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第7章
第七話 ババァの外交手段
しおりを挟む楽しい時間というのはあっという間に過ぎ去るものだ。
果敢に攻め立てていたアベルであったが、ある頃合いを境にして急激に動きが鈍くなっていった。
アベルは躰の扱いが抜群に上手くなったが、肉体そのものはまだまだ発展途上。体力の消費が少なくなっただけで、元が劇的に増えたわけではない。
──ガンッ!
「うわっ!?」
ラウラリスが振るった薙ぎ払い。それまでなら十分以上に反応できていたのに、アベルは真正面から受け止めてしまい、剣を弾かれてしまう。体力低下によって集中力も乱れ、対応しきれずにまともに受けてしまったのだ。
急ぎ剣を拾い構え直すアベルであったが、ラウラリスは一息を吐きながら担いでいた長剣を下ろした。
「今日はこれでお終いだ」
「まだできます! やらせてください!」
息を切らせながらも食い下がるアベルに、ラウラリスは首を横に振った、
「いいや、駄目だね。もう柄を握る握力もないんだろう? これ以上はやっても無駄だ」
断じると、アベルは強張らせていた肩から力を抜き、その場にへたり込んだ。呼吸は荒く額から珠の汗がいくつも地面にこぼれ落ちている。曲がりなりにも全身連帯駆動を使っている者の握力が残っていないということは、立っている力もほとんど底をついていたのと同じだ。
「この期間でそれだけやれるのは大したもんだ」
「でも……一撃も入れることができませんでした」
「当たり前だ。こちとら年季が違うんだからな。むしろこれでやられたらそれこそ私はおまんまくい上げちまうよ」
ラウラリスは言いながら手を差し出す。反射的にアベルはその手を掴みそうになったが、ハッとなると慌てて手に滲んだ汗を服で拭うと、おずおずと彼女の手を握り返した。先程の男を感じさせる気配はどこへやら、初心な少年らしい様相を見せてくれる。
「実際のところ、基礎の一欠片を教えただけにしちゃぁ上出来すぎる。あとはよく食って運動して寝て、しっかり勉強すりゃぁ良い。特定の部位を鍛えるような鍛錬はするなよ。全身のバランスが崩れちまうからね、私が最初に教えた感覚を念頭に入れて躰を動かす事。以上だ」
「……え、それだけですか」
また何か素晴らしい助言や教えをもらえると思っていたのか、アベルはどこか不満げだ。そんな王子に、ラウラリスは眉を顰めながらビシッと指を突きつける。たじろぐアベルに、ラウラリスは告げる。
「若いもんが逸る気持ちってのも分からんでもないがね。ここ最近の伸び具合で勢いづいてるだろうが、劇的な成長ってのはこの辺りが限度だよ」
今のアベルは、これまでまともに扱えていなかった躰の扱い方を、ようやく学んだところ。抜け落ちていたパズルのピースがハマり、一枚の絵が完成したのと同じだ。
そしてその一枚の絵は今は非常に小さく、構成する要素も少ない。
「アベル王子。あんたに最も不足しているのは一にも二にも三にも経験だ。それも剣術に限った話じゃない。これから学んでいくあらゆるものを学び取り込み、己の糧にしていかなきゃならん」
どの分野においても名うての人物というのは、例外なく判断力に優れている。
判断力とはすなわち経験則から導き出される最適解。おおよその『勘』と呼ばれるモノは、経験則からくる直感であることがほとんどだ。こればかりは一朝一夕では身に付くものではない。文字通り血肉となるまでに反復し、頭と躰に染みつかせなければ意味がない。
そうして少しずつ少しずつ、己を構成する経験を増やしていき、組み合わせていくことで、やがては一つの壮大な絵が完成する。
皆は、それを『人生』とよぶのだろう。
「ラウラリスさんも……そうやって経験を積んだんですか?」
「あまりに人様にお聞かせできる上等な人生じゃぁないがね、その辺りの若者よりかはそれなりに濃い人生を送らせてもらってるよ」
なにせ八十を超える齢まで駆け抜けた末に、二度目の人生を謳歌している。同じ体験をしている人間は、そうはいないだろう。
「王子くらいの歳ってのは剣に憧れるんだろうが、究極的な話をすれば剣術なんてのは手段の一つに過ぎない。王族であれば尚更さ」
ラウラリスは『戦争』を否定しない。なぜなら、国と国との間で行われる『外交』の一種であったからだ。使わないに越したことはないが、必要があれば──あるいは『そうせざるを得ない』のであれば大鉈を振るう事に躊躇いはなかった。
ただそれは、時代が乱世であればの話である。
「ですが、初代国王である勇者は、剣を持って悪の皇帝を討ち果たしたと教わりました」
「ああ、時には剣にものを言わせなきゃならん時ってのはあるだろうよ。でもね、戦争の最前線で剣を振るうよりも、戦争の後の平和を維持する方が遥かに難しいのさ」
きっとそれは、『世界の統一』を成し遂げるよりも困難な道だ。
「あんたの父親は先代から──そしてその先代もさらに上の世代から、ずっとずっと引き継いできたんだ。その一族の末席にいる事を、あんたは誇るべきだ」
「……僕にはまだよくわかりません」
アベルはこの歳にしては非常に聡明なのは初めて会った時から分かっている。ただ、覚えた知識を実感するまではまだまだ経験が足りない。学問も剣術も同じだ。頭で分かったつもりでいる事を本当に身の糧にするというのは時間がかかるものだ。
「今はいいさ。なんとなく、頭の片隅で私の言葉を覚えておくだけでいいよ。王子がこの先、色々なものを学んでいくうちに分かっていくさ」
ラウラリスは屈み、王子と視線を合わせながらその頭を撫でてやった。
──髪に触れるラウラリスの手の感触と、少女の可憐な顔が近づき、激しい運動後であからんでいた王子の頬がさらに朱に染まるのを、この場にいる誰もがあたたかい眼差しで見守っていたのを、王子当人だけは気がついていなかったとか。
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