眠りの巫女と野良狐

碧野葉菜

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輪が広がるのは嬉しいことです。

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 香りには形がなく、目で確かめることはできない。
 音色のように耳で楽しむことも、食事のように腹を満たすこともできない。
 しかし、必ず暮らしとともにあるもの。
 無意識のうちに自分の中に染みついた匂いは、その場面を残酷なまで鮮明に呼び起こす。
 獄樹はその作用によって、知りたくもない自分の気持ちを思い知らされることになった。

「……くだらねえこと、思い出させやがって」

 匂い袋を握りしめ、目を伏せながら静かにつぶやく。
 その佇まいがあまりに寂しげで、夢穂は言葉をかけずにはいられなかった。

「……どうしてそんなに悲しい顔をするの? 匂いももしかして、影雪に関係するものだった?」
「な、んなわけねえだろっ、こんな勝手な奴……勝手に、道場もやめて、家出もして、残された奴の気持ちなんか考えねえ、そんな奴のことなんか……」

 図星を指された獄樹はあからさまに焦ると、観念したようにぽつりぽつりと、本音を漏らした。
 それを聞いた夢穂は、ようやく獄樹が辛そうにしていた原因をはっきりと理解した。
 母が亡くなった後、影雪は家を出た。
 家を出たということは、当時の環境を捨てたに等しい。
 影雪は友人にも何も告げず、出ていったのだろう。
 特に親しくしていた獄樹なら、ショックが大きく、その分苛立ちが募ってもおかしくはない。
 影雪の帰還を待っているのは、父の残月だけではなかった。
 
「……何やってんだか、もう」

 夢穂はあきれたように、額に手を当てため息をついた。
 そしてすぐ側に立っている影雪と獄樹の腕を掴むと、強く引っ張って無理やり握手をさせた。

「ぎゃあ!? な、何させんだお前っ!」
「俺はできれば獄樹ではなく、夢穂と手を繋ぎたいのだが」

 絶叫して暴れながらも影雪の手を離そうとしない獄樹に、自分から握りはしないが抵抗もしない影雪。
 二人の対照的な反応が可笑しく、夢穂はスマートフォンを持って来ていたらカメラを起動していたな、と思った。
 あやかしを正常に撮影できるかどうかは別として。
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