アオハルのタクト

碧野葉菜

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余興曲(バディヌリー)

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 翌朝、いつものバタートーストとカフェオレ、ハムエッグとプチトマトを摂って、ネイビーのカバンを肩にかける。
 ドアを開けた瞬間、蝉の鳴き声に聴覚を奪われる。この辺りやとシャワシャワ言うクマゼミばかりで、風情があるミンミンゼミやヒグラシはおらん。それも夏休みの知らせやと思えば、煩わしさより期待の方が上やったけど、今はただ憂鬱に輪をかけるだけや。
 今日は優希が欠席やから、珍しく一人で登校する。湿度が高い関西の気候に息をつきながら、山陽電車に乗ると、人丸前駅から十分ほどで、高校の最寄駅に着く。
 私立を受験したらどうかと、中学生の時に親から言われた。別に私立に行ったからって、ピアノが上達するわけやない。むしろ偏差値が高い学校の受験勉強に必死になれば、ピアノを練習する時間が減るかもしれん。そんな理由を傘に、俺は今の市立校に行く許可を得た。そうすれば優希もついて来た。
 将来に影響を及ぼす進学先を、誰かのために決めるなんて、安易すぎるし軽率すぎるやろう。俺が言えた義理やないけど。  
 駅から徒歩数分で校門をくぐり、新しくなった靴箱でスニーカーを上履きに替える。春から学年が上がりしばらく経つけど、まだ靴箱を間違える時がある。
 階段を上って、校舎の最上階である四階へと向かう。俺のクラスは七つある中のちょうど間、三年四組。
 遅くも早くもない登校時間、年季が入った廊下では、あくびをする男子生徒や、恋バナで盛り上がる女子生徒が行き交っている。
 自分のクラスに行く通り道、三年二組の教室前、廊下の窓に肘をつけた、一際目立つ人物を見つけた。
 俺よりずっと背が高く筋肉質なそいつは、制服の黒いズボンに白の半袖シャツを着ている。春歌がおらんかったら、一生関わることのないタイプやったやろう。いつでも喧嘩上等やったその瞳は、今はどこか遠くを眺めている。長い前髪と襟足、南国の海のようなアクアマリンは、未だ変わらず保たれている。
 ほんまは通り過ぎようとした。それやのに、気づけば足が止まっていた。

「まだ髪、青くしてるん」

 やめとけばええのに、口が勝手に滑る。呟くような声を拾い上げ、真後ろに立つ俺を振り返る。はだけたシャツに透けるインナーまで青なんて、こいつも呪われた一人かもしれん。
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