電車の男 番外編

月世

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学園祭

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〈六花編〉

 七世の高校の学園祭に行くことになった。
 今まで兄弟の学園祭になんて行ったことがなく、少し照れ臭くはあるが、楽しみだった。
 と言っても、七世にとっては姉の私はおまけだ。
 学園祭があることを知った加賀さんが、見に行きたい、と言い出したのだが、七世が拒んだらしい。
 加賀さんを学校の人たちに見せたくない、というのが理由らしかった。
『倉知君にすげえ拒否られた』
 という加賀さんからの寂しさ全開メールを見て、なんとかしなければ、と思い、七世に条件を出した。
「私がボディガードになるから、それなら行ってもいい?」
「わかった。いいけど、目立たないでよ?」
「隠密行動するから」
 という具合に約束したのに、当日何故か五月にばれてしまい、靴を履いてドアノブを握ったところで、あたしも行く、と駄々をこね始めたのだ。
「りっちゃんはずるい! 加賀さんと二人で学園祭回るとか考えられないくらいずるい!」
「あんたがいたらうるさくて目立つから嫌だったんだよ。それにその格好」
 以前の女子力の高い五月に戻っている。ウィッグをつけて、化粧をして、胸の開いた服と、ミニスカートを着ている。
「目立ってしょうがないよ」
「分散攻撃よ、わかる?」
「は?」
「七世は加賀さんが注目されてキャーキャー言われるのが嫌なんでしょ? 隣にあたしがいればキャーキャーが分散されると思うのよ」
「よくわかんないけど、置いてくから」
「やだ、行く」
「じゃあせめて普通のカッコしてきて」
「やだ、せっかく気合い入れたのにもったいないもん」
 ええい、と服をひんむこうとしていると、チャイムが鳴った。
「加賀さんだあ」
 五月が外に飛び出していく。
「え、あれ? 誰かと思った。懐かしいな、そういう格好」
 加賀さんが五月を見て冷静に驚いた。
「えへ、可愛いですか?」
 ポーズをつけてから、くるっと一回転してみせた。
「うん、でもいつものほうが可愛いと思う」
 加賀さんの科白に五月が固まった。回れ右をすると、「着替えてくる」と頬を染めて言った。
「もう時間ないから行くよ」
「五月ちゃんも行くの?」
「なんでかばれたんで、仕方ないです」
 盗み聞きでもしたのだろう。
「倉知君が怒りそう」
「べっつに七世が怒ったって怖くないもーん」
 三人で並んで歩き出す。
 すれ違う人が振り返って見てくる。
 やばい、もう目立っている。五月と加賀さんが人目を引く。着飾らないで、普通の格好か、むしろださいくらいの服を着てきてください、と言ったのに。普通にカッコイイ。
 電車に乗っていても、空いている車両からわざわざ移動してくる人が多い。男は鼻の下を伸ばして上から下から五月を覗こうとするし、女は遠巻きに、トランペットに憧れる少年のように夢見る表情で加賀さんを見ている。
 五月は見られることが嬉しくていい気になっているが、加賀さんは奇跡的に、まったく気づいていない。
「先が思いやられる」
 呟くと、二人が「何?」とこっちを見る。
「あのね、今日は隠密行動しなきゃいけなかったんだよ。それなのに五月はビッチみたいな格好だし、加賀さんは無駄にカッコイイし、目立ってしょうがない」
 私が言うと、五月が唇を尖らせた。
「ビッチってひどくない? フェアリー系だよ?」
 加賀さんが自分の姿を見下ろして、
「俺、隠密行動にぴったりの黒一色だけど。忍者系だよ?」
 ととぼけたことを言った。
「カッコイイから却下です。だっさい服持ってないんですか」
「持ってない、ごめん」
 すまなそうに眉を下げて謝られると困る。
「学校着いたらせいぜい目立たないようにしてくださいね」
「はい、すいません」
 目立つな、なんて、無理な話だ。わかっていた。わかっていたけどこれはひどい。
 学校に着くと、生徒が群がってきた。芸能人か何かと勘違いでもしているのか、男女ともに頭から湯気が出そうな興奮度合いで、写真一緒に撮ってください、とスマホを突きつけてくる。
 何が分散する、だ。倍増しているじゃないか。舌打ちをする。
「えー、いいよお。撮ろう、撮ろう」
 五月が馬鹿面をさらして男子生徒と撮影会を開始した。それを見ていた女子生徒が、調子に乗って加賀さんにスマホを差し出してくる。
「逃げましょう」
 加賀さんの腕を掴んで、五月をほったらかしにして、人混みに向かって走り出す。
「五月ちゃんは?」
「どうでもいいです。とにかく七世の教室行きましょう。二年一組です」
 ビッチがいなくなったことで、人の目が引いた。ホッとする。私も黒一色だし、黒同士だから目立たないのかもしれない。
「あのカップルかっこよくない?」
 こっちを指さして女子生徒がヒソヒソやっているのが見えた。私たちはカップルに見えるらしい。
「加賀さん」
「うん?」
 物珍しそうにキョロキョロしていた加賀さんの目の前に、手のひらを差しだした。
「手、繋ぎましょう。恋人のフリすれば、遠慮して寄ってこないと思います」
「ああ、そっか」
 そう言って私の手を取ると、指と指を絡ませて、さらっと恋人繋ぎをしてきた。
 ムラムラと、よくない癖が発動する。私が七世だったら。手を握っても平然としている加賀さんに対して、恥ずかしそうにもじもじする七世。
「七世とこんなふうに手、繋いだりするんですか?」
「え、いや、外ではないね」
「外では? じゃあ家の中でやってるんですか? 何やってるんですかそれ可愛いですね」
「並んで座ってるときとか、繋ぎたがるんだよ」
 乙女な奴め、と我が弟ながら可愛い。ニヤニヤしていると、「六花さん!」と聞き覚えのある声に呼び止められた。
「げ、丸井君」
 七世の友人の丸井だ。顔に血の筋が何本も流れている。
「どうしたのその汚い顔」
「あれ、聞いてませんか? うちのクラス、お化け屋敷ですよ」
「お化け屋敷」
 私と加賀さんが同時に言った。
「ていうか、六花さん、どうしてその人とラブ握り? 倉知が泣きますよ」
「カムフラージュに決まってるでしょ。あんた七世に変なこと言わないでよ」
「はあ、でもなんかお似合いですね」
 ちら、と隣を見ると、加賀さんは笑っていたが、私は面白くなかった。
「今、七世教室にいる?」
「いますよ。もうちょいしたら交代の時間だけど」
「じゃあね」
「あ、待って」
 再び呼び止められた。丸井が親指を立てて言う。
「あとで第一体育館来てください。俺、ミスターコン出るんです」
「……なんであんたが? 誰が推薦したの? その人、美的感覚狂ってるの?」
「え、自薦ですよ」
「あー、はい、なるほど」
「投票よろしくです!」
 手を振る丸井を無視して、二年一組の教室を目指す。
「ミスターコン」
 笑いを含んだ声で加賀さんが言った。
「丸井君が出るならレベル低そう。期待できませんね」
「でも他にカッコイイ子出るかもよ。見に行く?」
 目の保養をするなら隣を見ればいいし、加賀さん以上にカッコイイ人が出てくるとは思えない。
「まあ、他に面白そうなものなければ、行きましょう」
「女装メイド喫茶だって」
 加賀さんが吹き出して指を差す。二年三組の入り口に、メイド服を着た男の子が客引きをしている。
「ぬ、ちょっとだけ興味深い」
「好きそうだね。高校んとき学園祭なんてなかったからなんか楽しいな」
「え、そうなんですか?」
「進学校だったからかな」
 加賀さんが女装メイド喫茶にいたら、最高だっただろうな。とモヤモヤと想像していると、二年一組に到着した。
「あっ」
 教室の前にいた、魔女っ子のコスプレをした女子生徒が、私と加賀さんを見て声を上げた。
「あ、あ、あの、私、あの、倉知君の友達の」
 手に持ったほうきをせかせかと横に掃きながら、赤面する。
「ああ、風香ちゃんだ」
 私が言うと、笑顔になって、何度も頷いた。七世が加賀さんとの関係を暴露した友人のうちの一人だ。
「いつも七世がお世話になってます」
 頭を下げると、こちらこそ、と慌てて会釈する。
「あ、この子例の? 風香ちゃん?」
 加賀さんが気づいて、風香ちゃんに笑いかけた。
「なんかいつも相談に乗ってくれるって、嬉しそうだったよ。ありがとね」
 その男前で爽やかな笑顔はまずい、と思ったが手遅れだった。赤い顔のまま、ドン、とドアにぶつかって、へたり込んだ。
「え、大丈夫?」
 助け起こそうとする加賀さんを止めて、風香ちゃんの手を引っ張って立たせてあげた。
「ありがとうございます……、あの、中に倉知君いるんで、入ってください」
 そういうと、ドアを開けた。暗幕がカーテンになっている。風香ちゃんが隙間から、「二名様はいりまーす!」と叫んだ。中から「いらっしゃいませー」と複数の声が上がる。
「明るいお化け屋敷だな。ラーメン屋みたい」
「加賀さん、いつまで手、繋いでるんですか」
「あ、ホントだ。六花ちゃん怖いなら繋いでてあげようか?」
「私こういうのまったくもって怖くないんで平気です」
 手を離して、私が先に立って進む。教室の中は薄暗く、通路は一人分くらいしかなくて、狭い。時々、キャーとか、うわーとか、悲鳴が聞こえた。リアルの音声ではなく、録音か何かだろう。
 暗幕の隙間から、突然何かが現れた。白いワンピースを着た、女の子だ。血色の悪いメイクをしている。
「私が見えるの?」
 か細い声で訊かれた。「うん」と答えるしかない。
「あ、なんかすいません」
 女の子がすい、と道を空ける。後ろで加賀さんが笑った。
「もうちょい怖がってあげたら?」
「私そういうお芝居できないんで」
「あ、ほら、そこの通路の角んとこ」
 加賀さんが指差した。白いボードで囲われた壁に、血の手形や飛沫血痕がついている。その通路の先に、顔面を白く塗った男の子が低い位置から顔だけ出してこっちを見ていた。
 顔の高さが不自然で気持ち悪い。
「今、ちょっと怖かった?」
「いえ、全然」
 私たちの会話を聞いていたお化け役の子が、「んだよ」と毒づいてずかずかと歩み寄ってくる。
「怖がって彼氏に抱きつくなりしたらどうですか?」
 白塗りの男の子が下から覗き込むようにして見てくる。脅しているつもりだろうか。
「カップルじゃないんで」
「あ、そう」
 ひらひらと手を振る白塗りをやり過ごし、ため息を吐いた。
「七世、どこだろう」
「絶対ゾンビだな、あいつ」
 加賀さんが嬉しそうな声を出した。加賀さんと七世は二人して、気持ち悪いくらいゾンビが好きだ。まるでリラックマやキティちゃんを愛でる女の子のようにゾンビを慈しんでいる。
 角を曲がると、西洋風のお墓をイメージした段ボールが並んでいた。
「出るとしたらここじゃないですか? ゾンビ」
「あ、ほんとだ。それっぽい。ゾンビ出そう。やべえ、テンション上がってきた」
「どんだけゾンビ好きなんですか」
 呆れて言うと、ものすごい勢いで、暗幕の後ろから大きな物体が飛び出してきた。
「うわあっ」
 驚いて声を上げて、飛び退いた。後ろで加賀さんが受け止めてくれる。
 目の前にいたのは予想通りのゾンビメイクを施した七世が立っていた。
「な、七世」
 怖いとかじゃなくて、びっくりして腰が抜けるところだった。
「やっぱり、加賀さん!」
 ゾンビメイクで満面の笑みを浮かべた七世が、加賀さんに抱きつこうとするのを慌てて止めた。
「お前、どんな活きのいいゾンビなんだよそれ。ちゃんとなりきれ、馬鹿」
 加賀さんが笑いを堪えて駄目出しをした。
「すいません、声聞こえて、我慢できなくて」
 スタンバイをしているゾンビ役の数人が、フライングした七世を不思議そうに、暗幕の隙間からうかがっている。
「七世、クラスメイトに聞かれる」
 こそ、と耳打ちをすると、やっと気づいた。やばい、という顔をする。
「もっかいやり直しな」
 加賀さんが七世の背中を押して、暗幕の後ろに戻した。
「はい、テイクツー」
 私の父も大概映画好きで、こだわり派ではあるが、ゾンビものに関してはこの人が上かもしれない。学園祭ごときのお化け屋敷で駄目出しするなんてよっぽどだ。
 私の肩を組んで、前に進む。本来出てくる予定だったらしい位置から、ゆら、と手が出てきた。段ボール製の墓の後ろから、何本も手が出て一斉にゾンビが現れた。うあー、とかぐえーとか気持ち悪い声を上げながら、迫ってくるゾンビたち。
「悪くない」
 加賀さんが言った。七世が体を引きずるようにして近づいてくる。そして、私を押しのけて、加賀さんの肩を掴んだ。顔を首筋に近づけて、そのまま噛みついたのが見えた。
 加賀さんの綺麗な顔が、ぎゅ、と色っぽく歪む。ギャア、と声が漏れるところだった。今の表情はすごくいい。エロ美しい。とんでもないエロス。
「いって、こら、噛むな」
 七世が加賀さんの首を甘噛みしている、と気づき、我に返る。後ろに続いている他のゾンビ役を、堰き止めるようにして立ちふさがる。
「え、倉知君何してるの? お客さん、その人食べられてません?」
 ゾンビメイクの女の子が七世を指差した。その視界を遮って、
「気のせい」
 と、言い切った。
「あーあ、食われた。死んだ死んだ。離して?」
 加賀さんが言ったが、七世は離さない。無言で抱きついて、貪っている。
「七世っ!」
 恫喝すると、七世の大きな背中がビクッと跳ね上がった。こっちをゆっくり見て、「ごめんなさい」と泣きそうな顔で言った。
「ごめんなさい。よ、よだれが」
「ていうか、お前ゾンビが選り好みしたらおかしいだろ」
 そうだ、さっき私を押しのけて加賀さんに襲いかかった。面食いゾンビか。
「ちょっとゾンビの気持ちわかりました。食べたくて理性が吹っ飛びました」
「大丈夫ですかー?」
「何かありましたー?」
 一向に進まない私たちに痺れを切らしたゾンビの子が次々声を掛ける。
 七世が「なんでもない」と声高に宣言した。なんでもないことなかろう。
「もう交代の時間だし、このまま上がっていい? この人、俺の姉ちゃんなんだ」
 私の肩を抱き寄せて言った。
「あ、だから七世って名前呼んでたんだ」
「こんにちはー」
「お姉さん、綺麗っすね」
 ゾンビが次々と頭を下げて挨拶してくる。
「で、その人は?」
 女の子のゾンビがチラチラと加賀さんを気にしている。
「この人は……」
 七世が加賀さんを振り向いて、考えながら口を開く。
「この人は俺のお母さんです」
「いつも七世がお世話になってます」
 加賀さんが頭を下げて、無言で七世の胸に裏拳を飛ばす。ぶははは、とゾンビの男の子がやたらうけている。
「めっちゃかっこよくない?」
「やばい」
 ゾンビの女の子が手を取り合ってキャッキャッ言っている。
「まあ、そういうことなんで、あとはよろしく」
 私と加賀さんの背中を押して、そそくさと前に進む。すれ違うとき、女の子たちが息を詰めて加賀さんをガン見した。こういうのが、七世はきっと嫌なのだ。
 自分の恋人が他人からカッコイイと認められることを、素直に嬉しいと思わないのだろうか。
 七世は独占欲が強いのかもしれない。
 お化け屋敷を三人で突き進み、出口から出ると、入り口にいた風香ちゃんが駆け寄ってきた。
「倉知君、交代?」
「うん、行ってきます」
「七世、あんたその格好でうろつくの?」
 ゾンビメイクと薄汚れてあちこち破れた衣装だ。明るいところで見ると、意外に完成度が高い。こういう技術が今の高校生にあるなんてちょっと怖い。
「大丈夫だよ、変な人いっぱいいただろ」
 確かに、女装男子とか、着ぐるみとかがうろついていた。
「あっ」
 突然風香ちゃんが声を上げた。三人の目が集中する。
「どうしたの」
 私が訊くと、顔を赤くして「いえ、あの、首のところ」と、加賀さんの首を指差した。歯形と、真新しいキスマークが二つついている。
「あ、目立つ? さっきゾンビに噛まれたんだよ」
 ケロッとした顔でそう言って、七世の頭を叩いた。
「倉知君……」
 風香が険しい顔で七世を責めるように見た。
「お客さんに触るの禁止なんだよ?」
 真面目か、と声が出るところだった。
「美味しそうな人が来たからつい」
「な、何よそれ!」
 顔を赤くして七世をどつくと、入り口のほうで「すいませーん」と入りたがっている客に気づき、駆け戻っていった。
「あんたも意外に言うね」
「え? 何を?」
「無自覚なの?」
「こういうとこあるんだよ、こいつ」
 加賀さんが呆れた顔で言った。私の知らない弟の一面を、この人は知っている。にやけそうになる顔をつねった。
「あ、いたー!」
 五月の声が轟いた。こっちを指差して大慌てで走ってくる。
「ひどい、置いていくなんて!」
「五月? なんで来てるの? ていうか、その格好なんだよ」
「何って、わっ、ゾンビ!?」
 五月が素で驚いた。この子はホラーが苦手だ。
「やだ、気持ち悪い! よく見たら七世だ!」
「よく見なくても七世でしょ」
「なんなの? もしかしてお化け屋敷?」
 心底嫌そうに身震いをしたあとで、急に悪巧みの顔になった。
「加賀さん、あたしゾンビ怖い。守って」
 ひし、と加賀さんに抱きついた。
「あ、俺噛まれたからそろそろゾンビになるよ。離れたほうがいい」
「……え、噛まれた?」
 きょとんとする五月に、加賀さんが首を傾げて歯形を見せた。五月が七世を睨みつける。
「あんた学校で何やってんの?」
「我慢できなかったんだ」
 開き直る七世に、誰も何も言えなくなった。
「ねえ、ミスコンあるんだって、行こうよ」
 五月が思い出した、という顔で言った。
「あたしより可愛い子がいるとは思えないけど! ねっ、加賀さん」
 そうだねー、と上の空で返事をする。女装男子を目で追っている。もしかして、七世に女装させたいとか考えてたりして。
「よし、体育館いこ!」
「丸井君がミスターコン出るって言ってたよ」
「え、馬鹿じゃない? 何考えてんの、あいつ」
「クラスから男女最低一人は出せって生徒会から言われてて、他に誰も出たいって人いなかったんだよ。ある意味丸井は男子の救世主だよ」
 七世が親友のフォローをする。
「丸井より七世のがまだマシじゃない?」
「七世のがいいに決まってる。可愛いもん」
 五月の発言に同意する。階段を下りながら、ちら、と加賀さんを振り返り、言って言って、と目で合図する。
「ん、可愛いよね。俺の中では優勝」
 言った直後に七世が階段を踏み外して、危うく転落しそうになった。加賀さんが腕を掴んで助けなかったら、確実に私と五月を巻き込んで転げ落ちていた。
「あっぶね」
「すいません」
 七世の顔が赤い。私はニヤニヤしながら「そのまま手、繋いだら?」と言った。
「えっ」
「あんたのこっちの手、私が繋いであげるから。三人で手ぇ繋いでたら、そんなに変でもないでしょ」
「じゃあ加賀さんの左手は、あたしのもの!」
 四人で手を繋ぎ、歩き出す。七世は少し恥ずかしそうだったが、人前で手を繋ぐなんてしたことがないのだろう。終始笑顔だった。
 第一体育館に着くと、壇上に男の子が立っていて、サッカーボールをリフティングしているところだった。きっとアピールタイムか何かだろう。キャア、と一部から黄色い歓声が上がっている。
 爽やかサッカー少年、という感じの風貌だ。男前を見慣れすぎたせいか、可もなく不可もなく、という印象だった。
 体育館の入り口の長机の上に、パンフレットが置いてある。どうやらこれに、投票券がついていて、気に入った子に投票できるというシステムらしい。
 体育館にパイプ椅子が並んでいて、後ろのほうが空いている。最後列に私、七世、加賀さん、五月の順に並んで座って、パンフレットを眺めた。
 ミスコンとミスターコンにエントリーしている生徒のリストが書いてある。クラスと名前、誕生日、好きなタイプ、彼氏彼女の有無、得意な科目など、個人情報が敷き詰められていた。おまけに顔写真も載っているのだから、出た人は一生ものの恥だな、と思った。
「丸井君はもう終わったの?」
「あのサッカーの子、一年生ぽいからまだかな」
 七世がパンフレットを見ながら言った。
「次かな?」
「やだ、なんか緊張してきた。馬鹿なことしそうで怖い」
 五月が身内のような発言をする。
「あ、丸井だ」
 司会に促され、丸井がへこへこを頭を下げて出てきた。何故か会場がドッと沸く。出オチみたいなものなのだろう。イケメンに紛れて三枚目がいるのだから、笑われるのも無理はない。
 でも本人は、多分、ウケ狙いでもなんでもなく、カッコイイつもりで出場しているのだから、怖い。
「エントリーナンバー八番、二年一組丸井健太です!」
 名前を名乗っただけなのに、再び会場が笑いに包まれる。
「なんで笑われてんの?」
 加賀さんが不思議そうだ。
「なんか可哀想になってきた」
 見ていられない。
「あいつ、アピールタイム何するつもりだろ」
 七世が言った直後、丸井が、その疑問に答えるように、司会から手渡されたバスケットボールを一度床にバウンドさせてから言った。
「僕はバスケ部で、チームでナンバーワンのシュート成功率を誇ります!」
 えっ、とすぐ七世が声を上げる。嘘らしい。
「特にスリーポイントシュートには定評があり」
「いやいやいや」
 七世が恥ずかしそうに顔を覆う。マイク越しに大声で、堂々と嘘を言いまくる心境が理解不能だ。
「試合終了間際にエンドライン付近から投げたボールが、ブザービーターで逆転勝利したこともあります!」
「あれも嘘?」
 加賀さんが七世に訊く。
「いえ、本当ですけど、まぐれです」
 丸井が何か舞台脇に合図を送っている。
 頭上で音がし、天井に収納されていたつり下げタイプのバスケットゴールが下りてきた。
「嫌な予感がする」
 七世が言った。私もだ。体育館がざわつき始める。丸井が何をしようとしているのか、多くの人が気づき始めた。
「この位置から、あのゴールにシュートを決めたいと思います!」
 えー、うそー、と声が上がる。
「馬鹿じゃないの、入るわけないし」
 五月が脚を組んでふんぞり返る。
「危なくない?」
 加賀さんが背後を振り返って言った。ゴールは私たちの真後ろだ。確かに、ボードやリングに当たって跳ね返ったボールが客席に飛び込まない保証はない。というかこの距離なら確実にそうなる。よほど鈍くさい人でなければ、怪我はしないと思うが、危険だ。
「じゃあいっきまーす!」
 私たちの心配をよそに丸井が手を上げて、ボールをぶん投げた。キャー、という別の意味の黄色い悲鳴が上がった。
 七世が椅子から立ち上がり、背もたれを飛び越え、ボールを目で追った。
 ボールがリングに当たり、ガン、と大きな音を立て、高くバウンドした。
 客席に飛んでいきそうになるボールを、七世がジャンプしてキャッチした。
 おおお、とどよめきが起こり、パチパチと拍手が鳴った。加賀さんも、感心して手を叩いている。
「あ、えーと、あれは俺のクラスメイトでありチームメイトでもあるゾンビの倉知君です」
 七世が呆れた顔で壇上の丸井を見る。丸井が咳払いをして、とんでもないことを言い出した。
「今のはロングパスです。今から奴がダンクをします」
「ちょ」
 七世がたじろいだ。観客が一斉に振り返り、七世に注目する。ゾンビ? ゾンビだ、とチラホラ聞こえてくる。
「何これ」
 加賀さんが面白そうに笑っている。
「丸井のアピールじゃなくなってるじゃん」
「七世が可哀想。あとでしばく」
 私が歯ぎしりすると、丸井があざ笑うかのように「ダンク、ダンク」とマイクを通して音頭を取り始めた。
「俺、ダンク見たい」
 加賀さんが体を反転させ、逆向きに椅子に座ると、目を輝かせて七世に熱視線を送った。
 観客のダンクコールではなく、加賀さんの一言がスイッチを入れた。
 七世が右手を握って口元にあて、ふう、と息を吐いた。顔つきが変わった。
 離れた位置でドリブルを始めると、一直線にゴールに向かい、飛んだ。片手でボールを掴み、腕を回して激しくリングに叩きつける。すごい音がして、ボードが揺れた。
 わあ、と会場が沸く。七世はリングにぶら下がり、コートでバウンドするボールを避けるようにして着地した。
 拍手と歓声は、当然ながら七世に向けられているのだが、丸井が何故か得意そうに、「ありがとうございました!」と叫んで、壇上から去っていった。
「丸井君は何もしてませんが、ありがとうございましたー」
 と、司会が言うと、会場が再びドッと沸く。
 七世がボールを持ったまま椅子に座る。
「倉知君」
「はい」
「めっちゃかっこよかった、ウインドミル」
 加賀さんが拍手をしながら誉めると、七世が嬉しそうに頭を掻く。
「ほんと、七世が出ればよかったよね」
 私が言うと、五月が「つまんない、加賀さんに出て欲しい」と無茶な願望を口にする。
「だって、加賀さんが一番カッコイイもん。飛び入り参加できないの?」
「いや、高校生の中におっさん混じってたら変だよ」
「おっさんじゃない」
 七世と五月がはもった。
 二列前に座っている女子生徒が、こっちを振り返って何かヒソヒソしている。
 カッコイイよね、うん、と聞こえた。七世が目立ったことで、加賀さんの存在がバレてしまったようだ。連鎖反応のようにヒソヒソが広がっていき、次の生徒が壇上に登場しているのに、振り返ってこっちを見ている女子の数が増えていく。
「なんか、雲行き怪しいよ」
 私が言うと、七世も「うん」と同意した。
「うう、すごい見られてる……」
「倉知君がかっこよかったからじゃない?」
 加賀さんが暢気な発言をする。
「違います」
 七世が否定して、はあ、とため息をついた。
 前のほうの女子が三人、席を立って、こっちに走ってきた。
「あの!」
 三人が紅潮した顔で加賀さんに詰め寄った。七世ががっかりと項垂れる。
「お名前お聞きしていいですか?」
「え、俺? なんで?」
「お名前書いて、あなたに投票します!」
 キャー、と三人が盛り上がるのを、複数の女子が気にしている。このまま便乗して増えていく予感がする。
「わかるわかる。絶対優勝だよ! あたしも投票する!」
 五月が女子高生と同調する。七世に目配せをすると、立ち上がった。七世がボールを椅子の下に置いてから、加賀さんの手を取る。無理矢理立たせると、五月を置いて体育館から逃げ出した。
「あっ、ちょっと! 置いてかないでよ!」
 女子高生が追いかけてくるかと思ったが、残念そうに見送っただけだった。
「えー、最後まで観ないの? ミスコンは?」
「別に、興味ないよね」
 私が言うと、七世と加賀さんが同時に答えた。
「うん、ない」
 そりゃそうだ。
「七世、また戻らなきゃいけないの?」
「ううん、もうおしまい」
「じゃあそのメイク、落とせばいいのに」
「えっ、もったいない」
 加賀さんが声を上げる。じっと横顔を見て、もしかして、と気づいた。
「ゾンビの七世とエッチしたいとか思ってません?」
「六花……」
「りっちゃん……」
 七世と五月が哀れむような目で見る。
「さっき、カッコイイとこ見て惚れ直しましたよね? もう、なんかどっかで二人きりになって、イチャイチャしたいですよね? もしくはお持ち帰りして激しくにゃんにゃんしたいですよね? ゾンビプレイの続き、したいですよね?」
 畳みかけると、加賀さんが七世を見上げて、ためらいがちに言った。
「おっしゃるとおりです」
 五月が「いやあーっ!」と悲鳴を上げて耳を塞ぐ。
 七世の顔がみるみる赤くなる。
「赤面するゾンビも悪くない」
 加賀さんが七世の頬を撫でる。もはやゾンビと七世のどっちに欲情しているのかわからない。
「あの、でも、俺まだ後片付け残ってて」
「何やる気満々になってんだよ、てめえええ!」
 五月が七世に蹴りを入れる。短いスカートがひるがえり、パンツが見えているのに気にしていない。
「トイレの個室がオススメ」
 私が興奮して提案すると、五月が「やめて!」と絶叫する。
「さすがに学校じゃ、何もできないよ」
 加賀さんが真面目な顔で言った。半分冗談で言ったのに、本気に取られるとは思わなかった。
「俺、今日はこの格好で帰ります。だから待っててください」
 七世が五月に蹴られるままに、加賀さんの肩を掴んで言った。
「うん、泊まる?」
「明日日曜なんで、泊まります」
「……っ、何イチャついてんのよお!」
 五月が七世への蹴り攻撃を止めない。私のハァハァも止まらない。
「人が来た。行こう」
 加賀さんが言った。一人だけ冷静だ。
 体育館に向かう二人組の女子が、渡り廊下の向こう側から歩いてくる。
 一心不乱に七世に攻撃する五月を気味が悪そうに見ていて、加賀さんには目もくれない。今日初めて五月が役に立った。
 それから四人で校内を回り、学園祭を堪能し、七世を置いて帰宅することになった。
「六花ちゃん、今日はありがとう」
 帰りの電車で加賀さんにお礼を言われた。
「いえ、こちらこそ。七世も喜んでたし、行ってよかったですよね」
「うん、楽しかった」
「あたしも!」
 五月がここぞとばかりに加賀さんにくっついている。
「また加賀さんとどこか行きたいな。今度は二人きりで」
「うん、また四人でどっか行こう」
「はい、四人で」
 何よ、と五月が泣き真似をする。
 社交辞令ではなく、本当にまた一緒に出かけたいと思った。
 今日一緒に行動してみて、加賀さんが本当に人目を引くことがわかった。
 歩いているだけで人が振り返ってまで見てくるし、あちこちでやけに優遇されるし、身をもって、「ただしイケメンに限る」という体験をいろいろとさせていただいた。
 今日の出来事はすべて、これからの創作活動に生かせる。
「遊びに行きましょうね、約束です」
 加賀さんに小指を突きつけた。
「可愛いことするね」
 笑いながら指を絡ませる。
 これからも、末永く、たくさんの萌えネタ提供を、よろしくお願いします、と念じて指を切った。

〈おわり〉
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