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第4章 遠征

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遠征が始まってから1週間ほどした晴れの日。ついに魔法犯罪者のいる根城を攻撃することになった。
周辺の魔獣を粗方狩り終わったが、未だに魔法犯罪者は動きを見せていないらしい。
周辺の魔獣が多ければ、当然魔獣の邪魔を受ける。魔法局にとっては魔法犯罪者の捕縛がしづらい。しかし、それは魔法犯罪者にとっても同じで、魔獣がいれば逃走がしづらい。魔法犯罪者は周辺の魔獣が減るのを待っているかのようだった。

当日の朝、レインからはいつもどおり部屋で待っていれば良い、と言われたが、ユミルはそわそわと落ち着かない気持ちでいた。
時刻は夕方に近づいているが、未だレインたちは戻っていない。午前はあんなにも晴れていた空が厚い雲に覆われ、雪も散り始めたので、ますますユミルは不安になる。

お茶でも飲もう、とユミルが席を立ったときのことだった。

ふと見えた窓の外から一瞬、天に向かって閃光が走った。

続いて、閃光の走った場所付近から大きな遠吠えが複数聞こえる。
魔法犯罪者の根城があると言われていた山の麓よりも、明らかにこのホテルがある町に近い。

ユミルはすぐに廊下へ出ると、ホテルで待機していた数名の魔法騎士と合流した。

「どうしたのですか?」
「ケルベロスです。突然町の外に現れて…意味が分かりません。とにかく我々は外に出て迎撃しますので、ユミルさんはここで待っていてください。」

魔獣の発生メカニズムは明らかになっていないが、人が立ち入ることができないほど山奥にある黒い泉から湧き出ている、という逸話があるほど、魔獣は山奥から下りてくるのが一般的だった。少なくとも、急に空から降ってくるものではないし、転移魔法が使える魔獣と言うのも聞いたことが無い。
しかし、ケルベロスは急に町の外に現れたのだ。

この町にはホテルのオーナーと生活必需品が買える商店以外、数戸の家があるだけだ。
数少ない住民には、有事の際、ホテルの1階ロビーに集まるように事前に通達が行っていた。

ユミルはレインから貸してもらったコートに腕を通し、杖を持つと、住民の誘導を手伝おうと1階に降りた。

1階には既に何人かの住民が避難しており、不安そうに手をすり合わせている人もいる。
この町の近くの山で魔獣が出たことはあっても、町中にまで魔獣が下りてきたことは未だ嘗てない。そのため、もともと町中の警備は手薄でホテルに残されていたのは比較的若手の魔法騎士だけだ。先程の騒ぎでホテルに残っていた魔法騎士は焦って全員門の外に出てしまった。

ユミルはホテルの扉をおさえて、ちらほらと逃げ込んでくる住民を中に誘導したが、頭の中は混乱を極めていた。

(もし、もし、さっき外に出た魔法騎士がケルベロスを止められなくて、町の中に入ってきたらどうしよう。)

なぜか、ホテルに待機していたはずのシルビアが見当たらない。
周囲を見渡したが、ここには魔法使いがユミルしかいないのだ。

ユミルは魔力がとっても少ない。
だから、一気に魔力を放出する魔法、要するに攻撃魔法や防御魔法はとんでもなく苦手だった。

ケルベロスはそこまで強い魔獣ではないが、動きが素早い。
あの少数の魔法騎士では、ケルベルスの頭数によっては仕留め損ねる可能性もゼロではない。すぐに気づいてホテルの前まで転移魔法で飛んできてくれればいいが、戦闘中であれば他に意識を割くのも難しいだろう。

ユミルは自分の呼吸が浅くなっていくのを感じていた。

ユミルはパニックになる頭で何とか避難の住民の数が足りていることを数える。

「あの、魔法使い様、ここは大丈夫なんでしょうか?」

不安そうにしていた住民が、ユミルに話しかける。
ユミルは魔法局の魔法使いではないが、魔法使いに違いはない。それに、寒さ対策のためとはいえ、レインの魔法局のコートを羽織ってしまっている。

「ええ、大丈夫ですから、ここで待っていてください。」

ここで不安そうにしている住民を突き放すこともできず、ユミルは引き攣った不格好な笑顔で声をかけてから、外へ出て入口の扉を閉めた。

先ほどの閃光の位置に魔獣が現れたとすれば、人の気配を追ってこのホテルに真っ直ぐ最短距離でやってくるだろう、とユミルはその方角に目をやる。
徐々に風が強くなってきて、視界が良好とは言いづらい。風の音のせいで足音を聞き洩らしそうだと、ユミルは必死に耳を澄まし、目を凝らした。

ビュウビュウと鳴る風の音と、ドッドッと鳴る自身の心臓の音しか聞こえない中、遠目に黒い物体が近づいてくるのが見えた。

(…ケルベロス!)

人よりも低い背、四足歩行。それを認識できる距離まで近づかれたら、あとはあっという間に距離を詰められる。

(どうしよう!どうしよう…!)

取り敢えず外に出てはみたものの、ユミルには全く策が無かった。まさか、魔獣が本当に魔法局の魔法使いを突破してくるとは思っていなかったのだ。

ユミルは震える手で杖を振って、何とかケルベロスの方へ向かって火玉を飛ばすが、簡単に避けられる。それに、ケルベロスは火が苦手だとされているものの、この威力では当たっても大したダメージにはならないだろう。

(どうしよう、怖い、逃げたい、怖い、どうしよう、逃げたい…!)

目前まで迫るケルベロスにもう考える時間は残されていない。
ただ、アデレートに言われた、魔法を使える者の義務がユミルの中には確かに芽生えていた。

ユミルは授業で魔獣を何度も見たことがあった。しかし、普通の人ならばそう目にする機会もない。きっと、ユミルよりもずっと恐ろしい思いをしているだろう。
ユミルはここの住民と同じくホテルに籠ってしまいたい気持ちを必死に押し殺す。

ユミルが使える程度の火魔法だと、至近距離まで近づいて当てなければ効果はない。
しかし、それほど近くまで寄られては、魔法を放つよりも前にガブリと一思いに嚙み殺されてしまう。

ついに、ユミルの考えがまとまらないうちに、ケルベロスは目前に迫る。
ケルベロスは大きな口を開けて、一直線にユミルに飛びついた。
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