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1章、悪役は覆水を盆に返したい。

18、三十六計、主人公には優しくせよ。

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 初々しい桃の香りがする。

 雪霧シュエウーという青年と初対面を果たした音繰オンソウの第一印象は、それであった。

 容姿ははかなげで、小柄で華奢きゃしゃ
 長い髪は月の光を集めて垂らしたみたいに幻想的に背に流れ、動くたび白銀の雪粉をはたいたみたいにきらきら艶めいている。
 狼耳が長めで、まるでウサギのようだ。
 手足はあまり筋肉がついていなくて、ほっそりとしている。瞳はつぶらでウルウルしていて、きらきらキュルーンとした愛されオーラがある。

「助けてくれてありがとうございました! 僕、雪霧シュエウーといいます……」
 楚々そそとした仕草で首を傾けてお礼を言われると、音繰オンソウは小動物に懐かれたような気分になった。

 可愛い。
 一言でいうと、雪霧シュエウーはそんな生き物だ。

 ――なるほど、これは特別な庇護欲をそそる雰囲気がある人物だ。音繰オンソウは冷静にそう思った。

「よしよし、怖かったね。もう大丈夫。私が助けたからね。私が。覚えておいて。私が助けたんだ……私だからね。いい? 私だよ」
 
 音繰オンソウは激しく恩人アピールしつつ、「食事をご馳走してからおうちの近くに送るよ」とふわりと優しく微笑んだ。

 チー家に連れ帰って小籠包しょうろんぽうと花茶でもてなす点心茶席を設ければ、弟弟子たち、泰宇タイユー泰軒タイエンが仲間に入れて欲しそうに手土産の桃まんをアピールしてくる。

雪霧シュエウーっていうのか。かーわいいな。オレ、泰宇タイユー! オレたちと今晩どう?」
泰宇タイユー、そんな軽く誘うなよ。相手は正派の道士なんだぞ。これだから魔教はって思われるだろ」
泰軒タイエン兄貴ときたら善人ぶって……でも、確かにそうか?」
雪霧シュエウー、オレが泰宇タイユーから守ってやるからな!」

 泰宇タイユー泰軒タイエン雪霧シュエウーに自分を好ましく見てもらおうと猫撫で声を出したり、互いに牽制けんせいし合うようににらみ合ったりしている。

「オレは怖い魔人じゃないぞ。このオレ、泰宇タイユーといえば魔教の中でも紳士で、良識を重んじる聖人君子で有名なんだ」
「なにをぉ? オレだって、泰軒タイエンってなんで魔教にいるの? って聞かれるくらい道徳大好き魔人だぞ! 倫理観ではオレの右に出るものはいないのさ」

(この弟弟子たち、なんだかんだ良いコンビなんだよなぁ……)
 音繰オンソウは二人を見守りつつ、憂炎ユーエンをちらりと気にした。

 なんといっても憂炎ユーエンは、異世界小説で雪霧シュエウーの相手役なのだ。
 やはり、可愛らしい雪霧シュエウーに心を奪われているのではないだろうか?
 
(見た感じ、冷静そのものって感じで茶をすすっているけれど。澄ました顔をして、内心ではときめいていたりするのだろうか……)
 音繰オンソウは元弟子と雪霧シュエウーをちらちらと見比べた。

 元弟子、憂炎ユーエン偉丈夫いじょうぶだ。たくましく、雄々おおしい。才能あり、頼りがいのありそうな男だ。
 雪霧シュエウーはというと、守ってあげたくなるような雰囲気がある。はかなげで、弱々しく、可愛らしい。

 異世界小説によると、憂炎ユーエンは本当は正派の血筋で、最初こそ正派と邪派という対立する門派同士だったが最終的には正派側になるのだ。
 
(まさに、運命の相手――お似合いだね)
 
 じっと見つめていると、ふと視線が絡み合う。
 その瞬間、音繰オンソウの胸の奥に不思議な気まずさ、決まりの悪さみたいな感情がパッと弾けた。
 
「なんだ音繰オンソウ? じろじろ見て」
 憂炎ユーエンは相変わらず元師匠への敬語というものを忘れてしまったような接し方だ。

「なんでもない……」 
 ゆるく首を振り、音繰オンソウは視線を逸らした。 

 頭の中では、気持ちを切り替えるように思考を巡らせながら。
雪霧シュエウーには、魔教の魔人って思ってたより親しみやすいって思ってもらえたかな。『ざまぁ』は回避できたのだろうか。いや、まだかな……無事に家に送り届けてからじゃないと安心はできないかな。このあと魔教にひどい目にあわされたら、台無しだ)

 異世界でもよく人間たちが言っていたじゃないか。
 そう、『家に帰るまでが遠足』とかなんとか……!

 雪霧シュエウーの家といえば、正派の住む『九山』という山だ。

「途中まで送っていこうか。せめて、この尚山しょうざんを出るぐらいまでは……」
 なにせ、尚山しょうざんは魔教の縄張りだ。
 この場にいる魔人たちは『雪霧シュエウーって可愛いなー』で済んでいるが、魔人の中には『オレ、正派見たら襲う。ズバッ! キヒヒ!』みたいな連中もいるのだ。
 
(主人公には優しくする。これはみなとと決めた方針だ)
  
音繰オンソウさんって、本当に優しいですね。ありがとうございます!」
 雪霧シュエウーがふわふわと砂糖菓子のように微笑む。可愛い。

雪霧シュエウーは、可愛いな――『優しい』だって。そんなこと、生まれて百年だかで初めていわれたや)
 思わず音繰オンソウが尻尾をふわふわと揺らして目を細めたが、そこに低い声が割り込んだ。

「白いの」
 憂炎ユーエンだ。

(おお、ついに話しかけるのか、憂炎ユーエン。口説くのか?)
 音繰オンソウは謎の緊張に包まれて、元弟子が運命の相手と初会話するのを見守った。
(しかし『白いの』とは……名前を呼べないほど照れているのだろうか。私の弟子は真面目だからな――ちゃんと口説けるのだろうか)
 ――気分はまるで、異世界の公園デビューの我が子を見守る親であった。
 
 甘酸っぱい感じになるのだろうか。
 いきなりお互いに運命をびびっとアレしてガバッとなっちゃうのだろうか。
 小説と違い、両者ともオメガバース化の術にはかかっていないが。
 
 果たして、元弟子はどのように好む相手を口説くのか――元師匠としては、気になるではないか。
 
 しかし、その耳には色気の欠片かけらもないセリフがきこえるのだった。
「この方は尚山しょうざん魔教の小香主様だぞ。気安く呼ぶな」
 
 なにやら剣呑けんのんではないか――音繰オンソウは目をぱちぱちと瞬かせ、その表情をうかがった。
  
 再び目と目が合えば、音繰オンソウの胸の奥でなぜか鼓動が跳ねた。

(こっちを見ないで、運命の相手と仲を深めなよ)
 そんな風に思いながら。
(『白いの』なんて呼ばずに名前で呼んで距離を縮めなよ)
 そんな風に思いながら。
(いつも通りなんだ。なんだか、あんまり運命とか感じてなさそうなんだ……)
 そんな風に思って。
   
 なんだか、尻尾がゆらゆらと揺れてしまうのだった。
 

 
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