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1章、悪役は覆水を盆に返したい。

15、今『ざまぁ』と言った?(軽☆)

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 碧々へきへきとした月の光が室内に注ぎ込む。
 燃えさかる炎は室内の色めいた気配を一瞬でぬぐい去り、消えていった。
 
「まだ身体も本調子じゃないだろうに、音繰オンソウ……本調子じゃないから精気を吸いたいとか、あったりするのか? 花では足りないか」
 憂炎ユーエン凄絶せいぜつに殺気立った険しい眼差しを向けてくる。

 嘲弄ちょうろうされている。
 下手したらこのまま殺されるのでは――そう感じながら視線を受け止める音繰オンソウは、早鐘はやがねのように打つ心臓を自覚しながら弱々しくあえぐのみ。
 
 その薬効に上気した頬は桜色に色づいていて、煽情せんじょう的だ。
 酷薄こくはくな青の瞳が熱っぽく潤んでいて、青玉宝石サファイアみたいに美しい。
 
 乱れた小夜衣さよごろもに際どい部分を隠しつつも無防備に肌色を露出する肢体は肉付きが薄く、痛々しいと思わせる一方でおすの本能的な獣欲や支配欲をそそるなまめかしさを魅せている。

 
 憂炎ユーエンが発した声は、恐ろしく静かな怒気どきを伴っていた。
「で? 私も混ぜてくださると?」

 
「――……!!」 
 悠然ゆうぜんとした足取りで室内に踏み込んだ憂炎ユーエンに、泰宇タイユー泰軒タイエンが同時に飛びかかる。
 音繰オンソウが止めるもなく、泰宇タイユーが拳で、泰軒タイエンが毒らしきものを塗った短刀で、左右から挟撃するようにして殺意を閃かせる。

 憂炎ユーエンは軽く鼻を鳴らして片足を舞踏でもするように引き、くるりと半回転するようにして襲い来る拳を虚空に流した。
 そして、踊りかかった勢いをそのまま活かすように泰宇タイユーの腕を取り。
「――ぎゃんっ!」
 その全身を肉の盾みたいにして、泰軒タイエンの短刀を受けさせた。

泰宇タイユーっ!」
 咄嗟とっさに短刀の勢いを殺した泰軒タイエンだが、それでも浅く泰宇タイユーの背に傷がついている。

泰軒タイエン兄貴ィ! これは毒……っ!?」
 青ざめる泰宇タイユーを、憂炎ユーエンがホイッと放り投げる。
 泰宇タイユーがあわあわと泰宇タイユーをキャッチして、解毒薬の小瓶を取り出した。
 
「あ、安心しろ泰宇タイユー、それはただの媚薬だから……! 今すぐ解毒するぞ」
「ほう、それが解毒薬か。ありがとう」
 尻尾をふわふわ揺らした憂炎ユーエンは、サッと手を伸ばして薬瓶やくびんを取り上げる。
 
「アッ――」
 
「小香主様はおやすみになる。お引き取り願おうか」
 泰宇タイユー泰軒タイエンを順番に部屋の外に追い出して、憂炎ユーエンは尻尾をぶんぶんと振った。

 音繰オンソウは身のうちに無理やりえ付けられてくすぶる欲を持て余し気味にしながら、元弟子が透明な硝子がらすびんに入った丸薬がんやくを興味津々といった眼差しで点検する姿をあおぎ見た。
 
憂炎ユーエン……おお、憂炎ユーエン。私を助けてくれたりするのか……それっぽい気配ではないか……?)
 
 ――私はあんなに君をいびったりしてたのに、さすがは主人公の相手ヒーロー役。良い奴だ!

 音繰オンソウの胸中には、『良い奴だ!』という思いと同時に『それに比べて私は情けないしクズだ……』というジメジメした思いが生まれている。
 
 嫉妬、劣等感、自己嫌悪……そんな複雑な心境の音繰オンソウの耳に、『良い奴』の声が降る。

音繰オンソウ。いいざまだな」
 ……憂炎ユーエンが上から見下すようにして奇妙な目を向けている。
 
 底のほうにぐつぐつ煮立つ熱を押し込めるような、そんな目だ。
 音繰オンソウには、それがうらみに似た負の感情のように思われた。

(というか、今、きみ『ざまあ』と言った……?)
 音繰オンソウは内心で首をかしげた。
 ――さっそく? えっ、もう『ざまぁ』されてる?

(そうか、これが『ざまあ』か……となると私は悔しがったりしたほうがいいのだろうか)

「はぁ、はぁ、……ぐ、ぐぬぬ、くっ、ころ……」
 音繰オンソウは薬でのぼせあがった正気と狂気の狭間で悔しがる台詞を思い付いて言ってみた。あまり憂炎ユーエンには響かなかったようだったが。
 
「解毒薬だ。ほしいか?」

 憂炎ユーエンが目の前で瓶を振って、見せつける。

(そりゃあ、ほしいよ)
 音繰オンソウは目を瞬かせた。
 
(あれか。犬のしつけによくある『待て』か。焦らすのか。焦らしプレイをするのか憂炎ユーエン? どちらが上の立場かわからせてやろうという魂胆か憂炎ユーエン?? 私は君にそんなプレイを教えた覚えはないが習得しているのか憂炎ユーエン?)
 
 ――以前の自分なら、弟子の態度に機嫌を損ねていただろう。

 しかし、今の音繰オンソウは今――、
(この態度も因果応報。私が師匠だった頃の接し方が悪すぎたから)
 ……と、そんな殊勝しゅしょうな考えが頭に浮かぶやら。
(しかしそれはそれとして解毒薬はさっさとおよこし)
 と、苛立つ気持ちも当然生まれるのだった。

憂炎ユーエン……」
 甘い吐息混じりに音繰オンソウが名を呼べば、憂炎ユーエンは一瞬、ひるむような気配を見せた。
 
「師匠を焦らすとは、悪いだ……」

「……っ?」
 素直な声色で吐き出した返答に、憂炎ユーエンが驚いた様子で目を見開いている。

「お……音繰オンソウっ?」
 声には、隠しきれない動揺があった。
 
(動揺しているじゃないか、よしよし)
 音繰オンソウは元弟子が動揺する姿に不思議な楽しさを感じて、微笑んだ。
 
「いいだから、それを師匠におよこし」
 音繰オンソウが潤んだ瞳で上目遣いするようにして艶美に微笑み、恥じ入るように乱れた夜着のあわせをかき抱いて肌を隠すようにすれば、憂炎ユーエンの喉が息を呑む。

 ことり、と硬質な音を立てて、小瓶が置かれる。

(これでは、どっちがしつけをしているのやら) 
「ああ、ありがとう……いいだね」 
 それに伸ばした音繰オンソウの手を、強い力がつかんで止めた。
「……」 
 がっしりとした手が、熱い。

 憂炎ユーエンは熱の灯った眼差しで捕らえた手を見つめ、そっと自分の唇に寄せた。

「……っ?」
 吐息が甘く指先をしびれさせる。
 音繰オンソウは何も言えずにただ憂炎ユーエンの唇を見つめた。
 
 薄い唇が指先を食むようにひらいて、隙間からチロリと赤い舌が覗く。
 爪先をしゃぶるようにされて、濡れた感覚が与えられる。
 指の形を確かめるように、舌が這う。水音を立て、唾液が透明な糸を引いて、唇が吸い付いて。
 ちゅく、と濡れた音が奏でられる。吸われる感覚に、ぞくりとする。

「……ぁ、……っ」 

 身体が否応なしに昂り、うずく。
 甘い官能のもどかしさに、じっとしていられなくなる。
 軽く歯を立てられると、微弱な電流が流されたみたいに腕の皮膚がぞくぞくした。

「あ、っ、ぁ……!?」
 腰のあたりに重く溜まる熱が加速して、吐息が押し出される。
 
「精がほしいなら、……私が」
 指先から腕へと手が滑り、獲物をとらえるように頬を撫でられる。

 ぞくぞくと身体の芯から湧き上がりこみ上げる何かに、音繰オンソウは恍惚となった。
 
 鼻先を擦るようにして、憂炎ユーエンの精悍な顔が近くなる。
 吐息が溶けあうようで、透明な空気が――甘い。

 二人の唇が、柔らかに体温を伝え合う。

「ン……っ」
 鼻に抜けるような声が音繰オンソウから零れる。
 
 ぬるりとした舌が強引に音繰オンソウを翻弄しようとしていた。
 はじめて味わう獲物をいたぶり、弄ぶように口腔を探られる。
 やわらかな部分を刺激され、震える舌を絡み取られて、舐られる。

「んんッ……」
 音繰オンソウの背筋を、ぞくりぞくりと甘美な欲が駆けあがる。
 素直過ぎる反応を示して悶える身体を閉じ込めるように憂炎ユーエンの腕がまわされて、腰や背の痩せ具合を確かめるみたいな手付きが段々情熱的になっていく。

「ふ……ふーっ」
 野生の飢えた獣のような眼をして。
 熱く吐息を繰り返し、被食者を逃すまいとでもいうように。
 大きな手で音繰オンソウの後ろ頭を抑えるようにして、角度を変えた口づけが深くなる。

(あ――これは……) 
 少しずつ、精気が流し込まれる。それに気付いて、音繰オンソウはうっとりとした。

 ――美味しい。
 
 それは、弱まっていた全身に極上の蜜のような多幸感を感じさせた。
 全身を侵食されるように、支配されるように、強い精気がじわり、じわりと快楽の波といっしょになって音繰オンソウを犯していく。

「んっ、ん、んぅ……、ふ……」
 身体の芯が、熟れきった果実のようにぐずぐずに甘く溶かされていく。
 
 音繰オンソウの声に、甘さが増していく。

「ゆ……、ゆう、えん」

「っ!」

 名を呼ばれた瞬間、びくりと憂炎ユーエンの全身が大袈裟なほど動揺し、一瞬でその体温が剥がされた。

「い、今……私はなにを」
 口元を手で覆い、夢から覚めたような憂炎ユーエン顔が呆然と目の前の現実を見る。

「……?」
 真っ赤に上気し、とろけきった顔で音繰オンソウが首をかしげる。
 はらりと乱れた黒髪が頬にかかり、乱れた着衣の隙間から甘く色づく胸の果実が覗いて、まさに据え膳という状態。

 そんな据え膳を前に、憂炎ユーエンは――、
 
「っ~~!? し、失礼……」
 
 憂炎ユーエンは狼耳を倒して勢いよく部屋から出て行った。出ていく間際に見えた顔は、心配になるほど赤くなっていた。
 

「お礼を言う暇もないじゃないか……」 
 元弟子の奇行に音繰オンソウは目を丸くしながら、解毒薬をこくりこくりと飲み干した。

 りん、りんと鈴が鳴っている。
 みなとだ。
 
【し、刺激が強……っ、異世界やばい……ッ……えっと、……音繰オンソウさん大丈夫?】 

「……ぷはぁっ……美味しかった」 

 一息ついた魔人は、極上の精を分けてもらえて、ちょっとだけつやつやしていた。
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