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チリン。
チリン。
並べられていたケーキを覗いていると鈴が鳴った。
二回で一度止まったかと思うと続けて三度、四度と鈴が鳴る。
買いにきたわけではないのにケーキを眺めているのは姉に毒みたいだ。
僕はそう思って店内に入った。
「いらっしゃ――あぁ、慎一君。こんにちは」
「こんにちは、田淵さん」
黒猫をあしらったエプロンを付けた短髪の男性が僕をみて気持ちのいい笑顔を作る。
エプロンの可愛さに反比例して体躯は屈強そのもので、そのまま柔道や空手の大会に出場しても優勝をもぎ取ってしまいそうなくらいに大柄の男性だ。
驚くべきことに装飾品のように繊細なケーキは全て彼が作っていた。
「雫ちゃん、残念だったね……」
にこやかな表情を崩して田淵が言う。
「いえ、ありがとうございます」
僕は深く頭を下げた。
田淵さんは僕たち姉弟の事を良く知っていた。
閉店間際に目蓋を腫らした姉とケーキを買いにきたり、僕一人で何かにつけてここまで使いっ走りをさせられたりしていたのだから印象が強く残っているのだろう。
どんな時でも笑顔を絶やさず世間話に華を咲かせてくれる田淵は人見知りが激しい姉にとって数少ない会話ができる人間の一人だった。
「それで、今日はどうしたんだい? まさかケーキを買いに来てくれたの?」
「え、あー……と。はい」
少し悩んでから僕は頷いた。
姉に頼まれて犯人探しをしているなんて言い出せば傷心で錯乱していると思われそうだし、買い物の片手間に話をすれば口も柔らかくなるのではと考えたからだ。
「慎一君が食べるってことだよね。珍しいね」
「はは。いつもいつも姉のお使いばかりでしたからね」
言いながらショーケースを覗き込む。
といっても別に食べたい訳ではないから何を頼もうか決めかねていた。
「うーん……オススメとかってありますか?」
「全部オススメだけど、ベイクドチーズが今日は綺麗に焼けたかな」
チリン。
チリン。
田淵の言葉に反応するように鈴が綺麗に二回鳴った。
怪訝な表情をした田淵が首を傾げる。
「鈴の音?」
「身に着けているんです。――じゃあチーズケーキを一つ」
音に首を傾げた店主に怪しまれないよう、僕がすぐさま注文をすると、店主は笑顔を作る。
「あいよ。それだけかな?」
チリン。
「……もうちょっと考えます」
僕がそう言うと「ゆっくり見ていいから」と田淵は嬉しそうに作業に戻る。
姉に文句を言ってやりたい気持ちでいっぱいだったが、人の視線があるところでそんなことをすれば変人認定されてしまう。
買い物をすると言った手前もあって、仕方なく僕は姉の要求に従うことにした。
「……ショートケーキ」
田淵に聞き取れないくらい小さな声でケーキの王様の名前を呟く。
チリン。
どうやら家の姉は王族がお気に召さないらしい。
「……じゃあ、チョコレートケーキ」
チリン。
チリン。
「――チョコレートケーキを一つください」
「あいよ。以上かな?」
チリン。
「はい。以上でお願いします」
チリン。
鈴の音を無視して会計を始める。
姉の要望をすべて叶えようとすると店にあるケーキをすべて買わされてしまいそうだ。
「そういえば、最後に姉が買い物にきたのっていつでした?」
財布からお金を出しつつ僕は質問した。
「雫ちゃんが? どうして?」
「特に理由はないです。なんとなく気になって」
「うーん……。最後に見たのは結構前だった気がするなぁ。一週間くらい前だと思うけど」
「その時いつもと違うこととかありませんでしたか? 見た事ない客が来たとか」
「なんだい。まるで刑事か探偵みたいだね」
軽い口調で言いながら田淵は笑みを浮かべる。慌てて聞きすぎただろうか。
「実は家の近所で怪しい男がいたって盛り上がってまして、もしかしたら姉に関係があるのかなって思って」
「へぇ……どんな人なんだい?」
「フードを被って顔を隠していたってことしかわからなくて、人相や体格までは……」
「フードねぇ……見てないな。男性客っていうのが慎一君以外滅多にこないからね。きたら覚えてると思うけど……」
「そうですか」
「大したことも言えなくてごめんね」
ケーキを詰めた箱を手渡しながら田淵は申し訳なさそうにしていた。
「いえ、ありがとうございます」
お礼を言ってからケーキの入った箱を受け取った。
大したことは聞けてないがこれ以上詮索すると変な顔をされそうだし店を出た方がいいか。
「それじゃあまた」
会釈をしてから店を出る。
扉が締め切られる前に田淵さんが「ありがとうね」と言ってるのが聞こえた。
ケーキを持ってきた道を帰る。大方予想はしていたが、やはり有力な情報は見つからなかった。
そもそも警察ですら姉の死に疑問を持ちつつも殺人だと断定できずにいるのだ。
僕みたいな一般人が犯人探しなどと意気込んだところで正解に辿り着けるはずはない。
チリン。
店員を呼ぶ呼び鈴のように鈴が鳴る。
「どしたの姉ちゃん?」
チリン。
チリン。
チリン。
「もしかしてケーキ食べたいの?」
チリン。
チリン。
「家まで我慢してよ。誰かに見られたら面倒なことになるからさ」
チリリリリリン。
やたらめったに鈴が鳴り始めて僕は耳を塞ぐ。
犯人なんか絶対に見つかりっこないと思いつつも、なんとかしなければこの音とずっと付き合っていかなければならない。それに姉のことだ、音を上げてしまえば本当に祟り殺される可能性もあった。
チリン。
並べられていたケーキを覗いていると鈴が鳴った。
二回で一度止まったかと思うと続けて三度、四度と鈴が鳴る。
買いにきたわけではないのにケーキを眺めているのは姉に毒みたいだ。
僕はそう思って店内に入った。
「いらっしゃ――あぁ、慎一君。こんにちは」
「こんにちは、田淵さん」
黒猫をあしらったエプロンを付けた短髪の男性が僕をみて気持ちのいい笑顔を作る。
エプロンの可愛さに反比例して体躯は屈強そのもので、そのまま柔道や空手の大会に出場しても優勝をもぎ取ってしまいそうなくらいに大柄の男性だ。
驚くべきことに装飾品のように繊細なケーキは全て彼が作っていた。
「雫ちゃん、残念だったね……」
にこやかな表情を崩して田淵が言う。
「いえ、ありがとうございます」
僕は深く頭を下げた。
田淵さんは僕たち姉弟の事を良く知っていた。
閉店間際に目蓋を腫らした姉とケーキを買いにきたり、僕一人で何かにつけてここまで使いっ走りをさせられたりしていたのだから印象が強く残っているのだろう。
どんな時でも笑顔を絶やさず世間話に華を咲かせてくれる田淵は人見知りが激しい姉にとって数少ない会話ができる人間の一人だった。
「それで、今日はどうしたんだい? まさかケーキを買いに来てくれたの?」
「え、あー……と。はい」
少し悩んでから僕は頷いた。
姉に頼まれて犯人探しをしているなんて言い出せば傷心で錯乱していると思われそうだし、買い物の片手間に話をすれば口も柔らかくなるのではと考えたからだ。
「慎一君が食べるってことだよね。珍しいね」
「はは。いつもいつも姉のお使いばかりでしたからね」
言いながらショーケースを覗き込む。
といっても別に食べたい訳ではないから何を頼もうか決めかねていた。
「うーん……オススメとかってありますか?」
「全部オススメだけど、ベイクドチーズが今日は綺麗に焼けたかな」
チリン。
チリン。
田淵の言葉に反応するように鈴が綺麗に二回鳴った。
怪訝な表情をした田淵が首を傾げる。
「鈴の音?」
「身に着けているんです。――じゃあチーズケーキを一つ」
音に首を傾げた店主に怪しまれないよう、僕がすぐさま注文をすると、店主は笑顔を作る。
「あいよ。それだけかな?」
チリン。
「……もうちょっと考えます」
僕がそう言うと「ゆっくり見ていいから」と田淵は嬉しそうに作業に戻る。
姉に文句を言ってやりたい気持ちでいっぱいだったが、人の視線があるところでそんなことをすれば変人認定されてしまう。
買い物をすると言った手前もあって、仕方なく僕は姉の要求に従うことにした。
「……ショートケーキ」
田淵に聞き取れないくらい小さな声でケーキの王様の名前を呟く。
チリン。
どうやら家の姉は王族がお気に召さないらしい。
「……じゃあ、チョコレートケーキ」
チリン。
チリン。
「――チョコレートケーキを一つください」
「あいよ。以上かな?」
チリン。
「はい。以上でお願いします」
チリン。
鈴の音を無視して会計を始める。
姉の要望をすべて叶えようとすると店にあるケーキをすべて買わされてしまいそうだ。
「そういえば、最後に姉が買い物にきたのっていつでした?」
財布からお金を出しつつ僕は質問した。
「雫ちゃんが? どうして?」
「特に理由はないです。なんとなく気になって」
「うーん……。最後に見たのは結構前だった気がするなぁ。一週間くらい前だと思うけど」
「その時いつもと違うこととかありませんでしたか? 見た事ない客が来たとか」
「なんだい。まるで刑事か探偵みたいだね」
軽い口調で言いながら田淵は笑みを浮かべる。慌てて聞きすぎただろうか。
「実は家の近所で怪しい男がいたって盛り上がってまして、もしかしたら姉に関係があるのかなって思って」
「へぇ……どんな人なんだい?」
「フードを被って顔を隠していたってことしかわからなくて、人相や体格までは……」
「フードねぇ……見てないな。男性客っていうのが慎一君以外滅多にこないからね。きたら覚えてると思うけど……」
「そうですか」
「大したことも言えなくてごめんね」
ケーキを詰めた箱を手渡しながら田淵は申し訳なさそうにしていた。
「いえ、ありがとうございます」
お礼を言ってからケーキの入った箱を受け取った。
大したことは聞けてないがこれ以上詮索すると変な顔をされそうだし店を出た方がいいか。
「それじゃあまた」
会釈をしてから店を出る。
扉が締め切られる前に田淵さんが「ありがとうね」と言ってるのが聞こえた。
ケーキを持ってきた道を帰る。大方予想はしていたが、やはり有力な情報は見つからなかった。
そもそも警察ですら姉の死に疑問を持ちつつも殺人だと断定できずにいるのだ。
僕みたいな一般人が犯人探しなどと意気込んだところで正解に辿り着けるはずはない。
チリン。
店員を呼ぶ呼び鈴のように鈴が鳴る。
「どしたの姉ちゃん?」
チリン。
チリン。
チリン。
「もしかしてケーキ食べたいの?」
チリン。
チリン。
「家まで我慢してよ。誰かに見られたら面倒なことになるからさ」
チリリリリリン。
やたらめったに鈴が鳴り始めて僕は耳を塞ぐ。
犯人なんか絶対に見つかりっこないと思いつつも、なんとかしなければこの音とずっと付き合っていかなければならない。それに姉のことだ、音を上げてしまえば本当に祟り殺される可能性もあった。
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