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「姉ちゃん、いる?」

 朝になって目が覚めた僕は姉の部屋にやってきた。
 声をかけて少しするとシャーペンが宙に浮いて紙にペン先を擦りつける。
 一日置いて冷静になってみても、やはりとんでもない絵面だ。

『なに?』
「今日から犯人探しを始めようと思うんだけど、外に出たら書き物が使えないから会話ができなくなるよね」

 この町はとても狭い。
 宙に浮く筆記用具と一緒に散歩してるとなればその話は地球の自転より素早く広まり、僕はあっという間に変人認定されてしまうだろう。
 平穏な生活を送りたい僕としてはそんな未来は避けたい。

「だからこれを用意したんだけど」

 手を伸ばして見せてみたのはカラビナに取り付けられた小ぶりの鈴。
 自転車のストラップとかによく使われるサイズのものだ。
 いったい姉がどこから見ているのかは知らないが、こうやって手の上に置いておけば覗きにくるだろう。

 手のひらに乗せた鈴は案の定ふわりと浮き上がり、空中で前後左右に揺れ始めた。
 揺れた鈴が暫くの間シャラシャラと音色を出し続けていたが、ピタリと止まり意思が途切れたみたいにポトリと手のひらに落ちてきた。
 交代とばかりにシャーペンがむくりと起き上がる。

『で、それが何なの?』
「見ての通り鈴だよ。何も特別なものはない。今日からこれを腰にひっかけておくから、何か伝えたい時はこれを揺らしてくれたらいい」

 ぶら下げている鈴が動いたところで周りはせいぜい風か身体を揺らした程度に思うはずだ。
 だからそこまで不信感を持たれることはないと思う。
 まぁ、それとは別になんで急に鈴なんかををぶら下げているのかは気にされるかもしれないが、文房具が飛び回っているより幾分マシだろう。

「もちろん鈴だから複雑な問答はできない。だから外での会話は『はい』か『いいえ』だけにする。肯定なら二回。否定なら一回鳴らして欲しい」

 シャーペンがパタリと倒れて部屋がしんとする。すると突然鈴が揺れて音色をだした。

 チリン。
 チリン。
 チリン。

 三回目の音が鳴ると鈴は動きを止める。
 素直に言う事を聞かない姉に懐かしさを感じる苛立ちを覚えたが、今に始まったことではないので気にしないことにする。

「理解してくれたみたいでよかったよ」

 そう言って僕は姉の部屋を出た。
 起きてから何も食べていなかったので朝食を用意しようと冷蔵庫を開けると、ビニール袋が目に入った。色々あって忘れていたけど、爺ちゃんが甘煮を持ってきてくれたんだった。
 甘煮を温めようと袋に手を伸ばすと、身を躱すようにビニール袋は宙に浮く。

「ちょっと。いたずらはやめろって」

 袋に向かってそう言ったが聞いてる様子はなく、ずるずると脱皮するように袋を脱ぎ捨てた甘煮のタッパーがパカリと開く。小ぶりな芋が浮き上がると、驚いた事に突然その場から消えた。

「姉ちゃん……もしかしてご飯食べれるの?」

 姉は僕の質問に答える気はないようでタッパーの中の甘煮は浮き上がるたびに消えていく。
 手品のような光景に呆然としていると、僕はあることに気付いた。

「もしかして、この間捨てたケーキ……あれも食べたの?」

 甘煮が中空でピタリと静止する。
 姉が今どんな格好で固まっているのか想像できるようだ。
 それにしても、死んでいるのだから古くなっても腹を下すとかはないのだろうが、捨てたものを食べるだなんて。

「別にいいんだけど……どれだけ食い意地はってるんだよ」

 思ったことを呟くと甘煮はタッパーの中に戻りタッパー自体もシンクに置かれた。
 それから吊り下げた鈴がジャカジャカと音を鳴らして滅茶苦茶に揺れる。

「うるさっ! 気を悪くしたならごめんって! 別に悪気があって言ったわけじゃないんだよ!」

 耳を塞ぎながら謝ると一層鈴の音が激しくなった。
 謝ったというのに訳がわからない。
 音が鳴り止んだのは数分経ってからだった。
 徐々に勢いのなくなった鈴の音は断末魔のようにチリン……チリン……と力なく鳴ってから動きを止める。鳴らし続けるのに疲れたのだろうか。だとしたら幽霊にも体力の概念があるのか……?

 なんにしても、食べ物の話題は気を付けることにしようと誓った。外でこれをやられたら堪ったものではない。

 残った甘煮をおかずに朝食を取ってから身支度を整える。
 着替えている時、時折鈴が鳴って姉が同じところにいるのだと知ったのがとても嫌だった。

「んじゃ、まずはどの辺りから探そうか」

 靴を履きながら言うと、玄関に置いてあるメモ帳が千切られて一緒においてあったボールペンが動く。

『ケーキ屋さん』
「ケーキ屋? そこで何かあったの?」

 鈴がチリンと二回鳴った。肯定の返事だ。
 僕は頷くと外に出てケーキ屋に向かった。

 ケーキ屋は街の山側と海側の境目ぐらいにあって、家から歩いてもそこまで時間はかからない場所にあった。
 生前の姉はこのケーキ屋が大のお気に入りで、良い事や悪い事。情緒に何かしらの変化があればメンタルリセットを兼ねてケーキを買っていた。(主に僕が)

 こう言えば特別の日に食べるご褒美みたいに聞こえるが、実際のところ姉は情緒不安定で、大体毎日つまらない理由で泣いたり笑ったりして平静を取り乱していた。
 つまりほぼ毎日のようにケーキを買いに出かけていたのだ。
 人付き合いが苦手で外に出たがらない姉だったが、そんな彼女が唯一常連になったお店だ。確かに何かしらの手がかりが紛れているかもしれない。

 車を嫌って裏路地に入る。
 大通りから一本横に外れると車の音は殆ど聞こえなくなり、乱雑に建てられた住居のせいで迷路みたいになった細道が続いていた。
 住民のほとんどは老人で畑に出ているから家に帰ってくる夕方以外は人の気配が全く無くて、寂れた街並みはまるでゴーストタウンを歩いているみたいな気分にさせる。
 だがそれも平穏を好む僕や人見知りな姉にとってはとても居心地が良く、ケーキ屋に向かう時は大体このルートを使っていた。

 見知った道を歩いていると鈴がチリンと音を出した。腰に吊り下げているから歩いた拍子に音が出たのかと思ったが、歩くリズムと音が一致しない。
 鈴に目を通すとぶら下がった鈴は不自然な軌道で動いてリズムよく音を鳴らしていた。

「姉ちゃん、何してんの」

 チリン。

 呟くと鈴が一回鳴った。

「いや、明らかに姉ちゃんが鳴らしてるだろ。ほら、僕の身体は動いてるのに鈴が微動だにしてないし。手に握りこんでるだろ」

 チリン。

 あまりに不自然な鈴の挙動に関与していないと否定を続ける。
 何を意固地になっているのか。面倒なのでこれ以上追及しない事にすると、再び鈴がリズムよく鳴り始めた。
 アップテンポの楽しそうなリズム。もしかしてケーキ屋に向かうのが楽しみなのだろうか?

「……言っとくけど、ケーキは買わないよ」

 一応念押ししておこうと言うと『ヂリンッ』と調子の乱れた音を鳴らして鈴が止まる。
 やっぱり、ケーキを買ってもらうつもりだったのか。

「犯人探しに出かけたんだから我慢しなよ」

 落ち込んでいるだろう姉をなだめるように言う。理解したのか思った通りに落ち込んでいるのか、鈴は鳴らなかった。

 住宅地と商業地の境界線にさしかかり道路が大きくなっていく。車の通りも多くなり環境音が賑やかになってくるとケーキ屋が見えてくる。
 漆黒の塗装で外観を包んだ建物にオレンジの日よけがアクセントになっていて遠くからでもよくわかる。

 入口の横には展示用のショーケースが配置されていて今日お店に出しているケーキがライトアップされて並んでいた。
 ライトを反射して光るケーキは装飾品のようでどれもこれも綺麗だ。
前になぜ艶があるのか疑問に思って聞いたことがある。ナパージュという技法らしく、ゼラチンなどの透明感があるものを表面に塗りつけてツヤを出しているらしい。それだけでこんなに綺麗になるのだから凄いものだ。
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