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第7章 それぞれのクエスト 編

第 419 話 運転手さん

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「柴田……」

 タクヤの塔上空に現れた黒魔龍を見上げ、篤樹はポツリと呟く。幼い頃から母親と「お父さん」から負わされて来た深い心身の痛みと傷……この世界に投げ込まれてからも、佐川から「玩具」として 執拗しつよう凌辱りょうじょくに さらされ、心を閉ざし、佐川の命令に従う 殺戮者さつりくしゃにされてしまった少女―――3人はそれぞれに「見てきた」柴田加奈の苦痛と苦悩を思い出す。

「こちらに……気づいてはいないようね……」

 フィルフェリーの指摘通り、黒魔龍は上空で完全に具現化し終えたにもかかわらず、何かを待つように塔の真上でとぐろを巻き始めた。3人は塔の陰に身を隠しその様子を確認すると、小声で語り合う。

「『あの子』と戦う必要は無いよ……」

「そうね……」

 エシャーの意見にフィルフェリーも笑みを浮かべ同意する。

「気付かれない内に、塔の中に入りましょう……」

 フィルフェリーの提案を受け、篤樹は上空の黒魔龍の様子を確認した。王都で見た姿よりもさらに大きく、輪郭もクッキリ具現化しているように感じる。だが、その巨体ゆえに、頭部をかなり下げて覗き込まなければ塔の壁際に立つ篤樹たちを発見する事は難しいだろう。

「壁に沿って……こっちからグルッと周って入口を探しま……大丈夫ですか?!」

 視線を2人に戻した篤樹は、塔に肩を預け立ち、苦しそうに目を閉じるフィルフェリーの様子に気付き声をかける。フィルフェリーの背後に立っていたエシャーも、回り込んで顔を覗き込み、慌てて両手で支える。フィルフェリーは背中を塔の外壁につけ、ゆっくり呼吸を整え目を開いた。

「大丈夫……とは言い切れないわね……ミツキさまの森で樹木化し、命を長らえさせていただいてたけど……この身体で時の流れを歩むのは……もう……」

 まるで蝶の 鱗粉りんぷんが舞うように、フィルフェリーの動きに合わせ、全身から虹色の光粒子が舞い始めた。

「 木霊こだまが……」

 先に気付いたエシャーがポツリと声を洩らす。この世界の妖精種は、死を迎える時に「木霊」と呼ばれる光粒子体に変わり、まるでたき火の火の粉のように空へ舞い上がり消えていく。その後「その存在」が何処に行くのかは誰も知らない。人間種や獣人種、その他の生物は篤樹たちの「元の世界の生物」と同じく 亡骸なきがらを のこすが、その肉体に「内在していた存在」がその後「どうなるのか」は誰も知らない。黒霧化して消えるサーガに堕ちた者たちの末路も……

「とにかく……入口を探しましょう!」

 フィルフェリーの「死」がいつ訪れるのかは不明だが、まだ意識がある内に移動する事を篤樹は提案した。エシャーと2人でフィルフェリーを左右から支え、塔の外周を壁に沿って移動する。

「死んじゃう前から……木霊化が始まるって……知らなかった……」

 エシャーはフィルフェリーの意識を保つように語りかけた。

「そうね……私自身……初めてのことだから……」

 フィルフェリーは、そんなエシャーの気持ちに応えようと細くなり始めた呼吸を整えつつ語る。

「でも……突然訪れる死より……見つめ直す時間が有って……良いかもね。少し……苦しいのが…… つらいけど……」

 フィルフェリーとの会話に意識を向けるエシャーに代わり、篤樹は周囲と上空の様子を警戒しつつ前進を導く。塔を4分の1ほど周ったところで、先のほうに入口らしき突起部が塔の外壁に在ることに気付いた。

「あそこ……多分、あれが……エシャー、フィルフェリーさん、有ったよ!」

 進みながら、目に付いた突起部が塔への入口枠だと確信し、篤樹は喜び報告する。エシャーとフィルフェリーも顔を上げ、篤樹が示す部分を確認し笑みを浮かべた。しかし、すぐにその笑みが消える。

「やあ……遅かったじゃないか」

 塔の入口から、1人の男がゆっくり姿を現した。制帽を被り、シワの無い真っ白なカッターシャツにえんじ色のネクタイを締め、濃紺のスラックスを履いた「バス運転手姿」の男―――篤樹たち3人も「見て来た記憶」に従い、本能的に嫌悪感を抱く中年男性……この世界の「記憶」で見た佐川の顔を確認し、篤樹たちの足は止まる。

「そ……んな……なんで……ここに……」

「もう……地核から出て来ちゃった……ってこと?」

 篤樹とエシャーの口から、絶望的な声が洩れる。しかし、間に抱き支えられているフィルフェリーは、2人に聞こえる程度の小声で口を開いた。

「あれは……まだ……完全体じゃない……わ……ね……」

 佐川は3人の会話が聞こえているのか、単に気にしていないのか分からない。普通の場面で会えば「旅客」を待つバス運転手が愛想よく微笑んでいるようにしか見えない。篤樹の脳裏に残る「数ヶ月前」に出会った運転手と同じ姿だ。

 だけど……

 篤樹たちは知っている。「見て来た」のだ。あの男は光る子どもに与えられた「使命」を欲望のままに取り組み、「想像による創造」によって自ら創り出した人間……生き物に対しおぞましい凌辱の数々を行った。そればかりか柴田加奈や加藤美咲に対し、喜び・愉しみ・「輝き」ながら、身体的・精神的・性的な虐待行為を繰り返した……

 悪いのは、自分の願望のために篤樹たちが乗る「バス」を選んだ光る子どもであるかも知れない。佐川を「初めの想像者」に選んだ光る子どもの選択が間違いだったのだ。佐川の心が狂気に走ったのは、光る子どもによる長期間の拘束によるものかも知れない。いや……「元の世界」でもDVに走っていた佐川本来の性質こそが、全ての元凶か?

 あまりに自然な「普通の笑み」を佐川から向けられる状況に、篤樹は今、自分が何のためにここに居るのか……何を成すためにここに来たのか、混乱していた。

「キミたち……」

 頭の中が真っ白になって立ち止まっている篤樹に、佐川は変わらぬ笑みで声をかける。エシャーはフィルフェリーと対応を話し合っていた。

「フィリー……あれは……」

「サーガワーの本体なのは間違いないわ……でも……完全体では無いわね……恐らく……まだ……『全ての意識』が集結してない……」

「あ……」

 フィルフェリーの言葉に、篤樹は創世7神の神殿で遥たちから聞いた情報が結びついた。

 運転手さんは地殻から地上を目指し……先生たちとせめぎ合いながら復活しようと動き出してる。……でも、無自覚に洩れ出た思念が地上でいくつもの「泥中の邪神」となって発現しているって……分散している思念・意識が……まだ「本体」の中に集まり切れていないってこと?……

「それなら……今が『絶好のチャンス』?」

 エシャーがフィルフェリーに尋ねる声で、篤樹も我に返り2人の会話に顔を向けた。

「おーい! 聞こえてるのかい、キミたち。ここは危険だよ! 中にお入り!」

 佐川は笑みを浮かべ、楽し気な声で篤樹たちに呼びかける。しかし、その招きを無視し、エシャーは決意のこもった瞳を篤樹に向けた。

「アッキー……やろう! ここでアイツを倒そッ!」

「えっ?!」

 予期した提案だが、エシャーの口からハッキリ言われると、篤樹は即断出来ない。再び視線を佐川に向ける。相変わらず「穏やかな笑みの運転手さん」は白いドライバーグローブを履いた手で3人を招いていた。

「いや……だけど……あの人……別に何も……」

 篤樹の返答に、木霊化が進むフィルフェリーとエシャーが驚きの表情を向ける。

「なに言ってるのアッキー! サーガーワーだよ? あの『邪神』だよ?! 見て分からないの?」

「アツ……キ……くん?」

「あ……えっと……」

 2人からの抗議の言葉と 驚愕きょうがくの瞳を向けられた篤樹は、思わず発した自分の意見を み砕くようにしどろもどろに応える。

「今……まだ『完全体』じゃないってことはさ……『あの佐川さん』は……もしかしたら『まともな状態』かもって……ほら! もしかしたら『邪悪な意識』はまだ戻って来てないとか……」

「フィリー……」

 エシャーは呆れたように溜息混じりの声を洩らす。

「ゴメン……ちょっと……1人で立っててくれる?」

 フィルフェリーの半身を支えていたエシャーが、ゆっくり体勢を変えた。その様子に、篤樹は戸惑いながら声をかける。

「エシャー?」

「……ゴブリンと同じだよ……やられる前に……やらないと!」

 エシャーは一気に両手を前方に突き出し、佐川に向かって攻撃魔法を放った。フィルフェリーは塔の壁にもたれかかり、エシャーの背に手を添える。法力相性の良い2人の合力による強力な法撃が、塔の入口前に立っていた佐川に向かい続けざまに速射されていく。

 篤樹は放心したように目を見開きその法撃を見守っていたが、ハッと気付き動き出す。

「エシャー……エシャーッ! もう良いって! ストップ、ストップ!」

 佐川に向かい伸ばされているエシャーの両腕を掴み、篤樹は法撃を制止した。

「ちょ……エシャー!」

 腕の角度が下がりながら尚も地面に法撃を放つエシャーに、篤樹は大声で呼びかける。

「一旦ストップ!」

 ようやく法撃を止めたエシャーは、疲労なのか興奮なのか、大きく肩で息を吐いている。だが、攻撃の意思が落ち着いた事を感じ取り、篤樹は恐る恐る視線を佐川が立っていた場所に向けた。連射された法撃によって 地塵ちじんや草葉が舞い上がり、まるで煙幕が張られたように かすんでいる。その かすみが完全に晴れ切らぬ前に、佐川からの声が届いた。

「ほら、言っただろ? ここは危険なんだよ、賀川くん。キミだけでも、早く中に入りなさい。外は『バケモノ』だらけなんだから……」

 ぐヴぁ……ゴぼふ……

 佐川からの呼び掛けと共に、聞き覚えのある音……2度と聞きたくないと思っていた「泥中の気泡が弾けるような音」が、様々な方向から篤樹たちの耳に聞こえて来た。
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