地中に、異世界の小説に出てきた『泰然タイランの住処』がある。
 
 他者が立ち入ることのできないように巡らされている結界の前で止まり、音繰オンソウは大きな声でおとないを告げた。
 
泰然タイラン、私だ。音繰オンソウだ。お邪魔するよ」
 旧知の温度感で呼びかければ、泰然タイランが姿を現した。

「これはこれは、小香主様~。おひさしぶりですねえ~」 
 白を基調とした衣装をひらひらとなびかせる泰然タイランは、あおうるわしい艶を放つ銀毛の兎獣人だ。

 彼の実験素体としてひどい目にあわされてしまう雪霧シュエウーも同じ色をまとっていて、しかも憂炎ユーエン泰然タイランの恋人と同じ茶毛なのだ。
 
(念願の復讐を果たしてむつみ合う主役カップルに対して、泰然タイランは結局悲願を果たせずひとりのまま儚くなる、という救いのない対比がされていたのだなぁ)

 優艶な雰囲気のある泰然タイランには警戒する様子が全くない。
 旧知の温度だ。音繰オンソウはホッと安堵しつつ、挨拶もそこそこに本題を突きつけた。

泰然タイラン、ここで行われている実験についてだけれど。雪霧シュエウーとかいう名前の正派道士がいると思うんだ。確か、九山きゅうざん派かなぁ……君が実験素体にしようとしてる、綺麗な子だよ」
 
 九山きゅうざん派というのは、正派のひとつ。
 九山きゅうざんという山を拠点とする、剣に秀でた道士の門派だ。

「いますねえ~。なぜ、ご存じなのでしょう~?」
 特有ののらりくらりとした口調で首をかしげるようにしつつ、泰然タイランは奥に誘う。音繰オンソウの背後にひらひらと手を振って。
「そちらのお客様も、ど~う~ぞ~」
 
 視線を移せば、そこには憂炎ユーエンがいた。
(全く気付かなかったぞ。尾行されていた……?)
 音繰オンソウは狼耳をぴんとたてて、驚愕の声をあげてしまった。
 
憂炎ユーエン!」
 
 憂炎ユーエンは眉間にしわを寄せ、不機嫌そうに頷いた。

「たまたま見かけただけだ。私は別に貴方を守ろうとついてきたわけではない」
 尻尾はふりふりと愛嬌たっぷりに揺れている。可愛い。

(ツンデレか? 私の元弟子は、ツンデレ魔人なのか?)

「先日の精は美味だったよ。お礼を言うのを忘れていたね。そういえば、封印から解放してくれた分もそのうちお礼をしなければ」
 音繰オンソウが『以前の師匠なら絶対言わない』発言をするので、憂炎ユーエンは夢うつつを彷徨うような顔になった。
 
「――貴方は、変だ……弱っているせいなのか。封印されたからなのか……? 腑抜ふぬけてしまって、まるで牙が抜けた狼。別人のようだ……」
 
 そんな言葉が、音繰オンソウには不思議と不快ではない。
 むしろ、『別人のよう』という言葉に奇妙な嬉しさを感じてしまうのだった。
 
 二人そろって泰然タイランに導かれるまま彼の拠点内部を歩き、客間らしき部屋に通される。
 部屋の角はまるく、外なんか見えないのに円窓があって、外の景色のかわりに窓に絵が描かれている。
 
「ごゆっくり~、どうぞ~」
 泰然タイランはそこで、お茶をれてくれた。
 
 黒茶の一種である普洱プーアル茶が、とぷとぷと茶杯に注がれる。

 お茶の匂いがかぐわしく室内にふわふわと広がる。
 温かみがある色の液体がほわほわとした湯気をあげている。

 茶杯を傾けて頂けば、口の中をスッキリさせてくれるような、さやかな口触りが心地よい。
 
 優しい味わいの茶は、とても美味しかった。
 

 
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